2022年2月24日木曜日

未知の世界への入り口―「虹滅記」を読んで

 「前もって自分の絵が分かるなら描く必要はない」これは、シュルリアリストにして天才画家のサルヴァドール・ダリが、その著「私の50の秘伝」の中の「芸術についての五つの思想」の中で、示した言葉である。

このシンプルな言葉は、別の分野にも当てはまる。即ち「前もって読みたい本が分かるなら、古書展に行く必要はない。」インターネットの発達した現在、古本を含めたほとんどの本はインターネットで検索できる。しかし、そこには前提がある。検索すべき本に関する何らかの情報があることがそれである。

全く今まで、想定や予測しなかった分野や世界を記述した本に出合うこと、この偶然が未知の世界へと自分を導いてゆくこと、これが面白くて、古書展に出かけるようになって10年近くなる。そんな本の一冊が「虹滅記」である。


著者は、足立巻一、私が入手したのは朝日新聞が、199411月発行の朝日文芸文庫である。著者は、1913年東京都生まれ、神宮皇学館卒、詩人・作家で198572歳で亡くなっている。この本のあとがきが書かれたのが1982年、死の三年前であり、それによれば、この作品を書こうと思い立ったのが197461歳の時であるので、8年がかりの作品であることが分かる。

私が古書展でこの本に魅かれた理由は、「虹滅記」と云う題名の異様さであった。表紙の「虹滅記」は、虹の字の虫の上に斜めの線の「のかんむり」が付いた手書きの字になっていた。本文369頁で、当時860円の本が100円であった。他の数冊と共に入手した本は、数日間机の上に置かれていたが、読み始めると止まらなかった。著者の略歴は、そのままこの本の中身に直結しているので、読み終わってからあらためてWikipediaによる彼の略歴を調べると次のように書かれていた。

「東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。

諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。関西学院中等部に入学、同校の国語教諭であり、自らも歌人であった池部宗七(筆名は石川乙馬、「夕暮れに苺を植えて」はその評伝である)から短歌の手解きを受ける。

恩師池部の母校である神宮皇學館(現:皇學館大学)を受験するが、2度にわたって失敗、1934年に3度目の受験で合格する。同館在学中も詩誌、歌誌等を中心に活動した。この頃に本居春庭を知り、研究を始める。

1938年、神宮皇學館本科国漢科卒業。高校教諭となるが、同年に応召、中国に渡り北支戦線に従軍。帰国後新大阪新聞社に勤務、学芸部長、社会部長等を歴任した。1948年、井上靖の発案で児童詩誌『きりん』の創刊より編集に携わり、児童詩運動が終生の一事業となる[1]1956年新聞社を退職して執筆活動に専念する。

毎日放送の『真珠の小箱』(1959 - 2004年)で番組の構成に参加、出演も多数。立川文庫の研究も行い、1961年には尾崎秀樹、武蔵野次郎が創立した「大衆文学研究会」に編集委員として参加[2]。『文学』(岩波書店)、『思想の科学』、『大衆文学研究』はじめ多くの雑誌に執筆、その夥しい仕事は執筆目録ともなっている「足立巻一略年譜」がもっとも詳しい(『人の世やちまた』所収)。

1977年、大阪芸術大学芸術学部文芸学科教授を経て、1980年、神戸女子大学文学部国文学科教授」

「虹滅記」は、この著者の生い立ちを調べまとめあげた作品であった。この本の解説的エッセイ「虹の誕生」を作家司馬遼太郎が書いており、その中で、司馬遼太郎は、その内容を次のようにまとめている「「虹」が見慣れない字体になっているのは、漢学者であった祖父敬亭の自筆の文章によっている。祖父敬亭は時代遅れの、生活力を欠いた漢学者だったと云う。やがて足立さんの父となる敬亭の子菰川は、苦学して京都大学を出た。菰川は明治末期の東京で「二六新報」の論説記者として大正の初め妻マサヨとのあいだに足立さんをもうける。菰川は夭折した。敬亭は悲しみ菰川の著書の跋文の冒頭に「大正二年十月著者俄に虹滅」と書いた。題名の「虹滅」の二字は、祖父から父へ、父から足立さんへ移植された皮膚そのものだったことがわかる。足立さんは、その後生母が再婚して家を去っため、敬亭に養われ

さらには、親戚に預けられて成人した。しかし恨むことはなかった。うらみよりも志がこの人の文学のしん、になっている点、いかにも丈夫の文学と云うべきものだった。諸作品を

成立させる上でやったのは、自分が経た生の人生を体液のように循環させつつ、自分にかかわった他者、祖父、父、恩師、親友などーの生きた証しを編み込んで作品世界を作った」

「戒名には、余計なものはなく釈亭川とのみ祖父と父の号が一字づつ入っている」

司馬遼太郎は、「虹滅記」を出来上がった作品としてみているが、作者が何を描きたかった

のかについては触れていない。私は、むしろ、作者が何を描きたかったのかの方が気になった。十歳年下の司馬遼太郎にはこの作者の気持ちは、理解できなかったようだ。

 この作品には、8年の歳月がかかっている。この間彼は、自分で親族の戸籍を調べ、関係者の消息を訪ね、話を聞き、墓を訪ね墓碑銘を調べたりしている。こんな作業は、たんに作品を作ると云うだけの動機でできるはずはない。彼は、この作品を通して、自分を現在たらしめてくれた人々とりわけ祖父と父を中心とする親族の存在の証を世間に示しかったのだと思う。それは、自分に連なる人々への愛と感謝の気持ちを表現することであったに違いない。

ほとんどの人間は、自分の家族と職場以外には、自分と社会の繋がりを深く考えたことはない。しかし、実際には、自分の存在には、それ以外の数多くの人達の機縁や関係が、現在

の自分にかかわっている。そして多くの場合そうしたことの多くは、人々の意識から隠されている。彼がこの物語の中で示しかったのは、こうした個人と社会の繋がりのありようを通して人間社会の真実に辿り着こうとすることであったのではなかろうか。数年前、親族の相続に関連して、数十部の戸籍をとりよせたことがあった。その時、その戸籍から透けて見えて来たのは、あまり語られてこなかったその当時の社会の実相ともゆうべき姿であり、親族の秘密めいた真実であった。「虹滅記」の著者も、このための取材の中で、こうした知らされてこなかった真実や思いがけない関係者の無償の行為や愛により、現在の自分があることを確認してゆく。

多くの小説では、社会は、その主人公が生きる背景に過ぎない。しかし実際には、社会は、その主人公の血であり肉であり、その体は、現在も社会と結びつき、今も他者とのあいだに血液循環をめぐらせていると云うことではなかろうか。人間終末期を迎えると自分の人生は何であったのか、振り返る心境になる。この本を思い立ったのが、著者が還暦を過ぎた61歳の時で完成したのは、69歳の時である。

72歳の死は、現代から見れば早すぎる気もするが、昭和60年であれば、古希を迎えての死であり、早死とは云えない。

あとがきに「多年こころにかかっていたことをようやく果たして安堵を覚えるとともに、私の人生もこれでほぼ終わったような気がした」とある。彼は、自分の人生を確認し終えた

安堵感と共に死を迎えた。

 全くこの本は、私に自分が生きた世界に連なるもう一つの異世界を見せ、私の宇宙を広げてくれたような本であった。    了


2022年2月8日火曜日

SFが導く未来の科学・技術と世界ー「メタバース」と「スノウ・クラッシュ」によせて

最近新聞や雑誌で頻繁に目にするメタバース、その言葉が初めて使われた1992年に発行されたSF「スノウ・クラッシュ」。今や世界を席巻したIT企業の創業者の多くがSF小説に影響を受けたり愛読したりしている。その中でも特に名を上げられる頻度が高いのがこの「スノウ・クラッシュ」の作者である。2022125日新版として再発行された上下2巻からなる本を発行と同時に入手し、読んでみた。「スノウ・クラッシュ」、そこでどんな世界観が展開されているのか期待に胸を膨らませながら・・・ 

20代からのSFファンである私にとって、ずっと捨てられぬ蔵書がSF関連の本であった。それは、未来に対して新しい世界や希望を示す指標であったためである。

その私が-これが究極のSFではないかと感じいったのは、ウエルズの「タイムマシン」の刊行100周年に合わせて1995年、イギリスのハーバー・コリンズUK社から発行された。スティーブ・バクスターの「タイムシップ」であった。相対性理論に加え現代の量子論やマルチユニバース論まで視野に入れ、遥かなる未来まで旅するこの小説に時空の果てをみた思いであった。

 しかし、その私に、未来の別の可能性の扉への予感が襲ってきたのは、むしろ急激に進む

科学・技術の現実であった。その代表的なものは、SNSに象徴される通信関連技術の発展であり、ディープラニングと云うブレイクスルーにより出現したAIの進歩と普及であるし、生科学分野でのゲノム解析の進歩とその改変ブレイクスルー技術クリスパーキヤス9の出現と人工加工生物の誕生である。

しかし、その私に、未来の別の可能性の扉への予感が襲ってきたのは、むしろ急激に進む科学・技術の現実であった。

その代表的なものは、SNSに象徴される通信関連技術の発展であり、ディープラニングと云うブレイクスルーにより出現したAIの進歩と普及であるし、生科学分野でのゲノム解析の進歩とその改変ブレイクスルー技術クリスパーキヤス9の出現と人工加工生物の誕生である。

 さらに最新生科学による脳科学の発展は、人間の意識構造や幸不幸等の人間の行動パターンや心理思想まで解明しようとしている。つまり1000憶の神経細胞は各々の神経細胞がもつ10000ものシナップスを介して壮大なネットワークを構築して意識世界を形成している。つまり、人間そのものが一つの小宇宙であることがはっきりしてきた。

そんな時、大学生の若者とのふとした会話から手にしたのが、メタバースの誕生のきっかけとなったSF「スノウ・クラッシュ」である。

この本は、すでに1992年に出版されていていたのであるが、昨今のメタバースブームの中で、新版として早川文庫から2022125日発行された。著者は、1959年米国生まれのニール・タウン・スティーブンソン。ボストン大学で、物理学と地理学を学んだ作家で、これは、33歳の時の作品である。物理出の私と同様、社会で実務につくのに苦労して作家になっただけに波長が合った。

ちなみに、メタバース(metaverse)とは、英語の「meta)」と「宇宙(universe)」を組み合わせたてこの著者によってつくられた造語である。

「スノウ・クラッシュ」の舞台は、フランチャイズ都市国家のパッチワークみたいになってしまったアメリカ合掌国の近未来、そこでは、バアーチャルとリアルが溶けあう社会となっている。そこでメタバースと云う巨大VR,ネットと現実世界を行き来する人達の物語が展開される。多分著者の意図とは別にこの作品が最近になって注目されるようになったのは、メタバースを構成するコードやルール、アバターのスペック等が詳細に語られている点であるかもしれない。

現在のメタバースブームを知る人間から見れば、この世界が30年前に30歳を少し超えたばかりの若者によって構築されたことに驚きを禁じ得ない。

しかし、この著者にとってメタバースそのものは、物語の背景でしかない。物語の主題は、メタバースとリアル世界の根底に横たわる人間の脳や無意識を含めた意識構造との関係で、これは文明の発生や宗教とも関係する領域である。

ここに、見える世界と見えない世界とを仲介するバーチャルの世界の意義がある。

人類は、有史以来の長い間、見えない世界と見える世界を一体のものとして生活してきたが、近代は、この見えない世界を虚妄として退けて来た。目に見える科学的、合理的、理性的なものが全てであるとの思想潮流が文明の主体となった。この流れのアンチテーゼとして起こったのがロマン主義であり、シュールリアリズム運動であり、フロイドの精神分析に代表される無意識の世界の発見であった。

 こうした科学と宗教に代表される目に見える世界と見えない世界の哲学的・思想的対立や境界は、最近の脳科学や神経科学、心理学の発展により、急速に溶解しようとしている。

バーチャルとリアルを仲介するメタバースは、間違いなく、心の中の新大陸発見であり、人間世界の宇宙構造を内側から拡大しようとしている。経済学者は、資本主義のフロンテイアは消滅したと云うが、ここには無限の可能性とフロンティアがある。

 今後の社会や文明の動向を考えるためにメタバースからは、目が離せない。