1.はじめに
現在がグローバリズムと戦後の国連体制の終焉と云う歴史の転換点であるなら、その中での日本のあり方を再び問い直す必要があると感じ始めたときに、真っ先に浮かんだのは、第二次世界大戦に伴う日本の敗戦と連合国の正義に対する疑念であった。そしてそれは、日本の近代化の出発点とも云える明治維新とそれに伴い進められた文明化の意味にまでさかのぼって考える必要があると思い至った。そんな時出会ったのが自分より30歳も若い日本思想史の研究者の次の著作であった。
「未完の西郷隆盛:先崎彰容:新潮選書:新潮社:2017年12月20日発行 2024年9月30日第5刷」
この本の表紙の帯には、西郷隆盛の肖像画を挟んで、近代化の立役者か、反近代の英雄か の二つの言葉が並べられている。そしてこの言葉がこの本のテーマを端的に物語っている。
日本の近現代史は、明治(1868年~1911年)、大正(1912年~1925年)。昭和(1926年~1988年)と云われ、それ以降が。平成(1989年~2019年)、令和(2020年~2026年~)の現代となる。今年は、明治維新後158年であり、この本が書かれた2017年は、明治維新後約150年と云う区切りの年でもあった。
そして現在は、日本の敗戦後81年、ソ連邦崩壊と日本のバブル崩壊後37年と云う時点である。「歴史とは、現在と過去の対話である」とはよく言われることであるが、トランプ政権誕生にみられる世界の混乱とその先の世界、その中での日本のあり方を考えるためには、もっと長いスパーンでのものの見方が必要であり、この本はそのための貴重な示唆を与えてくれるかも知れない。
2.私と西郷隆盛(1828~1877)との出逢い
西郷隆盛についての一般的な知識は、歴史の教科書やテレビドラマを通じてよく知っているつもりであった。その私が、西郷隆盛に特に興味を持つきっかけとなったのは、友人達と山形県を旅した時のある特殊な体験からだった。その山形の旅行は、仙台でレンターカーを借り、藤沢周平ゆかりの湯田温泉に泊まり、出羽三山や最上川など荘内平野を巡るものであったが、旅の終わりに荘内藩の城跡を訪ね、荘内藩主が、徳川譜代の酒井家で、歴代かなり領民に慕われていたこと、この城を中心とした世界が藤沢周平の時代劇のモデルであること等を知ることが出来た。車で荘内を移動する時、やたらに、南洲神社、荘内南洲会と云う西郷隆盛関係ののぼりや看板が目についた。
その違和感の正体が分かったのは、名古屋に帰って数か月たった頃古書展で一冊の本に出合ってからである。その本は「西郷先生と荘内」と云うタイトルの地味な本であったが、思わず購入してきた。
家に帰って本の内容を確認するとそれは、次のような内容だった
「西郷先生と荘内:遺構・講述:長谷川信夫・題字酒井忠梯:編集荘内南洲会:発行(財)荘内南洲会理事長小野寺時雄:1998年9月23日第1刷発行」
この本は、西郷隆盛に心酔し荘内南洲会を設立した長谷川信夫が、戊辰戦争と荘内藩、その中での西郷との出会いとその後ラ交流、「南洲翁遺訓」刊行の経緯と長谷川信夫の講述、西郷隆盛の生涯、荘内藩と係わり等をまとめた本で、一般書籍ではなく荘内南洲会による刊行物であった。
それによれば、戊辰戦争で荘内藩は、奥羽越列藩同盟の一員として新政府軍と対峙して戦う。新政府軍は、会津と荘内の二手に分かれ、会津攻めは、長州主体、荘内攻めは薩摩主体であった。荘内藩は、酒井玄番などの優秀指揮官と近代的軍備をもっていたため、新政府軍を圧倒していたが、奥羽越列藩同盟の他の藩の敗北や裏切りにより、利なしとみて降伏の決断をする。
荘内藩は、幕末江戸の治安を任されており、薩摩による江戸攪乱の拠点であった薩摩屋敷の焼き討ち等をしており、京都の治安を任されていた会津藩同様、新政府軍から目の敵とされていた関係上、降伏に当たっては、新政府軍から厳しい条件を突き付けられることを覚悟していたが、この方面軍の責任者黒田清隆は、極めて寛大に処置をした。
このことに感激した荘内藩がお礼にゆくと黒田は。その処置が西郷隆盛の指示によるものだと沖らかにする。西郷は、戦いが終わったからには、同じ日本人として仲良くすべきだとのかんがえであるとこの指示をだしたとのこと。これに感激した荘内藩の人達は、その西郷に、直々にお礼を言い、教えを頂きたいと多人数の代表団を鹿児島に送り、直接会って話をきくことになる。以後荘内の人達は、西南戦争中もその後も西郷に対する崇拝の年を持ち続けたと云うことで、その時、聞いて学んだ西郷の思想をまとめたのが南洲公遺訓である。さらに明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布の日、明治天皇により、西郷隆盛の賊名が除かれ、正三位の位も授与されることになった。荘内の人達は、それを喜び、上野に銅像が建てられたとき、その費用の1/3は荘内の人達の寄付であったと云われている。
3.「未完の西郷隆盛」の構成と内容
「西郷先生と庄内」が荘内藩と西郷隆盛の史実に基づく具体的な係わりと荘内の人達からみた西郷隆盛像を示した貴重な記録文書とも云える本であるのに対して、「未完の西郷隆盛」は、戦後の若き思想史研究者先崎彰容が、西郷隆盛を日本の現近代史
の中でどう位置付けるかを探究した本と云える。
この本は、大きく次の項目から成り立っている。
はじめに
第一章
情報革命 ―福沢諭吉「丁丑公論」と西南戦争
第二章
ルソー ー中江兆民「民約訳解」と政治的自由
第三章
アジア ー頭山満「大西郷遺訓講評」とテロリズム
第四章
天皇 ―橋川文三「西郷隆盛紀行」とヤポネシア論
第五章
戦争 ―江藤淳「南洲残影」と二つの敗戦
第六章
未完 ―司馬遼太郎「翔ぶが如く」の問い
あとがき
註
参考文献
第一章では、福沢諭吉が近代化を情報革命と云う観点からこととらえていたこと、西南戦争の終わった直後、福沢諭吉が、西郷擁護論の論文を書き上げながら、その論文が発表されたのは、事件の24年後の諭吉の死後であったこと等、諭吉が西郷を高く評価しながらそれを公表できなかった事情が、近代化や文明化の内蔵する問題点とともに語られている。
第二章では、フランス革命とルソーの民約論を学んだ中江兆民が、フランス革命後の混乱をみて野放しの自由では、混乱を生むことを感じ、そこに道徳的基盤が必要であると感じていたこと、そしてその点では、西郷と兆民は同じであり、兆民は西郷を高く評価していたことが語られる。
第三章では、西郷が文明と云うものを単に物量ではなく、その道徳性にあるとの視点をもっており、西欧諸国の植民他主義をみて、西欧が文明的に優れているとはいえないとの考えをもっていたこと、そしてこのことが、大アジア主義に繋がる。そして西郷の敬天愛人思想を支える儒学、陽明学の真誠、その純粋至上主義がテロリズムに連なる点だと指摘する。
第四章は、日本の天皇制についてである。西郷は、三度島流しにあっている。そしてそのことは、彼を辺境から日本国家を見直すことになる。その彼は、天皇を超える先に国家と云うものを見ている。この点をめぐって三島由紀夫の天皇論等が語られる。
第五章は、西南戦争と第二次世界大戦と云う二つの敗戦を通して見えてくる近代化とその敗戦の意味に対する江藤淳の視点を中心として夏目漱石や正岡子規の位置づけ等の日本の近代化論が語られる。江藤淳は西南戦争を、西欧の近代化に対する日本の抵抗を国内で反映した戦いと捉え、第二次世界大戦をその延長線上の出来ごととしてとらえ直す視点を提起して「南洲残影」と云う評伝エッセイを書いた。
第六章は、終章として、5章までに扱った、福沢諭吉、中江兆民、頭山満、橋川文三、江藤淳の5人が共通して近代化の問題を指摘し、西郷隆盛の中にその超克の方向を見出さそうとしていたこと、さらに司馬遼太郎が「翔ぶが如く」で政治のリアリズム、合理主義の観点から西郷隆盛を批判的にあつかったが、そりにもかかわらず日本人は西郷へ惹きつけられつ続けている。司馬遼太郎の思想は、敗北したのである。そしてこのことが「未完の西郷隆盛」の意味でもある。
4.著者先崎彰容について(AI)
概要
先崎彰容(せんざき あきなか、1975年〜)は、日本の近代日本思想史・日本倫理思想史研究者で、社会構想大学院大学教授。東京大学文学部卒業後、東北大学大学院で博士号(文学)を取得し、フランスへ留学した経験を持つ。現代日本が抱える閉塞感や攻撃性に対し、過去の思想史(特に明治末期や戦思想)から「成熟」への視座を提示する文明批評で知られる。( 社会構想大学院大学 )
経歴と特徴
- 学歴: 東京大学文学部倫理学科卒、東北大学大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程修了。
- 研究・経歴: フランス社会科学高等研究院(EHESS)留学後、日本にて研究・教育に従事。社会構想大学院大学の教授として教鞭を執る。
- 思想・専門: 近代日本の思想家(夏目漱石、石川啄木、坂口安吾など)を研究し、現代のSNS社会やコロナ禍といった不安定な社会情勢を歴史的な視点から分析・批評している。
- 主な関心: 「成熟」と「日本的自己」の再構築。文明論的視点から、無意識の攻撃性や「公と私」の曖昧化を論じる。
主な著作(関連分野含む)
- 『ナショナリズムの復権』(ちくま新書、2013年6月)
- 『維新の精神』(新潮新書、2013年1月)
- 『高山樗牛―美とナショナリズム―』(論創社、2010年12月)
- 『維新の精神』(新潮新書、2013年1月)
- 『ナショナリズムの復権』(ちくま新書、2013年6月)
- 『未完の西郷隆盛―日本人はなぜ論じ続けるのか―』(新潮選書、2017年12月)
- 『バッシング論』(新潮新書、2019年2月)
- 『国家の尊厳』(新潮新書、2020年5月)
- 『自壊する正義:バッシング化する日本』(新潮新書、2021年4月)
- 『違和感の正体』(新潮新書、2023年6月)
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『本居宣長―「もののあはれ」と「日本」の発見―』(新潮選書、2024年5月)
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『知性の復権―「真の保守」を問う―』(新潮社、2025年11月)
- 『令和日本をデザインする』(文藝春秋、2026年3月予定)※落合陽一氏との共著
- NHK 100分de名著『吉本隆明『共同幻想論』』など
- 『教養としての戦後思想史
5.感想とまとめ
「未完の西郷隆盛」のタイトルと「反近代の英雄」か「近代の立役者」か と云う言葉に魅かれて購入した本であった。それは、近代日本の国家建設の原点に関心があったためである。そしてその中心に西郷隆盛がおり、その影響は、明治、大正、昭和と云う近現代史まで及んでいる。西郷亡き後、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦に至る日本の思想史は、すべからく西郷隆盛が描いた世界像と日本の国家像をめぐって展開されてきた感がある。何故そうなったかと云えば、明治維新が、日本が始めて欧米と云う他文明と国家規模で対峙し、それを乗り越えた事件であり、その経験を身を持って体験したのが西郷隆盛であり、彼をめぐる出来事と思想の中に日本と日本人が、自身と世界に向かい合う上での全ての問題が凝縮して示されているためである。アメリカのトランプ政権の誕生にみられるグローバリズムと戦後の国連体制の終焉と云う世界史の転換点を目前にして、日本と日本人は、如何なる思想で世界に対峙すべきか、そのヒントがこの本の中にあるように感じた。大江健三郎と江道淳は、同年代である。江藤淳は、若い時、ロックヘラー財団の奨学金で、米国に留学している。そしてその彼が帰国後、大江と反対の保守的評論家となっていったと云われている。その彼の著作「閉ざされた言語空間」を古書展で見つけた。これは日本の戦後思想と現代アメリカを理解する視点に連なっている。
この文をまとめるに及んで、まだ「西郷南洲遺訓」を手にしていないことに気ずいた。栄のジュンク堂の岩波文庫の書棚で、1冊だけあった。この本は、荘内の人達がまとめた遺訓に、その他の資料も集めた100頁ばかり文語体の小冊子であったが1939年2月2日第1刷発行2024年5月15日第70刷発行となっていた。つまり、この本は、第二次世界大戦の勃発した年に発刊され、その後87年も読み続けられていると云うことで、それだけ西郷隆盛が日本人の中に息づいていると云うことであろう。
6.おわりに
西南戦争関連詩には、次のような作品があり、西南戦争が単なる歴史上の一事件というだけでなく広く国民の感情を揺さぶった事件であることが分かる。
1.西郷隆盛の漢詩
偶成
幾歴辛酸志始堅 (幾たび か 辛酸を経て志始めて堅 し)
丈夫玉砕愧甎全 (丈夫は玉砕するも 甎全を愧 ずかしむ)
一家遺事人知否 (一家の遺事人知るや否や)
不為児孫買美田 (児孫のために 美田を買わず)
2.城 山 <西 道仙>
- 孤軍奮闘 囲みを破って還る
- 一百の里程 塁壁の間
- 吾が剣は既に折れ 吾が馬は斃る
- 秋風 骨を埋む 故郷の山
※西道仙:明治の長崎を代表する、活躍の幅の極めて広かった大文化人。天保七年(1836年)~大正二年(1913年)。名は喜大。字は道仙。号は琴石。明治十年西南の役に際して、長崎自由新聞を発行している。この作品は、西郷隆盛の作とも謂われていたが、西道仙自身の長崎自由新聞紙上に彼が発表したものという。
3.和歌「桜島」
わが胸の 燃ゆる思いに
くらぶれば 煙はうすし 桜島山
幕末の志士・平野国臣(ひらの
くにおみ)が詠んだ、倒幕の情熱を桜島の噴煙に例えた非常に情熱的で有名な和歌です。自身が抱く倒幕・尊皇攘夷への熱い思いは、噴火する桜島の煙よりも激しいと表現しました。
西郷と月照は錦江湾へ入水自殺を図るが。このとき、同じ船に同乗していた国臣らが、入水した二人を懸命に引き上げた。月照は亡くなったが、西郷が一命を取り留めたのは国臣らの介抱があったからだと言われている。
4.阿蘇の白菊 孝女白菊詩 井上巽軒(哲次郎)
阿蘇山下荒村晩 阿蘇の山里秋ふけて、
夕陽欲沈鳥爭返 眺めさびしき夕まぐれ
無邊落木如雨繁 いずこの寺の鐘ならむ、
隔水何處鐘聲遠 諸行無常とつげわたる
――――――――――――――以下略
孝女白菊の歌(こうじょしらぎくのうた)は、井上哲次郎が作った漢詩「孝女白菊詩」に感動した落合直文が刺激を受け作った新体詩形式の詩で、明治21年(1888年)から明治22年(1889年)に作られた。内容は西南戦争時、行方不明になった父を慕う孝女の話である。その詩は当時の人々に感涙を流させ、独訳、英訳もされた。現地である阿蘇にもフィクションであるにもかかわらず碑や伝説を生んだ。
5.田原坂
(熊本民謡、歌謡曲、歌詞や節にはいくつものバリエーションがある下記はその一部)
雨は降る 降る 人馬(じんば)は濡れる
越すに越されぬ
田原坂
右手(めて)に血刀(ちがたな) 左手(ゆんで)に手綱(たづな)
馬上ゆたかな 美少年
泣いてくれるな 可愛い駒よ
今宵しのぶは恋でなし
田原坂なら昔が恋し
男同士の夢の跡
山に屍(しかばね)
川に血流がる
肥薩(ひさつ)の天地
秋淋し
夢を褥(しとね)に 夢やいずこ
明けの三空(みそら)に
日の御旗(みはた)
心濡らすな 虫の音時雨
ここは田原の古戦場
退くに魅かれぬ田原の嶮(けん)は
男涙の小夜嵐(さよあらし)
春はさくらよ 秋なら紅葉
夢も田原の草枕










