2016年3月29日火曜日

ク゜ークルVSアップル

 最近の情報関係を調べていて、偶然著者フレデリック・ボーゲルスタイン・依田卓巳訳のこの本(新潮文庫3月1日発行)を見つけた。この本は、過去10年間の急速に変化する情報環境が、マイクロソフトとグーグルとアップルという米国起点の三大巨大企業の動きを実際の取材から構築したドキュメンタリーである。
 
このIT環境をめぐる三者の動きや今後の情報社会の動向を占う上で見逃せないことを示している。それにしても、次々と生まれるアイディやとビジネス化という米国の強みの内側を思い知らされる本である。だが、その開発の歴史は、単に技術分野だけでなく、そこに特許戦略や企業の買収、ビジネスモデルが密接に絡んでいることが良くわかる。
 
本来科学ドキュメンタリーの本が好きであるが、今まで情報関係の最近動向を紹介した適当な本がなかった。これは、米ワイアード誌の寄稿編集者で、フォーチュン誌からワシントンポスト紙に至る10数の雑誌や新聞に記事を提供してる著者ならでの本である。
 本のジャーナリズムは現代科学や技術の動向に疎いのが殆どで、激動する科学・技術の現場に追いついていっていいない。
 久しぶりに読みごたえががあり、一気に読んだ。

2016年3月17日木曜日

文明の現状と課題をめぐって

                
2014年11月に入ってから突然飛び込んできたフランスのアラブ・アフリカ系の若者による暴動は、チェチェン、イラク、バリ島などのイスラム系組織の活動が、米国とかロシアとかの国レベルの問題でない何か広く大きな問題を世界が抱え込んでいることを明らかにしたように思う。これらの問題は、我々が、青春を過ごした20世紀とは、確かに異なる問題を提起している。20世紀の革命運動や民族運動などは、何らかの意味でその最終目的が、より良い国家の建設を目指し、その活動に参加していた人達は、この大儀のために命を捧げたが、21世紀の自爆テロに象徴される、テロリズムには、もはや目指す国家・社会的なゴールは、見当らず、ただ、現状に対する絶望と苛立ちの狂気だけがあるかに見える。
20世紀末の1990年代に、極めて、顕著になった世界史的変動は、社会主義の敗退と市場経済の勝利、環境問題の顕在化、インターネット等情報革命の三つであると思う。これらは、全て、国家の枠組みを乗り越えてゆく変動であり、この中では、もはやひとつの理想国家の建設によって不条理な世界から脱出できるとの幻想は、もてなくなっている。しかも、市場経済や環境問題そして情報革命の影響は、伝統的な孤立した自然や文化を急速に破壊しつつあり、この中で、急激な人口増加、経済成長、環境破壊、貧富の差の増大が、世界的規模で進行している。
 確かに、現在の世界は、経済成長と環境問題という基本的に対立した課題を抱えたままで、変化を加速しつつある。後から遅れてきた、膨大な人口が、アメリカやヨーロッパと同様なエネルギー消費をする権利を要求すれば、世界が破滅するのが目に見えていても、その欲望を抑えることは、出来ない。平等や民主主義や人間中心主義が、こうした矛盾を解決する思想とはなりえないことも明白になりつつある。現代文明そのものが、大きな行き詰まりに直面しているかに見える。テロリズムが、こうした事態を解決できぬ国家と現代文明そのものに対する絶望的で、病的な反応であることに違いない。自爆テロという自分の命を投げ出す無差別殺戮の根は、20世紀の革命運動、民族運動、政治運動の枠では、捉えられない深刻な思想的問題と繋がっており、僕らは、いまやこうした課題を直視すべき時期に来ているのかもしれない。
 十数年前、年賀状で環境問題について思いを書いたところ、若き大学教授から、恩師のS教授を囲む会があり、そこで同じテーマを扱うので出席しないかと誘われ、東京に出かけた。学士会館ではじまったその集まりは、80歳になるS元東大教授が、人類と自然と我々は何をなすべきかにについて最近考えたことを切々と時間話され、その後、若い教授の奥さんがヨーロッパの聖堂建築の研究の成果発表をし、最後は、代々木のイタリヤ料理店でのパーティでおひらきとなった。そのときの若きエリート達を相手した老元教授の話振りは、子供達に遺言するがごとく実に真摯であった。そのとき頂いた老元教授の講義のレジュメは、まだ私の手元に大切に保管されている。
僕自身は、その後、企業の中で、環境問題にたずさわり、技術の専門知識を少しでも環境問題に役立てようと学術関係で知り合った人達とNPOを立ち上げ、現在に至っているが、時代の大きな流れの中で自分の出来ることが如何に小さいかを痛感している。しかし、人間は、考える葦あり、例え、出来ることはささやかでも、自分が、宇宙誕生の138億年の中のどんな存在であるか人類史のどんな局面に生を受けどんな問題と向かい合って生きたかを時空越えた視点で見つめたいと思うこの頃である。              

2016年3月16日水曜日

最新の情報環境と技術者

この10年ばかりで、我々を取り巻く情報の収集や発信の環境が急激に変化してきている。
この巨大な変動には、通信機器の高性能化とインターネットの爆発的な普及がある。そしてこの流れは、IOTと呼ばれる第四次産業革命と云う形で製造業全般も巻き込もうとしている。
Internet の普及に伴いホームページという形で企業や団体、店舗、個人の情報発信と情報収集、Net通販、Net銀行、Net予約等商用の活用が進む一方で、スマートフォンモバイル端末の進化と普及により双方向対話ツールとしてのInternet 利用がSNSと云う形で進みつつある。情報も文字から映像、静止画像から動画へと急速に内容を変化させつつある。
この流れの中で、如何に有用な情報を効果的に発信し社会をより良い方向に導けるかが問われている。
世界全体が一つのネットワークで結ばれる時代がやってきた。ビジネスも生活も流れに捲き込まれざるを得ない。そうであるならこの環境に立ち向かい適合してゆかざるを得ない。
 アナログ文明は、ディジタル文明の勃興により衰退せざるを得ない。
個々の人間は、巨大システムの端末としての意義でしかないが、その端末がバタフライ現象で世界を変える可能性もでてきた。 
 アナログ時代の技術者のこの環境への適応力が問われている。  

2016年3月6日日曜日

一つの言葉から宇宙が広がる

「一つの言葉から宇宙が広がる」

1.            はじまり

 40歳の初め、10数年ほど前のことである。当時バブルの最盛期の頃、何かが間違っていると感じた。サラリ-マン生活に疲れかけていた僕は、このままでは、駄目になると感じ初めていた。もっと普遍的な世界に対するあこがれが日々強くなった。その頃である。
 書店の文庫本のコ-ナ-で岩波文庫の「荘子」を手にした。武田信玄を扱ったNHK
大河ドラマの中に千年に一度落葉する木の話があり、それが中国の古典「荘子」に出ていることが記憶にあったためである。このとき単行本の「荘子」を手にしたこと、これが僕
をはるかな世界に導くきっかけになろうとは、当時は想像すらできなかった。これから語ろうとするのは、この10数年の僕の偶然にも不思議な知的旅行誌である。

2.            荘子の奇妙な言葉

「荘子」の書は、内篇7篇、外篇15篇、雑篇11篇とからなる中国の古典である。この内篇の中で語られる世界は、実に広大で、ここでは、数千里の大きさの魚や鳥の話とともに、世界には人知の及ばぬ広大な存在のあること、人間は有限の存在であるが、心の動きは無限であることなどが具体的な物語で語られていた。人間は、どこから来てどこへ向かおうとしているのか、20世紀は、考えてみれば、世界観の急激に変貌・膨張した時代でもあった。1999年の文藝春秋の1月号の中で、立花隆は、「知の爆発」という論文を
書き、20世紀を振り返りこの百年の1世紀がそれに先立つ世紀の300世紀にも匹敵する時代であったと述べていたが、まさしくそうであったと思わずにはいられない。20世紀の初め、アインシュタインが相対性理論を考え、ハイゼンベルグとシュレディンガ-が
量子力学を完成させて以来、ガモフの膨張宇宙論の構想、ウェグナ-の大陸移動説、そして電算機の誕生と発展、急膨張した世界人口の果てに、ハッブル望遠鏡が明らかにした138億年の宇宙の歴史と広がりがある。荘子の世界は、この現代科学が明らかにした世界
に劣らず広いものであり、しかもその広がりの仕方は、目に見える世界ではなく、目に見えない世界を示すものであった。
 この荘子の内篇の第6の大宗師篇の中に奇妙な文を見つけた。「古の真人は、その寝ぬるや夢みず、その覚むるや憂いなく、その食らうや甘しとせず、その息するや深深たり」その言葉は、これらの言葉に続いてあった。「真人の息は、踵をもってし、衆人の息は喉を以ってす。」紀元前4世紀の後半、今から2400年前、荘子は、この奇妙な言葉をしるしている。この荘子の奇妙な言葉との出会い。思えばこれが-僕の冒険旅行のはじまりであった。
喉ではなく、踵で息をするとは一体何を意味するのか、荘子の真人は、荘子の考える理想的な人間であるが、この真人の世界とは何でそこに至る道があるのか、荘子は、この中で
何を伝えようとしているのか、このことの意味に気がつくのはずっとあとのことである。

3.心の世界との出会い


 荘子の世界は、渇きかけていた僕の心に何ともいえぬ安らぎの潤いをもたらした。人生の有限性が生の地平線上に姿を見せてきた。そんなとき、書店の片隅で「命の風光」という書物を手にした。著者は紀義光氏禅宗の僧侶であった。本の内容は、禅の入門書といったもので、般若心経についての記述があった。先祖代々禅宗の曹洞宗の檀家であった関係
で般若心経に違和感はなかったがその内容についての理解はなかった。しかし、このことが契機となり、般若心経に関する書物を手にするようになった。禅の書物の中に出てくる
「悟り」の内容に興味をもった。その内容は、「自分のいのちが大いなるいのちの一部であることを自覚することにより安心をうること」と要約出来た。しかし、その内容については、依然漠とした未知のものとしか感じられなかった。45才のある朝、僕は車で中央
自動車道を走っていた。ゴルフ上へゆく途中で聞くとも無しにラジオを聞いているとその
中で、禅の臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師の話しをしていた。若くして仏門に志した
白隠は、法華経を読んで「これは寓話の集まりだ」として興味を失ったが40代のある日
虫の声を聞いていて豁然とその意味を悟り、止めどもなく涙がこぼれた話しが語られ、
禅の修行にあけくれていて病にかかったが、ある人から京都の山奥の白幽士を訪ねよと教えられ、その人を訪ねていって、その人から内観の法という観法を学びこれによって病を直したことなどが語られていた。「悟り」とは何か、その意味するものは何か、それは本当にあり得る心的状況なのか、興味をもった僕の仏教書あさりが始まった。禅と仏教に関する本という本を片っ端から手にし、主要な仏教教典にまで興味の範囲は広がっていった。
この中で、いわゆる「悟り」は体験であり、理論では無く実践による実体験がベ-スにならないと理解不能な世界であることがますます明確になってきた。理論でなく体験である

のなら、これは体験してみる以外にない。僕の体験の世界への挑戦が始まった。