2023年2月18日土曜日

一冊の本に導かれて―小林秀雄の周辺

 

 一冊の本との出会いが我々を新たに世界へ引き入れてゆくことがある。今回の場合、この一冊が、古書店で出会った山本七平の「小林秀雄の流儀:新朝文庫200151日発行」である。普段ならおそらく手にすることのなかった200(定価514)のこの本を思わず購入してしまったのには、理由があった。その直前に読んだ山田風太郎の「人間臨終図鑑」のの中で、小林秀雄が、75歳で、最後の著作「本居宣長」を完成させ、80歳の時膀胱癌の手術を受け81歳で亡くなったことを知ったためである。

小林秀雄については、彼の「モオツァルト・無常ということ:1961年初版新潮文庫の200369刷版」でモオツアルトを数年前読み返し、感銘を受け。その後書店で、いつか読もうと「小林秀雄対話集―直観を磨くもの:新潮文庫201411日発行」を購入した経緯があった。しかし、長らく手付かずであった。しかし、モオツアルトを読んだとき、彼が音楽と云うものの創作の秘密に迫りつつあることは、理解できた。しかし、彼の文章は難解で、とても気楽に読めるしろものではないと感じていた。私にとって彼の知性は、大人のもので近寄りがたいものに思われた。しかし、彼の生活には、ずっと興味があり、私の手元には、彼の妹の高見沢潤子の「兄小林秀雄との対話:新潮文庫201110月発行」あり、目を通したこともあった。

その私が、再び小林秀雄に着目したのには、全く別の理由があって、それは、最近の人工知能(AI)の可能性を考える上で、人間の知性の在り方、創造の秘密を考える上で、「人間とは何か」が問われていると思うようになったからである。そして、その場合、合理的、意識的領域のみでは説明できない創造活動に肉薄してきた小林秀雄の思想や視点にそのことを考えるヒントがあるのでないかと思われたためである。そんなこともあって、小林秀雄の「近代絵画:新潮文庫196811月初版の19861月発行30」を購入したばかりであった。

小林秀雄は、75歳で最後の著作を書き終え、81歳で亡くなったことを改めて考えるとこの晩年の年齢に近づいた私にも小林秀雄の視点や思想が理解できないはずがないような気がしてきた。そんな時、古書展で出会ったのが「小林秀雄の流儀」であり、著者の山本七平は、名前だけ知っている程度の知識しかなかったが、小林秀雄を理解する上で何かの参考にはなると思いとりあえず購入したのだった。

小林秀雄は、1902年に生まれ、1983年に亡くなっている。この本は198331日小林秀雄が亡くなった直後から「新潮」誌上に掲載された六つの文章を集めたもので、その内容は、1.小林秀雄の生活、2.小林秀雄の「分かる」ということ、3.小林秀雄とラスコーリニコフ4.小林秀雄と「悪霊」の世界、5.小林秀雄の政治観、6.小林秀雄の「流儀」最期に文芸評論家新保祐司の「空気」から脱出する「流儀」と云うこの本についての解説文がついている。この本は、小林秀雄が亡くなって3年後の19865月単行本として発行されたものがその15年後文庫本として発行されたものであった。

 当初小林秀雄を理解するための参考としての内容を期待していた私は、それが全く間違いであったことにすぐに気づいた。その内容が、小林秀雄の文章にわをかけて難解であることに気づかされたためである。結局、この本を理解するためには、小林秀雄の著作を直接読む必要があると気が付き、まず「近代絵画」を読み、さらに「ドストエフスキーの生活:新潮文庫1962年初版19904月第37刷発行」と「本居宣長上下巻新潮文庫1992年初版202113刷発行」と数学者岡潔との対談集「人間の建設:新潮文庫2010年初版20225月第16刷発行」を買い求めて、さっそく「ドストエフスキーの生活」を読み終えた。

その理由は、モオツアルトから初めて、音楽、絵画とくれば、次は文学であり、創造の秘密に迫る作業が一段落するためであり、さらにトストエフスキーを通じて、ロシア革命後もスターリンとプーチンを生み出したロシアの風土を理解する手掛かりになると思ったためである。

 しかし、これ等の本に目を通してもなかなか小林秀雄の世界は見えてこない。けれど、「小林秀雄の流儀」は、一つの示唆を与えてくれた。小林秀雄は、戦前・戦後を通してその思想がぶれることのなかった数少ない知識人の一人であることだ。そうであるなら、その思想の中核概念は、彼が、文芸評論家として世に出るきっかけとなった論文。すなわち昭和44月「改造」の懸賞論文第2席に入選した論文「様々なる意匠」の中に見出せるかも知れない。そしてその論文を大学卒業後の間もない時期に目にした記憶があった。それがXへの手紙・私小説論:新潮文庫19624月発行19673月第5刷」で、この中には、小林秀雄の初期の作品と共に27歳で発表した「様々なる意匠」が収録されていた。

 これを再度読み返してみたが、購入した当時と同じく難解な内容であることにかわりはなかった。結局3回読み直し、おほろげながら彼のいわんとするところが、ぼやけて見えて来た。息抜きに高見沢潤子の「兄五林英雄との対話」に目を通していたら。Ⅲ読書についての中にこんな話が載っていた。

「わたしのやっている読書会で、こんど兄さんの本を取り上げることになったけど、みんなむずかしい、むずかしいっていうのよ、一度読んだくらいじゃさっぱりわからないって」という。潤子の意見に対して小林秀雄は、次のように応えている。「それはいつでも聞く不満だが、私は、不平というものにはおよそ無関心だ。人生はむずかしいものだから、人生についてまじめに考えようとすれば。むずかしくなるのはあたりまえだろう。わたしの文がむずかしいのは、一つはそういうところにある。もう一つは、表現が拙劣なためやさしくいえないというわたしの才能の不足もある」これに対して「そうでしょうけど、あたしみたいにあたまのよくないもののことを考えて、もうすこし、やさしく書いてもらえないものから」

 これに対して「書けないね。やさしくしようとすれば、違ったことを書いてしまうんだ。苦心に苦心して、くふうをこらして選んだ言葉は一つしかないのだ。できないことだなあ。それをやさしくすることは、かえって読者を軽蔑することになる。文学書は、一次一句の意味をだどっていったって、それでわかるもんじゃないんだ。文学の本の読み方は、そんなものじゃない。」

「だって、ことばの意味がわからなけりゃ、全体の意味はわかりゃしないでしょう。」

「私は、デカルトのようにえらい人ではないが、デカルトはねわたしの本はすくなくとも四度はよめっていってるよ。最初は、わかっても、わからなくても、しんぼうづよくおわりまで、読み通すこと。それでぼんやりと、どんなことがかかれているかがわかったら、今度は、もう一度はじめから読み直し、わからないところに棒をひきながら読む、その次は棒のひいてあるところを考えながら念をいれて読みなおす。そしてもう一度。とにかく四度は読まなくちゃわからないし、読んだということにならない、といっている」

読書百遍、意自ずから通ずってことね。」

「読書百遍ていうのは、科学上の本のことをいってるんじゃなくて、文学上の本だ。正確に表現することが、全く不可能な、またそのために価値があるような人間の真実が書かれている本―それも考えて、考えて工夫をこらしたことばで書かれた本に対していうことだ。それが文学書だからね」

読書をめぐる兄妹の対話は、さらに続くが、「一流と云える作品は、作者の生命の刻印いってもいいものだからね」とも言っている。

小林秀雄は、文芸評論家の出発点ともなった「様々な意匠」を4年かかって書き、最後の著作となった「本居宣長」を10年かけて完成させた。その内容をすべて理解するためには、私には、もっと時間が必要であるとかんじつつも、「小林秀雄の流儀」の中に、彼の基本的視点を探りたい一心で、大雑把に彼のものの見方をつかみ取ろうとした。そしてその根本となる考え方を自分なりに三つのジャンルに整理してみた。

 その一つは、知というものの基本的在り方にかかわることである。人間は、その知的いとなみの根底に生活体験を持ち、その体験を価値づける精神的な営みをして生きている。その体験と精神の価値づけをして生きることを山本七平は。一身一頭で生きると表現した。その対極には、外部環境の影響で、生活基盤から離れた外来思想でものを考えるようになる一身多頭人間すなわち精神と現実体験の分裂したものが多いことを念頭においている。この小林秀雄の視点は、「様々な意匠」の中で様々な流行の意匠を纏って出てくる思想潮流を人間の生きると云う営みの基本的在り方から論じた視点でもある。

 二つ目は、知の創造性の秘密に関することである。音楽におけるモーツァルト、絵画におけるゴッポ、文学におけるドストエフスキーの研究の中で、彼等の独創的な作品群が、彼等の生き方そのものの発現であること一人の人間の生の刻印としての作品であることをしめしているように感じた。贋作者や人工知能(AI)は、ゴッポのような絵をまねすることは出来るが、ゴッポが生み出したように、新しい世界を生み出すことは出来ない。つまり、作品は個別的な生の刻印として生み出されるものであり、個別の生こそが、創造の秘密であるからである。

 三つ目は、創造的思考の在り方であり、思索は、石を積み上げてゆくことではなく、情緒もしくは直感と云われるある種のヒラメキに導かれる行為であることてある。「人間の建設」の中で、小林秀雄は数学者岡潔とそうした創造性の導きとなる情緒について語っている。そこには、文学と科学の領域を超えた人間の創造性の領域が広がっている。人間建設は、2010年初版で、私が入手したのは。20225月の第16刷であったが、その解説を脳科学者の茂木健一郎が書いているが象徴的であった。

 それにしても、120年前の明治35(1902)年に生まれ、40年前の昭和58(1983)年に亡くなった小林秀雄の文庫本が数十回の版を重ねて今だ出版され続けているのは、かれの作品がそれだけ現代にも価値ある視点を提供し続けているためであろう。

彼の最後の仕事が「本居宣長」であったのは、本居宣長が、万葉集、源氏物語、古事記の研究を通して、日本に渡来した文字文化の衝撃を如何に当時の人達が受け止め、消化し、日本文化の基盤を作っていったのかを跡付け、これからの日本文化の方向を示しかったためであったに違いない。そして、その中には、「高度な科学技術を持つ自立した文化国家を目指す」という私の密やかな日本の未来像の基盤となる思想が潜んでいるに違いない。一冊の本に導かれた先には、又新たな本が待ち構えていた。 完



1 件のコメント:

  1. 名前はよく聞きますが、一冊も読んだことにない「小林秀雄」を読んでみたくなりました。

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