数年前のことである。電話口に出た娘が、当時小学6年の孫が、漱石の「吾輩は猫である」を読んで、そこに出てくる苦沙弥先生がおじいちゃんに似ていると云っていると話してくれた。それは、多分、本を枕元に置いて読まない内に寝てしまうこと、絵を描くこと、謡をしていることなどであろうと瞬時に思った。しかし、「吾輩は猫である」の記憶が曖昧であるのに気づき、孫がやってくるまでに、もう一度読んでみようと思い立ち、60年ぶりに新たに新潮の文庫本を買い求めて読んでみた。
そして驚いた。当時の文化世相を反映した内容は、面白いが結構難しく、こんな本を小学生が面白く読んでいるとは、到底信じられなかった。そこで、再び電話で、孫娘の読んだ本は、内容を抜粋した簡易本ではないかと問うてみたが、いやそうではないという。そこで、電話を代わってもらい本当に最後まで読んだか確認するため、猫は、最期どうなったと質問したら、川に落ち流されて死ぬと答えた。その答えを聞いて、どうやら孫娘は、本当に「吾輩は猫である」を読んだのだと納得した。
たまたま、その時、「漱石の妻」というタイトルで漱石の生活がテレビドラマ化されていたこともあって古書展で漱石の講演録など漱石関連の本を見つけて、ようやく漱石の人物像と生きた時代をはっきりとさせることが、出来た。
漱石が生きたのは、幕末の慶応3年(1867年)から大正5年(1916,年)で、岡倉天心の文久2年(1860,年)から大正2年(1913年)と重なるこの時代は、明治維新を成し遂げた日本が、西欧文化と伝統文化の衝突と統合の苦悩の上にようやく近代国家としての姿を確立してゆく時代であり、近代日本の基本構造が定まった時期でもある。
こんな漱石の話を釣り仲間のTさんにしたら、それならば、長年漱石の研究をしている大学時代の友人が、最近送ってきた本があるから提供しようといって手渡されたのが、「漱石、ジャムを舐める 河内一郎:創元社:2006年7月発行」であった。しかし、当時漱石の思想に関心のあった私は、なかなかそれを手に取ることが出来なかった。しかし、最近になって、とにかく一通り目を通してみようと思い立ち、読み始めて感心した。それは、漱石の作品を一つの手掛かりとした食文化の歴史書であった。
20年近く技術士会の食問題研究会で、月一回の勉強会を続けてきた。この会は当初食品の品質管理を中心としていたが、最近食文化や食品と生物工学の関係に重点を置くようになって、その中で、食の歴史もよく取り上げられるようになった。
その私からみて、日本の食品の歴史が、簡潔によくまとめられているのに舌をまいた。その食の歴史の範囲は、パン、西洋料理、ビールなどの飲み物、食材、日本料理、お菓子、飲食店と食に関する殆どの領域に亘っている。しかもその調査は、文献だけでなく、実地調査も加わっているし、当時の物価や収入の資料まで、まとめられている。特に印象に残ったのは、横山大観の白牡丹絵に漱石が俳句を書き入れた掛け軸である。この話は、酒(正宗),と白牡丹の中に出てくるが、著者もよほど感銘したとみえ、その掛け軸が本の表紙の口絵になっていた。
その私からみて、日本の食品の歴史が、簡潔によくまとめられているのに舌をまいた。その食の歴史の範囲は、パン、西洋料理、ビールなどの飲み物、食材、日本料理、お菓子、飲食店と食に関する殆どの領域に亘っている。しかもその調査は、文献だけでなく、実地調査も加わっているし、当時の物価や収入の資料まで、まとめられている。特に印象に残ったのは、横山大観の白牡丹絵に漱石が俳句を書き入れた掛け軸である。この話は、酒(正宗),と白牡丹の中に出てくるが、著者もよほど感銘したとみえ、その掛け軸が本の表紙の口絵になっていた。
食と生活の歴史書といってよいこの本は、あまり、注目されないかも知れないが、私には、極めて貴重な本と感じられた。文系の人の書き物は、自分の感情や思いを記したものと思っていたが、この本は確かな調査と事実に基づき、技術文書にも似た簡潔な文章で思わず引き込まれてしまった。著者が食品関係の会社で、長年培った実務経験(おそらく生産現場もよく理解されている)が凝縮されており、ライフワークとして取り組まれただけの
ことはあると思わずにはいられなかった。題名に囚われず、食と食文化に興味がある人、
人間の歴史を食や生活の視点から見てみたい人に是非読んでもらいたい本である。完
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