古書展で発見した本の数々
「タリバン」アハメド・ラシッド 講談社2000年10月発行
「カタロニア讃歌」ジョージ・オウエル 現代思潮社 1967年2月第6刷
「全地球凍結」 川上紳一 集英社新書 2003年9月発行
「隠された神々」 吉野裕子 講談社現代新書 昭和50年7月発行
「復興アジアの諸問題」 大川周明 中央文庫 1993年4月発行
「文明移転」 江上波夫 伊東俊太郎 対談 中央文庫 昭和59年(1984年)
7月発行
「光り彼方へ」フィリス・アトウオーター 角川春樹事務所1997年5月発行
「スペインの沈黙」 堀田善衛 ちくま文庫 1990年第三刷
「エピクロスの肋骨」 澁澤龍彦 福武書店 1991年6月発行
「日本怪談集:幽霊編」今野園輔 現代教養文庫 昭和41年8月発行
「ロボット市民」イアンド・バインダー 青木勝訳 東京創元社 1970年発行
「閔妃暗殺」角田房子 新潮社 1988年発行
「ランボウ」大島博光 新日本新書 1987年6月発行
「コンタクト」上下 カール・セイガン 新潮文庫 平成9年7月
「糖尿病の食事をつくる本」 鈴木吉彦、塩澤和子 主婦の友社 平成12年第7刷
これらの本の殆どは店頭では見られない。しかし、今の時点からみて興味深い題材を扱って
いる本ばかりである。
これらの本が、現在や未来とどうかかわっているのか、順次あきらかにして行きたい。
2016年12月21日水曜日
2016年9月21日水曜日
人工知能は人間と共存できるか? ・・・・ 「未来の二つの顔」をよんで・・・
一年程前から人工知能に興味を抱いてその開発の現状を調べいたが、問題意識を持っていると思わぬことが起こるものである。古書展で偶然出会ったのがジェイムズ・パトリック・ホーガン(James Patrick Hogan:J・P・ホーガン:英国ロンドン生: 1941年 -~2010年) の「未来の二つの顔」で僕は、これを一冊100円で購入した。J・P・ホーガンは、数年前劇画された「星を継ぐ者」「ガニメデの優しい巨人」等の作品で有名なSF作家である。僕が入手したのは、創元文庫出版の1983年初版の1985年の山高昭訳第5刷版であった。
「未来の二つの顔」は、人工知能の問題をテーマとして1979年に発表された作品であるので何かの参考になると思わず購入した古本であるが、驚くことにこの作品は、最近広く話題になってきた人工知能(AI)の問題を的確に取り扱っている作品でその先見性に舌をまいた。この作品は、今から37年前にそれから約50年後の2028年の世界を想定して書かれており、我々は、彼が問題にした課題が極めて現実味をもって迫ってきている時代に生きていることになる。このSFでのテーマは、「人工知能は、自らの意思を持つのか、人間に敵対するのか」であり、その問題意識があまりにリアリティを持つ背景には、かれが当時MITの人工知能研究班主任のマービン・ミンスキー教授の助力と助言を受けたことにあるようなのである。これは、この本の冒頭に謝辞が捧げられていることからもわかる。
物語は、人工知能が、人類に敵対するか否かを検証するために、地球周回軌道上に設置された宇宙植民地(ヤヌス)に生存意思を持つ最先端の人工知能(スバルタカス)を搭載し、人間が作為的にこの宇宙植民地の破壊工作を行った場合、人工知能はどう反応するのかを検証するプロジェクトの立案から結果を扱った話であった。ここには、人工知能の開発責任者、宇宙植民地の管理責任者、人工知能に対決するための5000人の部隊を統括する将軍等が登場する。この古本には、前の持ち主の購入と感想が書き込まれていた。前の持ち主がこの本を購入した動機「Prof 上田に刺激されて 10/x 85」と最初のページにあり、最後のページに「10/x~13/x 85 4日間で一気に読了」とあり、その感想が以下のように記されていた。「P300以降のスリル感はexcited 一気に読まされる。前半は、伏線、前提知識の提供。SFとはものすごい知的創造物です。単なる娯楽と云えばそれまでですが・・・。読後感はさわやか大満足でした。」
今読んでみるとSFとは未来洞察の知的娯楽物のように思える。人工知能を考える場合の基礎知識としたい一冊と云える。
2016年8月29日月曜日
戦後思想と古代史・・・ 盗まれた神話・記・紀の秘密を読んで
古書めぐりをしていると思わぬ本に出会うようになった。僕の本との出会いの方法は、三とおりである。その一つは、学問の先端分野でその時自分の関心のあるテーマを扱った本との出会い、二つ目は、ずっと興味を持ち続けている著者の本との出会い、そして三つ目は、感覚的に面白そうに思える本と出会う場合である。その内一つ目の先端分野に関するものは、新刊書が殆どであるが、後の二つのケースをよく古書展で経験する。
古書展の良さは、そこに既に絶版となっているものや比較的新しくともあまり売れないため、新刊を中心とする書店にはない書物に出会えることである。
この「盗まれた神話・・記・紀の秘密:吉田武彦:朝日文庫:1994年1月1日第一刷発行」も古書展で偶然手にした本である。購入した理由は、古代史に興味があり、今まで何冊かの本を手にしたがどうも漠としたままの本が多かった。特に歴史書としての古事記と日本書紀をまともに扱った本に出会ったことがなかったので、これ等二つの本を改めて読む場合の指針となる本を漠然と求めていたからである。
この本は、古書店で求めたものの数週間机の上に放置されていたが、先端分野の人工知能関連の本に少し飽きてきたころ、ふと思いついて気分転換に読み始めたが、その論理展開内容の独創性に推理小説を読むように取りつかれ、480頁を一気に読み終えることになった。
歴史学は、「歴史は勝者によってつくられる」と云われるごとく、極めて政治に影響されやすい学問である。日本の古代史もその例外ではない。明治維新は、皇国史観の再編・確立と共に行われたが、この皇国史観も第二次世界大戦での敗戦とともに極端に全否定され、その戦後思想も社会主義の崩壊により修正を余儀なくされている。
イデオロギーという霧を取り除いて、古代史を冷静な目で見つめたらどうなるか。この本は、その一つの試みであり、古代史を扱った本の内の一級品の一つであると感じた。
特に神話は史実を反映しているという一貫した姿勢で、記・紀を具体的に読み解いてゆく姿勢に関心させられたし、古代史の中での神の創造(誕生)を人間を動物から離脱せしめた文明上の重大事とする考え方には、思想的に大きな共感を覚えた。日本の古代史の枠組みは、この本によってはっきりしたといっても過言でもない。すくなくとも僕には、そう思われた。
著者の吉田武彦は、1926年生れで、東北大学の日本思想史学科卒で、43歳まで高校教師をし、1970年44歳の時から本格的に思想史と古代史の研究に専念する。彼がこの本の原稿を書き上げたのは、1974年(昭和49年12月)48歳の時である。
僕が手にした文庫本にはこの時の原稿に補償「神話と史実の結び目」が収録されているが、これは、最初の原稿からの18年間のその後の研究や論考をまとめたものであり、48歳の時に到達した枠組みをそれから18年たった66歳の時点で、再確認する内容であった。
彼はどのような人物であったのか、インターネットで調べてみた。残念なことに2015年10月14日京都で亡くなっていた89歳であった。
私は、歴史家ではないので、古代史の細部に関心を持つ者ではないが、日本の大和朝廷の誕生前史が想像できるようになり、政治的な霧を取り除き歴史の真実に一歩近づいた気がしている。またどこかで彼の名前の本を見つけたら手にとって眺めてみたいと思う。
イデオロギーという霧を取り除いて、古代史を冷静な目で見つめたらどうなるか。この本は、その一つの試みであり、古代史を扱った本の内の一級品の一つであると感じた。
特に神話は史実を反映しているという一貫した姿勢で、記・紀を具体的に読み解いてゆく姿勢に関心させられたし、古代史の中での神の創造(誕生)を人間を動物から離脱せしめた文明上の重大事とする考え方には、思想的に大きな共感を覚えた。日本の古代史の枠組みは、この本によってはっきりしたといっても過言でもない。すくなくとも僕には、そう思われた。
僕が手にした文庫本にはこの時の原稿に補償「神話と史実の結び目」が収録されているが、これは、最初の原稿からの18年間のその後の研究や論考をまとめたものであり、48歳の時に到達した枠組みをそれから18年たった66歳の時点で、再確認する内容であった。
2016年7月30日土曜日
建築大賞を祝う会出席して
12年程前、一緒にNPO建築設備コミッショニング協会の立上げを行った名古屋大学名誉教授の中原信生先生の建築大賞受賞を祝う会に参加してきた。理学部出身の私には、建築大賞なるものの重みが理解できていなかったが、会場で、大学関係者のスピーチを聞くうちに、これは結構大変なことだと感じた。
ノーベル賞などでは、特定のテーマでの個人としての独創性と先端性が問われ、その評価できまるが、建築大賞というのは、個人的な研究能力だけでなくその分野の技術や学問の進歩にどれだけ貢献したかが問われる。先生の功績は、「空気調和設備の最適設計・制御と性能検証の理論と実践に関する一連の功績」というもので、いわば一技術者・研究者としての全体としての歴史に対する評価としての受賞であった。
従って、その受賞の背後には、社会的に有意義な各種プロジェクト、共同研究、教育研修、技術基準の制定等とされに関係した多くの人達のその活動への評価の集積があるということである。
私は、システムの最適化を通しての省エネルギーと性能検証(コミッショニング)の理論と実践について行動を共にしてきたが、先生は、研究者と教育者、学者と実務者の素質をバランスよく具備された稀な人と感じた。何歳になっても常に前向きで、若い人達とも真摯に議論できる人であった。
感心させられたのは、論文の執筆から印刷・製本まで、具体的に指導できるように、理屈だけでなく、実際行動ができ、指導できることであった。何か問題があって困ったときには、必ず一緒に考え、具体的な方法論を指示、実行できる点であった。部下としてこれ程、安心できることはない。おかげで、NPOの設立・運営という未知の仕事に取り組むにあたって、安心して思い切り自分の能力を発揮することができた。
多分、こうしたことは、私だけでなく、その会場に参加された100名の方やその他の関係者すべてが何等かの形で経験され、それが、賞への推薦の流を生み、受賞に連なったということであろう。
会を終えて、帰りの地下鉄の中で、記念として配布された「空気調和設備の最適設計・制御と性能検証の発展と実践」-その軌跡 という冊子を見ながら、先生の60年に亘る技術者人生とともにそれといくつもの交点をもつ自分の技術者人生を思った。
ノーベル賞などでは、特定のテーマでの個人としての独創性と先端性が問われ、その評価できまるが、建築大賞というのは、個人的な研究能力だけでなくその分野の技術や学問の進歩にどれだけ貢献したかが問われる。先生の功績は、「空気調和設備の最適設計・制御と性能検証の理論と実践に関する一連の功績」というもので、いわば一技術者・研究者としての全体としての歴史に対する評価としての受賞であった。
従って、その受賞の背後には、社会的に有意義な各種プロジェクト、共同研究、教育研修、技術基準の制定等とされに関係した多くの人達のその活動への評価の集積があるということである。
私は、システムの最適化を通しての省エネルギーと性能検証(コミッショニング)の理論と実践について行動を共にしてきたが、先生は、研究者と教育者、学者と実務者の素質をバランスよく具備された稀な人と感じた。何歳になっても常に前向きで、若い人達とも真摯に議論できる人であった。
感心させられたのは、論文の執筆から印刷・製本まで、具体的に指導できるように、理屈だけでなく、実際行動ができ、指導できることであった。何か問題があって困ったときには、必ず一緒に考え、具体的な方法論を指示、実行できる点であった。部下としてこれ程、安心できることはない。おかげで、NPOの設立・運営という未知の仕事に取り組むにあたって、安心して思い切り自分の能力を発揮することができた。
多分、こうしたことは、私だけでなく、その会場に参加された100名の方やその他の関係者すべてが何等かの形で経験され、それが、賞への推薦の流を生み、受賞に連なったということであろう。
会を終えて、帰りの地下鉄の中で、記念として配布された「空気調和設備の最適設計・制御と性能検証の発展と実践」-その軌跡 という冊子を見ながら、先生の60年に亘る技術者人生とともにそれといくつもの交点をもつ自分の技術者人生を思った。
2016年6月16日木曜日
非寛容なワイドショー民主主義・・・桝添問題に思う
東京都知事辞職問題をめぐる報道を見ていると日本の民主主義のレベルに危惧を感じざるを得ない。連日のような公私混合疑惑が全くいじめや噂レベルから扱われている。
議論の前提となる公と私の区別はどう考えるべきかの基本的な議論は皆無で、自分達には出来ないことを知事がやっていることへの妬みの感情をぶっつけいるだけのように見える。
都知事が1億の2億もネコハバしたとか、行政の失敗で何億もの損失を招いたというなら問題であるが、コーヒー代を経費で落としているとか金額にすれば取るに足りないことを公共の電波を使って延々と報道している。このコストはおそらく数十億にもなる。
一般に必要経費の曖昧な処理は、様々なレベルで日本社会の中で行われている。
例えば、商談の会食の費用が経費かどうかで問題になる。極端に云えば、商談をしてなくても食事は食べるので、認められなとの議論も成り立つ。
しかし、日本の慣習では、これは多くの場合認められており、税務署もこれを違法とはしない。実際には、私的なものがあっても税務署は、そこまでの証拠をもとめない。徴税
効率を考えるからである。
しかし、松添問題のメディアの報道は、一片の疑問も許さないという非寛容な姿勢であり、雛段のコメンテーターもこの姿勢の支持論者ばかりであった。このかたくなな姿勢は
どんな言い訳をしても「納得できない」「誠意が見られない」という韓国のメディヤや圧力団体の論調を思いだす。「誠意」等は、形がないので、見せられないのが普通である。この場合、それを見えるようにするということは、「金」という形で示せというのと一緒で「やくざ」論理である。反対論者のいない欠席裁判的なワイドショー番組ばかりたったのにあきれ返ったのは、私だけだろうか。
片山、浅井、北川の知事経験者の発言も知事職と経費について真面目な意見は皆無で
街のおばちゃんに迎合する無責任な発言ばかりであった。一般に政治とは庶民をうまくだますことであり、それを説明責任という言葉で表現する。これがまずいと云うばかりである。自分達の時、本当に何もなかったのだろうか。
国民は、自分達が主権者であると祭り上げられており、自分に責任がない範囲では、云いたい放題である。「知事は、24時間勤務であり、すべてが公です。」と居直られたらどう反論するのだろう
唯一三重県知事の、「知事の経費は税金から出ていることの認識を形で示すことでの配慮不足」との表現が的を得ていたように思う。
ただ、こうした支出問題は、せいぜい300万円程度の話で、この金額に対して日本国民が払った会議や報道関係費は、数十億円を下らないだろう。
個人的な正義感情で辞任すべしと叫んでいた人達は、自分の気晴らしになったことだろう。ただそれだけのような気がする。都知事選と云えばまた数十億の金がかかる。こんな金は、熊本の復興に回すべきではないか。
辞任に追い込んだのは、結構だが、その結果国民は何を得ただろう。
聖人君主のような人物はまずいない。欠点を監視し、良い点を伸ばす。この寛容な姿勢が
必要ではないか。このままでは、都知事に、AI(人工知能)を採用する時代が本当にやってくるかも知れない。そのとき、都民とメディヤは、どう対応するのだろうか
心なき非寛容な東京都民とメディアの幼稚さに失望を感ずるのは、私だけだろうか
非寛容なワイドショーとメディヤ・・・ベッキー報道をめぐって
ベッキー問題が発生したとき、メディヤの取上げ方や報道に違和感を覚えた。それまでアンドロイドのごとく、浮いた話の無かったベッキーが人並みに恋に陥ったことに、何故か親しみを感じたのに、執拗な不倫の非難報道は道徳論に終始し、嫌気がさした。その時、かって作家の渡辺淳一郎が、女性記者に立派な先生が「不倫の小説をかいていいのですか」と問われ、「文学は本音を書くものだ」と一蹴したことを思い出した。
若者がはじめての恋に狂うのは、「ロミオとジュリエット」や「若きヴエルテルの悩み」「曽根崎心中」まで古今東西例に事欠かない。これには、人間とは何かにつらなる本質的問題が潜んでいる。それなのに、一方的に倫理的にしか報道しないメディァに空恐ろしさを覚えた。
何度も会見で謝らせ、もう二度と他人を傷つける恋はしません(傷つき、傷つかない恋なんてありえないにも関わらず)とまで云わせたメディヤは、肝心のことを問題にしなかったような気がする。
結果的に分かったことは、ベッキーが芸能界・事務所という遊郭の花魁のような存在で、多額のギャラと引き換えに自分の自由を売っていた事実であり、幾つもの企業が、宣伝のためにアンドロイド的人格を要求し、不祥事の違約金が何億にもなるということであった。
問題の核心は、若い女の不倫行動ではなく、宣伝イメージ破壊行動が、企業の不利益になるということであり、メディアは、この企業論理に従って、企業利益の擁護活動に走ったということであった。
芸能界の巨額なギャラも問題であるが、不倫非難という正義の仮面で大衆を扇動するメディアに、戦前の権力迎合の匂いを感じた。
メディヤが、企業の飼い犬であると同様ベッキーもスマップも所詮芸能会や事務所の飼い犬でしかなかった。復帰後のベッキーがアンドロイド飼い犬に見えるのは、僕の目が曇っているせいかも知れない
2016年5月19日木曜日
性能表示と試験法
自動車業界の性能表示が、問題となっている。
この問題は、一見単純なコンプライアンス問題のように見える。
しかし、以前にも食品で問題があったし、新しいところでは、羽毛布団の問題がある。
ある意味では、どんな業界でも何等かの表示問題を抱えている。
この背景には、市場競争の問題がある。性能の不適切な表示問題は、実は市場社会全体を蝕んでいる問題でもある。
車を含める機械の性能表示問題もこの背景でみてゆく必要がある。
他との競争が厳しくない時代には、表示より中身が問題であると教えられてきたし、そのように
考えてきた。1990年のバブル崩壊以前は、その性能についていちいち説明しなくとも顧客や消費者は分かってくれると信じていた。
しかし、バブル崩壊と共に、市場経済化、競争化が叫ばれるようになると、コスト優先、宣伝優先
の風潮が主流となった。市場経済の負の面が顕著にあらわれ始めた。この市場経済化の負の作面は、中国で顕著にみられるが日本でも程度こそ違うが同様な傾向が見られた。つまり「悪貨が良貨を駆逐する」事態である。
市場経済は、統制経済よりも社会進歩に効果的であるが、その負の側面の制御が問題である。
つまり、競争は良いが、その評価の基準と評価能力がしっかりしないと、「悪貨が良貨を駆逐する」事態をまねく。
この評価と評価基準をすべて法的に定めることは不可能であるので、そこに健全なメディアや独立して評価を行う公益団体や専門家組織が必要となり、国民ゃ消費者の評価能力の向上が必要になる。
機械の性能をすべてにおいて他との比較可能な形で数値化するのは、不可能であるので
一般には、ある特定の条件下で、ある特定の試験法により、ある決められた性能指標を算出し
これを性能として表示することになる。この試験法は、JIS等の各種規格で定められている。
試験であるので、当然測定誤差があり、それは許容されている。
ただ、問題なのは、こうした数値の意味が、よく説明されていないことであり、この数値に基づいて
税制や補助金がつくことである。これが、購買者の購入を誘導するとなると数値の客観性や公平性が担保される必要がある。
この意味で、試験方法は、もはや技術の専門的領域の問題ではなく、広く第三者が確認できる
公開分野の問題となっていると云える。
これを機会に、性能表示の問題をより多くの人が考えるようにしたいものである。
この問題は、一見単純なコンプライアンス問題のように見える。
しかし、以前にも食品で問題があったし、新しいところでは、羽毛布団の問題がある。
ある意味では、どんな業界でも何等かの表示問題を抱えている。
この背景には、市場競争の問題がある。性能の不適切な表示問題は、実は市場社会全体を蝕んでいる問題でもある。
車を含める機械の性能表示問題もこの背景でみてゆく必要がある。
他との競争が厳しくない時代には、表示より中身が問題であると教えられてきたし、そのように
考えてきた。1990年のバブル崩壊以前は、その性能についていちいち説明しなくとも顧客や消費者は分かってくれると信じていた。
しかし、バブル崩壊と共に、市場経済化、競争化が叫ばれるようになると、コスト優先、宣伝優先
の風潮が主流となった。市場経済の負の面が顕著にあらわれ始めた。この市場経済化の負の作面は、中国で顕著にみられるが日本でも程度こそ違うが同様な傾向が見られた。つまり「悪貨が良貨を駆逐する」事態である。
市場経済は、統制経済よりも社会進歩に効果的であるが、その負の側面の制御が問題である。
つまり、競争は良いが、その評価の基準と評価能力がしっかりしないと、「悪貨が良貨を駆逐する」事態をまねく。
この評価と評価基準をすべて法的に定めることは不可能であるので、そこに健全なメディアや独立して評価を行う公益団体や専門家組織が必要となり、国民ゃ消費者の評価能力の向上が必要になる。
機械の性能をすべてにおいて他との比較可能な形で数値化するのは、不可能であるので
一般には、ある特定の条件下で、ある特定の試験法により、ある決められた性能指標を算出し
これを性能として表示することになる。この試験法は、JIS等の各種規格で定められている。
試験であるので、当然測定誤差があり、それは許容されている。
ただ、問題なのは、こうした数値の意味が、よく説明されていないことであり、この数値に基づいて
税制や補助金がつくことである。これが、購買者の購入を誘導するとなると数値の客観性や公平性が担保される必要がある。
この意味で、試験方法は、もはや技術の専門的領域の問題ではなく、広く第三者が確認できる
公開分野の問題となっていると云える。
これを機会に、性能表示の問題をより多くの人が考えるようにしたいものである。
2016年5月4日水曜日
今月の古書展とナントの城
今月の古書展は、4月29日から5月1日におこなわれた。初日は、超満員で、あったがそれでも千円で8冊ばかり購入、その中には、フランスの城と館の写真と解説集があった。思わず手にしてしまったのは、そこにブルターニュのナントの城を発見したためである。
ナントの町の路面電車の見学は30分程で終わり、後は市街地と城の見学であったが、日曜日で人通りもすくなく、あっと云う間にその見学も終わり、近くのレストランで、食事とワインをしてその日の内にパリに戻った。これだけのことであるが、しかし印象に残ったことがある。このナントの城に日本語の案内パンフがあったことである。フランスにきて、感じたのは、車はルノーがほとんどで言葉はフランス語で漢字には全くであわなかった。そんな中、こんな片田舎(失礼:と云ってもブルターニュ地方最大の町と云われている)にも日本人がいて、この城のために解説記事を書く人がいたのである。城そのものより、僕はそのことに感動した。今考えると、それは、圧倒的な西洋文明の中で孤立してある日本文化の存在を愛おしく思う感情と重なっていたように思う。
ナントの城は、20年ばかり前、ヨーロッパの視察旅行の時訪れたことがあった。ナントはパリからTGVで二時間ばかりのフランスの南西部の町で、視察の目的は、TGVに乗ることと復活した路面電車の見学であった。
ナントの路面電車 |
フランスのTGVは、定員が、日本の新幹線の1/3程度の小型で、座席は、左右2列づつで簡素なビジネス特急のごとくで1990年には、時速515.3km/h の当時としての世界記録で有名であったが、限りなく広い平野の直線軌道での記録で、山川をぬって走る日本の新幹線とは比較にならないと感じた。
ナントの市街地 |
ナントの町の路面電車の見学は30分程で終わり、後は市街地と城の見学であったが、日曜日で人通りもすくなく、あっと云う間にその見学も終わり、近くのレストランで、食事とワインをしてその日の内にパリに戻った。これだけのことであるが、しかし印象に残ったことがある。このナントの城に日本語の案内パンフがあったことである。フランスにきて、感じたのは、車はルノーがほとんどで言葉はフランス語で漢字には全くであわなかった。そんな中、こんな片田舎(失礼:と云ってもブルターニュ地方最大の町と云われている)にも日本人がいて、この城のために解説記事を書く人がいたのである。城そのものより、僕はそのことに感動した。今考えると、それは、圧倒的な西洋文明の中で孤立してある日本文化の存在を愛おしく思う感情と重なっていたように思う。
ナントの城 |
その写真集は、昭和54年4800円で売り出されたものであるが、それが三冊100円のコーナーにあった。昔の写真集は、今からみれば印刷技術で見劣りするので、こんな価値しかない。しかし私には、西欧旅行を思い出すきっかけを与えてくれ本としての価値はあった。家に帰り、その時撮ったナントの写真を探し出した。そういえばナントは、1598年、ここでアンリ四世が「ナントの王令」に署名し、信教の自由を認め、長年の宗教戦争に終始符をうち、フランスを統一に導いた歴史的な場所であった。
写真集 |
2016年4月21日木曜日
熊本地震発生の日
熊本地震が発生した日は、何か異常を感じた日であった。
まず、数日前から風呂の排水が悪くなっていた。
その原因を探っていたところ、玄関で妻の叫び声を聞いた。
何事かと表に出てみるとなんと数十匹の毛虫が、落下傘部隊のように糸にぶら下がっている。
その糸は、立木の葉の間から垂れ下がっており少し木をゆすると次から次と垂れさがってくる。
これは、木の枝葉をすべて切り取る以外に方法はないと考え、2時間ばかりかけて全てゴミ袋に収納した頃はもうあたりはうす暗かった。
その夜テレビで熊本地震を知った。
活断層の地震なので被害は局地的でやがて治まるだろうと思っていた。翌日は、熊本の知人と連絡を取ろうとしたが、取れなく、ただ住所で震源地との位置関係を確認し、多分命には、別状はないと判断した。数日後連絡が付き、推測どうりの無事が確認された。
翌日は、排水問題の解決に集中、配管の図面を探しだし、現地で、排水状況を観察問題が汚水管の一部の詰りであるとの結論に達した。
翌日、ホームセンターへゆき、5mのメッセンジャーを1080円で購入。詰り解消作業を行う。
しかし、何度試してもうまくゆかない。最悪コンクリートに穴をあけ、古い排水舛を探し出す
抜本対策が、必要かもと思い立ち知り合いの業者に連絡を入れた。
たまたま、翌日にすぐ来てくれることになり、調査したてもらったが、やはりプロでも解決できない
くらい詰まっていて、コンクリートをハツつって排水舛を掘り出した。
なんと排水舛の中で油が石化して、固まっているではないか、その量は殆ど舛の半分にも及び排水口を塞いでいた。それを取り出し、清掃してようやく問題が解決した。
そういえば、十数年前、舛の蓋の上をコンクリートで覆うという誤った行動をした。そのツケがこの結果である。悪いことは出来ない。
それにしても想定外の事態であった。
まず、数日前から風呂の排水が悪くなっていた。
その原因を探っていたところ、玄関で妻の叫び声を聞いた。
何事かと表に出てみるとなんと数十匹の毛虫が、落下傘部隊のように糸にぶら下がっている。
その糸は、立木の葉の間から垂れ下がっており少し木をゆすると次から次と垂れさがってくる。
これは、木の枝葉をすべて切り取る以外に方法はないと考え、2時間ばかりかけて全てゴミ袋に収納した頃はもうあたりはうす暗かった。
その夜テレビで熊本地震を知った。
活断層の地震なので被害は局地的でやがて治まるだろうと思っていた。翌日は、熊本の知人と連絡を取ろうとしたが、取れなく、ただ住所で震源地との位置関係を確認し、多分命には、別状はないと判断した。数日後連絡が付き、推測どうりの無事が確認された。
翌日は、排水問題の解決に集中、配管の図面を探しだし、現地で、排水状況を観察問題が汚水管の一部の詰りであるとの結論に達した。
翌日、ホームセンターへゆき、5mのメッセンジャーを1080円で購入。詰り解消作業を行う。
しかし、何度試してもうまくゆかない。最悪コンクリートに穴をあけ、古い排水舛を探し出す
抜本対策が、必要かもと思い立ち知り合いの業者に連絡を入れた。
たまたま、翌日にすぐ来てくれることになり、調査したてもらったが、やはりプロでも解決できない
くらい詰まっていて、コンクリートをハツつって排水舛を掘り出した。
なんと排水舛の中で油が石化して、固まっているではないか、その量は殆ど舛の半分にも及び排水口を塞いでいた。それを取り出し、清掃してようやく問題が解決した。
そういえば、十数年前、舛の蓋の上をコンクリートで覆うという誤った行動をした。そのツケがこの結果である。悪いことは出来ない。
それにしても想定外の事態であった。
2016年4月7日木曜日
米内光政」ー日本海軍の良識―について
古書展で見つけ一か月ばかりかけて読んだ本に阿川弘之の「米内光政」(新潮文庫昭和57年発行)がある。戦後70年を機に、日本は何故あの戦争に突入したのかが話題になったとき、当時の軍部とりわけ海軍の責任について議論になったことがあり、その時、戦争責任を軍部と一くぐりに論じて真実は見えてこないのではないかという疑問を覚えた。こんな時あの戦争の終結に注力した海軍出の海相米内光政の生涯を描いた「米内光政」と出会った。阿川弘之が海軍出の作家であり、膨大な取材と資料に基づき、淡々書き進められたこの本は米内光政の日常生活とその彼と戦争とのかかわりが気負うことなく記述されている。
あの「坂の上の雲」に出てくる日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた古武士の風格を持つ日本海軍が、無謀な日米開戦に何故突入せざるを得なかったのか、それは、軍部が愚かであったとの一言では済まされない事態があったに違いない。その理由が知りたかった。
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日 )は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。巧級は巧一級。第23代連合艦隊司長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣
1901年(明治34年)海軍兵学校29期を125人中68番の成績で卒業した生粋の軍人で、帝国海軍の最期の見届け人でもある。彼の生涯の主要部分は、日露戦争で勝利した日本が、敗戦を迎えるまでの期間と一致しており、その生涯は、個人の眼から見た近代史と云える。軍部の中にも様々な人達がおり、無謀な戦争を避けるために努力した人達も数多くいたそれにも拘わらず、戦争に突入していった背景には、海外の事情や思想に対する日本の国民レベルでの理解不足と内向き志向と独善、それに便乗するメディヤとそれを利用する政治家や軍部等の存在がある。この点では、内向な国民とそれに迎合する政治やメディヤ等日本が道を間違える要素は現代も存在し続けている。
歴史を結果論から断罪するのは、易しいが、時代の只中にいてその動向を正しく評価して果敢に行動することは、至難の業である。ただ、正しき人間観があれば、大きな間違いは避けることが出来る。本書はその可能性のあることも又語っているように思われた。「戦争反対」と叫べば戦争を避けることが出来ると単純に考えている人達に是非読んでもらいたい本である。
歳月(明治維新と江藤新平)について
古書展で見つけ一気に読んだ本に司馬遼太郎の「歳月」(講談社文庫:昭和49年第13刷発行)がある。司馬遼太郎の名前に惹かれて偶然手にしたこの本は、書名が平凡すぎ、一見して何の小説かわからない本であったが、700頁にも上る歴史半ドキュメンタリー小説であった。
これは、佐賀藩の下級武士であった江藤新平が、35歳で突如明治維新の歴史の舞台に現れ、わずか五年目の三十九歳で維新政府の司法卿(今でゆう法務大臣)に任ぜられ、佐賀の乱に捲き込まれ、四十一歳で梟首刑に処せられるまでの物語である。
今まで、維新をテーマにした多くが、明治維新までの物語が殆どであつたが「八重の桜」や「花燃ゆ」など、最近のドラマがようやく明治維新後に焦点を当て始めた。江藤新平を扱ったこの「歳月」は、維新政府の誕生とその後の士族の反乱という革命政権の誕生と混乱の歴史を見事に描いた作品である。
江戸城開城の際、薩長の人間達が、武器と財宝の確認に走る中で、一人江藤新のみが江戸幕府の書庫に入り行政上の書類の分析から幕府の財政状況の分析に着手し、当時の日本の財政規模が5000万石でその大半が武士給料として支出されていたことを把握した等の話は、その後の廃藩置県や士族反乱を理解する上での興味深いエピーソードであり、各所に今まであまり知られなかった史実も示されており、歴史書としても興味深い。
歴史を見る場合、マクロの視点とミクロの視点のどちらに偏りがちであるが、これは、個人が見える形で対局的な歴史をみるという司馬遼太郎の歴史観が見事に表現された小説である。また、無名の下級武士が、一躍時代の先端にどのようにして踊り出て、どのように躓いたかの人間ドラマとしても面白く考えさせられる一冊である。
新訳聖書物語について ―西洋思想とキリスト教―
古書展で、出会った貴重な本の一つが犬養道子の「新約聖書物語上下巻(新潮社昭和55年発行)」であった。
当時私は、木田元の「ハイデガー「存在と時間」の構築」(岩波現代文庫2001年第5刷)を読み上げて数ケ月たっていたが、その中で、キェルケゴールド、ニーチェ、ハイデガーが必死に格闘していたのが、キリスト教的な枠組みからの脱出で、ことほど左様に、西欧思想の基盤には、ユダヤ・キリスト教が強固に深く根を下ろしていることを感じた。その根深さは、数年前名古屋で行われた生態系に関する国際会議で、「生態系サービス」といった生態系を人間の利用対象としか見ない概念で世界を捉える現代ヨーロッパ思想に覚えた違和感と通じるものであった。
西欧思想の根本を知るには、キリスト教そのものをもっと知る必要がある。そのように無意識に感じていた時にこの本に出会った。
上下巻で1100頁にも及ぶこの本は、現地調査と聖書に基づいたイエスキリストとその弟子達の物語で、17年かかって書かれたこの本は、1975年彼女54歳の時に単行本として出版され、私が出会ったのは、1980年発行の文庫本である。イエスの布教の行程を地図上で丹念に追いながらまるで映画を見るように語られるのに引き込まれ一気に最後まで読み進むことが出来た。その中で、聖書をみる目が少し変わってきた。
イエスキリストが実際に布教活動を行ったのは、西暦28年から30年のたかだか3年間である。ペテロ、パウロが殉教するのが、西暦67年であるので、イエスキリストが、磔になって以後、その出来事を弟子達がどのように受け止めていったのかの記録が聖書であり、それらは、使徒行伝や使徒達の書簡、ヨハネ黙示録等のイエスキリストの直弟子達の思想や行動と共に見てゆく必要があるということである。
イエスキリストの活動は、極めて短期間の出来事であるが、その思想は強烈で、衝撃的であり、弟子達がそのことの意味を考え、整理するのに数十年かかり、その衝撃波が、現代まで続いているということなのだろう。科学がこれほど進み、キリスト教的世界観がどんどん薄らいでゆく中でも、まだその影響が大きいその理由は、その核心が、世界観ではなく救済論にあると私には思えた。マルクス主義は、宗教無批判をフォイエルバッハに依存し、救済論に真摯に向き合ってこなかったように思える。
そして救済論という視点からならば、インド的又は仏教的思想との統一的理解が出来るかもしれないと思うようになった。キリスト教を考える手がかりを得たと感じさせられた本であった。
私と出会った三冊の本
脳科学者の茂木健一郎が、書店で本を選ぶとき、深く考えなくて感性で選ぶと語ったことがあった。それは、我々の脳は、無意識に働くのでその働きに任せるというのがその理由であった。この一年ばかり、頻繁に古書展に通うようになり、そのことと関係するような感覚を何度か経験するようになった。
その古書展というのは、名古屋の古本屋の組合が丸田町の交差点近くの百メートル道路に近接した組合の事務所の建物を使って月一回開いている古書の即売会のことである。
この即売会の正式な会場はその二階で、そこは、古書が整然と整理され陳列されているが、その一階では、三冊百円の文庫本や一冊百円の単行本、写真集やグラビヤ等一千冊を超えると思われる古書がところ狭しと乱雑に積み上げられている。
この一階で一時間ばかり書物を眺めていると必ず不思議に私に語りかけてくる本がある。
これは、この三冊100円のコーナーで出会った、聖書物語(犬養道子)、歳月(司馬遼太郎)米内光政(阿川弘之)の三冊の本の話である。
2016年4月1日金曜日
プログ事始め
下村胡人の「次郎物語」と阿部次郎の「三太郎日記」倉田百三の「愛と認識の出発」等の大正デモクラシーと教養主義に導かれて中学、高校時代を過ごした私にとって大学は、まさに「真理追及」の場としか考えられなかった。その大学時代は、卒業後の世界のあることを全く考えず、アルバイトの時間を除けば、サークルと学生運動、討論三昧、読書三昧の生活で、この時代は、殆ど人生の半分に値すると思い悔いの無いように生きようと思っていた。その時、卒業後は忍従の生活がまっているだけだと覚悟していた。
しかし70歳を機に、本格的な年金生活を始めてみて、これは、奨学金を先払いした新たな大学生活のようなもので、再び青春が蘇ってきた思いがしてきた。まさに貝原益軒がいったように「老年の一刻値千金」を実感するようになった。なにより、生活にあまり金がかからなくなった。その理由は、欲望が減退し、自分を制御しやすくなったことと関係し、飲む機会と量が減がったことであり、趣味が金のかからぬ読書や謡、描画と座禅であり、着る物に無頓着で、美食は健康に良くないと外食にも興味が少なく、在職中に、職務で米国を三週間、ヨーロッパを二週間旅行し、国外旅行への渇望もそれ程強くなく、ウオーキングという自分の体との対話を日常の友としているためである。無論、年数回のスケッチ旅行や年10回ばかりの筏釣には、それなりに費用はかかるが、スナックへ行く費用と比べれば安いものである。
読書の焦点は、大学時代未消化に終わり、その後五十年間あまり勉強できなかった物理学を中心とする現代科学の過去五十年間の成果とこれからの展望を知ることであり、もう一つは、大学時代に学び考えた哲学や思想をその後の歴史を振り返り再評価し、あらためて、自分の生きた時代と未来を考えることであった。
時代の最先端の知識は、本屋へ行けば、おびただしい新刊書が出ているので、容易に手に入る。もう一つは、古本屋めぐりで、特に古本屋の組合が開催している古書展には、掘り出しものが多い。今の書店は、殆ど新刊書で占められているので、ここは、書店にない貴重本の宝庫にも思える。この五十年間にアナログからディジダルの時代になり、多くの書籍が、ゴミとして打ち捨てられゆきつつある。そしてこの古書の多くは、戦後から二〇〇〇年までの出版物である。
五十年前は、マルクス主義の全盛時代であり、書店は、これ等の本であふれ返っていた。大学生であった私もそうしたその時代の先端を扱った本しか目にしなかった。しかし、五十年経ってその時代の古書群を眺めてみると当時の自分では、気付くことの出来なかった思いがけない名著が、数多くあることに驚かされる。それらは、ただ古いというだけで、三冊百円や一冊百円のコーナーでただ同然の値段で投げ出されている。これらは、多分もはや絶版になっていて容易には、手に入らないものである。無論古書の中でも店主により、それなりに評価されているものもあるが、それらも新刊に比べれば極めて安い。
ソ連邦の崩壊とともに訪れたアナログからディジダルの時代の変化は、五十年前の思想や価値観を洗い流し、現在私の前には、砂金のようにキラキラ輝くものだけが語りかけてくるように思える。
五十年前の視点から現代をみるのは、一つの驚きあるが、現代の視点から五周年前の時代を眺めることにも多くの驚きと発見があり、これにはハイラインの名作「夏への扉」の時間旅行者しか味わえない感覚と感動がある。
七十年も生きていると以前には見えなかったことも見えてくる。この発見をこれからの人に伝えれば、何かの役に立つかもしれないとブログを始めることにした。
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