ばじめに
その異様なタイトルと本のカバーに魅かれて思わず書店で手にした本それが「博士と狂人-世界最高の辞書OEDの誕生秘話;サイモン・ウインチェスター:鈴木主税訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:2006年3月発行、2020年9月4刷」ノンフィクションにしては、初めからミステリアスなストリー展開でついつい最後まで読み切ってしまった。
概要
話は、オックスフォード英語大辞典(OED)の誕生秘話である。しかし、この話の価値は、インターネット時代には、もう理解されないのかも知れない。それは、この20年ばかりの間に辞書たるものの価値が全く変わってしまったからである。我々の青春期1970年代には、辞書は、各家庭の知的基盤の一つをなすものであり、結婚当時、妻が持参した知的財産の一つが分厚い広辞苑であり、この本だけは、改訂版が出るたびに買い替えていた覚えがある。この辞書感覚が分からないとこの物語の面白さは理解できないかも知れない。
オックスフォード英語大辞典(OED)
オックスフォード英語大辞典(OED)は、総ページ数16570頁、収録語数414825語、用例1827306、全巻12巻、編集完了まで70年費やした辞書で、大槻文彦が11年かかって完成させた日本最初の国語辞典「言海」の収録語数が4万語弱であることと比較して、それが如何に大事業であったかが分かる。
この物語は、この辞書の完成に主要な役割を果たした二人の人物の出逢いと数奇な運命の物語である。
二人の主人公
時は、19世紀から20世紀にかけての時代、その一人は、貧困の中独学で言語学会の第一人者となり、長きに亘って編集主幹を務めたジェームズ・マレー博士( 1837年~1915年 )、もう一人は、アメリカの名家の血をひき陸軍の軍医となるも精神を失調し、ロンドンで殺人事件を起こし、精神病院に終身監禁されることになったウイリアム・チェスター・マイナー(1834年~1920年)である。
南北戦争と狂気
著者の最も描きたかったのはこのマイナーの狂気のように見える。マイナーは、優秀な陸軍医であったが、彼が精神を病むきっかけとなったのがアメノカの南北戦争である。南北戦争のことは、日本では、あまり知られていないが、1861年4月12日から1865年4月9日にかけて、北部のアメリカ合衆国と合衆国から分離した南部のアメリカ連合国の間で行われた内戦である。この内戦では、南軍130万人、北軍290万人が、4年間に渡って血みどろの戦いを繰り広げ、南軍25万8000人、北軍36万人の死者を出したと云われている。大量破壊兵器や重火器のない時代でのこの死者数の多さは、この内戦が如何に過酷なものであったかを物語っている。
イエール大学医学部卒の温厚な教養人マイナーが入隊したのは、最も激戦と云われた1863年6月のゲテイスバーグの戦いの4日後であり、彼の入隊の決意にリーンカーンのゲテイスバーグでの演説が影響したのかも知れない。彼が、精神を病むきっかけとなった出来事は、南北戦争最後のシュリーヴポートでの戦いであったらしい。
南北戦争は、過酷な戦いだけに脱走兵も多く、北軍で28万7000人、南軍で、10万3000人といられ、北軍の10人に一人、南軍でも12人に一人の規模であったらしい。そして、この脱走兵に対する刑罰は過酷を究め、マイナーは、ウエルダーネスの戦いで、脱走したアイルランド出身の兵士に対する刑の執行を命じられ、焼き鏝をこの脱走兵に充てる役割をやらされたらしい。南北戦争の終結間近マイナー30歳の頃の出来事であった。絵はこの本の中の挿絵。
ヴィクトリア時代
この時代は、蒸気機関の発明にみられる18世紀末の産業革命を経て、1815年のワーテルローの戦いで復位したナポレオンを破った後の時代で、この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期であるとみなされている。国内では、国中の鉄道網を発達させ、工学に大きな前進をもたらした。また。今日のように科学が学問分野となるまでに成長した。
さらに、この時代、イギリスは世界各地を植民地化して、一大植民地帝国を築き上げた。ヴィクトリア女王(1837~1901年)の在位期間の治世は、「ヴィクトリア朝」と呼ばれ、政治・経済のみならず、文化・技術面でも優れた成果を上げた。この時代のものは、政治、外交、軍事、文学、科学、家具などいずれであれ「ヴイクトリア朝の~」と形容されることが多い。絵は、新女王の前に跪いてその手に口づけする宮内長官カニンガム侯爵とカンタベリー大主教ウイリアム・パウリ(ヘンリー・タンワース・ウエルズ作)オックスフォード英語大辞典(OED)の作られた背景には、このヴィクトリア時代の要請があり、そこには英語は、大英帝国の本質を表す言語であり、その英語を扱う書物は、帝国の維持に重要な手段だと云う関係者の固い信念があった。
オックスフォード英語大辞典(OED)が企画されたのは、1857年であり、完成したのは1927年の大晦日なので、企画から完成まで70年の歳月がかかっている。なを、ヴィクトリア時代におけるアメリカでの今回の話にも関係する最も大きな出来事は、1861年から1865年まで続いた南北戦争である。
本書の内容
本書の内容は、1872年2月にロンドンで発生した殺人事件とその結末から始まるウイリアム・チェスター・マイナーの物語とその対極の生活を送って来たジェームズ・オーガスタ・ヘンリー・マレーの生い立ちと経歴、英国における辞書編纂の歴史、英語大辞典(OED)作成業務とそこでのマイナーとマレーの役割と交友録である。普通の本であれば、この物語は、著者のあとがきで終わるが、その後に著者の覚書と称するエピソードと謝辞が続き、さらに書評家豊崎由美氏の「事実が小説よりも奇なるとき」と題する解説が収録されている。
英語大辞典(OED)に関する本は、数多く出版されているようであるが、本書でもっとも興味深かったのは、マイナーの精神疾患の原因が南北戦争中の体験に起因するとみられることであり、それが結果的にアメリカ人がこの編集に貢献することになったと云う奇なる歴史の詳細な追跡、調査であり、これこそ著者が、読者に知ってもらいたかったことのように思われる。
著者のサイモン・チェスター
サイモン・ウインチェスター、OBE(英語: Simon
Winchester , 1944年9月28日 - )は、イギリスのロンドン出身のジャーナリスト、著作家。
ウィンチェスターはイギリスのロンドンにて出生し、少年期はイングランド南西部の
ドーセットにある数校のボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に通学した。アメリカ合衆国内をヒッチハイクしながら1年過ごした後、1963年に地質学の勉強のためにオックスフォード大学セント・キャサリンズ・ カレッジに入学し、1966年に卒業した。
大学卒業後にカナダに本社を置く鉱山会社のファルコンブリッジ社のアフリカ支社に入社した彼はウガンダで地質学者として銅鉱床を探索する作業に携わるようになった。
1969年からイギリスのガーディアン紙で働くようになり、特派員として働く、ガーディアンを去った後にサンデー・タイムズで働いたが、41歳となった1985年にフリーランスのライターとなり、最初に大きな成功を収めた著書がこの『博士と狂人
世界最高の辞書OEDの誕生秘話(英語版)』(1998年)である。1998年にアメリカの映画監督でもあるメル・ギブソンがこの作品の映画化権を買い取り、20数年を経て映画化された。
この他に世界初の地質図を作成したものの、その業績が認められずに苦難の日々が続き、晩年になってようやく報われることになるイギリスの地質学者ウィリアム・スミスの波乱の生涯に焦点を当てた『世界を変えた地図(英語版)』(2001年)は第二の「ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト」入り書籍となった。その後はオックスフォード英語辞典を編纂する物語についての続編『オックスフォード英語大辞典物語(英語版)』(2003年)、歴史上最悪の大噴火となったインドネシアの1883年のクラカタウの噴火が地球上に及ぼした影響を検証した『クラカトアの大噴火(英語版)』(2003年)、アメリカ史上最悪の自然災害となった1906年のサンフランシスコ地震を地質学的な視点も含めて包括的かつ詳細に描いた『世界の果てが砕け散る』(2005年)、生涯を通じて中国に魅了され続けたイギリスの生化学者・科学史家ジョゼフ・ニーダムの伝記『The Man Who Loved China』(2008年)、すぎリスのチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロル)の生涯や業績、『不思議の国のアリス』のモデルとなったアリス・リデルとの関係を描いた『The Alice Behind Wonderland』(2011年)などの著書を発表している。
ウィンチェスターは「2006年新年の栄誉リスト(英語版)」でジャーナリズムと文学に対する貢献が称えられ、イギリス女王エリザベス2世より大英帝国勲章のオフィサー章を授与されている。
オックスフォード英語大辞典(OED)のその後
分冊と本巻に費やされた44年間に進化したり新たに出現したりした何万語単語が補遺に収録され1933年に出版された。さらに4冊の補遺が1971年から1986年の間に出版された。
1989年には、コンピュータと云う新たな力を得て完全に統合された第二版を出版した。
ここでは、補遺に収録された語の変化や追加をすべてまとめて20巻とし、各巻は第一版より若干薄くなっている。1970年代末には2巻からなる縮小版が出版された。
其の後、CD・ROMが登場し、その少し後には、オンラインで利用できるようになった。第三版の作業も莫大な予算で着手された。
読後感
数十年前「大言海」を作った大槻文彦の「言葉の海へ」と云う本を読んだ記憶があり、今回調べてみたらそれが京都市生れ。京都大学文学部卒の作家、編集者高田宏(1932-2015)の作品であると知った。あの当時辞書というものの文化的価値についてほとんど考えが及ばなかったが、我が国にもオックスフォード英語大辞典(OED)を作成した人達と変わらぬ志を持った人達がいたことにあらためて思いをはせた。
インターネットの普及した現代、我々はなんと知的に恵まれた環境に生きているのだろう。その環境を生かすべき努力をしなければ、先人達に申し訳ないと思わずにいられない。
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