ばしめに
本の内容
内容は、荒巻義雄のSF短編集で、この中には、土星の環の中で、カリフィヤの少年、赤い世界、コルスキーの空間、アレキサンドリア石、主婦と錬金術師、ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ、技術の小説論の8編と中島梓の解説からなる。本のタイトルは、7番目の短編からとられたものである。各短編の書かれた時期と発表雑誌は、次のようになっている。
土星の環の中で(昭和52(1977)年:44歳週刊小説11月25日号)
カリフィヤの少年(昭和53(1978)年9月:45歳SFマガジン240号)
赤い世界(昭和54(1979)年4月:46歳SFアドヘンチャー創刊号)
コルスキーの空間(昭和52(1977)年5月:44歳SFマガジン224号
アレキサンドリア石(昭和51(1976)年5月:43歳SFマガジン212号
主婦と錬金術師(昭和49(1974)年12月:41歳SFマガジン196号
ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ(昭和46(1971)年2月:38歳SFマガジン145号
術の小説論-私のハインライン論(昭和45(1970)年4月:37歳SFマガジン133号
解説:中島梓
この短編集が出版されたのは、昭和55年であるが、実は同名の短編集が、昭和53年2月にカイガイ出版から刊行されており、ここには、次のような短編が収録されていた。
夢あやつり(昭和52(1977)年5月:44歳週刊小説10月75歳日号)
異説広隆寺縁起(昭和51(1976)年:44歳問題小説秋季特別号)
巨獣霊奇談(昭和51(1976)年:44歳週刊小説11月29日号)
アッツの幽霊(昭和51(1976)年1月:43歳北海道新聞社発行「月刊ダン」
卒業式(昭和51(1976)年:44歳問題小説10月号)
学園生活(昭和51(1976)年:44歳週刊小説6月28日号)
かぐや姫伝説(昭和50(1975)年:42歳週刊小説4月11日号)
この7編が削除され代わりに「土星の環の中で」、「カリフィヤの少年」、「赤い世界」を加えたものが今回入手した講談社文庫本と云うことになる。
この内タイトルとなった「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」は、青春時代のようにヨーロッパを放浪するギャンブラーと不幸な美しい女とのミステリアスな恋を描いた異次元SFで後に長編にリライトした「白き日旅立てば不死」として 早川書房 1972年発刊されている。
また、これらの短編集に収録されている「術の小説論」は、東京生活と安保闘争の挫折による自己崩壊から立ち上がって再構築した彼の小説哲学をまとめたものであり、そこでは、彼の技術論が展開されており、その中で、科学を現実問題に適用して課題解決するのが、技術であり、小説をこうした技術同様、現実の課題解決の手段として捉える彼独特の小説論を展開している。
解説を書いた中島梓は、栗本 薫(くりもと かおる、(1953年2月13日 - 2009年5月26日):日本の小説家、評論家。日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会員、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会員、日中文化交流協会員。)
の評論活動や作詞作曲、ピアノ演奏、ミュージカルの脚本・演出なども手がける時のペンネームである。
私と荒巻義雄作品
荒巻義雄の名前に懐かしさを覚えた私は、自分の書棚の中のSF文庫欄の中を調べてみた。驚くことに、今回の本とは別に7冊の文庫本が見つかった。それらを年代順に列挙すると次のようになる。
「神聖代:荒巻義雄:徳間文庫:(株)徳間書店:1980年11月30日初版」47歳
「ヴアルブルギスの夜:荒巻義雄:角川文庫:(株)角川書店:昭和56(1981)年7月15日初版発行」48歳
「柔らかい時計; 荒巻義雄:徳間文庫:(株)徳間書店:1981年8月15日初版」48歳
「宇宙25時: 荒巻義雄:徳間文庫:(株)徳間書店:1983年5月15日初版」51歳
「黄金繭の眠り: 荒巻義雄:徳間文庫:(株)徳間書店:1984年1月15日初版」52歳
「黄金の不死鳥; 荒巻義雄:徳間文庫:(株)徳間書店:1984年3月15日初版」52歳
「神撃つ朱い荒野に: 荒巻義雄:徳間文庫:(株)徳間書店:1993年3月15日初版発行」60歳
つまり私が荒巻作品に出合ったのは、30代の後半から40代にかけての仕事中心生活の真っただ中のことであった。あの仕事に追われる日々の中で、こんなに何冊もの荒巻作品を購入し読んでいたとは、今考えると驚きである。そして今回入手した「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」は、私が30代後半に出会った7冊の本に先立って出版されていた本だったのである。
しかし、こんなにも沢山の本を読んでいたにも関わらず、その内容については、ほとんど記憶がないし、しかし、これ等の作品が、緊張した日々の精神に時折、風穴を開けてくれるようで、そのことによって、学生時代の純粋な精神をかろうじて守りぬくことが出来たように思う。しかし、作者の荒巻義雄については、それまで全く興味がなく、何か惹かれるSF作家と云う以外に何も知らないことに自分自身驚いた。そこで、あらためて荒巻義雄について調べてみた。
荒巻 義雄の略歴(wikipedia及び自筆個人年譜による)
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。 本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。
略歴
昭和8年(1933年)4月12日北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。両親は、水戸市出身。昭和15(1940)年稲穂小学校入学。小学生時代は戦時冒険SFや、吉川英治『宮本武蔵』などを愛読した昭和18年札幌の山鼻国民学校に転校、12歳の時札幌で終戦を迎える。昭和21年札幌第一中学校に入学、山岳部に所属し登山に熱中。その後学制改革により第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)に移る。高校の同期に、後の作家渡辺淳一、および渡辺の小説『阿寒に果つ』に登場し、荒巻の小説『白き日旅立てば不死』のヒロインの加能純子のモデルとなる夭折の天才画家加清純子がいた。のちの漆工芸作家で北海道教育大学名誉教授の伊藤隆一も高校の同級生。
昭和27(1952)年19歳の時受験のために上京、東大受験に失敗、東京の叔父から駿台予備校に通い、昭和28(1953)年20歳、再び受験に失敗、新婚の実兄の新居(目黒区祐天寺)に同居、実存主義に接しカミュ、カフカ、サルトルなどを読む。昭和29(1954)年 早稲田大学第一文学部心理学科入学、安部公房により新劇ファンとなり、南里文夫を聴いてジャズファンとなり、またF.ブラウン『発狂した宇宙』を読んでSFに関心を持つ。この頃、奥秩父、南アルプス等のワンダーフォーゲルの一人歩きに浸る。
昭和33(1958)年卒業。卒業後、家庭裁判所調査官試験に合格するも任地が新潟に決まり辞退。東京在住を決め両親を欺くため、早稲田大学第二文学部露文科に再入学し、国土社で働きつつ、ロシア革命時の軍艦から名前を取った『アブローラ』という同人誌を作り、当時書いた原稿は5000枚ほどだった。
昭和35(1960)年、27歳安保闘争に参加、学外の友人の自殺等挫折感を味あう。昭和36(1961)年28歳の時に家業を継ぐため札幌に戻り北海学園大学短期大学部土木科に入学、この頃知り合った武田啓子と結婚。卒業し、二級建築士の資格を取得。北建商事株式会社、専務、其の後代表取締役に就任する等実務に従事。
1965年から1967年、SF同人誌『CORE』を主催、また日本最古のSF同人誌『宇宙塵』に寄稿。昭和45(1970)年37歳の時、評論『術(クンスト)の小説論』、短編『大いなる正午』を早川書房のSF専門雑誌『SFマガジン』に発表し、作家・評論家としてデビュー。
昭和48(1973)年、40歳の頃作家としての目処が立ち、土建の仕事をやめ、父の美術事業を手伝い始める。
家庭的には、昭和38(1963)年30歳の時長男が、昭和43(1968)年35歳の時長女が出生しており、この時以降48歳になる昭和56(1981)年の13年間にかけ12回も海外旅行に出かけており、その先もヨーロッパ各地、中東、インド、南沙諸島、中国等の広範囲に亘っている。この体験はその後の作品群の中で十分生かされている。
荒巻義雄の思想と手法と作品群(wikipedia)
ニュー・ウェーブSFやシュール・リアリズムの影響をうけ、美術と心理学の素養を生かしたスペキュレイティブ・フィクション的な幻想的SFを発表し、35歳のときのダリの同題の絵画をモチーフとした短編「柔らかい時計」(初出『宇宙塵』1968年4月122号)は英訳され、1989年にイギリスのSF雑誌「インターゾーン」に掲載されて、高い評価を得た。1971年に『SFマガジン』に発表した中編「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」を長編化した『白き日旅立てば不死』などのヌーボー・ロマン風の作品や、「ユングの集合的無意識への夢」であるという連作長編『時の葦舟』などを発表。短編「晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」をリメイクした処女長編『白き日旅立てば不死』は、第1回泉鏡花文学賞の候補となった。
60年安保の挫折を経た後に、建築の仕事の経験によって職人の技術や身体の延長としての道具を文学にするという考えを持ち、それを「術の小説論」にまとめており、またマニエリスムを志向していると述べている。美術を素材とした作品に、ボスの『快楽の園』のような惑星への旅を描く『神聖代』、エッシャーの絵のような都市を舞台にした『カストロバルバ』などがある。筒井康隆は『神聖代』について「一種の巡礼物語であり、神話的な構成を持っている」「豊かな普遍性を持ち、読者それぞれの内的宇宙(インナースペース)への旅の指針」となっていると指摘している。
40歳の1973年にノン・ノベルを発刊した祥伝社の伊賀弘三良に、S-Fマガジン編集長だった森優の推薦で、半村良の『黄金伝説』のような伝奇推理の執筆を依頼されて『空白の十字架』を執筆し、以後伝奇ロマン作品を数多く発表した。またスペースオペラ「ビッグウォーズシリーズ」やジュブナイルSF「時間監視員シリーズ」などを執筆する。2度のインド旅行で仏教、ヒンドゥー教に関心を持ち、渡辺照宏『不動明王』を読んで不動明王とシヴァ神の説話にヒントを得て『殺意の明王』を執筆した。続編の『悪魔の議定書』では日本的な伝奇ロマンに対して舞台の国際化を目指し、また新書版に合った創作手法として劇画のプロット構成法を参考にし、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ『化学の結婚』の構成を指標として執筆した。さらにシリーズ3作目『妖獣王子』では世界情勢と近未来的問題を組み入れるという試みで、土地高騰現象と経済恐慌を題材にした。
伝奇ロマンとしては、超古代史をテーマとする『空白の十字架』などの「空白シリーズ」、『ソロモンの秘宝』を始めとする秘宝シリーズ、『古代かごめ族の陰謀』などの「陰謀シリーズ」、「埋宝シリーズ」などのSFミステリーがある。高校時代からアメリカ合衆国の推理作家・美術評論家。ヴァン・ダインを愛読しており、黄金シリーズを読んだ山村正夫から推理小説を描くように勧められ、浦島伝説を題材とした伝奇推理小説『天女の密室』、フリーメイソンを扱った『石の結社』を執筆、これらは画家の條里嶋成を主人公として、美術に関する造詣も生かされている。『天女の密室』は44歳の時1977年の週刊文春ミステリーベスト10で次点にランクされた。澁澤龍彦の影響が大きいと自身で語っており、そのマニエリスム志向はヨーロッパにおける神秘思想・秘教に代わって、超古代文明などをテーマとした伝奇SFとして表されていると笠井潔も指摘しており、巽孝之も、荒巻の架空戦記もまたマニエリスム的作品と評している。
53歳の1986年に当時の米ソ対立の中で、シミュレーションゲームから着想を得たシミュレーション小説を構想し、在住している北海道を舞台に箱庭的な世界を作ろうとして、ニセコ山系を舞台に選んだ近未来戦記『ニセコ要塞1986』三部作を執筆。続いて十和田、阿蘇、琵琶湖を舞台にした連作長編となった。これを皮切りに、架空戦記を執筆するようになり、1990年代以降の架空戦記小説ブームの始祖とも言える作品であった。61歳の1994年には、架空戦記作家宣言とも言える評論『シミュレーション小説の発見』を発表する。「世界模擬実験装置としてのシミュレーションにこそ、小説の未来がある」として、以降、架空戦記小説を多数発表する。一時期は日本SF作家クラブを脱退していた。
68歳の2001年の「富嶽要塞Ver.1」の完結以降、架空戦記の新作は発表されずに経済シミュレーション小説『プラグ』(2002年)や、アトランティスを舞台にしたSFファンタジー・シリーズ『アトランティス大戦』『火星のアトランティス』等を書いていた。
74歳の2007年8月に行われた世界SF大会 Nippon2007では、「スチームパンク/歴史改変」パネルに参加(他の参加者は、高野史緒、宇月原晴明、永瀬唯、新戸雅章)。2007年12月に翻訳家の増田まもるが創設したサイト「speculative japan(ニューウェーヴ/スペキュレィティヴ・フィクション・サイト)」にはメンバーの一員として参加し、盛んにSF評論を発表している。75歳の2008年12月から78歳の2011年12月にかけて日本SF作家クラブ主催で行われていた日本SF評論賞の第4回から第7回の選考委員長を務め、石和義之、岡和田晃、高槻真樹らを輩出した。
「SFへの回帰」が目立っていたが77歳の2010年5月、10年ぶりの架空戦記小説の新刊『ロマノフ帝国の野望』が発売され、話題を呼んでいる。巻末には最新の地政学関係の文献がリストアップされている。
81歳の2014年11月より月刊のペースで、彩流社より入手困難な初期SF作品を集成した『定本 荒巻義雄メタSF全集』(全7巻+別巻)が刊行開始された。編集委員はSF評論家で慶應義塾大学教授の巽孝之、SF研究家で元北海道新聞文化部長の三浦祐嗣。
長く「札幌時計台ギャラリー」のオーナーを務め、北海道の美術家の作品を多数所持する美術コレクターとしても著名であり、コレクションの多くは札幌芸術の森美術館に寄贈されている。
受賞歴
- 1972年 -『白壁の文字は夕日に映える』で星雲賞日本短編賞を受賞。
- 2012年 - 詩集『骸骨半島』で北海道新聞文学賞(詩部門)を受賞。紺綬褒章を受章。
- 2023年 90歳の時『SFする思考 荒巻義雄評論集成』(小鳥遊書房)で第43回日本SF大賞を受賞
90歳の2023年10月9日「文学の未来と未来への適応」のテーマで、北海道立文学館 講堂にて講演会を行っており、その講演案内には、荒巻義雄の次の言葉が、添えられていた。
「すでに大きな変革が始まっていますが、おそらく十数年後には、世の中の仕組みが全く変わってしまうでしょう。当然文学の環境も生成AIやチャツトGPTの進化と普及によって劇的に変化するでしょう。我々は、そうした未来に備える諸所の適応力を身に着けておくことが必要です。決して完全ではありませんが、SF作家の想像力で、十数年後の未来がどんな世の中になるのかをお話する予定です。」
おわりに
本を読み終え、荒巻義雄の略歴と彼の作品群の全貌を知り、感動した。青春の挫折、技術屋としての生活、挫折から自己を再構築して、作家しとてデビューする一貫した努力と追及。自分には到底及ばないそのバイタリティーと情熱に脱帽した。シュールリアリズムやロマン主義への傾倒、怪奇への関心や澁澤龍彦の影響。詩を書き、俳句を読む感性、孫と同じく文学部心理学科出身。自分の経歴と関心分野の重なりに共感する理由が理解できた。手持ちの7冊の本を再度読むと共に、手にしていない書物にも出会いたいと切に思った。
2024年8月19日
松田さん、こんにちは。
返信削除一作家の人生と作品の紹介を兼ねた新しい形の文学評論ですね。
ほとんど知らなかった、荒巻義雄についてずいぶん知識を得た気がします。読みたいと感じさせもしますが、残念ながら私の中での文学作品特にSFへの興味のなさは生来のものであり、それに時間を費やすなら、歴史や科学に向かいたいと思っています。
ところがそれすらも時間をつかえないほど、①仕事②家族③テニス④畑⑤歴史科学書⑥最後に囲碁と使いたい時間の行く先が多いです。そんなわけで、仕事を減らさなきゃと思うこの頃です。