2022年11月29日火曜日

人間臨終図鑑―924人の死をめぐって―

 

はじめに

古書展では、思わぬ本に出合うことがある。ここで、取り上げる人間臨終図鑑Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ巻(山田風太郎 徳間文庫20013月、4月、5月出版)もそうした本の一つである。題名と内容を少しみただけで即座に購入した。

人間をその臨終と云う人生最期の場面から眺めると云う発想に驚くと共に興味を持ったためである。人間の死について書かれたものは、多いが多数の人間の死の瞬間を記述した本とは、初めての出会いである。

山田風太郎は、1922年生まれであり、この本は、1986年から1987年に出版された人間臨終図鑑(上下2)を文庫本化したものなので、作者の64歳から65歳の作品である

多くの人間の実際の死の場面を目撃したら「人間とは何か」と云うこのところ気になっている課題について、新たな視点を得られるかも知れない、そんな期待もあった。

人間臨終図鑑の内容

文字どおり人間の死の場面を集めたもので、取り上げられているのは、古今東西の著名な政治家、実業家、軍人、哲学者、科学者、文学者、画家、音楽家、探検家、宗教家、犯罪者、著名事件関係者など様々であり、これ等様々な人の死が、亡くなった年齢別に整理され掲載されている。人間を単純に死亡年齢順に分類して、その死亡の状況を1から3頁程度にまとめたものである。

人間臨終図鑑で、取り上げられた各年代の人数とその中の外国人の人数、男女比をまとめたものが下の表である。

 人間臨終図鑑の内容

年代

人数(外人)

備考

10代で死んだ人々

11(2)

6人女5

20代で死んだ人々

33( 1 )

27人女6

30代で死んだ人々

87(28  )

74人女13

40代で死んだ人々

115( 25 )

109人女6

50代で死んだ人々

140( 45 )

133人女7

60代で死んだ人々

179( 52 )

172人女7

70代で死んだ人々

195(56  )

188人女7

80代で死んだ人々

124( 41 )

120人女4

90代で死んだ人々

34( 11 )

32人女2

100代で死んだ人々

6( 0 )

5人女1

 計 

924( 261 )

866人女58

このうち第1巻は、10代から55歳までの331人を扱っており、第2巻は、56歳から71歳までの301人を扱っており、第3巻は、73歳から100歳代の292人を扱っている。

取り上げられているのは、15歳で火あぶりの刑で亡くなった八百屋お七から121歳で亡くなった泉重千代の15歳から121歳までの924名であり、この内外国人は3割弱の261名で、男女比は、男子866名、女子58名である。女性の人数が少ないのは、女性が社会の表舞台に出る機会が少なかった今までの歴史の反映であろう。この本は、第3巻の末尾に索引がついており、文字どおり、辞書的に使われることを想定したもののように思われるが、私は、当初から全巻を通読する気でいた。

読んでみて

面白かった。第1巻は、4日ばかりで思わず一気に読み終えた。解説を書いた平岡正明師氏も「人間の死がこれほど面白いものとは知らなかった」と冒頭で記している。しかし、2巻目から、徐々にスピードが衰えて来た。第2巻は、3週間もかかり、第3巻には、2か月近くかかってしまった。つまり、それだけ面白くなくなったせいである。
 第1巻の55歳までを扱った死には、悲劇性とドラマ性があり、その死も生の躍動に満ちたものであるが、高齢者の死は、こうした悲劇性、ドラマ性に乏しく、その死に個性のようなものが感じられず歳をとったら死ぬと云う端的なことを証明しているような死が多くなるためかも知れない。長生きした人達は皆、生の輝きのピークを過ぎていて、その死は、本人にとっても周りの人間にとってもそれ程大きな出来事ではなくなっていると云うことかも知れない。
 しかし、全ての高齢者が、そうした死を迎えるわけではない。なるほど、外敵世界との相互交流としての生は、生物としての機能劣化とともにあきらかに衰えてゆくが、内的世界の中で営まれる創造的行為は、生物的機能の衰えと必ずしも比例しない
 死の直前まで、活発に創作活動をつづけたのは、画家では、88歳で亡くなった富岡鉄舟、89歳で亡くなった葛飾北斎、90歳で亡くなった横山大観、98歳で亡くなった梅原龍三郎がいる。
 梅原は、92歳の時白内障を患い、絵筆はもてなくなっていたが、頭の中では、盛んに絵を描き続けていた。
彼が、死ぬまでの6年間どんな絵を描いていたか、我々は目にすることは出来ないが、その一端を白州正子が記している。小林秀雄は、云った「梅原さんは、行住座臥、描いているんだ、筆を持たなくても描いているんだ」。
 画家は、何故絵を描くのか。この頃梅原は、白州正子に「わたしはこの頃寝ていても起きていてもよく夢をみるんだがね夢の中でいままで見たことのないような美しい景色が現れる。美しい色が見える。だからわたしは、もう絵を描くことは要らないんだ」と語ったと云う。サルバトール・ダリは、芸術についての五つの思想の四番目で、「前もって自分の絵がわかるなら描く必要はない。」と述べているが、梅原の言葉は「画家は、美しい風景を描くのではなく、美しい風景をみるために描く」と云う画家達の創作活動の本質を端的に示している。 

作家で手本となるのは100歳で亡くなった野上弥生子である。彼女は、死の直前まで、長編「森」を執筆していて、その作品は、一豪の老いも感じさせぬみずみずしさで、その年の文学ベストワンに挙げる批評家も少なくなかった。91歳で亡くなった武者小路実篤が晩年痴呆になり、壊れた時計のように同じところを堂々巡りするような文章を書いていたのと対比される。

小林秀雄は、75歳の時「本居宣長」を書き終えてから悠々自適の生活をしていたが、80歳のとき膀胱がんを発症し、以後手術入退院等の闘病生活1年の後81歳で亡くなっている。彼の最後が、現代人の平均的なものかも知れない。

禅僧の手本となるのは、96歳で亡くなった鈴木大拙であろう。彼は死の直前まで一日4時間の執筆を欠かせなかった。

生と死について

 読み終わって、その感想をどうまとめるか。それには、一週間近くの時間が必要だつた。

 生は、死と云うブラックホールに向かう一連のプロセスで、如何に栄華を誇っていた人間と云えども避けることの出来ないプロセスである。この世に生を受けたもの達は、全てブラックホールに落ちてゆく物質のように、境界線である時空の縁を通って現世からは決してみることの出来ない来世に向かって転落してゆく、転落した場所に何があるか此方の世界(現世)からは、決して覗うことは出来ない。しかし、これは、生から見た死である。しかし、死からは、生はどのように見えるであろうか。

 そのヒントは、謡曲の「邯鄲」の物語の中にある。「蜀の国の盧生と云うものが、楚国羊飛山の聖僧から悟道の教えを受けようと思って旅立ち、途中邯鄲の里で泊まり、聞き及んだ邯鄲の枕を借りて一睡した。すると楚王の勅使が迎えに来て宮殿に伴われ、王位を譲られ栄華の内に50年を過ごし、臣下が1000年の齢を保つ仙薬の盃を捧げたので、酒宴を催し自分も興じて楽を奏していたが、宿の主に起こされてその夢は、忽ち消えうせ、覚めて見ると、それはわずかに粟飯を炊く間の儚い夢に過ぎなかったのである。かくして盧生は、何事も夢の浮世と悟ることが出来たので、この枕こそ善智識であったと喜んで帰るのである」

ここでは、死から見れば、生は、夢、幻のごときものとみる。言い換えれば、死からみれば、生は一瞬の輝きのようなものに過ぎないと云うことであろう。

涅槃経 に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、前半の「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」をこの半偈を流転門、後半の「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」を還滅門と云い。釈迦の前世である雪山童子はこの中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てたと云われている。

読み終わって、一つ分かったことは、死は、恐れるものでも待つものでもないが、ただ備えておくものかも知れないと云うことである。そして生は死の瞬間が訪れるまで、輝かしくありたいとの思いである。



1 件のコメント:

  1. いつも思いますが、感想文としては秀逸で文章構成が素晴らしいです。これを読んだだけで本を読まなくても読んだ気になります。
    私も同意見で、死の直前まで生の輝きを満喫したい。病院で寝たきりで最期を過ごすのは嫌ですね。野上弥生子や鈴木大拙のように。正直に言えば死後の世界をあまり信じていない。この辺は根っからの理科系人間から逃れられません。いまのところは、、です。

    返信削除