古書展で見つけ一か月ばかりかけて読んだ本に阿川弘之の「米内光政」(新潮文庫昭和57年発行)がある。戦後70年を機に、日本は何故あの戦争に突入したのかが話題になったとき、当時の軍部とりわけ海軍の責任について議論になったことがあり、その時、戦争責任を軍部と一くぐりに論じて真実は見えてこないのではないかという疑問を覚えた。こんな時あの戦争の終結に注力した海軍出の海相米内光政の生涯を描いた「米内光政」と出会った。阿川弘之が海軍出の作家であり、膨大な取材と資料に基づき、淡々書き進められたこの本は米内光政の日常生活とその彼と戦争とのかかわりが気負うことなく記述されている。
あの「坂の上の雲」に出てくる日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた古武士の風格を持つ日本海軍が、無謀な日米開戦に何故突入せざるを得なかったのか、それは、軍部が愚かであったとの一言では済まされない事態があったに違いない。その理由が知りたかった。
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日 )は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。巧級は巧一級。第23代連合艦隊司長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣
1901年(明治34年)海軍兵学校29期を125人中68番の成績で卒業した生粋の軍人で、帝国海軍の最期の見届け人でもある。彼の生涯の主要部分は、日露戦争で勝利した日本が、敗戦を迎えるまでの期間と一致しており、その生涯は、個人の眼から見た近代史と云える。軍部の中にも様々な人達がおり、無謀な戦争を避けるために努力した人達も数多くいたそれにも拘わらず、戦争に突入していった背景には、海外の事情や思想に対する日本の国民レベルでの理解不足と内向き志向と独善、それに便乗するメディヤとそれを利用する政治家や軍部等の存在がある。この点では、内向な国民とそれに迎合する政治やメディヤ等日本が道を間違える要素は現代も存在し続けている。
歴史を結果論から断罪するのは、易しいが、時代の只中にいてその動向を正しく評価して果敢に行動することは、至難の業である。ただ、正しき人間観があれば、大きな間違いは避けることが出来る。本書はその可能性のあることも又語っているように思われた。「戦争反対」と叫べば戦争を避けることが出来ると単純に考えている人達に是非読んでもらいたい本である。
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