古書展で題名に魅かれて思わず購入した下記の本の題名である。
著者のライアル・ワトソン(Lyall Watson, 1939年4月12日 - 2008年6月25日)は南アフリカ共和国生まれのイギリスの植物学者・動物学者・生物学者・人類学者・動物行動学者。(Wikipedia)
この本は、著者によって書かれているが、その内容は、著者自身の体験ではない。そのことは、この本の英語の題名「‹One Man’s Journey into Africa:1人の男のアフリカへの旅」に示されており、この1人の男は、著者ではない。これは、アフリカのブッシュ(未開墾の森林地帯)で22年間生活し、1978年死亡したあるイギリス人の実話である。そのイギリス人の名は、エイドリアン・ボーヂャ(1939年から1978年)である。
彼は、16歳でブッシュに入り奥地の部族に受け入れられ、呪術師の修行を受けると云う白人としては稀有な体験をした。この本はその冒険談であり、貴重な体験談である。これは、このボーヂャの伝記であると共に、著者ライアル・ワトソンによるアフリカ解説論でもある。16歳でジャングル生活を始めたボーヂャに己の体験を記述する動機や能力がはじめから備わっていたはずはない。従ってこの本の成立そのものが不思議な出逢いのたまものである。
ボーヂャに己の体験を記述するきっかけは、彼がオーストラリア出身の1人の人類学者レイモンド・アーサー・ダート(Raymond Arthur
Dart、1893年2月 - 1988年11月)と出会ったことによる。ダートは、1924年、世界で初めてアフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 - 約200万年前に生存していたとされるアウストラロピテクス(アウストラロピテクス・アフリカヌス)の化石を発見したことで知られている。
彼はオーストラリア北東部のクイーンズランド州シドニー、メルボルンに次ぐオーストラリア第三の都市ブリスベンで、畜産農家の9人兄弟の5番目として生まれた。クイーンズランド大学で奨学金を得て医学を学んだ。卒業後はシドニーで研修医を勤めた後イギリスに渡り、第一次世界大戦では従軍医師としてイギリス軍の部隊に参加した。戦後、マンチェスター大学で助手の職を得る。 1922年に南アフリカのヨハネスブルグへと渡り、ウィットウォータズランド大学で教職を得る。1924年11月スタークフォンテインの洞窟で
タウング堆積層から類人猿によく似た頭骨の化石を発掘。ダートは、一見して類人猿を思わせるが、脳が大きく眼窩上隆起も弱いこの頭骨がヒトと類人猿の中間にあたる化石と判断、すぐさま論文を執筆して、翌1925年に『ネイチャー』誌に投稿した。しかし、その説は受け入れられず、彼の調査は、一時中断するが1930年代から1940年代にイギリス生まれの考古学者ロバート・ブルーム等が次々とダートの説を裏付ける発見をし、ダートは名誉回復され、1940年代から再び調査活動を始めるようになっていた。
一方ボーシャは、戦時中にイギリスから難民の子としてアメリカにわたり、1946年7歳のときヨーロッパに戻ってきて、当時出来たばかりの「野外学校」に入学して、そこで自給自足の精神を教えられ、そこでスタンレー、リビングストン等のアフリカ探検の本を読み彼等探検家の後を追うのが夢になった。1955年16歳の時転機が訪れた。母親が再婚し、その相手が南アフリカに行って教職に就く事になり、1955年一家は南アフリカに移民した。
そしてヨハネスブルグ到着して幾日もたたない内にボーシャは待ちきれず、大事にしていたポケットナイフと袋一杯の塩だけを持ってヒッチハイクで街を出て行った。塩は物々交換に役立つと本でよんで知っていたためである。この後ボーシャは1人でブッシュの中で生活してゆくことになる。
この二人が運命的に出会ったのが1962年11月のことで、この時ダート69歳ボーシャ23歳で、ボーシャは、すでに6年間ブッシュの中で1人で生活してきていた。
ダートは、訓練や経験もなくブッシュに勝手に入ってゆき、独学で生存法を覚えた青年の進取の精神に深い感銘を覚えた。ダートは、この青年の話を聞き行動とシンボルとの相関、現在の慣習を歴史的・先史的背景に照合して説明した。彼の話を聞いてボーシャは目を洗われるような思いだった。彼は、一つの発見からこれほど豊富な内容をくみ取ることが出来ると夢にも思わなかった。
何年間も孤独に、しかも時にはあてもない探検を続けてきたボーシャは、博士との会話の中で学問の世界で何か貢献が出来るかも知れないと考えるようになった。話し合いが終った時、博士は、ポーシャに素晴らしい提案をしてくれた。博士が読書の指導と解説を行い、ある基金からいくばくかの助成金を捻出する。そのかわりボーシャは。その資金を使ってブッシュの探検をつづけ、ときおり市内に戻って報告すると云う案だった。
この提案に基づく報告がこの本の内容である。
ボーシャは、ひとりブッシュの中で生き延びるため身に着けた狩りや住まいについての知識や原住民達から学んだ骨や石器や薬草についての知識が数百万年の昔から受け継がれてきた知恵であり、その習慣・音楽や儀式がブッシュで生きてゆく上での指針や集団意識の形成・喜びの発露、恐怖や不安解消のための処方箋であることを理解し、その精神の在り方が、初期人類の精神世界に連なっていることを理解してゆく。そこには、巨大で不可解な自然に対して、幼年期の人類がどのような思考の枠組みの中で集団として生き抜いていったかの原型が残されていた。
その内容をボーシャは、骨、石、血、土、水といったキーワード乃至テーマごとに記録し残こしていった。しかし、その彼は39歳の若さで亡くなったため、そのままでは、その記録は、歴史の片隅に埋もれてゆく運命にあった。
したがって、この本が生まれるためには、もう一人この本の著者との関係に触れる必要がある。
新しい知識で、武装したボーシャは野生の世界に帰りもっと系統だった方法で情報収集を開始した。やがて彼は、ヨハネスブルグの「人類と科学の博物館」のフィールド・オフィサーに任命されるまでになった。そして貴重な資料をあつめながら学識を深め、いつのまにかヨハネスブルグの考古学・人類学会の目立つ存在となった。
彼とこの本の著者のライアル・ワトソンが知り会ったのは、この時期である。
ライアル・ワトソンはヨハネスブルグで生まれ、マルコム・ライアル・ワトソンと名付けられた。幼少時より周囲の自然界に関心を抱き、ズールー人の老人に教えを受けた。ケープタウンの高校を1955年に卒業し、翌1956年にウィットウォーターズランド大学に入学、植物学と動物学を修めた後、オーストラリア出身の人類学者レイモンド・ダートに弟子入りし古生物学を学んだ。この経験がきっかけとなり、ドイツやオランダで人類学の研究に従事。後に地質学、化学、海洋生物学、環境学、人類学などにおいても学位を取得した。ワトソンはロンドン大学で、イギリスの動植物学者デズモンド・モリスに師事し、動物行動学において博士号を取得している。また、BBC(英国放送協会)で自然ドキュメンタリーのライター、プロデューサーとしても働いた。この時期に、名前をライアル・ワトソンに短縮した。上記のほか、ヨハネスブルグ動物園の園長や、様々な地域への探検隊長、国際捕鯨委員会のセーシェル担当コミッショナーなどの職歴がある。1980年代後半には英国のチャンネル4で、大相撲ロンドン場所のプロデュース・解説を務めた。
ライアル・ワトソンは動植物界、人間界における超常現象を含む科学の水際をフィールドワークとして「新自然学」の確立を目指し、自然的現象と超自然的現象を生物学的見地から解説しようと試みた。
ボーシャとライアンは、偶然にも1939年生まれの同じ年齢であり、しかも自然や人間精神について同じような関心を持っていたので互いにある種の興味と共感を抱いたのは事実であろう。
ボーシャが亡くなった1978年には、ライアンは、既に一つの思想を確立しており、その考えを複数の著作で明らかにしつつあった。ボージャ自身は、膨大な調査とその記録ノートを残していたが、まとまった著作はなかった。このため、この膨大な記録ノートをまとめて一冊の本にすることがライアンに託され、その結果生まれたのがこの本である。
さらに、この本が我々の目に留まるようになるには、もう1人の人物が関係している。それは翻訳者である村田恵子(1946~2013)である。今回ライアンの著作の中に「未知の贈りもの」の題名を見つけ、その本に以前出会った記憶があったので書棚を調べたたら確かにあった。
それが「未知の贈り物:ライアル・ワトソン:」村田恵子訳:ちくま文庫:1992年12月第一刷」、この本の最後のページに、この本は、1979年5月15日工作舎より刊行されたとあった。つまりこの本は、村田恵子33歳の時の翻訳本となる。そして今回手にした「アフリカの白い呪術師」は、1983年に河出書房から刊行された本を文庫化したものなので、この本は、村田恵子37歳の翻訳本となる。
彼女は、小学時代をニューヨークですごし、国際基督教大学人文科学科卒業後フリーの同時通訳者となり、翻訳も手掛けたらしい。残念ながら2013年67歳で肺炎のため亡くなっており、それ以上の詳しい情報は得られなかった
ライアル・ワトソンは動植物界、人間界における超常現象を含む科学の水際をフィールドワークとして「新自然学」の確立を目指し、自然的現象と超自然的現象を生物学的見地から解説しようと試みた。彼はニューサイエンス(ニューエイジサイエンス)に類する書籍を多く上梓し、中でも『スーパーネイチュア』は世界的なベストセラーとなった。
ここで、ニューエイジ(英: New Age「新時代」の意)とは、20世紀後半に現れた自己意識運動であり、宗教的・疑似宗教的な潮流である。ニューエイジという言葉は、魚座の時代から水瓶座の時代 (Age of Aquarius) の新時代(ニューエイジ)に移行するという西洋占星術の思想に基づいている。グノーシス的・超越的な立場を根幹とし、物質的世界によって見えなくなっている神聖な真実を得ることを目指す。ニューエイジ思想の運動は、ニュ―エイジ運動と云う。(Wikipedia)
「アフリカの白い呪術師」は、こうした思想的背景を持つライアル・ワトソンが、白人青年ボーシャの経験したアフリカの生活記録をまとめた本である。しかし、そこにワトソンの思想的影響がそれ程多く反映しているようには、見えなかった。ボーシャの体験は、数百万年かけて形成されてきた人間の意識の深さをアフリカの原住民の精神生活の中に見たのであり、それは、人間が世界を認識する枠組みを理解する根幹をなす部分と直結していることである。
新型コロナのバンデェミックを経験して、自然と人類の関係や人間と云う種の地球上でのあり方が改めて問われている現在、ライアル・ワトソンの視点やボージャの体験からの視点を今一度再検討する必要があると思わずにはいられなかった。
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