2023年12月23日土曜日

マルチユニバースミステリーと青春              2023年12月

 

何か心惹かれるものがあったとしたら、それは何かの導きである可能性が高い。僕の場合はその出逢いの場は、古書展と云うことになる。その最初の一冊が「イシュタルの船:A・メリット/荒俣宏訳:早川文庫FT:昭和574月発行:定価480円」で、作家荒俣宏35歳の時の翻訳本である。

イシュタルの船

著者のエイブラム・メリット( Abraham Grace Merritt 1884 120 - 1943 821日 )は,SF作家、新聞記者、編集者で、アメリカの秘境冒険ファンタジー作家の代表者の一人で、この原作は、1924年アメリカの大衆雑誌「アーゴシイ」に掲載されたものらしい。しかし、僕がこの本を手にした理由は、この作家に格別興味があった訳ではなく、本のカバーのイラストに魅かれたためである。また、訳者が荒俣宏というのも安心感と期待感があった。


このイラストは、アメリカの イラストレーター、ヴァージル・ウォードゥン・フィンレイ (Virgil Warden Finlay 1914 723 - 1971 118 の作品で、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスター生まれ。戦前から戦後にかけてファンタジー、SF、ホラーのパルプ・マガジンに多くの美麗な挿絵を発表した。フィンレイが得意とした手法は、極細のペンによる高密度の点描とクロスハッチング(密度のある平行の直線を何重にも重ねて陰影に見せる技法)やスクラッチボード等で、非常な手間と時間がかかるものであったが、彼は35年の経歴中に2,600以上の作品を残した。作風の特徴としては、当時としては顕著な官能性が挙げられる。

 物語は、冒険家ジョン・ケルトンがバビロンから出土した石塊に隠されていた帆船の模型に出会ったことから一瞬の内にこの模型の帆船の世界に入り込むことになるが、その船上では、6000年もの昔の世界で、そこでは、<生の女神>イシュタルと<死の神>ネルガルとの愛と憎悪に彩られた熾烈な戦いが繰り広げられていた。そこで、彼は、女神イシュタルに仕える絶世の美女シャラーネと出会う。本のカバーのイラストは、このシャラーネであった。

 イシュタルの船は、6000年前のバビロンの時代の帆船を舞台とした冒険・恋愛活劇であるが、早川文庫のFT(ファンタジートレジャー)FTは、幻想小説の宝物とでも分類される小説である。19世紀末から1920年代にかけては、欧米では、別世界願望ファンタジーが盛んに書かれたが、この本もそうしたブームの中で生まれた作品である。

 現実世界から一瞬の内に6000年前の世界に移ると云う想定が、SFとしては、かなり無理があるため、FTに分類されている。A・メリットは、記者生活の後雑誌編集者となり、記者時代1年間中央アメリカの文明遺跡探訪を行っており、古代と現代を結び付けるテーマは、彼のこうした経歴が土台になっているらしい。

 一瞬の内に6000年前に移ると云う想定に無理があると云ったが、現代のマルチユニバース論の観点から見れば、それ程無理な想定でもない。その為か、熱烈な恋愛至上主義とも云える物語に美女シャラーネの姿を追い求めるように最後まで読んでしまった。

 活動写真の女

イシュタルの船をよんでから半年程経って古書展で55手にしたのが「活動写真の女:浅田次郎:集英社文庫:20035月発行 定価552円」であった。この本に魅かれたのは、まず著者の浅田次郎の名前と本の裏側の内容紹介の一文であった。「昭和四十四年、京都。大学の新入生で、大の日本映画ファンの僕は、友人の清家忠明の紹介で古き映画の都・太秦の撮影所でアルバイトをすることになった。そんなある日、清家は、撮影現場で、絶世の美女と出会い、激しい恋に落ちる。しかし、彼女は、三十年も前に死んだ大部屋女優だった。若さゆえの不安や切なさ、不器用な恋。失われた時代への郷愁に満ちた瑞々しい青春恋愛小説の傑作」青春期における絶世の美人との出会い。この言葉に反応して思わず購入し、読み始めると一気に最後まで読んでしまった。


 浅田 次郎(あさだ じろう、1951年〈昭和26年〉1213 - 、本名・岩戸康次郎[1])は、日本の小説家。血液型はA型。中央大学杉並高等学校卒業。陸上自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。時代小説の他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、『壬生義士伝』など映画化、テレビドラマ化された作品も多い。2011年から2017年に日本ペンクラブ会長。2013年には、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞選考委員、2022年現在、直木賞選考委員。(Wikipedia)

  この本を手にしたとき、浅田次郎の名前に少し、違和感を覚えた。その作品の「鉄道員」や『壬生義士伝』を聞いたりみたりした記憶があるが、その著者が浅田次郎と結び付かなかったその理由は、その名前が、新田次郎と一字違いであったためであった。

 新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、191266 - 1980215日)は、日本の小説家、気象学者。無線電信講習所(現在の電気通信大学)卒業。

中央気象台に勤めるかたわら執筆。山を舞台に自然対人間をテーマとする、山岳小説の分野を開拓した。『強力伝』(1955)で直木賞受賞。作品に『孤高の人』(1969)、『八甲田山死の彷徨』(1971)などがある。(Wikipedia)。彼の作品の「アラスカ物語」や「八甲田山死の彷徨』を知っていたので、その連想と重なったのである。

しかし、こんな誤解と関係なく物語にのめりこんでいったのは、物語の舞台が昭和44年と云う僕が過ごした大学時代に極めて近似した時代であったことである。この物語の登場人物は五人、僕と恋人の早苗、そして清家と絶世の美女夕霞と撮影所に勤務する老人。しかし、30年前の美人を介在させることによって、昭和13年と昭和44年がシンクロナイズしてくる。確かにあの時代は、三島事件など戦前と現代が入り混じった奇妙な事件の起こり得る時代であったような気がしてきた。

 逢魔が時

もう40年も前、友人に連れられて錦3丁目のとあるスナックへいったことがある。そのスナックは、桜通り近くの貸ビルの6階にあるカウンターと客席の定員10人ばかりの店であった。その店の経営者の女主人が友人の知り合いと云うことであった。その女性はかつて文学少女と云うことで、その店には、彼女と親しい男達が、サロンよろしく集まっていた。その彼女が、60歳近くになって店を閉じることになり、それを機会に記念誌を発行し、その出版バーティを名古屋観光ホテルで行ったことがあった。その時、5000円の会費と引き換えに手渡されたのが「逢魔が時」と云う自費出版の彼女の私小説本であった。

逢魔時は「何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」、大禍時は「著しく不吉な時間」を表していて、昼間の妖怪が出難い時間から、いよいよ彼らの本領発揮といった時間となることを表すとする。逢魔時の風情を描いたものとして、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』があり、夕暮れ時に実体化しようとしている魑魅魍魎を表している。昔から他界と現実を繋ぐ時間の境目と伝えられている。(Wikipedia)


彼女が、自分の小説にこの題名を付けたのは、多分水商売での客との接触を逢魔が時の出逢いのようなものとなぞらえたことに由来する。その本の内容には、ほとんど興味が湧かなかったが、そのパーティの席上、東京から参加した知人が、自作の四行単位で綴った長編詩を朗々と読み上げていたことだけが鮮明に記憶に残っている。

 活動写真の女を読み終えて、大学時代を思い出したとき、この「逢魔が時」と云う言葉が思い出されてきた。

マルチユニバースな世界と青春

 逢魔時は、昼と夜の二つの世界が入り乱れる時であるが、これが青春と云う時期であるなら、あの魑魅魍魎達はなんであろうか。それは単にマルチユニバースの一つだけを表したものであり、実際には、もっと多様な世界がありえたのではないか。つまり、あの時代僕はもっと多様な時間の流れや世界を垣間見ていたような気がするのである。

 コロナ明けの2023年、数年振りの大学の同窓会の際、僕は、隣合わせた友人達にあの当時何をして、何を学んでいたのか片っ端から聞いてみた。しかし、彼等の答えは、皆曖昧であった。そして僕は、突如として悟った。あの当時僕がみたのは、マルチユニバースのホログラフのようなもので、実際に僕の血や肉になったのは、実宇宙で出会ったほんの数人の人達との出会いと接触によるものではなかったかと。「イシュタルの船」も「活動写真の女」も基本的に二つの世界を往き来する物語であるが、現実は、もっと複雑で、もっと沢山の世界を往き来しているのではなかろうか。青春は謎に満ちている。しかし、80歳になってようやくそのもつれた世界の謎を解きほぐすことができる気がしてきた。 了

                                   

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