2026年5月4日月曜日

日本文化の中の礼法ー立ち振る舞いの美に魅せられてー

1.はじめに

「ぱけばけ」と「風薫る」と続いて、最近の朝ドラで明治維新直後の日本社会を描いているがその中で、一つ気づかされることがある。されは、士族出の女性達の姿勢の良さである。高市政権誕生後、彼女の外交の場面で。その所作、立ち振る舞いが世界各国で注目それ、人間の心を表現するものとしての所作に注目が集まっている。そんなとき、昔入手した一冊の本を思い出して読んでみた。それが次の本である。

 「小笠原流:小笠原流30世家元 小笠原清信:學生社:昭和42810日初版発行」

何故、この本が手元にあるのか、その理由は、20年程前の出来事にある。定年前の5年ばかりの東京での単身赴任生活を終えて名古屋に帰って来たたとき、その地に全く馴染めていない自分がいることを感じた。高度成長時代を駆け抜けてきた我々にとっては、企業社会こそが唯一の社会であったが、その企業社会が、バブル崩壊と共に崩れつつあり、もはや全部会社に「おんぶにだっこ」の時代はおわりつつあった。農村社会が崩壊してゆく中で、都会と企業がそれに代わるものとして現れた時代を生きてきたが、その時代が終ろうとしているこの時期には、新たな地域社会づくりが必要に思えた。そんな時、町内会長を頼まれ、4年ばかり、務めることになった。そしてその任期のとき、たまたま、近くのお寺さんが組長を務めたことがあり、その寺に町内関係の資料を届けにいった帰り、寺の境内で一人の人に挨拶したことがあった。そしてその人からそこで開催している座禅会に参加しないかと誘われたのである。かねて禅に興味があった私は、すぐに参加すると答え、それから20年近くこの座禅会に参加するようになった。

2.座禅の作法と本との出会い

その座禅会で、真っ先に教えられたのは、座に着くまでの作法であり、席に移動する前の礼、移動して座に就く前の座倶の整理と座る前の礼の仕方であった。

その礼の作法でまず先輩教えられたのは、五息の礼で、まず腰を折る前に息を吐き、次に息を吸いつつ腰を曲げ、曲がり切ったら息を吐き、次に息を吸いつつ体を上げ、それか終わったら息を吐くと云うものであった。息を吸いつつ頭を下げると云う動作は、息を吐きながら何かの動作をすると云う運動時の呼吸とは異なり、最初は違和感を覚えたがやがてそれがなくなった。

座禅では、体を整え、呼吸を整え、心を整えることが基本となり、定に入ることが求められる。この座禅会は、禅寺の作法に準じて、全体の進行が行われており、15分間の座禅と5分の休憩が3セット行う規則となっていた。座禅会全体の進行は、直日と云う当日の進行役の指揮下で行われる。座禅の開始、終了は、全て拍子木と鐘で行われ、言葉は一切発しない。この座禅会では、座禅の開始は、一つの拍子木と4つの鐘で始まり、終了は一つの鐘と二つの拍子木で行うことになっていた。

2回目の座禅の時には、直日ば、座禅するひとを見守りに周り、各人は、礼拝して堅策を受けることになっており、その受け方の作法も定められている。2回の座禅が終了した後に、経行と云って堂内を歩行する行程が取り入れられており。それが終って席について3回目の最後の座禅が開始される。この座禅が終ったら読経の時間であり、直日の先導で、般若心経と白隠禅師座禅和讃と四弘誓願文が唱えられ、その後、肢体投地の礼拝を三度行い。終了となる。

 座禅会では、これ等一連の動作を鐘ち拍子木のみの合図で無言の内に行うことが定められている。ここで、基本となるのが、立つ、座る、礼をする、合掌する等の基本動作を如何に美しく自然におこなうかであった。そしてこの中で、立つ、座る。歩く、お辞儀する等の立ち振る舞いが如何に難しいかを感ずるようになっていった。こんな時、古書展で見つけて購入した本がこの本であった。

3.日本の礼法

1)日本の礼法の源流と宗教

仏教と礼法(マナー・作法)は、日本の歴史において非常に密接な関係を持って発展してきた。仏教の修行作法が日本人の生活習慣や礼儀作法(和敬)の基礎となった流れを概観する

. ①仏教伝来と初期の礼法(飛鳥・奈良時代)

  • 仏教伝来(6世紀): 百済から経典や仏像とともに、仏に敬意を表する作法(礼拝作法)が伝わった。特に、聖徳太子は、仏教を国家の基礎とし、17条の憲法などにおいて、敬意、和(調和)、規律を重視した。一方、僧侶の作法、つまり僧侶の規律(戒律)や、食事の際の作法(斎食)などが、寺院を通じて日本に広まった。

②平安時代:神仏習合と貴族の作法

この時代、日本古来の神道と仏教が融合し、「本地垂迹」の考え方から、神への礼拝と仏への礼拝が混ざり合った。特に、貴族の間では、密教(天台宗・真言宗)の儀礼が尊ばれ、厳かな儀式作法が整えられ、公家文化の中に礼法:が広まった。この時期、禅の思想が伝わり、心を落ち着かせるための「姿勢」が重要視され始め、座禅の作法が注目されるようになった。

③鎌倉時代:禅宗と武家礼法の誕生

 武士の間で「禅宗(臨済宗・曹洞宗)」が普及した。禅宗は修行における「規律・姿勢・動作」を非常に重視した。日本に伝わった禅では、「生活そのものが修行」の考えのもと禅の「作務(さむ:掃除や食事も修行)」の思想が、武士の日常的な作法(武家礼法)に反映されるようになった。この時期、相手を敬い、調和する「和敬」の精神が、後の茶道や武道、礼法に大きく影響を与えた。

➃ 室町・江戸時代:礼法の確立と大衆化

室町時代、禅の精神から生まれた「茶の湯(茶道)」が確立され、一連の所作が洗練された礼法として完成した。一方、武家社会で小笠原流などの礼法書が作られ、立ち居振る舞いや食事作法が体系化さ れた。これらには禅宗の教えが基盤にある。さらに、民衆が必ずどこかの寺院に所属する「寺請制度(江戸時代)」により、仏教の葬儀作法や墓参りのマナーが国民の一般教養として定着した。

⑤現代の礼法

このように現代の日本人が持つ「お辞儀」「手を合わせる(合掌)」「座る(正座)」「墓参り」「食事前の言葉」といった習慣の多くは、仏教の修行・儀礼作法を源流としている。仏教における礼法は、単なるマナーではなく、「相手への敬意」と「自身の心を整えること(規律)」を目的とした精神的な修行だった。とくに、日本の礼法は、主に室町時代から江戸時代にかけて武家社会で確立された「武家礼法」が基礎となっており、時代とともに公家文化や生活様式に合わせて発展・分岐してきており、歴史的背景や対象とする階層(武家・公家)によって異なる礼法の流派が存在する。しかし、室町時代に足利義満が礼法を整えさせた際、小笠原家、伊勢家、今川家の三家に指南を命じたことから、これらは「三大礼法家」とも呼ばれている。

2) 武家礼法

 武家礼法の主な流派には、以下のようなものがある。

  • 小笠原流(おがさわらりゅう): 鎌倉・室町時代に小笠原長清を祖とする、武家の礼法・弓術・弓馬術の代表的な流派です。800年以上の歴史を持ち、武士の「実用性・合理性」を追求しています。無駄な動きを省き、機能美を重んじる動作(立ち方、座り方、歩き方、お辞儀の仕方)を学びます。現代でも広く日常生活における作法として、マナー教室や学校教育などで教えられています。
  • 伊勢流(いせりゅう): 室町幕府の故実(儀式や制度の先例)を専門とした伊勢家に伝わる流派です。公式な「儀礼」や「折形(おりがた:紙の包み方)」に強く、江戸時代には幕府の正式な儀礼を司りました。
  • 今川流(いまがわりゅう): 今川氏親を祖とし、室町時代に小笠原・伊勢と並んで重んじられた流派です。後に吉良家が継承したため「吉良流」とも呼ばれました。
  • 武田流(たけだりゅう): 弓馬術に重点を置いた流派で、特に流鏑馬(やぶさめ)などの神事や軍陣での所作に特徴があります。武田信玄の甲斐武田家に伝わる流派。小笠原流と同様、鎌倉時代からの武家故実(弓馬術・礼法)を伝承しています。
  • 細川流(ほそかわりゅう): 肥後細川家に伝わる礼法で、茶道(肥後、三斎流)とも深く関わりながら独自の武家作法を伝承しています。
  • 小原流(おはらりゅう): 代に武家故実を伝える流派の一つです。 

3) 公家・皇室の礼法(有職故実)

公家社会では、体系的な「流派」というよりも、各家ごとの口伝や有職書(儀式規則の解説書)に基づいて礼儀が形作られてきた。

花園流・御堂流・九条流がそれで、皇室の儀式や公家の伝統的な作法である「有職故実(ゆうそくこじつ)」を継承する流派として活動している

現代では、これらの古流から派生したものや、煎茶道・茶道の作法と融合した礼法も多く存在しています。

4)その他の関連する所作・礼法(茶道・煎茶道)

茶道や煎茶道の流派でも、礼法が重要な要素として組み込まれています。 これ等には、表千家・裏千家・武者小路千家(三千家)等があり、茶道の所作を通じて、相手への敬意や思いやりを表す礼儀作法を伝え。千利休を祖とし、お茶の点て方だけでなく、茶室の入り方、座り方、お辞儀(真・行・草)などの所作が細かく規定されている。


5)日本の礼法の共通点

流派に関わらず、日本の礼法は「相手を敬い、思いやる心」を形(作法)として表すものでその基本は、。

  • 起居進退(ききょしんたい): 立つ、座る、歩くなどの基本動作。
  • お辞儀の種類: 立礼(立ったまま)、折敷礼(座ったまま)、蹲踞礼(跪いて)など、相手の地位や状況に応じて角度(15度・30度・45度)を変えて対応する。

日常生活で最も一般的な小笠原流は、合理的で美しい姿勢を維持し、相手を不快にさせない所作を最も重視している。

 4.著者小笠原清信(1913年~1992)について

概要:昭和期の小笠原流弓馬術家 小笠原流弓馬術礼法教場30世宗家;日本古武道振興会会長。

経歴:東京帝国大学文学部教育学科〔昭和13年〕卒世襲の流儀を修める一方、学生時代はホッケー選手として活躍。昭和29年に流派を継承、東京・世田谷の教場で指導にあたる一方、多くの神社において流鏑馬を奉納。また、29年から53年まで明大文学部教授(教育心理学)を務めた。45年頃から演武の主役は長男の清忠に譲るが、古流武術の保存、振興の全国組織のリーダーとして活動。「小笠原流入門」「弓道」など礼法、弓術、教育関係の著書も多い。

5.本書の構成と内容

この本は、日本の礼法の基礎とも云える武家礼法の代表的な小笠原流の30世宗家、小笠原清信直筆の書であり、その構成は次のようになっている

 はしがき

 1.「小笠原流」と云う言葉

 2. 小笠原流の歴史

 3. 小笠原流の教え方

 4. 小笠原礼法の基本

 5.姿勢

 6.坐る

 7.立つ

 8.歩く

 9.廻る

10ものを持つ

11お辞儀

 12小笠原の冠婚葬祭

 13水引と折り紙

 付録 小笠原教場心得

    射法家訓抄

    弓術教場訓

小笠原は、清和源氏の流れをくむ家柄で、1185年後鳥羽院の平家追討に手柄を立てて信濃の守に任じられた加賀美二郎遠光が鎌倉武将和田義盛の娘と結婚して設けた長清が元服したとき、高倉天皇より、「小笠原」の姓を賜ったことに始まる(第一世)。小笠原流は、一子相伝で受け継がれるが、長子相続の規則はなく実力主義相続であった。「家は相続いたしても、家業の義は、その道充分熟練熱心ならざれば、家業を相続いたすことを許さず」。そこでの教育方針の特徴は、「聞かれぬことは答えず」であったと云う。小笠原流の考え方は、その七代の貞宗と常興により体系化され、心を扱う「終身論」と体を扱う「有用論」として纏められ、後世に伝えられることになる。これ等を通して伝えられる考え方は、まず行動の基本は、まず心にあり、その心を表現するものとしての動きがある。と云うかんがえであり、その場合の動きは、目的に応じても自然で無駄な動きがないことが、美に繋がるとの考えのように思われることである。この意味で小笠原流では、全ての動きにその目的と理由を明確に理解した上での練習が必要であるとの視点に立ち、いたずらに形のみを追求するものでないことが語られる。

 この本の中では、こうした観点に基づく立ち振る舞いの具体的な練習法が語られているが、体の用い方、動かし方についての記述であり、個別の指導なしにその真髄を身に着けることは至難の業であるように思えた。

 実際のところ、20年近く座禅をしていても、座相を維持するのがやっとであり、立ち位置から座る、座姿勢から立ち上がる等の基本的動きがスムースに出来ていないことを痛感している。テレビドラマで、戦国の武将達が座姿勢から直立ちする場面をみてそこには、若さだけでなく動きの修練があるに違いなどと密かに思うばかりである。座禅も歳をとると座すること自体が難しくなる。その意味で、立つこと、座ることが正しく自在に出来ることが健康のバロメーターでもあり、それを長く続けるための修練こそが長生きの秘訣であるのかも知れない。もはや、基本を学ぶには、遅すぎる年齢になってしまったが、せっかく得た礼法の奥義、その一部でも座禅の中で取り入れ、実践してみたいと思った。そしてその一部でも出来た時が、この本の内容を理解出来たときではないかと密に思った。


6.読後の感想

 この本により、小笠原流の概要の理解は、できたが。読んだからと云ってその教えが簡単に実行できるものではなく、礼法そのものを身に着けるには、それなりの長期にわたる修行が必要であることが納得できた。礼法を自分のものにすることは、他の修行と同じく、幼少からの訓練が必要であり、明治以降も学校教育の中で取り入れられてきた理由が理解できたような気がした。第二次世界大戦以後の民社教育の中で、ともすれば、心のあり様に関する教育は軽視されてきたが、日本の良き文化的伝統の継承の側面から新たに見直されるべき時期に来ているかも知れないと密かに思った。


 

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