古書めぐりをしていると思わぬ本に出会うようになった。僕の本との出会いの方法は、三とおりである。その一つは、学問の先端分野でその時自分の関心のあるテーマを扱った本との出会い、二つ目は、ずっと興味を持ち続けている著者の本との出会い、そして三つ目は、感覚的に面白そうに思える本と出会う場合である。その内一つ目の先端分野に関するものは、新刊書が殆どであるが、後の二つのケースをよく古書展で経験する。
古書展の良さは、そこに既に絶版となっているものや比較的新しくともあまり売れないため、新刊を中心とする書店にはない書物に出会えることである。
この「盗まれた神話・・記・紀の秘密:吉田武彦:朝日文庫:1994年1月1日第一刷発行」も古書展で偶然手にした本である。購入した理由は、古代史に興味があり、今まで何冊かの本を手にしたがどうも漠としたままの本が多かった。特に歴史書としての古事記と日本書紀をまともに扱った本に出会ったことがなかったので、これ等二つの本を改めて読む場合の指針となる本を漠然と求めていたからである。
この本は、古書店で求めたものの数週間机の上に放置されていたが、先端分野の人工知能関連の本に少し飽きてきたころ、ふと思いついて気分転換に読み始めたが、その論理展開内容の独創性に推理小説を読むように取りつかれ、480頁を一気に読み終えることになった。
歴史学は、「歴史は勝者によってつくられる」と云われるごとく、極めて政治に影響されやすい学問である。日本の古代史もその例外ではない。明治維新は、皇国史観の再編・確立と共に行われたが、この皇国史観も第二次世界大戦での敗戦とともに極端に全否定され、その戦後思想も社会主義の崩壊により修正を余儀なくされている。
イデオロギーという霧を取り除いて、古代史を冷静な目で見つめたらどうなるか。この本は、その一つの試みであり、古代史を扱った本の内の一級品の一つであると感じた。
特に神話は史実を反映しているという一貫した姿勢で、記・紀を具体的に読み解いてゆく姿勢に関心させられたし、古代史の中での神の創造(誕生)を人間を動物から離脱せしめた文明上の重大事とする考え方には、思想的に大きな共感を覚えた。日本の古代史の枠組みは、この本によってはっきりしたといっても過言でもない。すくなくとも僕には、そう思われた。
著者の吉田武彦は、1926年生れで、東北大学の日本思想史学科卒で、43歳まで高校教師をし、1970年44歳の時から本格的に思想史と古代史の研究に専念する。彼がこの本の原稿を書き上げたのは、1974年(昭和49年12月)48歳の時である。
僕が手にした文庫本にはこの時の原稿に補償「神話と史実の結び目」が収録されているが、これは、最初の原稿からの18年間のその後の研究や論考をまとめたものであり、48歳の時に到達した枠組みをそれから18年たった66歳の時点で、再確認する内容であった。
彼はどのような人物であったのか、インターネットで調べてみた。残念なことに2015年10月14日京都で亡くなっていた89歳であった。
私は、歴史家ではないので、古代史の細部に関心を持つ者ではないが、日本の大和朝廷の誕生前史が想像できるようになり、政治的な霧を取り除き歴史の真実に一歩近づいた気がしている。またどこかで彼の名前の本を見つけたら手にとって眺めてみたいと思う。
イデオロギーという霧を取り除いて、古代史を冷静な目で見つめたらどうなるか。この本は、その一つの試みであり、古代史を扱った本の内の一級品の一つであると感じた。
特に神話は史実を反映しているという一貫した姿勢で、記・紀を具体的に読み解いてゆく姿勢に関心させられたし、古代史の中での神の創造(誕生)を人間を動物から離脱せしめた文明上の重大事とする考え方には、思想的に大きな共感を覚えた。日本の古代史の枠組みは、この本によってはっきりしたといっても過言でもない。すくなくとも僕には、そう思われた。
僕が手にした文庫本にはこの時の原稿に補償「神話と史実の結び目」が収録されているが、これは、最初の原稿からの18年間のその後の研究や論考をまとめたものであり、48歳の時に到達した枠組みをそれから18年たった66歳の時点で、再確認する内容であった。
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