1.はじめに
当初私は、幽霊について書くつもりであった。それは朝ドラ「ばけばけ」を見ていて主人公達(ヘルンと節)が怪談に興味を待っていたことと関連しており、最近の脳科学の現状と幽霊についての科学者達の取り組みの歴史を整理したくなったためであった。そんな時、年末の部屋の大掃除のついでに始めた書籍の整理をしていて手つかずにいた一冊の本に気ずき、思わず手にしたのが、この本であった。「さまよえる魂のうた:小泉八雲コレクション:池田雅之翻訳:ちくま文庫(株)筑摩書房:2004年11月10日第一刷発行」
2.小泉八雲とはなんであるか
当初なにげなく手にしたこの本は、小泉八雲の思想形成の自伝的エッセイと文学論をまとめた本であるらしいことが分かるに従って徐々に私の心を惹きつけて行った。
この本をどんな気持ちで購入したかは、はっきりした記憶はないが、その思想にどことなくスビリチァルな気配を感じたためであることには間違いがない。しかし、この本は長い間詩集と同じ場所に放置されていたことを考えるとこの本が何か詩的な雰囲気を持っていたことは確かであろう。
今回あらためて、本の全体に目を通してみて。次のようなことに気づいた。この本の性格については、訳者の早稲田大学教授である池田雅之氏が巻末に解説を書いているが、その題は「小泉文学の原風景とghostlyなるもの」というものであり、これがまさにこの本の性格をぴったり言い当てている気がした。
この本は、小泉八雲の思想的背景とかれの思想の中核概念を表すエッセイとそれにかかわる文章を収録したものであった。この解説文によれば、この本はそれ以前に出された「妖怪・妖精譚」(2004年8月刊、ちくま文庫)と対をなすものであり、訳者としては、この二冊で小泉八雲の全体像を示したい意図があったように思えた。そしてこの「妖怪・妖精譚」が小泉文学の精華・達成であり、「さまよえる魂のうた」がその思想的背景をまとめた本ということになる。この本を読み進む内に私の中にある一つの思いが芽生えて来た。それは小泉八雲と云う人間の日本史の中における役割について、整理してみる必要性についてである。
3.明治と小泉八雲
小泉八雲(1850~1904年)は、ギリシャのイオニア諸島レフカダ島生まれ、父はアイルランド人の軍医補、母はギリシャ人、幼少期アイルランドにわたるも両親が離婚し、母は、ギリシャに帰り、叔母の手元で育てられるが、若くしてヨーロッパを彷徨するも19歳の時アメリカにゆき新聞記者として文才に頭角を現す。1890年来日して、小泉せつと結婚。その後の生活は、朝ドラ「ばけばけ」で描かれている。小泉八雲の人生は、日本の近代の曙明治の時代と重なっている。明治維新以降の年表を確認してみよう。
明治維新以降の年表
1868年(明治元年)
1894年~1895年 日清戦争
1904年~1905年 日露戦争1
1910年 日韓併合
1912年 明治天皇崩御、大正元年
小泉八雲が日本にやって来たのは、日清戦争直前であり、亡くなるのは、日露戦争が始まった年である。8月にアップしたブログ「日本文化の自画像をめぐる三冊の本と3人の先人達」の中で触れたように、この時期は、岡倉天心(1863~1913年 )、鈴木大拙(1870~1966年)、新渡戸稲造(1862~1933年 )等が世界に向けて日本の自画像を発信し始めた時期と重なっている。
小泉八雲は、この3人の日本人が本格的に活動する前にいち早く、日本文化を世界に向けて紹介していたことになる。日本人である岡倉天心、鈴木大拙、新渡戸稲造が、活躍する前に、西洋人として日本文化の価値をみとめ、その価値を記録に残し、世界に情報発信していた。このことに気づいたとき、私は、人知れぬ驚きと感動を感じざるを得なかった。そして、ラフカディオ・ハーンなる人物は、世界がまだ日本のことを知らない時代に日本の何に感動し、日本に帰化して小泉八雲として人生を終えることになったのか強烈な興味を抱くようになった。
4.小泉八雲の全体像への道
ラフカディオ・ハーンの全体像に迫るには、三つのことを知る必要があると思った。その一つは、彼の思想であり、もう一つは、彼が日本で何をみて何を感じたのかであり、三つ目は、その結果としての彼の作品を知ることである。小泉八雲の残した文章は、膨大でありその研究者でもないことから次に何を読むかに迷ったが、とりあえずこの本の訳者池田雅之氏の解説の言葉に従って「妖怪・妖精譚」(2004年8月刊、ちくま文庫)でも読んで考えをまとめることにしようと早速書店に出かけていった。
ところが、当初簡単に見つかると思っていたこの本は、なかなか見つからなかった。書店に置いてなかったのである。そのかわり、栄地下のジュンク堂書店には、小泉八雲関連本の特設コーナーが設けられており、そこになんと最近の小泉八雲関連の新刊書が10冊ばかり並べられていた。テレビの連ドラの影響のせいであった。執拗に「妖怪・妖精譚」を見つけようとしたがみあたらなかったので結局次の二冊を買い込んで帰宅した。
「新編 日本の面影:ラフカディオ・ハーン:池田雅之訳:平成12年9月25日初版発行、令和7年12月15日56版発行:角川文庫」
「怪談: ラフカディオ・ハーン:池田雅之編訳:令和7年8月25日初版発行、令和7年10月20日再版発行:角川文庫」
この二冊を選んだ理由は、前者が、ハーンが日本で何をみて、何をかんじたかを端的に示していると思ったからであり、後者がその結果としての彼の作品群の一部と感じたためであった。ハーンが来日してから死ぬまでは、1890年から1904年までの15年間に過ぎないが、この間に膨大な文章を書いている。翻訳した池田雅之の解説によるとこれ等一連の文庫本は、ホートン・ミフリン版のハーン全集全16巻:1922年)の中からテーマに沿って翻訳者によって選ばれた作品群を纏めて一冊の本としたアンソロジー「アンソロジー(anthology)は、特定のテーマや基準で複数の作家の作品を集めた「選集」「詞華集」「作品集」を意味し」という性格のものらしい。
従って彼の全体像に迫るためには、そうした彼の全作品群の背景を理解した上で、個々の文庫本を読み解くことになる。以下では、今回手にした三冊の本から見えて来たことと感想について簡単にまとめてみる
5.「さまよえる魂のうた」にみるハーンの思想
この本は、次の構成で編集されていた。
第1章
私の守護天使―自伝的断片(8編の文章)
第2章
赤裸の詩-文学の力(7編の文章)
第3章
生活の中の文学(3編の文章)
第4章
ロマン主義の魂(6編の文章)
小泉八雲の家庭生活 萩原朔太郎
解説 八雲文学の原風景とghostly なるもの 池田雅之つまり、この本は、ハーンの書いた24篇の文章に荻原朔太郎が昭和51年に書いた文章と訳者池田雅之の解説からなる26の文章をまとめた本であった。
これらを読んだ感想を一言でいえば、ハーンはghostlyなるものを追求した詩精神をもったロマン主義的神秘主義作家と思えた。それは、この第4章の中に、「イギリス最初の神秘家ブレイク」と云う文章と「ロマン主義的なものと文学的保守主義」なる文章を見つけた時決定的となった。
私がウイリアム・ブレイクの名前を知ったのは、大学1年生の時で、それは当時英語の講義でコールズ・ワージーの「林檎の木」を購読してくれた英文学者の梅津先生がこのウイリアム・ブレイクの研究家であったためである。そのウイリアム・ブレイクを今から130年も前にハーンが日本に紹介していたとは驚きであった。
ロマン主義は、18世紀末から19世紀ヨーロッパで古典主義や啓蒙主義の理性・秩序への反発から生まれた思想・芸術運動で、感情、個性、自由を重んじ、自然賛美、中世への憧憬、神秘性、個人の内面性(不安、苦悩も含む)を追求する。文学・美術・音楽など多岐にわたり、「想像力」を重視し、現実を客観的に描くのではなく、主観的な感情や情熱、そして「崇高」な体験を表現することを特徴とするが、その源流はもっと古く、中世のアリストテレス的キリスト教的世界観への批判的潮流に遡ることが出来る。ハーンのキリスト教に対する批判的姿勢はその点で深い意味を持つ。
その一方、神秘主義(しんぴしゅぎ)とは、神や絶対者(宇宙の根源など)と人間が、理性や通常の認識を超えて、直接的・体験的に接触・合一(一体化)することを目指す思想や実践の総称で、内面への沈静、瞑想、修行などを通して、言葉では表現できない「神秘体験」を追求し、宗教や哲学の根源に関わる立場を指し、キリスト教、イスラム教(スーフィズム)、仏教(禅など)、ヘルメス主義など世界中の様々な宗教・思想に見られる。
これらの思想は、ドイツやフランス思想の底流を流れるのが主流である。アイルランドやイギリス等経験主義の支配的な文化圏では、ウイリアム・ブレイク等少数の人間しか知られておらず神秘主義の伝統は弱くその意味でアイルランド出身のハーンがこうした特徴ある思想を持つに至った経緯は、彼の若き日のョーロッパ放浪の体験の結果であるかもしれない。
こうした彼の思想は、池田雅之氏の云うようにghostlyの追求という言葉に要約できる。この場合、このghostlyと云う言葉は、「神聖」「神秘」「宗教的なもの」そしてさらには人間の内面や魂を表す「霊的」なものをも指している。つまり、このghostlyなる言葉には「神」「宗教・神秘」「霊・霊性」と云った三つの意味が含まれており、この追求こそがハーン文学の思想であり中核をなすもののようである。
6.「日本の面影」とハーンが観て感じた日本
この本の構成は、次のようになっている。
はじめに・・・・1894年5月 日本九州熊本にて ラフカディオ・ハーン
東洋の第一日目
神々の国の首都
杵築―日本最古の神社
子供達の死霊の岩屋でー加賀の潜戸
日本海に沿って
日本の庭にて
英語教師の日記から
日本人の微笑
さようなら
訳者あとがきー木霊する出雲の地霊とハーンの魂・・。2000年8月25日
この本は、ハーンが1890年4月4日日本の横浜に上陸してから松江に行き、そこで生活し、1891年11月15日に松江を去るまでの1年7カ月の間に書かれた日本の滞在印象記であるホートン・ミフリン版のハーン全集の作品集「知られざる日本の面影」に掲載された27編の文章か10編を選抜・編集したものである。
この中には、彼が初めて見た日本の美しい風景と人々や風物との出会いが感動的に語られている。彼には、日本が神々と共生する妖精の国のように感じられたことが、美しい言葉で綴られている。この本を読みながらその詩的な文章に何故か中学から高校時代に読んだ国木田独歩の「武蔵野」を読んだ時の感動が蘇ってきた。それは、そこに日本の自然の美しさが感動的に表現されていたためかも知れない。この中には、西欧の近代化の影響を受けない古き時代の美しい日本の面影が書かれている。
最後の文章「さよなら」には、彼が松江を去り熊本に向かう場面が描かれている。それはまるで、恋人とのわかれを惜しむ若き詩人のように美しくも切ない文章であり、その哀切の情に胸を締め付けられるような感動を覚えた。この文庫本が56版重ねられた理由が分かった気がした。この本には、続編がすでに出版されている。それが「新編 日本の面影Ⅱ」である。いつかまたこの続編も読んでみたいと思わせる一冊であった。
7.決定版「怪談」とハーンの芸術
この本は、次のように構成されていた
はじめにー池田雅之
完訳「怪談」
序 1904年1月20日 ラフカディオ・ハーン
怪談(17編)
虫の研究(3編)
解説エッセイ1:完訳「怪談」世界を読み解く:池田雅之
「骨董」より
15編の骨董・奇譚関連物語
解説ウッセイ2:{骨董}の再話と瞑想の世界:池田雅之
怪談・奇談コレクション
23篇の怪談・奇談物語
7編の自伝的作品
解説ウッセイ3:「怪談」「奇談」の世界を楽しむ:池田雅之
ラフカディオ・ハーン年譜
これは、ハーンの日本を舞台とした怪談、奇譚や自伝的作品をまとめた一冊で、決定版の意味が、最後のページに書かれていた。この本は、この前に発刊された「「日本の怪談1」と「日本の怪談Ⅱ」の収録作品を再編集の上あらたに「序」「かけひき」「葬られた秘密」「蝶」「蚊」「蟻」(完訳怪談)「焼津にて」(自伝的作品ほか)および解説を加え大幅に加筆修正したものです。」とあるので、これがハーンの作品集の主要なアンソロジーと云うことだろう。
このように、この本は、全体で70篇もの膨大な文章を収集編集したもので、「すぐれた芸術と云うものは、多少なりとも宇宙の神秘を、ghostlyなるものの世界をうかがわせてくれるものなのです。」のハーンの言葉にあるように、日本に伝わる話をフォークロア(民間伝承)的口調で再構成したものと自伝的エッセイからできている。
彼は、霊や夢といったものを通しても、無意識的世界に広がる集団の深層心理的真実に肉薄しようとしていたかも知れない。その一方で日本人としては、柳田 國男(1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)が、民俗学の研究を始めたのが、明治41(1908)年頃からで、明治43(1910)年には日本民俗学の嚆矢となる『遠野物語』を著した。しかしハーンは、それより10年以上も前から日本の民話や怪談に着目し、その人間社会における重要性に気づいていたことになる。柳田国男とハーンの視点の比較は面白いテーマになるかも知れない。
8.まとめ
当初2冊の本を読んでまとめようとしていたが、ラフカディオ・ハーンは考えていたような簡単な素材ではなかった、その感受性と思想の広がりは私の想像力をはるかに超えていた。芳醇な思想と作品を前に私の旅はほんの入り口に立ったばかりと思わざるを得ない。ハーンの作品は美しい文章で綴られているが、これは翻訳者によるところ大かもしれない。とくに「日本の面影」の美しい日本語訳は見事であるとしか言いようがない。そこで訳者の経歴をwikipediaで調べてみた。下記に訳者の概要を記したが2000年に出版されたこの本は、訳者54歳の本であり、まさに一番充実した時期のものである。この本が56版も重ねた理由かもしれない。また、決定版「怪談」は、ハーンの作品の全体像に迫るにふさわしい本と感じざるを得なかった。多くの人に薦めたいと感じた。
翻訳者の池田雅之の概要(wikipedia)
池田 雅之(いけだ まさゆき、1946年 - )は、日本の英文学者、比較文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。専門はT・S・エリオットや小泉八雲(Lafcadio Hearn)研究を通じた比較文学・比較文化研究。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授、早稲田大学国際言語文化研究所所長を歴任した。(了)



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