2026年3月31日火曜日

坂口安吾と戦後思想

 1.    最初の出逢い

    私が坂口安吾に関心を持つきっかけと出会いは、全く偶然の出来事からだった。数年前、私は、大学時代の仲間達と新潟県を旅していて、そこに住む友人の案内で、十日町市を訪れることになった。十日町に来た当初からの目的は、津南町の秋山郷を訪れることであったが、それは翌日に計画されており、到着した当日は、宿の松之山温泉ちとせに入る前の数時間を使ってその近くのブナの林、美人林を散策する予定であった。しかし、その途中で、雲行きが怪しくなり、雨を避けるため急遽行き先を変更して訪れたのが大棟山美術博物館(坂口安吾記念館)であった。その建物は、杉木立に囲まれた山村の奥に静かに佇んでいた。高麗門形式の立派な表門を抜けると南北20.907m、東西17.574mの広さの木造2階建切妻造りの母屋がある。建物は古くみえるが、その内部は、良質な木材を使い、豪雪に耐えられる太く頑丈な柱や梁に支えられた堅固な建物であることが分かる。この施設は、700年に近い歴史をもつ、元造り酒屋であり庄屋であった村山家の旧宅と庭を博物館にしたもので、内部には、その当主が集めた伊万里焼の皿やその他の美術品や当時の調度品類が、展示されていた。そしてその2階の一角に、坂口安吾がそこで執筆したと云われる部屋があり、その中に書籍や坂口安吾の戯画等が展示されていた。こんな山村の山奥で、坂口安吾の名前にであうとは、全く予期せぬ出来事であった。しかし、その時もっと衝撃的であったのは、坂口安吾の名前からなんのイメージも浮かんでこないことだった。名前は知っていたが、彼の書いたものを何も読んでいないことに気づいた瞬間だった。

 この出来事が引き金となり、旅から帰ってまもなく書店で坂口安吾の「堕落論・日本文化私観他二十二篇:坂口安吾:岩波文庫:2008917日第1刷発行:2019219日第13刷発行」を購入して読み始めた。しかし、読み始めてすぐに全く興が乗らず、放り出してしまったそしてそのまま、書棚に置き忘れてしまった。

2.二度目の出逢い

 私が再び坂口安吾に出会うのは、トランプ政権が1666の国際機関からの離脱声明を発表し、ベネゼイラの大統領の拉致作戦を実行し、国内では、2月高市政権の衆議院選挙の圧勝し、アメリカとイスラエルがイランの軍事施設を先制攻撃したのを見て、戦後の国連体制の終末と崩壊を感じて、戦後日本の出発点となった戦後思想を見直す必要を感じた時期である。そんなとき開催された恒例の丸田町高くの古書センターの古書展で坂口安吾の「堕落論」に出会い、この「堕落論」は、一度手にしたことがあるような微かな記憶があったが、何かに導かれるように購入してしまった。家に帰って確認するとそれは、次の本であった。

「堕落論:坂口安吾:角川文庫昭和32530日初版発行:昭和43122518版発行:平成36月改版58版発行」

この本に何故か心惹かれて最後まで読み通し、そして坂口安吾の世界に私をつれて行ってくれることになった。そして本文章は、この二度目の出逢いを中心とする話である。

3坂口安吾の概要と略歴

概要

坂口安吾(1906–1955)は、昭和期に活躍した新潟市出身の小説家、随筆家。敗戦直後に『堕落論』や『白痴』を発表し、無頼派(新戯作派)を代表する作家として時代の寵児となった。固定観念を打破する文学姿勢と、人間味を重視した思想で知られる。

略歴

1906(明治39): 新潟県新潟市の裕福な大地主の家に生まれる(13人兄弟の12番目)。本名炳五、父は地方政治家、母も大地主吉田家の娘

1913(大正2):7:新潟県立尋常高等小学校入学

1919 (大正8) :13:新潟県立新潟中学校入学 

1922(大正11): 16:中学時代、机に「余は偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろう」と刻み、中退して上京 東京豊山中学校へ転校。

1926(昭和元): 20:東洋大学文学部印度哲学倫理学科に入学し、宗教・哲学を学ぶ。

1928(昭和3):22:神田のアテネ・フランスに入学

1930(昭和5):24:東洋大学卒業

1931(昭和6):25: 短編『風博士』で文壇デビューし、注目される。ピエロ伝道者

1932(昭和7):26:矢田津世子(25)に出会う FARCEについて

1941(昭和16): 35: 文学のふるさと

1942(昭和17): 36: 母アサが死亡。日本文化私観 青春論

1944(昭和19): 38: 田津世子死亡(36)

1946(昭和21): 40:『堕落論』『白痴』を発表し、戦後文学の旗手として爆発的なブームを巻き起こす。続堕落論、デカダン文学論 欲望論 インチキ文学撲滅談義

1947(昭和22): 41: 梶三千代(24)と結婚 17歳の年の差婚 戯作者文学論 悪妻論 恋愛論 教祖の文学 大阪の反逆

1953(昭和28): 47: 長男網雄誕生

1955 (昭和30) : 49歳で急逝。

4.「堕落論」の構成と内容

この32年初版本の構成は、次のような構成になっているが、ここに収録されている作品群の全てが昭和17年から昭和23年の終戦を挟んで発表された作品群であり。坂口安吾の思想が一世を風靡した時期に発表されたものである。

本の表紙の裏書には、「堕落論」の説明として次のような言葉がかかれていた。

 「第二次世界大戦直後の混迷した社会に戦前戦中の倫理観を明確に否定して新しい指標を示した「堕落論」は当時の若者達の絶大な支持を得た。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことは出来ないし、防ぐことによって人をすくうことは出来ない。」堕ちることにより真の自分を発見して救われると云う安吾流の考えは、いつの世でも受け入れられるに違いない。ほかに「日本文化私観」「恋愛論」など名エッセイ12編を収める」

目次 (発表年齢)     発表年月日と雑誌

日本文化私観 (37)   昭和173月「現代文学」

青春論(37)       昭和171112月「文学界」

堕落論(40)       昭和214月「新潮」

続堕落論(40)      昭和2112月「文学季刊」(堕落論・続編」

デガタンス文学論(40)  昭和2110月「新潮」

戯作者文学録(41)    昭和221月「近代文学」

悪妻論(41)       昭和227月「婦人公論」

恋愛論(41)       昭和224月「婦人公論」

エゴイズム小論(40)   昭和2112月「社会批評」

欲望について(40)    昭和219月「人間」

大阪の反逆(41)     昭和224月「改造」

教祖の文学(41)     昭和226月「新潮」

不良少年とキリスト教(41)昭和237月「新潮」

注釈         三枝康高

解説

 坂口安吾-人と作品 磯田光一

 作品解説  檀一雄

年譜

5.坂口安吾の思想と背景

戦後無頼派と云われる一群の人達の思想は、現在の言葉で云えば、アウトサイダーもしくは、ニヒリストと云うことが出来る、彼等のそうした思想背景については、彼等の生い立とその後の青春期の経験や体験、出会いがある。

こうした人達を我々はどう理解したらよいか、その手掛かりとなるのが、イギリスの作家コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」のように思われ、それとの関係で調べてみた。   

コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』(1956年)は、社会の枠組みに馴染めず、日常の裏側に潜む「非現実的」な真実を見つめてしま孤高の人物たちを分析した文芸批評・思想書だ。この中で コリン・ウィルソンはアウトサイダーを次のような人々として特徴づけている。

・アウトサイダーの定義: 文明社会の秩序や道徳に違和感を抱き、「自分はどこにも属していない」と感じる人々を指す。

・多彩な実例の分析: ドストエフスキー、ニーチェ、ヴァン・ゴッホ、ヘッセ、T・E・ロレンス等、文学者や芸術家の生涯と思想を通じて、彼らが直面した精神的危機を考察。

・「見えすぎること」の苦悩: アウトサイダーは感受性が強すぎるため、他人が気づかない世界の混沌や虚無を直視してしまい、深い絶望に陥りやすいと説く。

・実存的危機の克服: 本書は単なる絶望の記録ではなく、彼らがどのようにしてその疎外感を乗り越え、新しい自己や生命の肯定(至高体験)に至るかというプロセスを追求している。

・時代の象徴: 発表当時、24歳の無名の青年だったウィルソンが執筆し、「怒れる若者たち」の時代の先駆けとして世界的なベストセラーとなった。 

現在でも、生きづらさを感じる人々にとっての「精神的なバイブル」として、中公文庫などで読み継がれている。 但し今は絶版になっている。

坂口安吾も、コリン・ウィルソンが定義する「アウトサイダー」の条件に非常に合致する人物と云える。ウィルソンの理論に照らし合わせると、安吾の思想には以下のようなアウトサイダー的特徴が見て取れる。

・社会の虚飾への違和感: 安吾は戦中・戦後の日本社会が掲げた「武士道」や「天皇制」といった既存の道徳・制度を、人間の本質を隠す「まやかし」として否定した。これは、文明の秩序に違和感を抱くアウトサイダーの典型的な姿勢だ。

・「正しく堕落する」という実存: 代表作『堕落論』で説いた「生きよ、堕ちよ」という言葉は、社会が押し付ける偽りの美徳を捨て、孤独で無残な「人間本来の姿」を直視せよという呼びかけだ。この絶望の直視とそこからの自己救済というプロセスは、ウィルソンが説くアウトサイダーの探求そのものだ。

・孤独の中の自由: 安吾は「救われない孤独」の中にこそ精神の自由があると信じていた。群れに属さず、剥き出しの自己として世界と対峙しようとする姿勢は、まさに孤高のアウトサイダーだ。

実際に、批評家の河上徹太郎はウィルソンの著書に触発されて書いた『日本のアウトサイダー』において、日本の知識人たちの孤立した精神性を分析している。

安吾が「アウトサイダー」として覚醒し、その危機を乗り越えていく過程は、まさに壮絶な自己破壊と再生の物語で、その核心をまとめると次のようになる。

・「偉大なる落伍者」への志向: 幼少期から既存の教育や道徳に馴染めず、試験に白紙を出すなど、社会の枠組みに対する強烈な違和感(アウトサイダーの初期症状)を持っていた。

・「癩(らい)病」への恐怖と虚無: 青年期、自分は業病にかかっているのではないかという死への恐怖と、救いのない孤独(精神的危機)に突き落とされる。この時、仏教(東洋大学)を猛烈に修行し、悟り」ではなく「絶望の徹底」を学んだ。

・戦争という巨大な舞台: 戦時中の非日常的な空間で、彼は「美しき日本の伝統」が単なる飾りであることを看破し、空襲の下で、死と隣り合わせの「むき出しの生」にこそ真実があると確信した。

・「ふるさと」の否定: 安吾にとって、甘い郷愁や道徳は「精神の牢獄」だった。彼はそれらをかなぐり捨て、「孤独のどん底」へ自ら飛び込むことで、誰にも依存しない精神の自由を掴み取り組んだ。

・「堕落」による救済: 彼の結論は、「人間は正しく堕ちることでしか、自分を救えない」という逆説だった。社会が作った「型」を壊し、ドロドロの人間本来の姿を肯定することで、アウトサイダー特有の「疎外感」を「絶対的な自己肯定」へと転換させた。 

安吾にとっての克服とは、光を見つけることではなく、「暗闇の中でも眼を開けて立っている」という強靭な意志そのものだった。

6.坂口安吾の恋と結婚

 坂口安吾の恋と堕落論

坂口安吾にとって矢田津世子(やだ つよこ)は、生涯で最も激しく、かつ絶望的な影響を与えた「運命の女性」だった。コリン・ウィルソン流に言えば、彼女との恋愛は安吾を「アウトサイダーの地獄」へと引きずり込んだ決定的な事件と云える。

1933年(昭和8年)、安吾26歳の時、新進作家として注目されていた25歳の矢田津世子と、まだ無名に近かった安吾は、雑誌『青い馬』の集まりで出会う。

第一印象で彼女は「秋田おわら風の盆」を思わせるような、凛とした知的な美貌の持ち主だった。魂の恋であり、二人はすぐに惹かれ合う。安吾は彼女の才能を認め、彼女もまた安吾の破天荒な知性に惹かれた。手紙を頻繁に交わし、純粋で激しい恋愛が始まった。

しかし、二人の関係は数年で破綻する。その理由は、安吾の「アウトサイダーとしての業」にあった。その一つは、生活力の欠如で、安吾は定職を持たず、睡眠薬に溺れ、混沌とした生活を送っていた。一方、矢田は家庭の事情もあり、現実的な結婚生活を求めていた。安吾が求めたのは「魂の裸の付き合い」だったが、矢田は世俗的な平穏も捨てられなかった。安吾は彼女の中に「偽善」を感じ、彼女は安吾の「狂気」に恐怖を感じた。

 1936年、安吾は彼女をモデルにした小説『吹雪物語』を執筆。私生活を切り売りするような安吾の姿勢に彼女は絶望し、二人の仲は決定的に壊れた。

別離後、矢田は肺結核を患い、1944年に36歳の若さで亡くなる。 彼女の死を知った安吾は、激しい自己嫌悪と虚無に襲われた。 彼は、自分が彼女を救えなかったこと、そして彼女が最後まで「清純な作家」という仮面を脱ぎ捨てられなかったことに、人間の限界を見た。この死すらも救いにならない」という絶望が、後に「美しく死ぬのではなく、ドロドロに汚れながらも生きろ」と説く『堕落論』の原動力となった。

安吾にとって矢田津世子は、「失われた清純さ」の象徴であり、彼女を失うことで彼は「救いようのない現実」を生きる覚悟を決めたと言える。

坂口安吾の結婚と家族

安吾は41歳で24歳の三千代と結婚し、後に長男(綱男)を授かるが、その受け止め方は彼らしい「照れ」と「覚悟」に満ちたものだった。

アウトサイダーとしての独身を貫くかと思いきや、彼は「生活」という泥臭い現実を正面から引き受けた。 それまで無頼な放浪生活を送っていた安吾だが、結婚して家庭を持つことを「人間として正しく堕落すること(=普通に生きること)」の一環として捉えた。高潔な孤高を気取るのではなく、泥臭い日常に埋没することを恐れなくなった。

  子供が生まれると、周囲が驚くほどの親バカぶりを発揮した。机に向かって執筆している最中も子供を離さず、あやしながら原稿を書くなど、かつての「孤独な哲学者」の面影がないほど深い愛情を注いた。家族を持っても、彼の精神的な「孤独(アウトサイダーとしての核心)」は消えなかった。しかし、それは「寂しい孤立」ではなく、守るべきものがあるゆえの「重みのある孤独」へと変化した。 睡眠薬中毒や精神的な不安定さを抱えながらも、家族を養うために膨大な仕事量をこなし、「生活者としての戦い」に身を投じた。

ウィルソンの『アウトサイダー』の結末が「社会との和解」を示唆するように、安吾もまた、家族という最小単位の社会を受け入れることで、自身の思想を完成させていったと言える。

安吾は、結婚して8年後49歳のとき脳溢血で、亡くなる、この急逝後、遺された妻(32)千代と長男の綱男は、安吾の伝説を守りながらも、それぞれが自立した道を歩んだ。

妻・坂口三千代:は、安吾の死後、銀座で「クラクラ」というバーを経営し、文士たちの集うサロンのような場所を作り上げた。安吾との破天荒な結婚生活を綴った自伝的エッセイ『クラクラ日記』はベストセラーとなり、後にドラマ化もされた。彼女は、安吾の「無頼」を支え切った強い女性として、多くのファンに愛された。

長男・坂口綱男は安吾が41歳の時に生まれた一人息子だが成長後は写真家として活躍し、父・安吾の未発表原稿の整理や著作権管理にも尽力した。父の思い出を綴った『安吾のいる風景』などの著書があり、安吾の「人間味あふれる父」としての姿を世に伝え続けた。安吾は膨大な蔵書や原稿、そして多額の税金の滞納(!)を遺したが、三千代は持ち前のバイタリティでこれらを整理し、安吾の文学が埋もれないよう守り抜いた。安吾が「生活」を引き受けた証である家族が、彼の死後もたくましく、かつ愛情深く彼を語り継いだことは、アウトサイダーだった安吾にとって最大の救いだったのかもしれない。

7.坂口安吾と村山家

坂口安吾は、13人というあまりに多い兄弟の中で、自分を「余計もの」のように感じていた節がある。特に父・仁一郎からは「お前のような奴は、将来ろくな人間にならない」といった言葉を投げかけられており、この大家族の中での「孤立感」が、彼をアウトサイダー的な思索へと向かわせる一因となったと思われる。

坂口家の兄弟は、安吾のように文学や芸術に傾倒する者もいれば、家業や政治を引き継ぐ者もおり、非常に個性豊かだった。安吾の本名「炳五(へいご)」は、丙午(ひのえうま)の年に生まれた5男であることに由来している。 

兄弟の中でも、坂口安吾を特に可愛がったのは、次男の献吉と長兄姉のせきであった。次男の坂口献吉は、新潟日報社の社長などを務めた地元の名士だった。安吾は献吉を精神的な支柱として慕っており、敗戦直後には「戦後の新聞社の使命」などを熱く論じた手紙を献吉に送っている。放蕩の限りを尽くしていた安吾を経済的・精神的に支え続けたのが献吉であり、安吾が作家として活動できた背景には彼の理解があった。

安吾がよく身を寄せたのは、長姉のセキ(関)である。彼女は新潟県10日町市の松之山の旧家、村山家に嫁いでいました。安吾とセキの関係、そして村山家での生活には、彼のアウトサイダー的な側面がよく表れている。セキは13人兄弟の長女として、年の離れた弟である安吾(12番目)を非常に可愛がった。安吾が東京での生活に疲れ、精神的に不安定になったり行き詰まったりすると、彼女はいつも村山の家で彼を温かく迎え入れ、休息の場を提供した。

  安吾は村山家に滞在しながら、多くの着想を得ている。代表作の一つ『いずこへ』などは、村山での滞在体験や、その地の風土、人間模様が色濃く反映された作品だ。彼は村山家で、何をするでもなくボヤボヤと過ごしたり、あるいは猛烈に執筆したりと、自由奔放に振る舞っていた。家系図や古い資料を調べ上げるなど、後の歴史探偵的な資質もこの「逗留」の中で養われた。

 厳格だった父や、期待を寄せる兄たちとは違い、姉のセキは安吾の「ダメな部分」も含めて丸ごと受け入れる存在だった。アウトサイダーにとって、こうした「無条件の肯定」をくれる女性の存在は、精神の崩壊を防ぐ最後の砦だったと言える。

安吾にとって村山家は、社会の荒波から逃れ、再び戦うためのエネルギーを蓄える繭(まゆ)のような場所だったのかもしれない。

ここで安吾は、「吹雪物語」、「閑山」、「勉強記」や「黒谷村」、『村のひと騒ぎ』などの作品群を執筆している、

8.まとめと感想

 坂口安吾の堕落論や恋愛論等を読んでみて、彼の主張に全く違和感も覚えなかった。坂口安吾の云いたかったこと、それは、ものごとを人間と云う生物的存在の本性を見据えて考えろと云うごく当たり前のことだったように思う。けれども、それは、己とは何かと云う哲学的な根本的な問いかけに他ならず、そこにアンリ・ウイルソンが「アウトサイダー」で追求しようとした課題、つまりドフトエフスキーやニーチェが追求したような問題と繋がる問題意識があったと云うことである。敗戦後、戦前の価値観や道徳が崩壊し、戦後の混乱の中で、人々が生きるのに右往左往する中での主張であっただけに。脚光を浴びたのだと思う。32年度版の「堕落論」に取り上げられた作品やエッセイがほとんど終戦前後のものすなわち敗戦と云う国民的な思想的混乱期に書かれたものを収録しているのはそのためであろう。そしてまた、その時期が坂口安吾の思想が完成してゆく時期だったことと関係している。敗戦という戦前の価値観がひっくり返るような事態の中で坂口安吾は、それまでの伝統や慣習や常識にとらわれず人間の根本を見据えた地点から物事を自分の頭で、考えることを主張し、彼のライバルでもあった小林秀雄は、日本の伝統文化の精髄を見直す必要を主張したのではなかろうか。小林秀雄が晩年にライフワークとして「本居宣長」をテーマとしたのは、その作業の仕上げの意味があったと感じた。

 戦前、戦中、戦後を通してその思想が一貫している人物で、私が出会ったのは、柳宗悦、鈴木大拙、小林秀雄、そして今回であった坂口安吾あるが、皆その根底に人間とは何かを問い詰め見据えていた人達であった。

 32年度版の「堕落論」では、2007年度版にはなかった注釈や年譜があり、安吾と最も親しかった檀一雄の解説までついているし、磯田光一の解説では彼の思想に影響を与えた恋愛体験にも触れられており、解説者や編集者達の安吾に対する愛情が伝わってきた。

 それは、この本が出版されたのは彼が亡くなった昭和30年の2年後のことだったことと関係している。2008年度版の解説者、七北数人(ななきた かずと、1961923 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の文芸評論家、小説家、編集者であるが50歳前なので、坂口安吾を自分とかけ離れた歴史の中の人として扱っている印象があり、それが初めて出会う私には、とっつきにくかった理由かもしれない。とにかく、「堕落論」の初版本との出会いが無ければ、ここまで坂口安吾を読み解くことは無かった。なにかの導きか運命を感じざるを得ない。()

本文は、その詳細版「坂口安吾ーその思想と生涯」の一部の伐採で。全文は、私のホームページ「知の宇宙船ー永遠の探究」に掲載する予定である。

 

2026年3月7日土曜日

危機の三十年―冷戦後秩序はなぜ崩壊したか

 1.はじめに

20254月に「ポストトランプの世界」と云う一文を書いたとき、私は、その世界をグローバリズムの終焉として捉えていた。しかし96日のトランプによる国連総会での演説と13日の米軍によるベネゼイラ攻撃とそれに続く16日のアメリカの66の国際機関からの離脱声明を目の当たりにし、28日の衆議院選挙の高市政権の圧勝に直面したとき、直感的にそれが、戦後の国連体制の崩壊を意味すると思った。そうであるならば、それは国連体制を前提とした戦後思想の劣化と破綻を意味すると直感的に思い、それは終戦直後の連合国の正義とそれに繋がる戦後思想を見直す必要があると思った。さしてその作業をすすめつつある途中で出会ったのがこの本であった。

「危機の30年―冷戦後秩序はなぜ崩壊
したか」細川雄一:新潮選書:  株式会社新潮社:2026220日発行

この本は、その紹介文と目次からこの数年来私が気にかけて来たソ連邦崩壊後の世界秩序の現状について同じような認識すなわち戦後ながらく続いた国連体制の終焉と云うテーマを初めてまともに取り上げた本であることがわかり、しかもこれを購入した翌日の228日にアメリカとイスラエルのイラン攻撃と云うニュースが飛び込んできたので、急遽取り上げることにした。

2.本書の構成と内容

本書の全体構成と内容は、以下のようになっている。

はじめにーウクライナ侵攻はなぜ起きたのか

   せまりくる戦争の危機、ソ連崩壊の30周」年、「危機の30年」を回顧する冷戦後世界の光と影

序章 逆回転する世界史

   「ポスト冷戦時代の終わり」、「世界史の転換点」の到来、リベラルな国際秩序の危機、国際秩序を破壊する大国、国際経済秩序の崩壊、アメリカの覇権的地位の終焉、孤立主義への回帰、「米国第一主義」の系譜、「危機の30年」と云う視座

1章「危機の30年」とはなにか

    ユートピアニズムとリアリズム国際政治学の最も重要な古典、啓蒙思想と反啓

蒙思想「レッセフェールの終焉」、「危機

20年」におけるユートピアニズム, リアリズムの時代としての冷戦、ポスト冷戦期の到来、「新・危機の20年」の時代、「危機の30年」時代のリアリズム

2章 ユートピアニズムの再来

    台頭するユートピア思想、ユートピアの復権 グレイの新自由主義批判、「歴史の終わり」のイデオロギー、冷戦後の民主的平和。グローバリズムの奔流、コスモポリタリズムの思潮、資本主義が勝利した世界

3章 冷戦終結からポスト冷戦へ

    冷戦終結期の歴史、「魔法の杖」で消えた帝国、ポスト冷戦時代の到来へ、「冷戦後秩序の産物」ウイルソンむの夢、「自決権」をめぐる政治力学、「自決権を擁護するゴルバチョフ」、歴史家

    サロッティの警告、「1インチの攻防」をめぐる真相、「自決権」か「勢力圏」か、キッシンジャーの予言、消えたユートピアニズム

4章 西側世界の驕り

    勝利主義と怨恨、民主主義拡大への批判、「最後の巨大な帝国」の崩壊、冷戦の終わり方、協調を模索するNATO、「新しいNATO」の誕生、NATOとロシアの協調、「平和のためのパートナーシップ」の誕生、「民主主義の拡大」戦略、NATO加盟への道、NATO東方拡大論争、ウクライナの自決権と安全保障、ウクライナ非核化むへの日本の関与、NATOの拡大へ向けた交渉

5章 リアリズムの復権

    米ロの協力関係、ブレアとプーチン、9.11テロ後の協力、ラムズフェルドの警戒感、「フリーダム・アジェンダ」の促進、オレンジ革命の衝撃、オレンジ革命以後、西側と敵対するプーチン

    ゲーツ国防長官とバーンズ大使の懸念、ブカレストNATOの首脳会談、すれ違うブッシュとプーチン、「リセット」の限界、勢力圏を追求するプーチン、戸惑うメルケル、米英両国の融和的姿勢、抑止力の強化への動き、ポリス。ジョンソンの矜持、ユートピア主義の蹉跌

終章  「第三次世界大戦」を防ぐために

    「旧い秩序の終焉」「新しい戦前」と云う時代、「危機の30年」とは何だったのか

おわりに ユートピア主義とリアリズムのはざまで

  註

3著者 細川雄一について(AIWikipedia)

細谷雄一(ほそや・ゆういち1971813 -)氏は、慶應義塾大学法学部教授(2026年時点)で、専門は国際政治学、国際政治史、英国外交史、安全保障政策。サントリー学芸賞や読売・吉野作造賞を受賞した『戦後国際秩序とイギリス外交』『倫理的な戦争』など多数の著書を持つ、日本の安全保障政策や冷戦後の国際秩序に関する第一人者。 

プロフィール(2026年時点) 

  • 所属慶應義塾大学 法学部 教授 (2011年より現職)
  • 専門分野国際政治学、国際政治史、イギリス外交史、安全保障政策
  • 学位博士(法学)(慶應義塾大学・2000年)
  • 主な経歴北海道大学専任講師、プリンストン大学客員研究員、パリ政治学院客員教授などを経て現職

4.この本の概要と特徴について

4.1この本の背景

この本の中にあまり、見慣れないユートピアニズムとリアリズムの言葉が出てくるので少し不思議に思った。これは、題名の「危機の30年」とも関連することであるが、この本は、今や古典的名著となったイギリスの政治学者EHカーの「危機の20年」を参考としてソ連邦崩壊後の世界秩序の危機を扱った本ということが分かった。


EH・カーの『危機の二十年』は、第一次大戦後から第二次大戦勃発(1919-1939年)までの戦間期を分析した国際政治学の古典。国際連盟に代表される「理想主義(ユートピアニズム)」の限界を暴き、力と利害が支配する「現実主義(リアリズム)」の視点から、秩序崩壊の本質を突いた 

4.2「危機の二十年』について

193991日: ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発した。本書は、イギリスで発行されたが、第一版の序文には「1939930日」という日付が記されており、まさに戦争が始まったわずか4週間後に世に出たことになる。

この本は 1930年代の戦雲が立ち込める中で執筆された。カーは、当時の国際社会が信じていた「国際連盟や条約で平和を維持できる」という考え(理想主義)が、迫りくる戦争を止めるには無力であることを論理的に解明しようとしました。

的中した警告: 本書が店頭に並んだ瞬間に実際に大戦が始まったことで、カーの「理想主義は破綻しており、権力政治(パワー・ポリティクス)を直視すべきだ」という主張が残酷なまでに証明される形となった。

「危機の二十年』は、入手できずまだ読んでいないがAIによりその概要は次のように要約されている。

「危機の二十年』の主要なポイント:(AI)

①ユートピアニズムの批判: 第一次大戦後、道徳や理性で平和が維持できると信じられた「理想主義」は、強国の利害が衝突する実際の国際情勢に対応できず無力であったと論じた。

②リアリズムの強調: 国際関係は「何があるべきか」ではなく「何が存在するか(力)」で動いており、政治は権力闘争(パワー・ポリティクス)の側面が不可欠であると指摘。

③危機の本質: 英仏などの現状維持国が唱える「平和」が、弱者や後発国を犠牲にして自国の利益を守る偽善であったとし、秩序の崩壊(危機の二十年)を招いた。

➃目指すべき姿勢: 理想を欠く現実主義は無気力に陥り、現実を無視した理想主義は偽善に終わる。両者の相克の中で、力の現実を認めつつ平和を模索する「弁証法的な接近」が必要であると結論付けた。 (東京大学社会科学研究所 )

1939年の出版以来、現在に至るまで、国際秩序が流動化し「力の政治」が復活する局面でたびたび再評価されている。

 4.3「危機の30年」と云うこの本の性格と限界

 この本は、さすがに政治学者らしく政治学の観点からソ連邦崩壊後の過去30年間の国際秩序の変遷をEHカーの「危機の20年」を手本としてまとめたものである。それだけに実際の世界政治の動きを通して、戦後の国連体制の形成と崩壊プロセスが政治史として語られている。一方私の視点は、近代資本主義の思想的原理の必然的結果としてグローバリズムの終焉とリベラリズムと国連体制の終焉を理解しようとするものであるが、現在の国連体制とリベラリズムが終焉を迎えつつあり、現在が時代の転換点であるとの認識では一致している。この本は、危機を乗り越えるものとしてユートピアニズムとリアリズムの融合を示唆しているが、それを可能にする原理には触れていない。しかしユートピアニズムとリアリズムの発生する背景については、具体的な政治史の中で詳しく記述されている。その背景を私の論理で理解すれば、生存活動に限界が見えないか薄く感じられる時期がユートピアニズムの時期であり、限界が意識される時期がリアリズムの時期である。その意味で、現在は、リアリズムの時代である。

5.リベラリズムと国連主義の終焉をめぐって

20254月トランプ以後の世界と云う一文を書いたとき、その主要なテーマはグローバリズムの終焉であった。その後この問題について考えてゆく過程で、グローバリズムが資本主義そのものの本性に基づく結果であって、それが17世紀のパーナード・マンデェヴィルの「私悪すなわち公益」つまり個人の利益追求が結果的に社会の利益になるとの考え方に源流があり、それが個人を社会の上位に位置づける個人主義すなわち現代のリベラリズムの根拠になっていることに気づかされた。そしてこの仮定が成り立つためには、世界が無限に広がっていることが経済成長の条件であり、有限の空間では成り立たないことを指摘した。

高市政権が、衆院選挙で、圧勝したしたとき、その衝撃の中で思わず戦後思想からの脱却を予感したが、それは13日の米軍によるベネゼイラ攻撃と16日の米国の66の国際機関からの離脱声明の衝撃とも重なっていた。

そして、228日のイスラエルと米国によるイラン攻撃の現実を目のあたりにして、グローバリズムの終焉は、リベラリズムと国連主義の終焉でもあるとの確信が強まり、このことに関連する思いをまとめる氣になった。

資本主義の必然的結果としてのグローバリズムが終焉を迎えたと云うことは、それと表裏一体をなすリベラリズムと国連体制も終焉を迎えたということである。すなわちそれは個人の権利を社会構成の最上位に置くリベラリズムの終焉であり、それを国家観に拡大した国家主権を最上位に置く国連憲章と国連主義の終焉でもある。

 アメリカのベネゼイラ、イランへの攻撃に対してアメリカの行動は、国家主権に対する侵害であり、国連憲章に違反するとの意見が多いが、それは。単に、国連体制の終焉と崩壊を言い換えただけにすぐない。アメリカの意図と姿勢ははっきりしている。第二次トランプ政権の安全保障戦略は、「多国籍機関による国家主権への拘束に反対する」と云うものであり、これは、アメリカが長年にわたって推し進めて来た自由主義、市場主義、民主主義を基調とするグローバリズムが、自国の製造業の崩壊と移民の増大による文化的無秩序さとIT・金融依存の格差社会と分断と国力の減退をもたらしたことへの危機感とその現状からの脱却のあがきとみることが出来る。そして、今回のトランプ政権の行動は、アメリカも、ロシアや中国同様、自国に都合がわるいと思ったら他からの干渉を排して国益優先に行動すると云うことである。なぜ、こんな事態になってしまったのか、それは、国家主権を何者も侵すことの出来ない神聖な権利とする思想とその裏返しの個人の権利を侵すことの出来ない神聖な権利とみなすリベラリズムの思想が、平和と繁栄をもたらすとの考えが現実世界で有効性を失ったと云うことである。しかし、この国家主権の神聖化の思想は、過去30年にわたって結果的には、世界的に、国内に独裁体制を敷く専制国家をはびこらせることになったし、弱小国家を主権国家として平等に扱う国連基準は、運営の経済的基盤を大国に依存しながら権利のみ主張する義務を伴わない実行性の乏しい空論をはびこらせることにも連なった。 

その典型が国連主導のIPCCによる地球温暖化防止条約であり、CO2主犯説がその責任の全てを先進国のせいにした結果、温暖化対策を議論する場が、先進国から開発途上国への資金援助をめぐる話に矮小化され、本来的には、開発途上国には先進国とは異なった文明モデルを構築する責任があるのに結果的には、開発途上国が先進国の経済成長モデルの後追いする場になってしまった。

新秩序への論理をめぐって

個人の権利を最上位に置く思想は、閉ざされた領域では、個人の権利同士が衝突する。国と国同士でもグローバルな閉じた世界では、国と国の利害が対立する。個人主義に規範を置く西欧社会が揺らいでいるように、国家主権を基礎として国際社会がゆらいでいる。 

個人の権利が地域社会と衝突するようであれば制限を受けざるをえない、個人の利益と社会の利益の両立を社会の個人に対する外部からの権力による規制に頼る方法は、行き過ぎた独裁体制を招きかねないし、個人の自由に任せれば無秩序の弱肉強食社会を招きかねない。従ってこの両立のためには、個人の意思が社会全体にとって有意義であることを証明し、社会がそれを受け入れてもらうか、あるいは、自らの利益を内発的な自己制御機能で抑制して、個人と社会の調和を図っていく以外に方法はない。これには、その地域の文化的・宗教的な伝統や習慣の力が必要であろう。

 国家と世界との関係についても同様な論理が成り立つ。有限な世界の中では、国家の膨張と発展と利害は、衝突の必然性にさらされている。国家の生存スタイルが、限界を迎えた場合、その限界をどう乗り越えるかが問題で、それを外部空間の拡大で解消しようとすれば、それが他国の利害や価値観と衝突しかねない。自国内部の社会改革や技術革新等の他国に迷惑を及ばさない形で、その限界をのり超えることが出来れば国同士の摩擦を最小限に抑えることが可能になる。

個人の主権の維持、国家主権の尊守の理念を叫ぶだけでは平和維持の方策にはならない。現実に存在する利害対立の具体的な解消もしくは妥協の方策が求められている。

おわりに

202628日の衆議院選挙での高市政権の圧勝は、国際環境が明らかにしつつあるグローバリズムと国連体制の終焉という現実に対して、高市政権発足にともなう国会論戦の中で立憲民主党と公明党があいかわらず30年前の国際情勢認識とユートピアニズム的発想しかできていないことへの国民的批判の結果であると云える。10年で軍事費を倍以上に増大させる中国の現実を横目に、国防費の増加が中国を刺激するとのユートピア的発想しか提示できない政党が支持を失うことは必然的なことであった。野党はユートピア的理念だけにたよる時代が終わったことにはやく気づくべきであった。

 本書は、国際政治の現実をそのまま分析してみせた本であり、特定の立場から見れば納得できない点もあるかもしれない。しかし、今まで読んだどの本よりも包括的で、客観的、公平な視点で書かれた本のように思われる。冷厳な事実を見れば、我々は、第三次世界大戦の到来と云う危機に直面している。そして、今求められているのは、希望的観測や願望による平和という平和論ではなく、国際政治のパワーポリテックの現実を見据えた冷静な現状認識と安全保障戦略である。本書は、このことに気づかされる名著であると云える。