自動車業界の性能表示が、問題となっている。
この問題は、一見単純なコンプライアンス問題のように見える。
しかし、以前にも食品で問題があったし、新しいところでは、羽毛布団の問題がある。
ある意味では、どんな業界でも何等かの表示問題を抱えている。
この背景には、市場競争の問題がある。性能の不適切な表示問題は、実は市場社会全体を蝕んでいる問題でもある。
車を含める機械の性能表示問題もこの背景でみてゆく必要がある。
他との競争が厳しくない時代には、表示より中身が問題であると教えられてきたし、そのように
考えてきた。1990年のバブル崩壊以前は、その性能についていちいち説明しなくとも顧客や消費者は分かってくれると信じていた。
しかし、バブル崩壊と共に、市場経済化、競争化が叫ばれるようになると、コスト優先、宣伝優先
の風潮が主流となった。市場経済の負の面が顕著にあらわれ始めた。この市場経済化の負の作面は、中国で顕著にみられるが日本でも程度こそ違うが同様な傾向が見られた。つまり「悪貨が良貨を駆逐する」事態である。
市場経済は、統制経済よりも社会進歩に効果的であるが、その負の側面の制御が問題である。
つまり、競争は良いが、その評価の基準と評価能力がしっかりしないと、「悪貨が良貨を駆逐する」事態をまねく。
この評価と評価基準をすべて法的に定めることは不可能であるので、そこに健全なメディアや独立して評価を行う公益団体や専門家組織が必要となり、国民ゃ消費者の評価能力の向上が必要になる。
機械の性能をすべてにおいて他との比較可能な形で数値化するのは、不可能であるので
一般には、ある特定の条件下で、ある特定の試験法により、ある決められた性能指標を算出し
これを性能として表示することになる。この試験法は、JIS等の各種規格で定められている。
試験であるので、当然測定誤差があり、それは許容されている。
ただ、問題なのは、こうした数値の意味が、よく説明されていないことであり、この数値に基づいて
税制や補助金がつくことである。これが、購買者の購入を誘導するとなると数値の客観性や公平性が担保される必要がある。
この意味で、試験方法は、もはや技術の専門的領域の問題ではなく、広く第三者が確認できる
公開分野の問題となっていると云える。
これを機会に、性能表示の問題をより多くの人が考えるようにしたいものである。
2016年5月19日木曜日
2016年5月4日水曜日
今月の古書展とナントの城
今月の古書展は、4月29日から5月1日におこなわれた。初日は、超満員で、あったがそれでも千円で8冊ばかり購入、その中には、フランスの城と館の写真と解説集があった。思わず手にしてしまったのは、そこにブルターニュのナントの城を発見したためである。
ナントの町の路面電車の見学は30分程で終わり、後は市街地と城の見学であったが、日曜日で人通りもすくなく、あっと云う間にその見学も終わり、近くのレストランで、食事とワインをしてその日の内にパリに戻った。これだけのことであるが、しかし印象に残ったことがある。このナントの城に日本語の案内パンフがあったことである。フランスにきて、感じたのは、車はルノーがほとんどで言葉はフランス語で漢字には全くであわなかった。そんな中、こんな片田舎(失礼:と云ってもブルターニュ地方最大の町と云われている)にも日本人がいて、この城のために解説記事を書く人がいたのである。城そのものより、僕はそのことに感動した。今考えると、それは、圧倒的な西洋文明の中で孤立してある日本文化の存在を愛おしく思う感情と重なっていたように思う。
ナントの城は、20年ばかり前、ヨーロッパの視察旅行の時訪れたことがあった。ナントはパリからTGVで二時間ばかりのフランスの南西部の町で、視察の目的は、TGVに乗ることと復活した路面電車の見学であった。
ナントの路面電車 |
フランスのTGVは、定員が、日本の新幹線の1/3程度の小型で、座席は、左右2列づつで簡素なビジネス特急のごとくで1990年には、時速515.3km/h の当時としての世界記録で有名であったが、限りなく広い平野の直線軌道での記録で、山川をぬって走る日本の新幹線とは比較にならないと感じた。
ナントの市街地 |
ナントの町の路面電車の見学は30分程で終わり、後は市街地と城の見学であったが、日曜日で人通りもすくなく、あっと云う間にその見学も終わり、近くのレストランで、食事とワインをしてその日の内にパリに戻った。これだけのことであるが、しかし印象に残ったことがある。このナントの城に日本語の案内パンフがあったことである。フランスにきて、感じたのは、車はルノーがほとんどで言葉はフランス語で漢字には全くであわなかった。そんな中、こんな片田舎(失礼:と云ってもブルターニュ地方最大の町と云われている)にも日本人がいて、この城のために解説記事を書く人がいたのである。城そのものより、僕はそのことに感動した。今考えると、それは、圧倒的な西洋文明の中で孤立してある日本文化の存在を愛おしく思う感情と重なっていたように思う。
ナントの城 |
その写真集は、昭和54年4800円で売り出されたものであるが、それが三冊100円のコーナーにあった。昔の写真集は、今からみれば印刷技術で見劣りするので、こんな価値しかない。しかし私には、西欧旅行を思い出すきっかけを与えてくれ本としての価値はあった。家に帰り、その時撮ったナントの写真を探し出した。そういえばナントは、1598年、ここでアンリ四世が「ナントの王令」に署名し、信教の自由を認め、長年の宗教戦争に終始符をうち、フランスを統一に導いた歴史的な場所であった。
写真集 |
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