2026年7月24日金曜日

創生記機械(The GENESIS MACHINE)-ユーレカ(Eureka)の復活―私とSF物語ー

 1.はじめに

Eureka (レーカ)とは、古代ギリシャ語で「私は見つけた」「分かったぞ」という意味を持つ感嘆詞だ。

科学的なファクトと予言的なビィジヨンが混じり合った魅力的なロマンス」、これをサイエンティフィクション(SF)となづけたのは、ルクセンブルク系アメリカ人の発明家、作家、編集者、雑誌発行者で今もヒューゴー賞に名前を残すヒューゴー・ガンズバックであった。

アーサー・クラークが1951年に発表した短編小説『前哨(原題:The Sentinel)をベースに2001年宇宙への旅を書いて映画化したのは、1968年のことだった。

そして今20267月、あれから60年近くなる。この間、月着陸は現実のこととなり、インターネットにみられる通信技術の発展があり1990424日ハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられ、2021年にはその後継機のジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)が打ち上げられ、素粒子物理学の標準モデルが完成したが、量子重力理論はいまだ未完成のままである。しかし、AI革命は一般の人の予測を超えて進行中であり、量子コンピュータの開発も進みつつあり、夢の核融合も実現間近になりつつある。

こんな時代にSFはもはやはやらないのでは、そんな気になっていた時中国のSF作家

劉慈欣が「三体」と云うSFを発表して話題になったので4冊もの長編であったが、思わず

最後まで読んでしまった。しかし。その読後感は、すがすがしいものではなかった。その理由は、ヒユーゴーの云う魅力的なロマンがなかったためである。もう面白いSFには出会わないかもしれない。そう思いはじめたとき、古書展で出会ったのが、この本であった。

「創世記機械:ジェイムズ・P・ホーガン:山高昭:創元SF文庫:1981年初版、199115版」

 まず、表紙に魅かれた。そして著者がジェイムズ・P・ホーガンと確認するや迷わず

購入を決めた。そして読んだ期待通り面白かった。以下はその紹介である。

2.ジェイムズ・P・ホーガンと私

著者のジェイムズ・P・ホーガン(1941-2010年)はイギリス出身のSF作家だ。電子工学技術者やコンピュータの営業職を経て、1977年に『星を継ぐもの』でデビュー。以後、厳密な科学知識と論理的な謎解きを融合させたハードSFの巨匠として知られている。その作品の一つである。「未来の二つの顔」は、10年ほど前、今日話題となっているAIと人間の対立と和解を描いた作品で私に大きな感動をもたらした。この内容については、私が75歳を記念して発行した小冊子「SFに連なる未来」でも取り上げた。今回、改めて彼の主要作品を眺めてみると次のようになる。

 1977年:星を継ぐもの(Inherit the Stars

1978年:ガニメデの優しい巨人(The Gentle Giants of Ganymede

1978年:創世紀機械(The Genesis Machine

1979年:未来の二つの顔(The Two Faces of Tomorrow

1980年:未来からのホットライン(Thrice Upon a Time

1981年:巨人たちの星(Giants' Star

 1982年:断絶への航海(Voyage of Discovery

1983年:揺籃の星(Code of the Maker

1984年:プロテウスの操作(The Proteus Operation

1991年:内なる宇宙(Entoverse

2005年:ミネルヴァ計画(Mission to Minerva

2005年:造物主の選択(The Multiplex Man / 日本語訳は東京創元社より)

こうして眺めてみて僕は、彼の初期の作品4冊をすべて読んだことになり、創世紀機械(The Genesis Machine)はその最後の一冊であると初めて気づいた。

3. 創世紀機械(The Genesis Machine)の内容

 統一場理論を解き明かした若き天才科学者と、それを軍事利用しようとする国家との対立を描き、星雲賞を受賞した作品だ。作中の統一場理論では、私たちの世界を高次元空間の一部として捉える設定が登場する。我々の住む4次元宇宙と高次元宇宙の関係が精緻に語られ、その過程で重力の発生の仕組みや我々の住む宇宙と高次元宇宙関係が示されその技術的応用への展望が語られる。物語は、研究組織の官僚主義や国家権力の政治的圧力に立ち向かう真面目な研究者達の連携がやがて世界を核戦争の破壊から救う究極の兵器の開発と誕生につながり、世界の軍拡競争を終結させる。

現代物理学の最先端である「超弦理論(超ひも理論)」では、宇宙は10次元とされており、我々がいる世界は、10次元宇宙に漂う4次元の影(ホログラム)のようなものと考えられているが1970年代後半の時点で、この次元の概念を取り込んでいることは驚異的だ。

量子重力理論がいまだに完成していない現在、これが完成したあかつきにどんなことが可能になるかを予感させるワクワク感が止まらない。この中でもう一つ驚かされる技術が「生体用相互作用コンピュータ」と言われる機械で、これは人間の脳波その他五感情報をコンピュータに伝えると同時にもコンピュータの情報を直接人間の脳等に伝達する双方向のコミュニケーションツール(BIAC)と云う今でも実現しそうな機械が登場することである。 

また、高次元空間はアインシュタインの相対性原理の影響を受けないので、この空間を利用すれば、瞬時の宇宙旅行が実現する。物語のエピローグで
、ある家族が、シリウス・ケンタリアス系の惑星ミランダへの移住のため、高次空間を飛行するフリップス駆動の宇宙船で、8.7光年を瞬時に移動する話で幕が閉じる。

読後の感想

 究極兵器の開発が核戦争無き世界を実現する。これは、米ソ冷戦時代を経験した我々世代の少年時代の夢であったが、何故か今日でも通用しそうなロマンあふれる夢である。

おもえば、私が科学にあこがれ、理学部を目指した背景には、中学3年から高校時代、おふくろが受験勉強のため、近くの一人暮らしの老婆の住む家の一間を借りてくれ、一人部屋暮らしを始めた。その頃、たまたま夕食に戻っていた時、テレビでウエールズのSFをベースにした「来るべき未来の物語」という映画をみたことと関係している。それは、科学者が、最新科学の力で野蛮な戦争を終息させ、人類の新しい時代をもたらす物語であった。米ソの冷戦下で、核戦争の脅威と人類絶滅の予感が世界を覆っていた時代、それは私にとって素晴らしい希望の物語であった。それは、その当時の青春ドラマ石原慎太郎の「青年の樹」と共に、私の青春の夢の一部になった。

2001年宇宙への旅を描いたアーサー・クラーク(19172008)はジェイムズ・P・ホーガン(1941-2010年)の2年前に、最後の作品「最終定理」を残してこの世を去った。クラーク、ホーガン二人の巨匠が去ったSF界にまだ、新星は現れていない。当分はこの二人が人類に希望の光を投げかけるしかない。その彼らの晩年の作品を私はまだ読んでいない。楽しみはまだ、残っている、そんなことに気ずかされた1冊であった。()

2026年7月13日月曜日

経済学とグローバリズムの現在(改訂)

             目次

1.      はじめに

2.      経済学と歴史

3.      経済学は科学か

4.    二冊の本の感想

「ケインズ:伊東光晴:講談社文庫」

「グローバル経済を学ぶ:野口旭:筑摩新書」

5.    経済学の現状とグローバル経済の今後

5.1経済学の現状と今後

5.2グローバリズムと今後の世界

6.    おわりに


1.はじめに



古書展で、思わず手に取ったのが、次の二冊である。                 「ケインズ:伊東光晴:講談社学術文庫:株式会社講談社:199312月第1刷、200510月第9「グローバル経済を学ぶ:野口旭:ちくま新書筑摩書房:20075月第1刷」何故、この二冊の本が私に語りかけてきたのか。その分けには、心当たりがあった。それは、経済学という学問に対する私の距離感が関係している。我々の大学時代つまり安保闘争の後の高揚期は、マルクス経済学全盛の時代であり、近代経済学は、俗物の学でしかなかった。しかし、そうは言っても、その分野から目をつぶるわけにはゆかず、分厚い「サムエルソンの経済学」を手に取ったのは、大学卒業後の社会人としての第一歩を踏み出した頃であり、その時、購入した本が次のものであった。「サムエルソン 経済学」: サムエルソン:都留重人訳[原書第7]:岩波書店:19685月第1刷、19691月第3しかし、この570頁もの本は、その序文さえ、もまともに目を通すことなく60年を経過してしまった。従って、ついに経済学そのものをまともに学ぶことなく人生の終末期まで、来てしまった。そんな時、出会った2冊の本を手掛かりに「経済学とグローバリズムの現在」について、考え方を整理し、まとめ、冷戦終結以後形成された戦後国際体制の崩壊とAI革命に沸騰する世界の未来を展望する参考にしようと試みた。経済学それ自身を本格的に学ばなかった私にとって、今更数百ページもの多数の書物に目を通し、その上でこの三冊の本の評価と感想を書くには、もう時間が残されていないと思った。このため、基本的知識は、グーグルのAIジェミニに求め、論考の過程で生じた疑問や課題についてAIとの対話と議論を積み重ねた。その結果は、A4用紙にして50頁にも及んだ。それらを体系的にまとめれば、容易に一冊の本になるような分量である。しかし私の関心は、個々の経済学理論を詳細に述べることにあるのではないので、このブログでは、大幅に省略し、体系的なものは、もっと時間をかけ、自分のホームぺージに掲載することにした。しかし、一つの学問分野をおおざっぱにでも俯瞰することは、容易なことではなく、結局このブログもAIとの対話を中心とした歴史と背景と二冊の本の紹介と評価をまとめることにする。

2.経済学と歴史(AIとの対話記録)

近代経済学は、アダム・スミスからその誕生と発展の物語を展開することになる。

アダム・スミスから始まる近代経済学の歴史は、その自由放任主義の確立から、その持つ矛盾を根本的に解決すると称するマルクス経済学と社会主義理論、そして市場の失敗を補正するケインズ経済学、そしてその限界を乗り越えるミクロ的基礎を重視するマネタリズムの新古典派の勃興と社会主義経済の崩壊、マネタリズムの限界を象徴するリーマンシックを経てその後現代の行動経済学やのMMT理論へと発展した。以下では、 その成立の背景も含めてその歴史と現状の系譜への展開をざっと眺めることから初めてみよう。

2.1 絶対王政下の経済学

アダム・スミス以前の経済学は、16世紀から18世紀にかけての絶対王政期に主流だった「重商主義」だった。これは国家の富を金や銀などの貴金属の蓄積と捉え、政府が保護貿易や産業統制によって輸出を奨励し、国富を増やそうとした国家主導の経済政策だった。この重商主義は、貿易の黒字によって外国から「金や銀(貨幣)」を獲得することを富と考え国内の製造業を保護し、輸出を促進しつつ贅沢品の輸入を制限する「保護関税政策」を徹底した。さらに「一国の利益は他国の損失の上に成り立つ」という考え方に基づき、植民地支配、奴隷貿易、そして未開発地域からの苛烈な富の略奪を理論的に正当化するし、植民地の獲得や他国との激しい貿易競争を展開した。しかし、18世紀後半、イギリスで産業革命が起きると、圧倒的な生産力の向上と、それによって生まれた新興資本家(経営者層)の台頭により、国家が貿易をガチガチに管理する仕組みが、成長を続ける経済の邪魔になったことで、自由貿易への転換が起きる要因となった。こうしてアダム・スミスが登場することになる、

2.2古典派経済学の誕生(18世紀末)
アダム・スミス
(1723 - 1790)『国富論』 において、国の富は、金銀財宝ではなく、労働による生産物であり、労働を富の源泉とし、利己心つまり、個人の利益追求が、結果的にが「見えざる手」 によって市場で調和すると説かれました。その後、デヴィッド・リカードDavid Ricardo, 1772–1823)らにより現在の国際分業理論の基礎となる比較生産費説などが提唱され、自由貿易と市場の自動調整機能が支持された。

2.3.マルクス経済学の登場(19世紀)
カール・マルクス(ドイツ語: Karl Marx、英語: Karl Marx FRSA 1818 - 1883)が資本主義の矛盾や搾取の構造を分析し、社会主義・共産主義への移行を説いた。彼は、古典派の労働価値説を継承・発展させながら、資本主義の崩壊と歴史的発展段階を唯物史観で捉えた。

2.4新古典派経済学の確立(19世紀末〜20世紀初頭)

ドイツのカール・メンガー(1840-1921)等により、モノを消費したときに得られる「主観的な満足度(効用)」を基準にモノの価値や価格が決まるとする限界効用理論が導入され、経済学は数学的・科学的アプローチへと向かった。需要と供給のバランスによる価格決定メカニズムが体系化され、消費者や生産者と云った個々の経済主体のミクロ行動や意思決定を分析し、サービスの価格と量がどのように決まるかを解明するミクロ経済学の基礎が築かれたo

2.5 ロシア革命と社会主義経済圏の成立

第一次世界大戦(19141918)末期の1918年、ロシア革命が勃発し、レーニン等による社会主義政権が誕生し、ロシアが資本主義経済圏から離脱し、マルクス主義経済論に基づく社会主義経済圏が誕生した。

2.6ケインズ経済学の台頭(20世紀中頃)

世界恐慌を背景に、ジョン・ケインズ(英: John Maynard Keynes,1883 - 1946がマクロ経済学を創設した。市場の自動調整に任せるのではなく、政府による財政出動や金融政策などの「大きな政府」の介入が有効であると主張された。

2.7新自由主義とマネタリズム(20世紀後半)

ケインズ主義は、需要不足には有効であったが1970年代のスタグフレーション(不況とインフレの併存)には、対応できず、これを機に、アメリカのミルトン・フリードマン(1912-2006)等が提唱する「経済全体の動向や物価の変動は、市場に出回の貨幣(マネー)の量によって決まり、中央銀行が、通貨供給量を適切に管理することが最良の経済政策である」とするマネタリズムが台頭し、再び市場の自由競争と小さな政府 が見直された。

2.8社会主義経済理論の破綻(20世紀後半)

社会主義の経済理論は、「資本主義の行き詰まり」を解消する理想的なシステムとして登場した。しかし、20世紀にソビエト連邦(ソ連)などで実際に運用された結果、生産手段や土地等の国有化は、結果的に少数の権力者の独裁的所有と異ならず、官僚組織の腐敗・硬直化をもたらす等理論と現実の間に致命的な乖離(かいり)が生じ、1991年のソ連崩壊とともに破綻を迎えた。

2.9マネタリズムの限界とリーマンショック

 マネタリズムは、1987年の世界的金融危機、ブラックマンテーを短期間で乗り越えたが、2008年のリーマンショックで、その危機を脱出するためケインズ的手法に頼らざるを得なかった。この反省を経て現在の経済学へとつながる。

10リーマンショック以後の経済学の動向

2008年のリーマンショックは、「市場は常に正しい」「金融危機は起きない」と過信していた主流派経済学(新古典派・マクロ経済学)に猛省を迫りました。以降の現代経済学は、主に以下の4つの潮流へと変化しています。

    . 人間は、人間は「常に合理的」ではないという前提に立つナラティブ経済学など心理学を融合し、非合理な投資行動やパニックの仕組みを解明する行動経済学の展開

    従来の理論モデルに「金融セクターの機能マヒ(信用収縮)」の変数を組み込み

中央銀行による「量的緩和(QE)」や「マイナス金利」など、実務が先行した政策の正当性を後追いで理論化など金融・マクロ経済学の再構築

    数式(理論)の美しさよりも、現実のビッグデータ分析を重視。2021年のノーベル経済学賞(自然実験の手法)に代表される因果推論の普及等数理モデルから「データ・実証」へのシフト

    テータ分析に物理学の方法論を適用する経済物理学の発展

   MMTModern Monetary Theory:現代貨幣理論)への注目

①~④のこうした主流派の混迷と、リーマンショック後の「低金利・低インフレ・財政赤字拡大」の環境下で、2010年代後半から急速に注目を集めたのが亜ケインズ主義ともいえる革新的なマクロ経済学の理論であるMMTModern Monetary Theory:現代貨幣理論)だ。 主流派経済学とMMTは、目下論争の只中にある。

3.経済学は科学か

3.1 経済学の定義

近代経済学を俗物の学問としか見ていなかった私が今回改めて考えたのは、経済学とは何でどんな学問かと云うことである。しかし、現在の経済学者の多くは、経済学を社会の富の効率的な生産と分配を研究する学問ととらえているようで、ここには、生態系の一部としての人間との視点と複雑な心理を持つ人間への洞察と関心が薄いように思われる。

これに対する私の答えは、経済学を生態系の一部をなす複雑な精神活動を営む生物である人間を扱う学問として「経済学とは、人間の生存活動を研究する学問である」と考えるべきではないかというものである。

3.2経済学と科学

経済学が科学であるか否かについては、難しいが、AIによる回答は、次のようなものであった。「自然科学(物理学など)と同じ意味での科学ではないが、社会科学としては高度に科学的な手法を用いている」「科学と言える側面(肯定論)と、科学とは言えない側面(否定論)があり、結論的には、次のように考えられる。                                             現代経済学は、物理学のような「予測やコントロールが完璧にできる自然科学」ではない。しかし、複雑で不確実な人間社会を、感情論ではなく「論理とデータを使って、できる限り客観的に分析しようとする社会科学」であることは間違いない。ただ、気象学が、複雑系である気候を扱うので、予測が難しいように、経済学も、精神世界を持つ複雑な人間活動というもっと複雑な現象を扱うので、その予測は、気象学以上に難しいとみるべきであろう。しかし、予測は難しいものの気象学と同様、経済学もまた、社会現象の仕組みを解き明かすための学問のひとつであることは確かである。

 

 4.二冊の本の感想

1) 「ケインズ:伊東光晴:講談社学術文庫」について

今回取り上げたうちの一冊「ケインズ」は、非常に良くできた本であると感じたので。その概要と構成を紹介するとともに、現代経済学を理解する上での主要ポイントとその感想をまとめてみた。

(1)本書の概要


もともと、この本は、197080年代に講談社から全80

の思想・哲学のシリーズとして刊行された人類の知的遺

産』の第70巻目として1983年に発刊された「ケインズ」

1993に文庫本化したものである。その内容は、文庫

に際して一部変更出版されたものである。  


(2)著者達と本の構成

著者は、伊東光晴となっているが、実際の執筆は、伊東光

晴を含めて4人の研究者と1人の編集者によるものである。本の構成は、次のようになって

いる。                           

目次

まえがき(1983,)

学術文庫版への序

.現代経済思想としてのケインズ

1.      ケインズの問題意識とその形成

2.      若き日のケインズ哲学


.ケインズの生涯 (水田洋)        

1.      幼・少年時代            

2.      大学時代

3.      第一次世界大戦

4.      「一般理論」とその後

.ケインズの理論―「雇用・利子および貨幣の一般理論」

1.     
一般理論とはどうゆう意味か       

2.      古典派経済学の二つの公準

3.      有効需要の原理

4.      第四章と第六章について

5.      第三編の「消費性向」について

6.     
ケインズの投資決定理論     
  

7.      「一般理論」の体系の要約

.ケインズと現代

1.      国際通貨制度とケインズ(浅野栄一)

2.    ポスト・ケイジアンにおけるケインズの継承と発展(青木竜彦)

3.      ケインズ批判の波の中で

文献案内(講談社編集者朝倉光男)

年表(講談社編集者朝倉光男)

索引(巻末)

(3) ケインズ思想の核心と現代性

ケインズの経済理論は、第一次世界大戦後、1920年代のイギリスの経済不況からの脱却策

を探る過程で生み出されたもので、その印象的な特徴を次のように感じた。                                   

①三つの社会階級区分の導入

彼は、資本主義社会の分析に利害関係の異なる投資家階級、企業家階級、労働者階級の三つの階級区分を導入し、それ以前の資本家と労働者のという区分だけでは捉えられない金融の動きを捉えるようにした。                 

②アダム・スミスの功利主義的視点への批判

彼は、個々人の利益追求の行動が必ずしも社会全体の利益とはならない。全体は、個々の単なる集合ではないと云うミクロとマクロの関係を明確にし、個人の利益追求が社会全体の利益になるというアダム・スミスの思想の持つ問題点を明確にした。                                       

③経済学への自然科学的手法適用への批判

 経済学は、不確実性のある将来に対する期待と不安を持つ人間の生存活動を扱うものであり、自然科学のような確かな物質や法則を基礎とするものとは異なるモラルサイエンスであり、自然科学とは、異なる性格の学問である。つまり、人間は、利益追求し効率を求める合理的存在であるといった単純モデルには、限界があると指摘し続けた。

 従来から経済学には、その根底ある人間観が軽薄ではないかと思っていた私にとっては、このケインズの思想は以外であり、新鮮であった。実際、その後のマネタリズムやリーマンショックなどは、人間のこうした不確定な動きが、浅薄な人間観に基づく複雑で高度な数学に基づく予測を裏切ってきたように思われる。

2) 「グローバル経済を学ぶ:野口旭:ちくま新書筑摩書房」について

(1)本書の概要


この本の表紙にこの本の目的が次ついて次のようにまとめられている。「本書の目的は、グローバリゼーションをめぐる言説のそれぞれが、実際にはどの程度まで正しいのか、あるいは正しくないのか、経済学の観点から確認してみることです。・・・歴史上の経済的な災難の多くは、経済学的に誤った「通年」に導かれた誤った経済政策の結果にほかならなかったからです」

(2) 著者と本書の構成

①著者の概要と経歴(Wikipedia)

[概要]野口 旭(のぐち あさひ、1958 - )は、日本の経済学者。日本銀行政策委員会審議委員。専修大学経済学部教授。専門はマクロ経済、経済政策、国際金融。 日本のデフレーション脱却を果たすために、インフレターゲットの設定を主張していた

[経歴]北海道生まれ。1976年神奈川県立横須賀高等学校卒業。1982年東京大学経済学部卒業。1988年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。同年専修大学経済学部講師。助教授を経て、教授。2003-2004年イェール大学国際地域研究センター研究員。2021年博士取得(経済学・中央大学)。

202141日、日本銀行政策委員会審議委員に就任。

②本書の構成

  目次

 まえがき

 第1章グローバル経済の虚像と実像

   1.グローバル経済を学ぶ意味

   2.グローバリゼーションの光と影

   3.「グローバル資本主義の危機」は本当か

 第2章貿易は何のためにあるか

   1.国際競争主義は、なぜダメなのか

   2.比較優位の考え方

   3.貿易についての誤解を解く

 第3章国際分業のグローバルな展開とその変貌

   1.変貌する国際分業構造

   2.国際貿易体制の過去と現在

 第4章貿易黒字と赤字の正しい考え方

   1.国際収支の見方

   2.貿易不均衡はなぜ4おこりうるか

   3.貿易黒字・赤字の誤解を解く

 第5章「グローバル資本主義」の真実

   1.国際通貨制度の過去と現実

   2.国際通貨制度の行方む

 おわりにーグローバリゼーシヨン再編

(3)内容と感想

 「グローバル経済の拡大に取り残されつつあると言いわれ続けてきた我が国の経済もようやく復調の兆しを見せ始めた。私たちは、改めてグローバル化する市場の現実を冷静に見つめなければならない貿易、経常収支、為替レートなどの問題は、経済を理解する上での必須の基本事項である。本書では、正しい国際経済学の見方を、グローバル経済の現実に即して解説する。」まさにこの本の裏表紙に書かれた内容そのままの本であった。この本は、リカードによって確立された「比較生産費説(比較優位論)」による自由貿易理論に基づく国際貿易論を説明しており、現代経済学の基本的な考え方を丁寧に説明した分かりやすい入門書であった。その意味で、現在の主流派経済学基本的考えがよく理解できた。それにもかかわらず、そこに、ある種の違和感を覚えた。その違和感の正体とは、それがリカードの確立した比較生産費説に基づく生産効率至上主義的貿易論であったためである。経済生産を経済効率のみの観点から取り上げる現在の経済学に対する私の疑問は残ったままであった。

5.経済学の現状とグローバル経済の今後

5.1経済学の現状と今後

経済学の現状を考える出発点は2008年のリーマンショックとの関連を整理することから始める。

1)    経済学はなぜリーマンショックを予測できなかったのか

現代経済学がリーマンショック(2008年)を予測できなかった最大の理由は、当時の主流派経済学が「市場は常に合理的で、自己調節機能によって破綻しない」という完璧すぎる数理モデルを盲信していたからだ。この歴史的失敗の背景には、経済学のモデルが抱えていた「4つの致命的な盲点」があるいわれている。

①「合理的経済人」という非現実的な前提

当時のマクロ経済学の主流モデル(DSGEモデルなど)は、すべての市場参加者が「将来のリスクを正しく計算し、常に最も合理的な行動をとる」と仮定していた。
しかし現実の人間は、バブルに踊らされ、他人の行動に同調し、パニックを起こします。経済学の数式は、人間の「群集心理」や「非合理な過信」を計算に入れていなかった。

.金融部門(銀行や証券会社)の「無視」

驚くべきことに、当時の多くのマクロ経済モデルにおいて、「金融システム(銀行の存在)」は省略されるか、ただのパイプ役として軽視されていた。
市場が効率的であれば、お金の貸し借りはスムーズに行われるはずだと考えられていたため、銀行が過剰なレバレッジ(借金)を抱えて連鎖倒産し、市場全体がフリーズする(流動性の枯渇)という最悪のシナリオがモデルから抜け落ちていた。

③ リスク計算モデルの欠陥(ファットテールの見落とし)

ウォール街の金融機関や経済学者は、サブプライムローンを組み込んだ複雑な金融商品のリスクを「正規分布(めったに極端なことは起きない)」に基づいて計算していた。
「全米の住宅価格が同時に暴落する確率」は天文学的に低いと弾き出されていましたが、実際には金融物理学が指摘するように、大暴落は確率の計算(ベルカーブ)よりも遥かに高い頻度で発生する「ファットテール(べき分布)」の性質を持っていた。

④ 学界の「現状維持バイアス」と権威主義

1990年代から2000年代半ばまで、世界経済は「大安定期(グレート・モデレーション)」と呼ばれる、低インフレと持続的成長の時代を迎えていた。
経済学者たちは「自分たちの理論が正しいから経済が安定しているのだ」と自負し、バブルの崩壊を警告する少数派の意見(ロバート・シラー教授やヌリエル・ルービニ教授など)を「科学的根拠がない」として無視・軽視する傾向があった。

2). リーマンショックを数年前に見事に的中させていた数少ない経済学者達と共通点

リーマンショックを数年前に見事に的中させていた数少ない経済学者たち(ヌリエル・ルービニ、ロバート・シラー、ラグラム・ラジャンなど)の共通点は、当時の主流派経済学の「美しい数式」に依存せず、人間の心理や金融の現場という「歪んだ現実」を直視していた点にある。彼らが共通して持っていたアプローチや視点には、以下の4つの大きな特徴がある。                                    

①主流派の「市場は常に正しい」というドグマ(教義)を疑った

当時、多くの経済学者は「市場は効率的であり、価格は常に正しい情報を反映している」という理論(効率的市場仮説)を盲信していた。しかし、的中させた学者たちはこの前提を疑った。                   

  • ロバート・シラー教授:人間の心理がもたらす「非合理な熱狂」に着目し、住宅価格が過去のトレンドからあまりにも逸脱して高騰しているデータを示し、バブルであると断言した。
  • ヌリエル・ルービニ教授:当時の「アメリカ経済は永遠に成長を続ける」という楽観論に対し、借金(債務)によるレバレッジが限界に達していることを数式ではなく「歴史的なマクロデータの歪み」から見抜いていた。

② 金融業界の「複雑な現場(実務)」を深く理解していた

当時の主流派マクロ経済学は、銀行や金融商品を「ただのお金の仲介役」としてモデルから省略していた。しかし、危機を予言した人々は金融の現場の危険な変化に気付いていた。

  • ラグラム・ラジャン教授(元IMFチーフエコノミスト):2005年の時点で、金融機関が「複雑な金融派生商品(デリバティブ)」を開発し、一見リスクを分散しているように見せて、実は「システム全体に巨大なリスクを隠蔽し、溜め込んでいる」と論文で警告した。
  • 彼らは数式上の数字ではなく、投資銀行やヘッジファンドがどのようなインセンティブ(ボーナス欲しさの過剰なリスクテイク)で動いているかという「生々しいインセンティブ構造」に注目していた。

. ③歴史から学ぶ「普遍的な危機パターン」を重視した

彼らは「今回のバブルは過去とは違う(ハイテクや新しい金融工学があるから崩壊しない)」という、いわゆる「今回は違う(This time is different)」という言い訳に騙されなかった。

  • 経済学者のカーメン・ラインハートケネス・ロゴフ(後に『国家は破綻する』を出版)らの研究にも共通するように、危機を予測した人々は、過去数百年の世界中の金融危機の歴史をインプットしていた。
  • 過剰な債務(借金)」「不動産価格の急騰」「金融緩和による過剰な流動性」が揃ったときは、歴史上どの時代、どの国であっても必ず悲劇的な結末を迎えるという歴史の教訓をストレートに信じていた。

④学界の同調圧力に屈しない「アウトサイダー精神」

当時、バブルを警告することは、経済学界やウォール街から「悲観論者」「空気が読めない古い人間」として冷遇されることを意味していました。実際、ルービニ教授は「ドクター・ドゥーム(破滅博士)」と嘲笑され、ラジャン教授2005年に警告を発した際は、当時の重鎮たち(サマーズ元財務長官など)から「誤った悲観論だ」と激しく批判された。それでも自らのデータと分析を信じ、学界の「現状維持バイアス(同調圧力)」に屈しなかった強い批判的精神と独立性が、彼らの最大の共通点と言えます。

まとめ

リーマンショックを予測できた学者たちは、「経済を動かしているのは完璧な数式ではなく、欲や恐怖に駆られる生身の人間であり、崩壊の歴史は必ず繰り返す」という、極めて泥臭く現実的な視点を持っていたという点で共通している。

 3).リーマンショックが変えた「これからの経済学」

この大失敗を経て、現代経済学は猛省し、以下のように大きく舵を切っている。

  • マクロ経済学に「金融セクター」を組み込む
    銀行の倒産や金融ネットワークの崩壊リスクを、最初からモデルに組み込む研究が必須となった。
  • 行動経済学の台頭
    人間が非合理的であること(損失回避バイアスなど)を前提とした、現実的なモデルが主流派にも採用され始めている。
  • 複雑系・ネットワーク理論(経済物理学)の導入
    どこの銀行が倒れると、どのルートで世界に危機が連鎖するかをシミュレーションする手法が、中央銀行などで重視されるようになった。

5.2現在の状況と経済学の課題

現代の経済学では、情報非対称性や外部不経済を扱う「情報の経済学」や、心理学的要素を取り入れた「行動経済学」が発展した。また、マクロ経済学では合理的期待形成学派などが主流となり、理論の精緻化が進んでいる。

一方近年の経済学は、データサイエンスやAIの活用、環境問題、経済格差の是正など、複雑化する社会課題への対応が求められており。理論だけでなく、実験や現実のデータ(実証分析)を重視する実学としての役割がより強まっている。

現代経済で経済学が直面する課題群を整理すると次のようになろう

     貨幣の量」を定義できなくなった
金融自由化やIT化、クレジットカード、電子マネーの普及により、何が「貨幣(お金)」なのかの境界線が曖昧になりました。これにより、マネタリズムの前提である「通貨供給量を正確に測定する」ことが不可能になった。

     通貨量と物価の因果関係が崩壊した
1980
年代以降、中央銀行が通貨の供給量をコントロールしようとしても、物価や経済成長率と連動しなくなった。この現象は「貨幣の流通速度(速度)の不安定化」と呼ばれ、理論の前提が崩れる原因となっている。

     中央銀行による通貨量の直接制御が困難になった。
中央銀行がお札をいくら刷っても、民間銀行が企業や個人に貸し出さなければ、世の中に出回る通貨量(マネーストック)は増えない。バブル崩壊後の日本やリーマンショック後の世界がまさにこの状態(流動性の罠)に陥り、マネタリズムの限界が露呈した。

     技術の急伸と社会システムの急激な変化への対応                  コロナ下で、急速に変化したディジタル化の流れ、コロナの終息と共に始まったAI革命とそれに伴う社会変化に経済学が対応できるか               

     経済成長への哲学的課題                             経済成長のもたらした気候変動や文化的摩擦などグローバリズムのもたらした現代文明への経済学の機能と役割とは何か等     

5.3グローバリズムと今後の世界(AIへの問いかけと回答)

AIへの問いかけ:「トランプ政権の誕生や中国の習近平の体制の確立、ロシアのウクライナ戦争など世界の分断でグローバリル経済は、破綻しているように見えます。グローバリズムの今後と世界の将来にどのような見通しが考えられますか。」

AIからの回答;「グローバリズムは破綻したのではなく、「経済効率の最大化」から「国家安全保障と強靭性を優先する枠組み」へと根本的に再編されている。今後は「ブロック化」「多極化」を前提とした新しい国際秩序が定着していく見通しです。世界経済とグローバリズムの将来には、主に以下の3つの見通しが考えられる。  

1.) サプライチェーンの「デリスキング(リスク軽減)」と分断の常態化

これまでのような単一の巨大なグローバル市場から、価値観や利害を共有する同盟国・同志国でサプライチェーンを囲い込む「フレンドショアリング」へと移行が進んでいます。中国やロシアなど権威主義陣営と、アメリカを中心とする西側陣営との間で経済的な分離(デカップリング)が進展しつつも、実際には中立国を経由した迂回ルートも並行して存在し、経済活動はより複雑な形へ変化しています。

2.) 多極化と「グローバルサウス」の台頭

アメリカや中国の二大国に従属しない、インド、ASEAN、中東、中南米などの新興国・途上国(グローバルサウス)が地政学的・経済的に重要な役割を果たすようになっています。これらの国々は、特定の陣営に完全につくのではなく、自国の利益を最大化するために双方と柔軟に取引する「マルチアライアンス」戦略をとっており、世界経済の多極化を決定づけています。

3). 国家主導の「経済安全保障」の強化とコストの上昇

安全保障、半導体やAIなどの先端技術、重要鉱物、食料などを国家の管理下に置く動きが加速しています。国境の壁をできるだけ低くする時代は終わり、各国政府が巨額の補助金や関税措置を用いて国内産業の保護や育成(産業政策)を進めています。これにより、企業の調達コストは上昇し、インフレ圧力が中長期的に定着しやすい構造へと変化しています。

このように、世界の将来は「グローバリズムの完全な消滅」ではなく、経済合理性よりも地政学的リスクを最優先する「管理された相互依存の時代(スローバリゼーション)」へと移行していくと考えられています。」

 このAIによる回答は、現在の経済学に基づくよくできた回答である。しかし、グローバリズムの破綻ではなく、再編というのは、言葉の綾で、それこそがグローバリズムの終焉と私が云っていた事態に他ならない。しかもそこには、人間の生存形態と文明の在り方といった未来文明論的観点が欠落しているように思われるが、それはまた別の機会に考えてみることにする

6. おわりに

「ケインズ:伊東光晴:講談社文庫」と「グローバル経済を学ぶ:野口旭:筑摩新書」の2冊の本との出会いをきっかけに、従来忘れ、無視してきた経済とグローバリズムの現状について、AIとの対話を通じて考えをまとめることができた。そして改めて経済問題の根本は、人間とは何かの問いかけにつながっており、その土台に絶えず目を向けることなしに経済学は、真の学問たりえないとつくづく思った。()

 


 



 

2026年5月29日金曜日

三島由紀夫と澁澤龍彦―分かることと分かり合えることー

 1.    はじめに

澁澤龍彦について語ることは、おそらく僕にとって最後の秘密を晒す出来事となるかも知れない。それは、自分にとっての「仮面の告白」にもなりかねない話であるからだ。そして、こんな僕の考えを理解してくれる友人達は、多分もういないのかも知れない。それを承知の上でこの文章を書いてみることにする。そしてこの文章を読み終えたとき、サブタイトルの意味が分かったとするならば、それは僕の密やかな内面世界の一部を垣間見たと云えるかも知れない。

2僕の片思いと一冊の本

澁澤龍彦は、この十数年間僕の片思いの作家であった。この片思いの感情は、異性に対するものと同様はっきりした理由がなく、性の衝動にも似た根源的な欲求であった。この根源的な欲求に導かれて、気がつけば、この10数年間に古書展で彼の名前の付いた文庫本をかたっぱしから購入していて、気が付けばそれが20冊近くにまで登っていた。しかも奇妙なことに僕が実際に目を通したのは、その内の数冊に過ぎない。それにも拘わらず、彼の本を集め続ける漠たる理由は、その一冊、一冊が人間と云う奇妙な生き物の小宇宙の一部とその広がりを感じさせてくれそうな気がしているからである。その最初のものを形にしたのが2020年に書いた「フランスロマン主義とシュールリアリズム」と云う私的論考であった。これは、渋澤龍彦の生前最後のエッセイ集「都心の病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」と「悪魔のいる文学史」と日夏耿之介の「サバト恠異帳」を手かかかりに、フランス文学の象徴主義(サンボリズム)や超現実主義(シュールリウリズム)等の芸術運動の意義を明らかにしたものであった。それから6年たった今、また再び、澁澤龍彦の一冊の本が、私に語りかけて来た。それが「三島由紀夫おぼえがき;澁澤龍彦:中公文庫:19861110日初版;2004102014刷発行」であった、澁澤龍彦は。198785日に亡くなっているので、この本は、彼の生存中に発行された最後の本かも知れない。この本が古書展で僕の前に現れたのにはね何か宿命的な理由があるように感じ、とにかく読み進めることにした。

3.本書の背景

 三島由紀夫は、川端康成に見いだされ、澁澤龍彦は、三島由紀夫に見いだされ、泉鏡花賞を受賞している。私自身は、三島由紀夫にはあまり縁がなく、泉鏡花に魅かれ、澁澤龍彦に魅かれて今日に至っている。その私の前に、現れた「三島由紀夫おぼえがき」の内容は、あとから紹介するとして、彼と三島由紀夫の出逢いと関係の概要がこの本のあとがきに書かれていた。それによれば、「彰考書院版「サド選集」に序文をもらうために、私が三島由紀夫に初めて手紙を出したのは、昭和31年5月ことだったから昭和45年11月に三島さんが亡くなるまで14年6カ月間に及ぶ付き合いだったと云うことになる」

 昭和31年は、1956年、第二次中東戦争が勃発した年であり、この時大正14(1925,)生まれの三島由紀夫は、31歳。昭和3(1928)生まれの澁澤龍彦は、28歳ということになる(僕は12歳だった)。そして三島由紀夫が亡くなるのは、昭和45(1970)45歳のときで、この時澁澤龍彦は、42歳である(僕は26)。澁澤龍彦が泉鏡花賞を受賞したのは昭和56(1981)53歳のときであるので、彼が作家として広く認められるのは、三島の死後ということになる。昭和3年生まれの澁澤は、終戦当時17歳であり、亡くなったのは昭和62(1987)59歳のときである、澁澤が三島の死を終戦に次ぐ彼の人生のエボットメイキングと位置付けている理由も分かるような気がする。その彼が自分の死の一年前に出したのがこの本であった。しかもこの本は、2004年で14刷を数えていることは、それ程多くの人に読まれているということである。

4.本書の内容

 この本の内容は、渋澤龍彦が三島由紀夫に関連して発表してきた長短さまざまな文章と対談の記録23篇から構成されており、最も古いものは、昭和361120日の読書新聞掲載の「美の襲撃」の書評で、最も新しいものは、昭和615月のユリイカに掲載された山口祐弘との対談「三島由紀夫―世紀末デガダンス」で、この最後の対談記録文は、昭和58年立風書房刊行本に文庫本化の時に付け加えられ。つまり最初の文は、澁澤33歳のとき、最後の対談は、澁澤の死の1年前58歳のときのもので、この本はこの間の25年間に亘って三島について書いたことの集大成と云うことになる。しかもこの間の16年は、三島の死後に属していて、これは、澁澤が実際に三島と交流していた14年間より長いのである。

 冒頭の「三島由紀夫をめぐる断層「すばる:昭和587月」と次に続く「三島由紀夫覚書「海:昭和5111月」は、三島の死後6年以上経ってから書かれたもので、澁澤の三島由紀夫論といってもよい。そして最後の山口祐弘との対談「三島由紀夫―世紀末デガダンス」が、それを全体的に補足する内容になっている。三島の死の直後に書かれた「三島由紀夫を悼む「ユリイカ:昭和461月」は、三島の死のトー直後に書かれたもので、胸を打つ、真の理解者を無くした時の悲しみは、僕にも経験がある。それは僕の58歳のとき、最愛の友であったS君と僕のもっとも良き理解者であった姉を2か月あまりの間に亡くした時の体験であった。この時の胸に空洞が出来たような沈痛な思いは、それまでの人生で初めて味わった感覚であったが、これは、その時の痛みを彷彿として思い出させる一文であった。

 澁澤は、三島が亡くなる3か月半ばかり前の時期に初めて夫婦で欧州旅行に出かけているが、その時三島はわざわざ羽田まで見送りに行っており、澁澤は、この時が三島をみた最後であったと語っている。外国旅行に行くのに見送りかと思われるが、当時は1ドル360円もの時代であり、外国へ行くことは、極めて特別な行動であった。私自身も昭和53(1978)政府の使節団の一員として米国に3週間ばかり旅したことがあったが、その時でさえ外国へ行く事は、特別にことであり、兄と姉がわざわざ走行会を開いてくれたし、妻は、幼い子供をつれてバスの出る東京駅まできて見送ってくれた。円相場は1971年までは、日本は、1ドル=360円の固定相場制を採用しており、それが変動相場制に移るのは1974年以降のことで、変動相場制に移っても1978年当時は、1ドル=280円程度であった。

では、澁澤にとって三島は、どのような存在であったのであろうか、「三島由紀夫氏を悼む」の中に次のような一文があった。「その作品を処女作から絶筆にいたるまで、すべて発表の時点で。読んでいるという作家は、私にとって、三島氏を措いて他にない、こういうことは、たまたま世代を同じくしなければありえないことである。私のさささかな魂の発展は、氏のそれと完全にパラレルであったといえる。」では、三島にとって澁澤とはなんであったのだろうか、「三島由紀夫をめぐる断層」の中に次の一文があった「かつての私にとって三島がかけがえのない先達であったことは、申すまでもなく、それでは、三島にとって私は、なんであっただろうかと考えないわけにはゆかない。目のきいたフランス文学者、練達の翻訳者、思想や気質において自分と一脈通ずるものを持っている友人、おそらく三島はそんなふうに私を見ていたんだろうと思うが、表現者として一流だとは必ずしも思っていなかっただろう。私は、三島が生きているあいだ、私はろくな仕事をしていなかったし、曲がりなりにも自分の意にかなう仕事が出来るようになったのは、もっぱら三島の死後だからである。」

 こうした関係の澁澤が、わざわざ「三島由紀夫おぼえがき」の中で扱っている話題は、三島の最後の作品「豊饒の海」4部作をめぐる、三島のデガダンス思想や死生観と死をめぐる議論、澁澤の「「サド侯爵の生涯」に影響を受けて三島が書いた戯曲「サド侯爵夫人」をめぐる5編のエッセイ、ベルギー生まれのフランスの女性小説家で、西洋の歴史や古典に深い造詣を持ち、1981年には女性初のアカデミー・フランセーズ(フランス学士院)正会員に選出されたマルグリット・ユルスナール(1903–1987)、彼女が初めて三島由紀夫を取り上げた「三島あるいは空虚ヴィジョン」についての感想。

     三島と澁澤の直接の対話として、泉鏡花の魅力について語りあった対談記録「鏡花の魅力:「日本の文学」:昭和441月」、作家稲垣足穂についての対談記録「タルホの世界「日本の文学」:昭和456月」、日夏耿之介について触れた「サロメの時代:公演パンフレット:d」昭和462月」。「セバスティアン・コンプレックスと三島由紀夫戯曲の根底にあるもの:「鹿鳴館」公園パンフレット:昭和426月」、出口との対談で、三島文学の根底は、デカダンス文学だったといい。「三島由紀夫とデカダンス」:「解釈と観賞:昭和512月」の中で「三島がデカダンスに関する文学的素養を深めるのに及ばずながらお手伝いさせてもらった。」と語っている。ちなみにデカダンス文学とは、19世紀末の産業革命や物質主義に反発し、新しい世紀への不安や焦燥を背景とする退廃的、耽美的な芸術文化運動であり、ロマン主義の崩れた側面といってもよい。

5.読後の感想

三島にとって澁澤は、西洋とりわけフランスロマン主義あるいは、デカタンス文学の吸収窓口であり、日夏耿之介は、三島にとっても渋澤にとっても西洋のその世界への先駆者であった。澁澤にとって三島は、フランス文学と日本の伝統を結ぶ先達であったのだと思った。その日本の伝統の中で、同じ不可知の世界を描いたのが泉鏡花で、三島と澁澤の二人が鏡花を評価している当然の理由がそこににあった。

 三島は、日本の伝統世界から西欧へ、澁澤はフランス文学から日本の伝統世界へ、その交点の記録が本書である。しかし、驚かされるのは、彼等の膨大な読書量であり、執筆量である。それらを互いによみ感想を述べ、評価し合っている。しかも文学と云う限られた領域においてである。理学の徒であった私には、物理の世界の壁があり、それとの格闘で多くの力を割いたため、文学作品を読む時間は、極めて限られていた。会社に入ってからは、それに工学分野が加わったため、文学作品を読み味あう時間はほとんどなかった。70歳以後ようやく、物理の壁を乗り越え、科学・哲学の水平線を眺めるようになってから、目の前に文学の豊な原野が広がっている感覚を覚えた。

山口は対談の中で三島との距離を澁澤に問うている。澁澤は「距離は特に感じない」と即座に応えている。これは、二人が分かりあっていることを意味する。世の中で分かると云う感覚は、度々あるが、分かりあえたと云う感覚を持つことは、稀にしかない。ある勉強会で出会った独身のN君が、名古屋を去って遠縁を頼って四国に引っ越してゆくとき、しきりに僕が議論するのは繋がりたいためだと言っていた。会社勤めすることなく学習塾の収入だけで、自分の信念に基づいて生きて来たその孤独感は僕には、痛いほど分かったが企業と云う組織の中で生きてきた私の現実感覚は、彼にはどうしても理解し難い世界らしく、僕との差異は最後まで残った。

分かり合えるためには、意見が違っても時代とその中であがいた共通の体験とその中での気持ちのやり取りと感ずる世界の感触への理解と共感が必要である。それは、人間というものの捉え方であり、相手の生そのものに対する信頼感である。澁澤には、一般には、不可解に見える三島の自殺も、よく理解できていた。それは、その行為に対する是非の感覚ではなく、その行為に及ぶ生の流れが見えると云うことだと思う。

この文を書きながら、僕は大学時代の友人Y君のことを思い出した。風のたよりで知ったことだが、真面目で不器用で無垢な精神を持っていた彼は、企業社会に適合できず、やがて本来の研究職から購買部門に移動させられ、人間不信におちいり、自分の殻に閉こもり、大学時代の友達とも一切の連絡を絶つようになった。企業社会の中で、彼がどうしてそうなったかは、僕には、手に取るように想像できた。自分には、彼を孤立世界から救い出すことが出来る。その確信のようなものはあったが、大学時代以降ついにこの歳まで一度も会うことが出来なかった。

 それに比べて、社会への適合の過程で、悩みながら法学部に学部入学して弁護士になったS君とは、理学から全く別世界に移って生きた仲間として何も言わなくても通ずる共通の世界があり、互いの生きる世界とそれに立ち向かう互いの心や気持ちがよく理解し合えた。その彼が還暦を前に胃癌で早世した時、僕は、澁澤が三島の死を知ったときと同じような悲しみを覚えた。それは、分かりあえたものを失った悲しみであった。()