本との出会い
一冊の本との出会いには、それなりの背景ときっかけがある。今回この本を手に取ることになった背景は、複雑である。それは。文庫本の中国SF「三体」を読んだことと関係している。この「三体」は、全体で5冊からなっており、その第一巻は、一気に読むことが出来たが、第二巻以降は、ところどころに面白いエピサードはあるものの、全体としては、かなり冗長な作品に思えた。そんな時、お口直しの意味で、手にしたのが、古書展で見つけた山田風太郎の妖怪太閤記(上下巻)であった。当初この作品は、忍法帖シリーズのように、奇妙で、グロテスクな作品であろうと思っていたが、読み始めると面白く読みだしたら止まらない程で、「三体」を読み終える前に読み終えてしまった。その面白さは、確かな史実もさることならば、その人間観の確かさから生まれる自由な創造性であった。この二冊の「長編小説」を読みながら、物語の面白さについて考えざるを得なかった。
考えがまとまらないままに、古書展で入手した別の本を読み進めていた、それが「肉食文化と米食文化:鯖田豊之:中公文庫:中央公論社:1988年7月10日初版、1995年8月30日再版」であった。この本は、昨年食問題をまとめたとき、日本の食問題を考える基本的視点が明確でないことにもどかしさを覚えた感覚からこの本がそうした問題点に対するなにかの情報を得られるのではないかと思って手にした本であった。この本は、西欧の肉食中心の食生活と米を主食とする日本の食生活の成り立ちと背景を近代の栄養学をベースとして比較する中で日本の食生活の世界の中での立ち位置を明らかにした本であった。さらに、阿部公房の作品や韓国のノーベル賞作家の作品「すべての白いもの達の」を読む中で、日本文化の在り方の特殊性について、考えざるを得ないような気がしていた。
この途中に出会った本が「幻影の明治:渡辺京二:平凡社ライブラリー:(株)平凡社:2018年8月10日、初版第一刷、2023年1月21日初版第三刷」である。渡辺京二について、ある程度の知見があった。それは14年程前、次の本を手にしていたためであった。「逝きし世の面影:渡辺京二: :平凡社ライブラリー:(株)平凡社: 2005年9月9日、初版第一刷、2011年1月21日初版第23刷」
書店でこの本を手にしたのは、本の帯に追悼の文字を見つけたためでもある。この10年ばかりの間に日本の文化的著名人が次々とこの世を去ってゆく中で、気にかけていた1人である渡辺京二の死は、私にとって文化的衝撃に思われて、思わず読んでみたくなった。
渡辺 京二の概要と略歴(WeKipedia)
概要
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。
経歴
日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。
1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
法政大学社会学部卒業。書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。2010年には熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授に就いた。2022年12月25日死去92歳没。
渡辺京二氏の死については、コロナ下であったこともあり、その死について報じられることもなかったので、この本で初めて知った。以前手にしていた「逝きし世の面影」は600頁にも上る本であったため、その一部しか読んでいなかったので、彼の思想の全貌に迫ることは出来なかった。「幻影の明治」は200頁強の小冊子であったため、読み終えそうなので早速手にとった。
「幻影の明治」の概要
「幻影の明治」は次のような構成となっている。
第一章
山田風太郎の明治
第二章
三つの挫折
第三章
旅順の城は落ちずとも
第四章
「士族反乱」の夢
第五章
豪傑民権と博徒民権
第六章
鑑三にしもんされて
付録(対談)独学者の歴史叙述―黒船前夜をめぐって×新保祐司
あとがき
解説―卓越した歴史感覚―井波律子
この本はほぼ2日間で読み終えた。その理由は、第一章の山田風太郎の明治の内容が、私が山田風太郎の妖怪太閤記(上下巻)で感じた感想と全く同じであったためである。
そして、この本は、山田風太郎の人間観と物語手法のベースとなる社会観歴史観を明治維新を素材として纏めたものであるとも云える。
日本文明の立ち位置への指針
戦後日本社会は、西欧の社会モデルとの比較の上に議論されてきた。それは、政治、経済、文化から食にいたるすべての分野に及んだ。しかしそうした日本文化の捉え方は、随分偏っているように思う。それは、ある意味で、西洋コンプレックスをベースとした自虐史観でもあった。その意味で、外国人の見た日本文化の事実に基ずく感想記録を紹介した「逝きし世の面影」に象徴される視点は、我々の自画像を形成する上で極めて貴重なものである。
世界における日本の立ち位置を明らかにする課題は、日本の中にいて激動する世界をしっかりと把握する上で不可欠の作業であろう。渡辺京二の視点は、そのための重要な指針となるように感じた。