1.はじめに
2025年4月に「ポストトランプの世界」と云う一文を書いたとき、私は、その世界をグローバリズムの終焉として捉えていた。しかし9月6日のトランプによる国連総会での演説と1月3日の米軍によるベネゼイラ攻撃とそれに続く1月6日のアメリカの66の国際機関からの離脱声明を目の当たりにし、2月8日の衆議院選挙の高市政権の圧勝に直面したとき、直感的にそれが、戦後の国連体制の崩壊を意味すると思った。そうであるならば、それは国連体制を前提とした戦後思想の劣化と破綻を意味すると直感的に思い、それは終戦直後の連合国の正義とそれに繋がる戦後思想を見直す必要があると思った。さしてその作業をすすめつつある途中で出会ったのがこの本であった。「危機の30年―冷戦後秩序はなぜ崩壊
したか」細川雄一:新潮選書: 株式会社新潮社:2026年2月20日発行
この本は、その紹介文と目次からこの数年来私が気にかけて来たソ連邦崩壊後の世界秩序の現状について同じような認識すなわち戦後ながらく続いた国連体制の終焉と云うテーマを初めてまともに取り上げた本であることがわかり、しかもこれを購入した翌日の2月28日にアメリカとイスラエルのイラン攻撃と云うニュースが飛び込んできたので、急遽取り上げることにした。
2.本書の構成と内容
本書の全体構成と内容は、以下のようになっている。
はじめにーウクライナ侵攻はなぜ起きたのか
せまりくる戦争の危機、ソ連崩壊の30周」年、「危機の30年」を回顧する冷戦後世界の光と影
序章 逆回転する世界史
「ポスト冷戦時代の終わり」、「世界史の転換点」の到来、リベラルな国際秩序の危機、国際秩序を破壊する大国、国際経済秩序の崩壊、アメリカの覇権的地位の終焉、孤立主義への回帰、「米国第一主義」の系譜、「危機の30年」と云う視座
第1章「危機の30年」とはなにか
ユートピアニズムとリアリズム、国際政治学の最も重要な古典、啓蒙思想と反啓
蒙思想「レッセフェールの終焉」、「危機
の20年」におけるユートピアニズム, リアリズムの時代としての冷戦、ポスト冷戦期の到来、「新・危機の20年」の時代、「危機の30年」時代のリアリズム
第2章 ユートピアニズムの再来
台頭するユートピア思想、ユートピアの復権 グレイの新自由主義批判、「歴史の終わり」のイデオロギー、冷戦後の民主的平和。グローバリズムの奔流、コスモポリタリズムの思潮、資本主義が勝利した世界
第3章 冷戦終結からポスト冷戦へ
冷戦終結期の歴史、「魔法の杖」で消えた帝国、ポスト冷戦時代の到来へ、「冷戦後秩序の産物」ウイルソンむの夢、「自決権」をめぐる政治力学、「自決権を擁護するゴルバチョフ」、歴史家
サロッティの警告、「1インチの攻防」をめぐる真相、「自決権」か「勢力圏」か、キッシンジャーの予言、消えたユートピアニズム
第4章 西側世界の驕り
勝利主義と怨恨、民主主義拡大への批判、「最後の巨大な帝国」の崩壊、冷戦の終わり方、協調を模索するNATO、「新しいNATO」の誕生、NATOとロシアの協調、「平和のためのパートナーシップ」の誕生、「民主主義の拡大」戦略、NATO加盟への道、NATO東方拡大論争、ウクライナの自決権と安全保障、ウクライナ非核化むへの日本の関与、NATOの拡大へ向けた交渉
第5章 リアリズムの復権
米ロの協力関係、ブレアとプーチン、9.11テロ後の協力、ラムズフェルドの警戒感、「フリーダム・アジェンダ」の促進、オレンジ革命の衝撃、オレンジ革命以後、西側と敵対するプーチン
ゲーツ国防長官とバーンズ大使の懸念、ブカレストNATOの首脳会談、すれ違うブッシュとプーチン、「リセット」の限界、勢力圏を追求するプーチン、戸惑うメルケル、米英両国の融和的姿勢、抑止力の強化への動き、ポリス。ジョンソンの矜持、ユートピア主義の蹉跌
終章 「第三次世界大戦」を防ぐために
「旧い秩序の終焉」「新しい戦前」と云う時代、「危機の30年」とは何だったのか
おわりに ユートピア主義とリアリズムのはざまで
註
3著者 細川雄一について(AIとWikipedia)
細谷雄一(ほそや・ゆういち1971年8月13日 -)氏は、慶應義塾大学法学部教授(2026年時点)で、専門は国際政治学、国際政治史、英国外交史、安全保障政策。サントリー学芸賞や読売・吉野作造賞を受賞した『戦後国際秩序とイギリス外交』『倫理的な戦争』など多数の著書を持つ、日本の安全保障政策や冷戦後の国際秩序に関する第一人者。
プロフィール(2026年時点)
- 所属: 慶應義塾大学 法学部 教授 (2011年より現職)
- 専門分野: 国際政治学、国際政治史、イギリス外交史、安全保障政策
- 学位: 博士(法学)(慶應義塾大学・2000年)
- 主な経歴: 北海道大学専任講師、プリンストン大学客員研究員、パリ政治学院客員教授などを経て現職
4.この本の概要と特徴について
4.1この本の背景
この本の中にあまり、見慣れないユートピアニズムとリアリズムの言葉が出てくるので少し不思議に思った。これは、題名の「危機の30年」とも関連することであるが、この本は、今や古典的名著となったイギリスの政治学者E・Hカーの「危機の20年」を参考としてソ連邦崩壊後の世界秩序の危機を扱った本ということが分かった。
E・H・カーの『危機の二十年』は、第一次大戦後から第二次大戦勃発(1919-1939年)までの戦間期を分析した国際政治学の古典。国際連盟に代表される「理想主義(ユートピアニズム)」の限界を暴き、力と利害が支配する「現実主義(リアリズム)」の視点から、秩序崩壊の本質を突いた 。
4.2「危機の二十年』について
1939年9月1日: ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発した。本書は、イギリスで発行されたが、第一版の序文には「1939年9月30日」という日付が記されており、まさに戦争が始まったわずか4週間後に世に出たことになる。
この本は、 1930年代の戦雲が立ち込める中で執筆された。カーは、当時の国際社会が信じていた「国際連盟や条約で平和を維持できる」という考え(理想主義)が、迫りくる戦争を止めるには無力であることを論理的に解明しようとしました。
的中した警告: 本書が店頭に並んだ瞬間に実際に大戦が始まったことで、カーの「理想主義は破綻しており、権力政治(パワー・ポリティクス)を直視すべきだ」という主張が残酷なまでに証明される形となった。
「危機の二十年』は、入手できずまだ読んでいないがAIによりその概要は次のように要約されている。
「危機の二十年』の主要なポイント:(AI)
①ユートピアニズムの批判: 第一次大戦後、道徳や理性で平和が維持できると信じられた「理想主義」は、強国の利害が衝突する実際の国際情勢に対応できず無力であったと論じた。
②リアリズムの強調: 国際関係は「何があるべきか」ではなく「何が存在するか(力)」で動いており、政治は権力闘争(パワー・ポリティクス)の側面が不可欠であると指摘。
③危機の本質: 英仏などの現状維持国が唱える「平和」が、弱者や後発国を犠牲にして自国の利益を守る偽善であったとし、秩序の崩壊(危機の二十年)を招いた。
➃目指すべき姿勢: 理想を欠く現実主義は無気力に陥り、現実を無視した理想主義は偽善に終わる。両者の相克の中で、力の現実を認めつつ平和を模索する「弁証法的な接近」が必要であると結論付けた。 (東京大学社会科学研究所 )
1939年の出版以来、現在に至るまで、国際秩序が流動化し「力の政治」が復活する局面でたびたび再評価されている。
4.3「危機の30年」と云うこの本の性格と限界
この本は、さすがに政治学者らしく政治学の観点からソ連邦崩壊後の過去30年間の国際秩序の変遷をE・Hカーの「危機の20年」を手本としてまとめたものである。それだけに実際の世界政治の動きを通して、戦後の国連体制の形成と崩壊プロセスが政治史として語られている。一方私の視点は、近代資本主義の思想的原理の必然的結果としてグローバリズムの終焉とリベラリズムと国連体制の終焉を理解しようとするものであるが、現在の国連体制とリベラリズムが終焉を迎えつつあり、現在が時代の転換点であるとの認識では一致している。この本は、危機を乗り越えるものとしてユートピアニズムとリアリズムの融合を示唆しているが、それを可能にする原理には触れていない。しかしユートピアニズムとリアリズムの発生する背景については、具体的な政治史の中で詳しく記述されている。その背景を私の論理で理解すれば、生存活動に限界が見えないか薄く感じられる時期がユートピアニズムの時期であり、限界が意識される時期がリアリズムの時期である。その意味で、現在は、リアリズムの時代である。
5.リベラリズムと国連主義の終焉をめぐって
2025年4月トランプ以後の世界と云う一文を書いたとき、その主要なテーマはグローバリズムの終焉であった。その後この問題について考えてゆく過程で、グローバリズムが資本主義そのものの本性に基づく結果であって、それが17世紀のパーナード・マンデェヴィルの「私悪すなわち公益」つまり個人の利益追求が結果的に社会の利益になるとの考え方に源流があり、それが個人を社会の上位に位置づける個人主義すなわち現代のリベラリズムの根拠になっていることに気づかされた。そしてこの仮定が成り立つためには、世界が無限に広がっていることが経済成長の条件であり、有限の空間では成り立たないことを指摘した。
高市政権が、衆院選挙で、圧勝したしたとき、その衝撃の中で思わず戦後思想からの脱却を予感したが、それは1月3日の米軍によるベネゼイラ攻撃と1月6日の米国の66の国際機関からの離脱声明の衝撃とも重なっていた。
そして、2月28日のイスラエルと米国によるイラン攻撃の現実を目のあたりにして、グローバリズムの終焉は、リベラリズムと国連主義の終焉でもあるとの確信が強まり、このことに関連する思いをまとめる氣になった。
資本主義の必然的結果としてのグローバリズムが終焉を迎えたと云うことは、それと表裏一体をなすリベラリズムと国連体制も終焉を迎えたということである。すなわちそれは個人の権利を社会構成の最上位に置くリベラリズムの終焉であり、それを国家観に拡大した国家主権を最上位に置く国連憲章と国連主義の終焉でもある。
アメリカのベネゼイラ、イランへの攻撃に対してアメリカの行動は、国家主権に対する侵害であり、国連憲章に違反するとの意見が多いが、それは。単に、国連体制の終焉と崩壊を言い換えただけにすぐない。アメリカの意図と姿勢ははっきりしている。第二次トランプ政権の安全保障戦略は、「多国籍機関による国家主権への拘束に反対する」と云うものであり、これは、アメリカが長年にわたって推し進めて来た自由主義、市場主義、民主主義を基調とするグローバリズムが、自国の製造業の崩壊と移民の増大による文化的無秩序さとIT・金融依存の格差社会と分断と国力の減退をもたらしたことへの危機感とその現状からの脱却のあがきとみることが出来る。そして、今回のトランプ政権の行動は、アメリカも、ロシアや中国同様、自国に都合がわるいと思ったら他からの干渉を排して国益優先に行動すると云うことである。なぜ、こんな事態になってしまったのか、それは、国家主権を何者も侵すことの出来ない神聖な権利とする思想とその裏返しの個人の権利を侵すことの出来ない神聖な権利とみなすリベラリズムの思想が、平和と繁栄をもたらすとの考えが現実世界で有効性を失ったと云うことである。しかし、この国家主権の神聖化の思想は、過去30年にわたって結果的には、世界的に、国内に独裁体制を敷く専制国家をはびこらせることになったし、弱小国家を主権国家として平等に扱う国連基準は、運営の経済的基盤を大国に依存しながら権利のみ主張する義務を伴わない実行性の乏しい空論をはびこらせることにも連なった。
その典型が国連主導のIPCCによる地球温暖化防止条約であり、CO2主犯説がその責任の全てを先進国のせいにした結果、温暖化対策を議論する場が、先進国から開発途上国への資金援助をめぐる話に矮小化され、本来的には、開発途上国には先進国とは異なった文明モデルを構築する責任があるのに結果的には、開発途上国が先進国の経済成長モデルの後追いする場になってしまった。
新秩序への論理をめぐって
個人の権利を最上位に置く思想は、閉ざされた領域では、個人の権利同士が衝突する。国と国同士でもグローバルな閉じた世界では、国と国の利害が対立する。個人主義に規範を置く西欧社会が揺らいでいるように、国家主権を基礎として国際社会がゆらいでいる。
個人の権利が地域社会と衝突するようであれば制限を受けざるをえない、個人の利益と社会の利益の両立を社会の個人に対する外部からの権力による規制に頼る方法は、行き過ぎた独裁体制を招きかねないし、個人の自由に任せれば無秩序の弱肉強食社会を招きかねない。従ってこの両立のためには、個人の意思が社会全体にとって有意義であることを証明し、社会がそれを受け入れてもらうか、あるいは、自らの利益を内発的な自己制御機能で抑制して、個人と社会の調和を図っていく以外に方法はない。これには、その地域の文化的・宗教的な伝統や習慣の力が必要であろう。
国家と世界との関係についても同様な論理が成り立つ。有限な世界の中では、国家の膨張と発展と利害は、衝突の必然性にさらされている。国家の生存スタイルが、限界を迎えた場合、その限界をどう乗り越えるかが問題で、それを外部空間の拡大で解消しようとすれば、それが他国の利害や価値観と衝突しかねない。自国内部の社会改革や技術革新等の他国に迷惑を及ばさない形で、その限界をのり超えることが出来れば国同士の摩擦を最小限に抑えることが可能になる。
個人の主権の維持、国家主権の尊守の理念を叫ぶだけでは平和維持の方策にはならない。現実に存在する利害対立の具体的な解消もしくは妥協の方策が求められている。
おわりに
2026年2月8日の衆議院選挙での高市政権の圧勝は、国際環境が明らかにしつつあるグローバリズムと国連体制の終焉という現実に対して、高市政権発足にともなう国会論戦の中で立憲民主党と公明党があいかわらず30年前の国際情勢認識とユートピアニズム的発想しかできていないことへの国民的批判の結果であると云える。10年で軍事費を倍以上に増大させる中国の現実を横目に、国防費の増加が中国を刺激するとのユートピア的発想しか提示できない政党が支持を失うことは必然的なことであった。野党はユートピア的理念だけにたよる時代が終わったことにはやく気づくべきであった。
本書は、国際政治の現実をそのまま分析してみせた本であり、特定の立場から見れば納得できない点もあるかもしれない。しかし、今まで読んだどの本よりも包括的で、客観的、公平な視点で書かれた本のように思われる。冷厳な事実を見れば、我々は、第三次世界大戦の到来と云う危機に直面している。そして、今求められているのは、希望的観測や願望による平和という平和論ではなく、国際政治のパワーポリテックの現実を見据えた冷静な現状認識と安全保障戦略である。本書は、このことに気づかされる名著であると云える。


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