3月の古書展で出会って即購入を決断した本があった。それが、この本である。黒字に白の単行本は、角川春樹事務所発行で、紀伊国屋書店販売の本(1996年4月3日第一刷発行)で定価1800円であったが、300円か500円で、新品のまま、古書展の片隅にあった。埴谷雄高の名前が前面に出ていたが、これは、立花隆のインタビューをまとめた本であった。コロナ下で立花隆が亡くなったのを知ったのをごく最近のことのようにどこかで思い出していた。自分にとって重要な啓示が示されている予感があり、家に帰ってあらためて20分ばかりかけて内容を概観し、再度最初の予感に間違いのないことを確認するとそのまま、脇机の上に20冊ばかりの本とともに放置されていた。
この本を再び手にしたのは、その2か月ばかりあとのことだった。その間、古書展で見つけた他の5冊ばかりの本を読み、友人から頼まれた同人雑誌の原稿を送り、半年ばかり前に計画した友人達との二泊三日の富士五湖めぐりの旅を終え、その残務処理を片付け、送って貰った同人誌を数人の知人達に送付し、同人誌の原稿にAIで作成した挿絵を加えて気になっていたホームページの一つのサイトを更新した後のことであった。この間、いずれブログで感想をまとめたいと思っていた6冊ばかりの本を読破し、この半年ばかり取り組んで来た研究テーマ「食の現在―人間にとって食とは何か」の100頁ばかりのレポートのまとめとその概要発表資料とホームページへの掲載原稿のまとめに取り組んでいた。
こうした、当面急ぎたい作業が一段落したのは、一年前に行った肝臓癌手術後の半年前に予約していたフォロー検査の差し迫った4月中旬であった。日赤病院の検査と云う自分の生死にかかわる事態を目前にして、改めて立花隆の死がおもいだされた。埴谷雄高と立花隆、この二人は、死の直前に何を語りあっていたのだろうか。そしてそれらは今の生きている我々に何を示しているのだろうか。猛然と知りたくなった。
埴谷 雄高(はにや
ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若
豊(はんにゃ ゆたか)。
共産党に入党し、検挙された。カント、ドストエフスキーに影響され、意識と存在の追究が文学の基調となる。戦後、「近代文学」創刊に参加。作品に『死霊』(1946年~未完)、『虚空』(1960年)などがある。(Wikipedia)
立花 隆(たちばな
たかし、本名:橘 隆志 1940年(昭和15年)5月28日 - 2021年(令和3年)4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、多くの著書がベストセラーとなる[3]。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。(Wikipedia)
立花隆は、彼の文理を統合した全体知のあり方への共感もあり、自分の知のあり方や新たな分野への探究方法について教えられることも多かった人物であり、彼の主要な著作には目を通していたが、埴谷 雄高については、大学時代に名前は聞いたことがある程度で長い間全く接点がなかった。その彼に興味をもったのは、10年程前に彼の代表作 「死霊」の文庫本上・中・下巻を読んでからである。戦後の思想界の大御所達が、こぞって取り上げるこの大作に何がかかれているのか、そして彼はそこで何を語っているのか、彼等はどこまで考えているのか、興味をもったためである。「死霊」は難解な観念小説で、そこに登場する人物が長々と自分の世界観や思想を展開する物語であるが、その世界は虚無と死と静止を基調とするキリコの絵画の世界のようであった。しかし、彼等が、自分が考えていたより、遥か先まで、到達していることを暗示するものであった。
この本には埴谷
雄高と立花 隆が出逢い何を語り合ったのかその内容が示されていた。
この本は、1996年4月5日の発行であり、2月4日付で埴谷 雄高のあとがきが書かれていた。これは、彼の死の一年前のことで、この時87歳、ちなみに立花隆は、56歳である。2024年4月から見れば28年前のことである。
ところが、この内容となったインタビューは、1992年3月18日の夕方から3月19日の早暁にかけて東京吉祥寺にある埴谷邸のおよそ12時間の対話の録音記録であり、この時埴谷雄高83歳、立花隆52歳の時である。インタビューの録音テープは、A4で500頁にも上る膨大なもので、それが100頁程に圧縮され、同年の雑誌「太陽」の6月号に掲載された。この時の記事は、「生命の根源から人類の究極へー立花隆が「埴谷雄高」にすべてを聞く」であり、この内容に、この1991年9月号に掲載された立石伯の「埴谷雄高年譜-虚実の向こう側」と白川正芳の書き下ろしである「死霊との対話―9章及び出発の頃」を新たに追加してまとめたものがこの「生命・宇宙・人類」と云う本である。
ちなみに、「死霊」の9章が書かれ、発表されたのは、1995年(平成7年)の群像の11月号であるので、それは、このインタビューの3年後「生命・宇宙・人類」の出版の半年前と云うことになる。その意味でこの本は、「死霊」の完成記念を祝って出版されたものと云える。
では、この本の中で、中で何が語られているのか、一言でいえば、「生い立ちから思想形成の経過と83歳時点での世界観と思想について」であり、題名の如く「生命・宇宙・人類」についてである。その内容の全貌は、簡単には要約出来ないので、本文に接して感ずるしかないが、彼の思想を解体する少しの割れ目を発見することは出来たような気がする。その感想のいくつかを整理してみたい。
驚くことに、彼の問題意識は、2024年現在の現代科学の直面している問題に確実にヒットしていることである。まず彼は、若い時にヘーゲル左派の哲学者マックスシュテルナーの「唯一者とその所有」を読んで決定的な影響を受けたと云っている。シュティルナーは、マルクスやエンゲルスと同時代の人間でヘーゲル左派に属する。彼はフィヒテとフォイエルバッハの哲学に影響され、極端なエゴイズムを軸とする哲学を展開。いかなる人間的共通性にも解消出来ない交換不可能な自己の自我以外の一切のものを空虚な概念として退け、その自己が、自らの有する力によって所有し、消費するものだけに価値の存在を認める徹底したエゴイズムという彼の思想は、青年ヘーゲル派のメンバーに大きな影響を与えると同時に批判にもさらされた。
しかしながら、彼のエゴイズムは単なる浅薄な利己主義ではなく、個々の人間の人格の独自性と自律性を最大限に重んじる立場である。シュティルナーの思想は、強力に個人主義に見えるが、しかし、シュティルナーによって「移ろいゆく自我(das vergängliche Ich)」と称されるその「自我」にかかわる思想は、近代的な意味の個人の概念とは異質なものであり、単に近代的自由主義における「過激な個人主義」というわけではないシュティルナーは、唯一者の自由を求めているのであって、個人(国民集団を分割した最小単位としてあらわれる人間の概念)の自由は、それとは異なる。シュティルナーによれば、自由主義の想定する「国民の自由」は、シュティルナーの求める「私の自由」とは異なるのである(Wikipekia)。
現代の科学では、今脳科学やAI関係で、意識とは何かが問題になっており、その時の外ならぬ自分が感ずる意識をクオリアと称しており、シュティルナーの自我は、このクオリアと云う概念に近い。クオリアは、自分がまさしく自分である意識、自意識を指し、現代の脳科学やAI開発では、AIがかかる意識をもつか、又、この意識の移植可能性が、問題とされている。そうであるならば、埴谷の自意識に関する理解は、現代脳科学の最先端の思想を先取りしていたと云える。
それから、彼は、「死霊」の中で実体に対する反対概念として「虚体」と云うこと概念を使っているが、ホーキングの宇宙論等も読んでいるらしく、宇宙については、現代の理論物理学が想定する多次元宇宙的な世界観を持っている。
量子力学で、記述されるミクロな世界では、あらゆる物理量は、不確定な状態にあるとされる一方、我々の住む巨視的世界(古典的世界)では、いつも確定された物理量が支配している。ミクロに世界での物理量は、測定されることにより、マクロな世界での確定値として現れる。この不確定から観測により確定値が定まるプロセスは、量子力学では、縮退と云う言葉で表現され、ミクロな世界からマクロな世界に移る過程で生ずるとされ、そのような解釈は、コペンハーゲン解釈と云われてきた。
しかし、近年このコぺンハーゲン解釈に対して、それは、縮退等ではなく、可能性のある状態を選んだ結果であり、その他の状態も出現している可能性もあると云う多次元宇宙論的な解釈も出てきている。つまり、測定によって決まった値以外の数値も別宇宙で存在すると云う思想である。この点を以前可能性の歴史学として思いついたことがあった。我々は、実現したもの(実体)だけを必然的なものとして理解しているが、我々の世界では、
実体化していなくとも別の宇宙で実体化しているかも知れないもの、これを埴谷は、「虚体」としているようなのである。我々の世界は、実現した宇宙と未実現の宇宙の混在した
世界という複雑な構成をしている。これが私の中で稲妻のように閃いたことであった。
さらに彼は、人類を食と性に拘束された生命体、地球上の生命体の食物連鎖の頂点に存在する一形態として捉え、他の生命を犠牲にして成り立つ人類の在り方をこの生命体の持つ宿業として捉え、それを脱するために、別の形でエネルギーを吸収し、性のしがらみから脱出して生きる生命体をも夢想する視点から、キリストや釈迦の批判にまで及ぶ。その一方でその生命が宇宙へ進出して、現在の人類とは全く異なる生命として発展する可能性についても言及している。これも、月での資源開発や火星での基地建設の可能性が、議論される現在極めて現代的な視点と云える。
このインタビューが行われた時点では、ゲノム編集でのブレイクスルーであるキャスバー9やコンビューター技術のブレイクスルーであるデープラニングやチャットGPTにみられる人工知能(AI)の誕生等は知られていないが、間違いなく彼等は、こうした事態を想定した議論をしているのに驚かされる。
この本を一通り読み終わったとき、同じような文章に出会ったことを思い出した。書棚の奥を調べると出て来た本は、「無限の相のもとに 立花隆 埴谷雄高」:平凡社1997年12月8日初版出版、定価1700円であった。こちらは、「死霊」を読み終えたとき、埴谷雄高のことがもっと知りたくて買い求めたものであるが、その内容の壁の高さにそのまま放置していたものであった。
こちらの内容を今回あらためて見てみるとこれは、1992年3月に行ったインタビューの500頁もの原稿を350頁に整理したものに、この後に行った「追補インタビューとそれ以前に行ったインタビュー(ともに「太陽」編集部が行った)の内容を付け加えたもので、埴谷雄高の死を記念に出版されたものであることが分かった。ちなみに、この本を私が買ったのは、この本に挟まれていた絵画展の葉書から2011年の7月頃と判断される。
「生命・宇宙・人類」は、「死霊」の完成を記念したもので「無限の相のもとに」は、埴谷雄高の死を記念したものであったのである。「無限の相のもとに」を出版して後24年後の2021年4月30日知の巨人と称された立花隆が80歳で亡くなった。立花隆は、2002年に大腸癌の手術を受け、2004年に膀胱癌が発症し、2007年には、膀胱がんの手術も受けているが、2021年の死因は、急性冠症候群とされる。これは急激な冠動脈狭窄によって生じる以下の三つの病態を包括した名称であるので、冠動脈狭窄が原因であり、癌による直接死ではなかった。いずれにせよ、立花隆の知的活動も2011年頃つまり70歳までがピークであったと云える。いずれにせよ、今回の本を読み終えて、埴谷雄高と立花隆という二人の知の巨人が、晩年に眺めた世界の風景の一端を追認することが出来た。これを一つの指標として更なる高みを目指す足掛かりを得たように思った。
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