1.はじめに
2020年新型コロナが発生した当初、この騒ぎは、1年も過ぎれば収まるだろうと思っていた。ウイルスの性格からしてそれ程致命的なものとは思われなかったし、欧米に比べて日本における致死率の低い理由については、上久保理論で説明がつくように思ったためです。
想定外だったのは、日本社会の反応で、中国やヨーロッパでの、ロックダウンと死者数の増大と云う連日のメデアの報道で身近な人々の意識がコロナに対する恐怖心で侵されていくことでした。こうした中、三密、不要不急、自粛等の用語が日常化し、人々の行動の変容が広がってゆきました。そして冗談の如くあのオイルショックの時の再現のようなマスク不足が発生したのです。人々の行動や意識がおかしいといっても、個人の声は、社会全体には届かず、私の主張は、自分達でやっている座禅会を継続すると云う微かな形でしか発揮されませんでした。
だだこの中での救いは、リモートワークと云うデイジタル化の流れが加速したことで、人との新たなコミュニケーションの形が生まれたとことでした。
新型コロナが収束を見せない中、このコロナ禍はいつかは収まると確信しながら、これが収束した後の世界はどんなになっているかに私の関心は移っていった。
2.ポストコロナへの手掛かり
哲学、思想関係の良書に恵まれない中、SFに望みを託して書店を覗いていて、興味を抱いたのは中国のSFで、それが「折りたたみ北京―現代中国SFアンソロジー」(7人の若手作家の作品とエッセイ集:編集ケン・リュウ編:中原尚哉・他訳:早川書房:2019年10月10日印刷)
そうこうしている内に2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻、2022年11月30日発表の人工知能CATGPTの誕生の衝撃と2022年11月26日から始まった中国白紙革命によるゼロコロナ政策の終了と中国不動産バブル崩壊、さらに2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃を端緒とするイスラエル軍パレスチナガザ地区への攻撃と侵攻とパンデミック以上の衝撃と惨劇が続き、ポストコロナの世界は、ますます見えずらくなってきた。
3.未来の記憶と異星人との接触
本の題名はERINNERUNGEN AN DIE ZUKUNFT(未来の記憶) 本の著者は、Erich von Däniken(エーリッヒ・フォン・デニケン) Translated by Kenji Matsutani(翻訳者は、松谷健二)もともと1968年(昭和43年)にドイツのEcon Verlag GmbHから出版された本で、日本訳は、1969年未来の記憶 : 超自然への挑戦エーリッヒ・フォン・デニケン著 ; 松谷健二訳としてハヤカワ・ライブラリから出版され、1974年(昭和49年)に角川文庫からも出版された。私が入手したのはその新装再販本で1997年(平成9年)に出版されたものである。
本の内容は、宇宙人古代飛来説で、あのベストセラーになった1995年に出版されたグラハム・ハンコック(Graham Hancock, 1950年8月2日 - )による『神々の指紋』(日本では1996年刊行)のもとネタとなった本である。
地球外生命体については、 1959年、科学雑誌『Nature』上にジュゼッペ・コッコーニ(英語版)とフィリップ・モリソンが初めて地球外生命体に言及する論文を発表。その論文で「地球外に文明社会が存在すれば、我々は既にその文明と通信するだけの技術的能力を持っている」と指摘した。またその通信は電波を通して行われるだろうと推論し、当時の学界に衝撃を与え、これを契機として地球外文明の探査が始まった。
実際1960年、世界初の電波による地球外知的生命体探査( Search for Extra Terrestrial Intelligence:SETI)と称されるオズマ計画が行われた
バンデェミックと人工知能AIの誕生が現実化した現代、次に浮上するショッキングな出来事は、地球外生命体との接触でしかない。「未来の記憶」は、このことを改めて思い出させてくれた。
そうであるならポストコロナの世界は、異星人の視点から見た世界と重なるのではなかろうか。そんな問題意識から異星人との接触をテーマとしたSFに興味を持ち、書棚の奥の方に放置されていた長編SFを取り出して読んでみた。それが「降伏の儀式上下巻」(ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル著酒井昭伸訳:創元推理文庫:東京創元社:1988年12月23日初版)である。物語は、土星の衛星の裏側に長い間、隠れていた異星人の艦隊が。長年の準備を終えて地球を侵略してくるのに人類が立ち向かう物語である。これが興味深かったのは侵略者の姿や思想がはっきりした物語であることで、その他のSFが、異星人を地球人の目から一方的に描いているのに対して、異星人の側からも人類を見る双方向性をもっていることであった。そしてこの視点こそポストコロナの世界を見る場合必要な視点と私が思っていたことであった。
これに続いて手にした本が「異種間通信」(ジェニファー・フェナー・ウエルズ著:幹瑤子訳:ハヤカワ文庫:早川書房:2016年1月10日印刷)であり、こちらは、小惑星帯に放置されていた未確認宇宙船の中で未知の知的生命体と遭遇する物語であり、そこでは、異星人から見た地球人が取り上げられており、異星人の視点から人類の将来が議論されていた。
4.ポストコロナと未来
これらの本を読みながら感じたことは、地球の中からしかも人間の目から未来をみていても限界があるのではないかとの思いである。
一般に過去が分かれば、現在が分かり、現在が分かれば未来がわかると云われているが、通信技術の急激な発展やAIの誕生、気候変動等過去の歴史では、あまり例のない、大きな変動や出来事をこのような手法では、予測できないのではないかと云うことである。
逆に未来が分かれば、現在が分かり、現在が分かれば、過去が分かるという思考の逆サイクルの発想も必要でないか。我々は今まで、現在の時点や地点に縛られて未来を見て来たが、その束縛を解き放ってみることが必要ではないかと感ずるようになった。
5.「三体」と「壊れ行く世界の標」
そんな時、ユーチューブ上で若者の間で中国の若手SF作家劉慈欣の作品「三体」が話題になっていることを知り、読んでみることにした。劉慈欣の名前や彼の作品「三体」については、「折りたたみ北京」の中に名を連ねていたので知っているが、大部の作品で読むことを躊躇していたが、これだけ話題となっているなら見逃すわけにはゆかないと意を決して書店へ出かけた。そこで入手したのが「三体」(著者劉慈欣、訳者大森望、光吉さくら、ワン・チャイ早川書房:2024年2月25日発行) この本には、これは2019年7月に早川書房より単行本として刊行したものを文庫化したものとの注がついていた。原作は2006年から中国のSF雑誌「科幻世界」に連載され、2008年に単行本として刊行され、2014年ケン・リュウによりその英語訳が刊行され世界的に広がったものらしい。
この本は地球外知的生命体との接触をテーマとしているので、私のこのところの関心の延長線上にある作品であった。しかし、文庫本としては、大部であるため、一部、二部、三部と別れて刊行されたため、とりあえず第一部のみ購入した(後に第二部の上下巻も発刊され入手した)
このとき、近くに「壊れ行く世界の標」(著者:ノーム・チヨムスキー:聞き手:デヴット・バーサミアン:富永晶子訳:NHK出版新書:NHK出版:2022年11月10日第一刷発行)と云う本もあったので、購入した。
ノーム・チヨムスキーは92歳のアメリカの政治に批判的な知識人の代表のような人物で、大学時代の友人のT君が、よくその意見を推奨していた人で、少し変わったリベラリストである。彼がどのような認識をもっているかは、既存の知識人の一般傾向を知るのによいと思って購入してみた。
6.「コロナ後の世界」と「壊れ行く世界の標」の感想
「壊れ行く世界の標」を読んでノーム・チヨムスキーの世界像に違和感を覚えた私は、改めて日本の研究者達の論考「コロナ後の世界」を読み直して、この違和感の正体を探ろうとした。この二冊の本に対する評価は別として、違和感の一つは、彼等が皆、ウイルスと人間の基本的関係についてあまり、理解しておらず、生物としての人間と云う認識に欠けているように思えることである。つまり、人間を特別視して、生態系と対立させる思考法に起因しており生態系の一部としての人間と云う視点を欠いているように思われた点である。これは、国連の会議で話題となる生態系サービスと云う言葉に現れているように、人間を生態系と対立させて考える西欧の近代合理主義的発想法に端的に示されている。
パンデミックが、生態系の破壊を原因としているなら、それは、人間自身の行動の結果であり、その結果を人間は受け入れなければならない。しかし、そうしておいて自分だけが助かろうとする。しかもワクチン等の科学を用いて。我々は大きな誤解をしている。人間を、生態系を守るべき存在として、生態系と切り離して理解している。人間は生態系の一部であり、そうであるなら生態系は、人間を防御する仕組みも備えている。人間の免疫系とはそう
したものであるはずである。SFの世界では、既にH・G・ウェルズが1898年に発表した「宇宙戦争」の中で、「地球を異星人の侵略から守るのは、人類が長年の歴史の中で共生してきたウイルスであった。」と物語を締めくくっていた。
しかし、昨今の識者の一人として人間の免疫系に対する信頼を取り上げた人はいない。ワクチン、ワクチンと云うばかりの科学頼みばかりだ。異性人から見れば、人類はウイルスとの共生体としか見えないかも知れない。しかし肝心の人類は、そうとは思っていない。これは外部からみたとき喜劇だ。つまり問われているのは、人類とは如何なる種族であるかと云うことだ。
我々が宇宙の中で生きる意義、役割があるとすれば、それはなんであるのかこれが問われている。ポストコロナの世界では、人道ではなく生物道と人類の在り方が問われる世界と云うことではないだろうか。
ポストコロナの世界について考えてきたが、従来のような人間を中心とした概念体系でその世界や文明を描くことは出来ない。それは、ニュートン力学で、世界の現象をすべて説明することが出来ないことに似ている。人間中心主義をニュートン力学と同じ巨視的世界の論理と考えれば、ポストコロナの世界では、物理学における量子力学や相対性理論に匹敵するミクロ生命理論(ゲノム生物学)やマクロ生命理論(宇宙生物学)に基づく、新たなミクロ人間学や相対論的人間学に基づく文明論ではなかろうか。そしてそれへの道を開くのは、ポストコロナのSFではないかと思わずにはいられない。 了
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