2021年8月12日木曜日

花詩集とあざみの花―日常の隙間よりー

 

古本市で、偶然手にした本であった。詩集が古本市に出てくることは少ない。思わず手に取ってパラパラとページをめくっていて、気になる出だしの詩句に出会った。


  とつぜんの出逢いであった

  通りすがりにお前をみたのは

  こんな都会の塀のきわに

どくだみがひっそりと

咲いているなんて

余りにも思いがけない出逢いに

私は立ち止まり

感動してじっと見つめる

・・・・・・

十薬(どくだみ)云うタイトルの一節である。

(十薬とは、十の薬効があることからつけられたドクダミ

の別名である。)

この一連のフレーズに何か心魅かれて、購入して帰る。

作者は、名古屋市在住の太田もと子(大正12(1923))とある。御存命ならば御年98歳。 詩集は著者69歳の時、1992年近代付箋芸社より第1刷発行となっている。

十薬(どくだみ)の詩は続く

 お前も私に何かを語りかけているようだが

 お前の心を受け止めかねて

 私の心はうろたえる

 本来ならお前は

  郊外の林の下陰とか

  湿地などに群生するはずなのに

  こんな都会の塀のきわに生えて

可憐な花を咲かすいじらしさ

 

都会にいても

めぐる季節を忘れずに咲く

律義などくだみよ

清純なまでに白い小さな花びら

杳く 平安時代のへいし帽のように

天を向いて 毅然として咲く見事さ

六月の雨に濡れて咲くお前は

詩にもなりそうだ

この詩に出会ってから、少し草花に対する見方が変わり、家の片隅に咲くドクダミの花に気づいて、スケッチしてみた。我が家へは知らぬ内に侵入し、夏蜜柑の樹の下、冥加の群落の傍に遠慮勝ちに小さな群落をつくっていた。


6月のことである。コロナ下で伐採した四季桜の残った株の横に、その木を弔うかの如く雑草が根づいているのに気付いた。抜こうと思ってよく見るとそれは、あざみであった。

この時、花詩集の詩一フレーズが思い出され、手折るのを止め、そっと見守ることにした。

花詩集の詩句に歌われたどくだみでぱないが、どこからか飛んできて庭の小さな片隅にしっかりと根を張ろうとしているあざみが、ふといとおしくなったためである。

そのあざみは、伐採された桜に残されたすべての命を吸い取るように力強く数本の大きな幹に枝分かれし、次々と蕾を膨らまし、やがて数十もの花を次々に開花させ、数知れぬ種を実らせた。7月の半ば、さすがに鬱陶しくなり、一本を残して、取り除いた。


その頃までには、既に花達は、多くの実を結んで、その一部は、遠くに旅立っていったようであった。

 最後の一本が倒れこんだのは、8月オリンピックが閉会式を迎えた日であった。一度は

立ち直った。しかし、翌日の強風で、再び倒れたのであろう。数日後、その茎は、真ん中から切り取られていた。洗濯に出た妻が、取り除いた後のように見えた。

 私は、そこに手折り投げ捨てられたあざみの花を知り除き、残った茎を根から掘り起こして、きれいに取り除いた。多くの実をつけて生を全うした花に未練はなかった。

 ただ、以前思い立ち描いたどくだみの花のスケッチの次のページにあざみの花のスケッチを付け加えた。

 花詩集の作者は、あざみについて次のように語っている

 五分咲きのあざみよ

 このままお前は

大人になることを拒否して

そんなに 全身に刺をつけたのですか

僕の庭に咲いたあざみは、多くの花を咲かせ、その花ごとに無数の実を結んで、そしてお盆の訪れとともに刈り取られた。


四季桜の命は、あざみの花の実となり、8月の雲の下世界一杯に広がっていった。

 

2021811()


2021年7月5日月曜日

中国革命と三姉妹

 


古本屋の100円コーナーで角川文庫の「宋姉妹」:伊藤純、伊藤真を見つけた。中国を支配した華麗なる一族と云うサブタイトルに魅かれたせいもあるが、その半年前に、現代中国論

というA4で160頁ばかりのリポートをまとめたばかりであり、そこでは、中国革命の源流へは簡単にしか触れることが出来なかったので、その辺の情報に興味があったためである。

 この本は、19947月放送のNHKスペシャル番組国際共同制作「宋姉妹」の製作にタッチした史著者がその番組内容にその後明らかになった事実を盛り込みながら1995年に書き下ろしたもので、私が手に取ったのは、1998年にそれを角川書店が文庫本化した小冊子である。

 物語は、1863年海南島の商家に生まれた三姉妹の父宋耀如が9歳で、叔父に連れられ渡米するところから始まる。彼は、そこでキリスト教と出会い大学の神学部にも在籍するが、23歳の時中国に帰国し上海に落ち着き、メソジスト教の牧師として働き、同じ信徒の倪桂珍と結婚。三女三男が生まれる。すなわ、藹齢、慶齢、美齢の三姉妹と子文、子良、子安の三兄弟である。

 子供の誕生と共に耀如の関心は、伝道より企業経営に移り、聖書の出版・印刷等で財を成してゆく。この時、幼い姉妹の前に現れて、中国の現状を憂い改革の必要性を熱心に語る男、それが孫文であり、父耀如は、その孫文と意気投合し、ここに孫文と荘家とのつながりが始まる。

 荘家の三姉妹は、父の勧めで三人共米国へ留学して中国に戻ってくるが、それからの三姉妹の道は、次第に離れてゆく、長女藹齢は、財閥の孔家に嫁ぎ、次女慶齢は、親族の反対を押し切って歳の差のある孫文と結婚し、三女美齢は蒋介石と結婚する。次女慶齢は、孫文亡き後、共産党と行動を共にし、三女美齢は、夫蒋介石に従って国民党と行動を共にする。長女藹齢は、財閥の中に身を置く。三姉妹の生涯は、そのまま1911年の辛亥革命から1949年の中華人民共和国の誕生に至る中国近代史と重なる。中国共産党は、孫文の思想を受け継ぐ正当な後継者であるあかしと統一戦線の象徴として慶齢を国家副主席として遇するが、実体は形だけのものであった。

 しかし、抗日戦争における三姉妹の働きは大きかった。すなわち米国留学体験をベースとした三姉妹の対外情報発信とプロパガンダは、欧米からの政治的支援をもたらし、多くの軍事援助の獲得と米国政治への影響は、やがて日本を太平洋戦争とその敗北に導くことになる。藹齢は、197310月ニューヨークにて84歳で亡くなり、慶齢は、1981年中国上海にて88歳で亡くなり、200310月三姉妹最後の一人宋美齢は、ニューヨークにて105歳で亡くなる。

 1911年の孫文の辛亥革命から今年で110年経つ。今年は、中国共産党創立100年でもある。しかし、この間中国社会は、どれ程文明化したであろうか。再び1911年前後の動乱の時代に入るかの予感がするのは、私だけであろうか。

2021年3月21日日曜日

ムーン・パレス(ポール・スター作)を読んで

 

書店で、全く偶然に手にした本がこの本だった。しかし今から思えば全くの偶然とは云えないかもしれない。趣味にしていた古書展がコロナのせいで中止に追い込まれて以来、私の本の探索場所は、もっぱら栄のジャンク堂になり、月に数回訪れるようになった。

そんなとき、東洋関係の本に飽きてきた私は、洋書のコーナーに目を向けるようになっていた。そこで、SFとも怪奇小説とも見分けのつかない黒表紙の本に出合った。それがラグクラフト全集であった。この一冊を試しに目を通してみて、アメリカ文学もまんざら悪くないと思いだした。

そのコーナーで偶然見つけたのが、ポール・オースターという見慣れぬ作家のムーン・パレスと云う作品だった。裏表紙の最初の行に「人類が初めて月を歩いた夏だった」とあった。こけがこの小説の書き出しだった。作者は、1947年生まれ、自分とさして年齢が違わない。日本のあの安保闘争以後の混沌とした時代、アメリカの大学に通っていた青年の物語であり、同じ時代の空気に魅かれて思わず買い求めた。


中学生の時、アラン・フルニエの「モーヌの大将」を読んだが、あれはフランスの田舎町を舞台とする青春小説だった。このムーン・プレスは、ニューョーク州のコロンビア大学周辺の街を舞台とする青春小説である。

「モーヌの大将」が10代前半の思春期の少年を主人公とするものであるのに対して、これは大学時代という青春の真っただ中の物語であり、混迷の時代から目覚め立ち上がってゆく一人の青年を主人公としている。自分の青春期の思い出とも重なるので、思わず読んでしまった。

これは、ある意味での自分探しの物語であるが、その背景にアメリカの画家ブレイク・ロックの「月光」をテーマとした世界がある。ブレイク・ロックの世界は、私の好きなドイツロマン派の画家ガスパー・デイビッド・フレディドリッヒの世界と似ている。

 この絵を手掛かりにあのエドガー・アラン・ポーに源流を持つアメリカロマン主義の流れ

をたどることが出来るのではないか。あらたな出会いを予感させてくれる本であった。

 

2021年3月12日金曜日

ジョージ・オーウェル「1984年」をめぐって       ―偶然出会った四冊の本が導くジョージ・オーウェルの心と世界―  

 

ジョージ・オーウェルの名前が僕の記憶から蘇ってきたのは、数年前古書店で一冊の本を見つけたことがきっかけだった。「カタロニア賛歌」という題字に魅かれてふと取り上げた本は、装丁がしっかりしていて、箱に収められていた古びた本であった。

その著者の名前が、ジョージ・オーウェルであり、その名前には、記憶があった。SFファンであった私は、未来小説として1984年」と云う彼の作品を一度読んだことがあった。

それは、独裁政権下を描いたデストピア小説で、SFとしてあまり気持のよい作品ではなかった。そのジョージ・オーウェルとカタロニアとの出会いは、私の違和感をもたらしたが、それがざっとみてスペイン戦争との関連の本であることがわかると200円ばかりのその本を躊躇なく購入した。


 新型コロナの流行をきっかけに中国社会で進む監視技術が話題になる中で、その延長上でジョージ・オーウェルの作品「1984」の名前がメディアに上るようになってきて、今一度

この小説を読んでみようと思い、蔵書をひっくり返したが、見当たらなかった。そうなると

おかしなもので、ますます読みたくなる。とうとう探すのをあきらめ新本を買い求めることに栄のジュンク堂にでかけた。そのとき、全く偶然に岩波新書の新刊本の中に川端康雄

ジョージ・オーウェル―人間らしさへの賛歌」を見つけた。その本を手にしたとき、そうだ僕が潜在的に求めていたのは、オーウェルが何者であったのかを知りたかったのだと直感的に思った。


 その日、早川書房「1984年」(20206月43刷)第とこの岩波新書の「ジョージ・オーウェル」(20207月発行)の二冊を買い求めて帰った。


僕は、数十年前に「1984年」を一度読んでいたが、その時は、著者に全く関心がなかった。

しかし、このとき何故か、この人物に猛烈に興味が湧いてきた。このため、まず手にしたのは、岩波新書の方で、これを一気に読んだ。そして彼が、英国のエリート校出でありながら

若き日スペイン戦争に義勇兵の一員として、参加した民主的社会主義者であったことを知った。

 ジョージ・オーウェルは、1903年大英帝国の下級貴族の家に生まれる。奨学金を得て、エリート高校に進学した彼は、卒業後軍人となり、当時英国の植民地であったビルマ(現在のミャンマー)に警察官僚として赴任する。そこでみた、植民地の現状に違和感を覚えた彼は、5年後の192724歳の時、安定した職を投げ打って作家の道を進み、193734歳の時、新婚の妻とともに国際義勇兵の一員としてスペイン戦線で戦い、大怪我を負いながら一命をとりとめる。ここで見た革命の夢と現実、この時の体験をまとめたものが1938年発行の「カタロニア賛歌」であり、その体験をもとにして書かれたのが1944年脱稿の「動物農場」であり、1948年脱稿の「1984年」である。この2年後1950年結核のためロンドンで死亡。47歳であった。

 

 スペイン戦争については、1985326日の朝日新聞に掲載された法政大学教授 川成 洋氏の「スペインで戦死した無名の日本人ジャック白井の足跡たどって」と称する一文を読みひどく感動したことがあった。この文は、サンフランシスコの隣の町オークランドで開催されたスペイン戦争に参加した米国の国際旅団「リンカーン大隊」の生き残りの集まり

を記事にしたものであるが、その隊長だったミルトン・ウルフの「われわれは、未熟な反ファシストだった。今でも同じだ」の言葉に象徴される思想の継続性に当時中間管理職として仕事に追われていた身に、新鮮な驚きを覚えたためであった。

 ジョージ・オーウェルの思想は、このスペイン戦争の体験が中核となっていた。彼は

この反フランコの人民戦線の戦いの中で、当時人民戦線を支援していたソビエト共産党の

スターリニズムのトロッキーの影響を受けた人々に対する云われのない迫害や裏切りを目の当たりにするのである。「カタロニア賛歌」こま時のオーウェルの体験を綴ったものであり、この体験をベースとして彼は、社会主義の衣を纏うスターリンの独裁体制への批判を強めてゆき、その延長戦上に書かれた小説が1944年に完成した「動物農場」であり、1949年に発表それた「1984年」である。この小説が出版された翌年の1950年オーウェルは亡くなる。岩波新書の「ジョージ・オーウェル」と早川書房の「1984」を読み終えてから同じく早川書房の「動物農場」も買い求め、これも一気に読んだ。


 オーウェルのこの二冊の小説の出版には、当時大きな困難が伴うが、それが反ファッシズムで戦った仲間としてのスターリンの社会主義国家ソビエト連邦に対する西欧左翼世論の暗黙の圧力があったためであった。しかし、まもなく、冷戦の時代の到来とともに、この本は反共プロパガンダの書物として取り上げられたこともあって、その後ジョージ・オーウェルの名前は、左翼メディアからも正当な評価がないままに、放置されてきた。そしてようやくこの本が見直されるのは、1991年のソ連邦崩壊後のことである。

 今回あらためて、この二冊の本を読み返してみて、彼の社会主義独裁体制への痛烈な批判が、スターリンという個人的な枠組みを乗り越えた普遍的な視点からなされたものであることがよくわかる。

 ここで描かれた世界は、中国の文化大革命や韓国の文在寅左翼独裁政権で、今行われている歴史の偽造や、無知な若年者や民衆をプロパガンダで洗脳し、まともな思想や知性の言論を圧殺する風景そのままであり、まさしく当時オーウェルが感じていたことであり、当時彼が遥か先の未来まで見通していたことを示している。

 2020年の新型コロナのパンデミックや米国の大統領選挙は、民衆と云うものが如何にメディアや政権のプロパガンダで洗脳・誘導され易いかを事実を冷静な目でみることが如何に難しいか如実に示した。オーウェルの「動物農場」「1984年」は、極めて、今日的な問題を扱っている。その意味で今こそ多くの国民が読むべき本である。

2021年2月6日土曜日

空海が見えてきた―「空海の生涯」由良弥生 2019年2月20日王様文庫 三笠書房を手にして

 

空海について興味を抱くようになってもう何年経つだろう。20年近くにはなる。

 空海に魅かれたのは、密教なるものが、理解しがたかったためであった。それは、とりもなおさず、原始仏教から大乗仏教までの流れに比べ、大乗仏教から密教への流れが理解し難たかったということと関連している。

原始仏教に呪術的な影は感じられない、それが、その普及と共に呪術的要素を加えてゆく、大乗仏教の代表的な教えは、法華経であるが、この法華経には、その観音経の中に既に呪術的要素が含まれている。それは、仏教がその時代の社会的要請に応えるための思想的変貌でもあった。

個人的な哲学思想から社会的思想への変貌は、その基礎を釈迦という歴史的実在をより普遍的価値の中に位置づけ、世界観・宇宙観として発展させることを意味していた。その普遍的価値として誕生したのが宇宙的秩序の中心としての毘盧遮那仏つまり大日如来信仰である。下記は、真言密教誕生前後の日本の時代区分である。

 仏教伝来 538

 飛鳥時代 592年(崇峻天皇5年)-710年(和銅3年)

 奈良時代710年(和銅3年)-794年(延暦13年)

  平安時代 794(延暦13年)1185(文治元年)

空海は、774年(宝亀5年) -835 (承和2)

密教の源流には、大日経と金剛頂教の二つの教がある。この内大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)は、600年代、インドで成立し、東インド生まれの善無畏(637735)が中国にもたらし724漢語に翻訳され、金剛頂教『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』は、600年代の半ばから後半南インドのアマラバティで成立し、西インド生まれの金剛智(671741)とその弟子不空(705774)が漢語に翻訳し、中国に伝えた。

この二つの経は、唐の玄宗皇帝(685762)の治世下の中国で広まる。空海は玄宗皇帝の亡くなった12年後に生まれている。

 大日経は、大毘盧遮那如来(大日如来)が自由自在に活動し説法する様を描いた経典。教理は第1章で,他は実践行の象徴的説明である。この中で、護摩(ごま),曼荼羅(まんだら),印相(いんぞう)などの秘密の実践が詳述されている。

金剛頂教は、大日如来が釈迦に対して、自らの悟りの内容を明らかにし、その実践法を説いている。悟りの内容が金剛界曼荼羅であり、実践法としては五相成身観(ごそうじょうしんかん)という瞑想法が説かれている。『金剛頂経』は単数の経典ではなく、新古いくつかの同系統の経典の総称である。このうち初期の成立で、かつ内容的にも後の『金剛頂経』の方向を決定した、初会(しょえ)の『金剛頂経』が、アマラバティの成立と考えられている。理趣経は、この一部である。

真言密教では、この世界宇宙を救済論的に慈悲の働いている側面(胎藏界)と哲学的認識論的に智慧の働いている側面(金剛界)の二面からとらえる。その胎蔵界について大日経が、金剛界については金剛頂経がその生々とした実相を詳しく説いている。胎蔵界および金剛界の両界の曼荼羅はこれら両経の説くところを視覚的に絵画表現したものである。

空海は、当時部分的にしか伝わってきていなかった密教を日本に本格的にもたらしただけでなく、大日経的世界と金剛頂経的世界を統合して真言密教として完成させた。

ところで、密教とは何か、一つには、大日如来という宇宙生命体の創造による仏教的世界観の完成であり、今一つは、それとの一体化への具体的手法・修法の確立であり、その結果として得られる心の平安と現実世界での利益と云うことである。

心の平安と現実世界での利益は、呪術と限りなく繋がっている。仏教の社会的広がりは、それによる現世的利益への期待を膨らませ、そこに焦点と社会的関心が集まっていったのは、当時の科学的知識や民衆の知的水準を考えれば必然のことであった。

ところで、空海は、呪術的効果を本当に信じていたのだろうか。空海には、もっと冷静な視点があったに違いない。修法は、何よりも人々を安定させまとめ上げ団結させる手法であり、この点に関して国家維持や統一の思想としての役割もあった。人々を対象とすることは、救済論仏教としての性格も合わせ持つ。

空海は、死の2年半程前、高野山金剛峰寺の金堂と諸仏の完成した翌年832年そこで初めて「万燈万華の法会」営むが、その願文は次の言葉で始められている。「黒暗は、生死の源、遍明は、円寂の本なり」とまた秘蔵宝艦には、「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで生の終わりに昏し」とある。「暗い」は周りに何があるのか見えなくなるほどに物理的にくらい状態を指し、「昏い」は光が弱くなるものの、何も見えなくなるほどくらくはない。

我々は、全くの無から生じるが、生命と知恵の力で光明の下で生き、やがて生命の火が消えるように死を迎える。

「万燈万華の法会」では、暗闇に一万もの灯明と一万もの華()を供えて法会が行われたと云われる。空海は、原生林に囲まれた漆黒の闇の中に浮かび上がる一万もの灯明とそれに映える華花という具体的な映像を通して、仏法の役割を示したかったに違いない。

「空海の生涯」由良弥生 2019220日王様文庫 三笠書房を手にして、思わず引き込まれてしまった。ポイントは、空海が虚空蔵菩薩求聞持法を教えられた沙門に作者が善道尼という尼僧をあて、この尼僧との関係を一筋の糸として人間空海の生涯をまとめ上げた点である。女性の出現により、人間空海がよりリアリテイをもって描かれることになった。

 以前空海の世界に迫ろうと「空海の詩」安部竜樹2002630日(株)春秋社を手にしたが、あまりに難解で、その世界に触れる感覚がなかったが、今回、密教の世界を少しまとめることで、もっと触れることが出来そうな気がした。

 それにしても、密教の影響は大きい。臨済宗のお寺で頂いた経本の中に消災呪と大悲円満無礙神呪と云う大日経系統の陀羅尼(真言)が含まれているのに気ずいた。陀羅尼(真言)を祈りの言葉とすれば、呪術と祈りは、表裏一体のものであるのかも知れない。空海にとって願文は、祈りよりももっと力強い宣言文又は決意表明文と云うべきものであったような気がする。

 いずれにせよ、これからは空海を楽しみたい。      完

 

2021年1月20日水曜日

 ブログを再開します。

ブログのサービスが突如中止となったので、あきらめていたが、ある時何故か

又再開しているようなので、始めたいと思う・

コロナのおかげで、不要な義理的行事に行かなくてよいことになり、随分時間が

出来た。おかげで長年手つかずにいたテーマに集中的に取り組むことができた。

これらをひれから順に発表してゆくことにする。


2019年3月19日火曜日

2.26事件とは何であったか ――「妻たちの2.26事件」と歴史を見る視点――


「妻たちの2.26事件」 澤地久枝 昭和50210日初版 中公文庫 (株)中央公論社

古書展で何気なく手にした本であった。2.26事件のことは、知っていたが、題名にひかれた。以前から、作家達を妻や恋人または、妹等の女性の視点から見た作品に興味をもったことから、その延長戦上に何か発見できることを漠然と期待したためである。

しかし、その期待を通り越して、読むほどに魅かれていった。その理由は、歴史へのアプローチへの新しさとも関連することであるが、歴史の状況の中に生身の人間を投げ入れ、その中で人間を動かして、状況と主体の関係を複眼的にてゆく方法で、初めて、主観と客観を総合的にみることが出来るのではないかと考えているためで、そのことをはっきりと教えられたのは、江藤新平を扱った「歳月」という司馬遼太郎の小説を読んだときであった。

「妻たちの2.26事件」は、作家 澤地久枝の41歳の時の処女作のドキュメンタリーであるが、インタビーを積み重ねて、事実に歴史を語らせる点で、「この作品は、戦後ルポルタージュの「古典」に加えられる価値がある。」と評論家の草柳大臓氏に語らしめている。

2.26事件で死刑になった青年将校達の遺族に宛てた手紙や残された妻達のインタビューの記録を読んで、戦没学生達の手記「きけわだつみの声」を読んだときと同じような悲しみを覚えた。それは、九州を旅して、「知覧」を訪れたときにや謡曲で「隅田川」を聞いたときの感情に近いものであった。
 では、このようにして究明され浮かび上がってきた2.26事件とは、なんだったのだろうか。この疑問に答えよと本が迫ってきているように思えた。

作者の 澤地久枝は、あとがきで、「2.26事件の青年将校達の悲劇は、一言で云えば、もっとも激しい形で現れた天皇制内部の矛盾である」と云っているが、この言葉には、同意できなかった。「天皇制内部の矛盾」という言葉は、この本の事実から離れたところで発せられ響きがある。矛盾とは何と何の矛盾ということだろうか、その真実を事実を通して語らせようとするものではなかったか、その真実に直面して彼女は「私は、己の感傷や甘い主観の通用しない世界に直面した」はずであった。それにもかかわらず、これを「天皇制内部の矛盾」という政治用語でまとめる感覚に、当時42歳の作者の作家としての感性の新鮮さとそれとは別のアプリオリに歴史を決めつける政治的無知とそれを当然視する昭和50年当時の政治状況を感じた。

私の率直な感想は、あれば未熟な革命運動であったとの思いである。あれは、明らかに戦後の学生運動に似ている。それは、エリート意識を背景にもつ純粋な若者による運動であり、それが故に様々な政治勢力に利用された点でも安保闘争前後の学生運動に似ている。

2.26事件の起こった昭和11(1936)は、世界恐慌が起こって6年目で、ヒットラーが政権をとって3年目であり、ソビエトでは、大粛清でスターリンの独裁体制が決定的となった時代である。事実を冷静に見れば、殆どの場合、意識的な少数者の先導によってなされる。そしてその成功の多くが武力による政権交代を契機としている。明治維新がそうであったし、レーニンによるロシア革命がそうであった。毛沢東もこの時代「鉄砲から政権が生まれる」といっている。明治維新では、知的能力と武力を共にもつ武士達がその担い手となった。開発途上国の多くでは、その国の知的部分である学生達がその担い手であり、近代では、党派がその担い手となる。

明治維新後の日本では、武士という身分は無くなり。武力と切り離された形で、士族制度が残される。教育体制が整備され、この中で、国家を指導する知的エリートの育成システムが出来上がってゆく、しかし圧倒的な国民は、6年間の義務教育レベルの知識に留まっている。こうした中で、世界的な経済変動や政治変動に見舞われ、国民生活のいたるところで、貧困や飢餓の発生に見舞われたとき、それらの原因をどのように考え、当面する課題をどう解決するかは、国の指導層の中での大きな課題であった。


東アジアの辺境にある小さな日本は、西欧列強の近代文明の圧力下で、富国強兵策でかろうじて近代化を成し遂げた。その日本が、軍事色の強い教育体制を持たざるを得なかったのには、それなりの理由があった。この当時の教育体系において、陸軍士官学校出は、文武両道を兼ね備えたエリートで、さらにその上の陸軍大学卒は、実質的に国家の指導層を形成していた。

評論家草柳太臓氏は、この本の解説の中で「平均年齢二十九歳ともなれば、思慮分別もあるはずだと澤地氏書いているが、陸軍士官学校から兵営へと閉鎖社会で純粋培養された彼等には、軍も又官僚組織であり、前例主義と保身主義のために組織力学が働くことに無知であった。それ故に敗れた。しかもその敗れ方は、彼等が武力を使った後だけに大きかった。」と語っている。

しかし、政治が未成熟であった当時の日本で、ある程度の知識と武力を手にしていて、実際に革命を行う力を持つことが出来たのは、陸士出の青年将校達しかいなかったのも事実で、ロシアやその他諸国の武力革命の影響下で、彼等が国家改造の使命に突き動かされたのも必然性があった。
  
しかし、その国家改造論なるものが、その当時直面する課題の解決になり得るものであったかには、大きな疑問がある。課題とその解決策との分離と飛躍は、複雑な社会システムを単純化する原理主義もしくは宗教的な信念によって埋められざるを得なかった。この青年期特有の傾向は、戦後の学生運動にも引き継がれ、赤軍派の悲劇やオーム真理教事件にもつながる。しかも天皇制下で、育った彼等の思想は、どこまでも天皇制の思想ベールに包まれたままであり、その天皇の神格化とそれへの幻想が、彼等の武力と革命を失敗させた。彼等の行動が純粋無私であるだけに、これを公にすることは、当時鬱屈していた社会的不安に火を点ずる可能性があり、それ故に統治する立場からは、その声を極秘の内に抹殺する必要があった。

 歴史的事件を現在の視点で批判することはたやすい。しかし、その時代の状況の中で、彼等が何故そのような行動にいたったかを理解することなくして、かれらの評価はできない。
 「妻たちの2.26事件」は、ある意味で、戦後の社会運動に参加した者達に共通する体験であり、読み終えて、深い悲しみと感慨を覚えた。            以上