はじめに
西部邁の本を初めて手にしたのは、彼が亡くなる半年程前の2017年12月であった。その本の題名は、「保守の真髄」―老酔狂で語る文明の紊乱―まことの保守思想を語りつくすー講談社現代新書2017年12月発行であったが、それを読む気になったのは、その本のカバーの「希代の思想家絶筆の書」と云うと云う宣伝文句に魅かれたためである。
ソ連邦崩壊後、いわゆる進歩的知識人達が沈黙し、その中でも生き延びた戦後思想をリードした数少ない哲学者や思想家が老齢化して知的情報発信をしなくなりつつある状況で、哲学的・思想的に現代をどうとらえるべきかを模索していた私にとって安保世代の生き残りとでもいえる西部邁が死を間近に控えて、世界をどのように見ているかは極めて興味深い事柄であった。78歳にして神経痛で全く書記と云うものが全く出来なくなった著者が、娘を相手に口述筆記で書き上げられたこの本は、最初から目を引き、一週間もしない期間で一気に読み終えることが出来た。内容は面白かった。この時、この本の感想をその内にまとめてみようと思った。しかし、その感想をまとめるには、少しばかり、その反応が熟成又は発酵する時間が必要であった。しかし、この時間は、その後すぐに訪れた彼の自殺と云う衝撃的な事件のニュースで遮断されてしまった。
そのとき、彼のことをもっと知る必要がる思いふと立ち寄った書店で見つけたのが、彼の最後の著作と云われる「保守の遺言」―JAP,COM衰滅の状況―平凡社新書2018年2月27日発行であった。彼が自殺した日は、2018年1月21日であるので、この本は、彼の死後出版されていて、文字道理最後の本である。この時、この本の近くに置いてあったのが、「大衆への反逆」文春学芸ライブラリー2014年8月で、その本の帯のキャッチコピー追悼西部暹―最強のポビュリズム論らして 代表作の文言に魅かれて思わず購入してしまった。さらに、その後雑誌「表現者」が2018年5月号で、西部暹の特集号 西部暹永訣の歌を発行したのを見つけ購入した。これには、彼とかかわりのあった64名の人達の寄稿が掲載されていた。これは彼の全体像を理解する上でも参考になると思ったためである。
しかし、彼の「保守の真髄」についての感想をまとめると云う作業は、何時しか、意識の上から消え去ってしまった。それは、この時期に重なった叔母や兄の死等の身内の事件への対応やそれに関連した一族の記録のまとめ、それに関連して思いついた自分の今まだ書き溜めたもののとりまとめと出版作業に忙殺されたためである。
この作業に再び取り組んでみようと云う気になったのは、9月の太古会でN氏が、西部暹の「保守の遺言」と西部暹の教え子の一人である佐伯啓思の「リベラルからの反撃」をを取り上げたこと、また、同時期にT氏が佐伯啓思の「社会秩序の崩壊」をとの上げたことによる。この二人の報告を聞きながらどこか違和感を覚えたので、改めて5年間忘れていた作業に取り掛かろうと思った。
1.「保守の遺言」の著者紹介(保守の遺言より)
西部邁(にしべすすむ)
1939年北海道生まれ、思想家、評論家、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了横浜国立大学助教授、東京大学教授などを歴任。東京大学教授を88年に辞任。執筆活動のほかテレビなどでも活躍。2017年10月まで雑誌「表現者」顧問を務める。著者に「ソシオ・エコノミックス」(イプシロン出版企画)「経済倫理学序説」(中央文庫,吉野作蔵賞),「大衆への反逆」(文春学芸ライブラリー)、「きまじめな戯れ」(筑摩文庫、サントリー学芸賞)、「サンチョ・キホーテの旅」(新潮社、芸術選奨文部科学大臣賞)「ファシスタたらんとしたもの」(中央公論新社)等多数。2018年1月21日に自殺を遂げる。本書が絶筆となる。
2.西部邁の保守思想
西部の三冊の本には、様々なことが書かれている。しかし、その保守思想とリベラリズムに関する考えを要約すると次のようになろう。
民主主義が機能するには、その基盤にバランスを取る規範意識が必要であり、それらは伝統的な慣習や信仰を含めた文化によって培われている。この社会的基盤を重要なものと考えるのが保守思想で、リベラルでは、個の主権と自由を社会的基盤とするので、個を制約するものは抑圧と考える。この観点からは、伝統的なものは、打破さるべき悪とみなされる。
しかし、伝統的に培われた社会的慣習や規範を無視する思想は、保守主義から見れば、既存秩序を脅かす脅威以外の何物でもない。ここに侵入者に対する拒否感が生まれる。
かくして移民の急増が米国のトランプ現象となり、欧州での難民・移民の増加が欧州右派の台頭となり、中国の少数民族の洗脳教育は、逆に文化破壊・人権弾圧となる。中国の社会主義洗脳教育は、リベラリズムの個人中心思想と同じく、地域組織の伝統的規範の破壊と云う面で共通している。この点では、リベラル=社会主義である。
「保守の真髄」「保守の遺言」は、共に2017年に口述筆記で書かれており、文字通り
死を目前にた西部の思想の総括的文章である。これに対して偶然手にすることになった
「大衆への反逆」は、別の性格の本である。即ちこの本は、昭和54年から昭和57年(1979年から1982年)のサッチャー政権やレーガン政権誕生前後、日本の高度成長期の終わり、ソ連邦崩壊前の時期に様々に雑誌に掲載されたエッセイを取りまとめたものである。
西部の保守思想を形成するもう一本の柱は、「大衆論」であるが、その思想は、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセット(西: José Ortega y Gasset、1883年5月9日 - 1955年10月18日)の影響を強く受けたものである。
3.「大衆論」と西部思想の表現
ホセ・オルデガによれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。
また、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」に対し、「近代の原始人、近代の野蛮人」と激しい批判を加えている。
20世紀に台頭したボリシェヴィズム(マルクス・レーニン主義)とファシズムを「野蛮状態への後退」、「原始主義」として批判した。特にボリシェヴィズム、ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。
西部がこの本に掲載されたエッセイを勢力的に書いていたのは、渡米しカリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英しケンブリッジ大学に在籍して、帰国した直後の時期ことであり、その時期までに、ホセ・オルテガ・イ・ガセットの思想を吸収しつくしていたと云える。その影響は、単にその思想だけでなく、著述や思想の発表方法にまで及んでいるようである。
オルテガの思想は、「生の理性
(razón vital)」をめぐって形成されている。「生の理性」とは、個々人の限られた「生」を媒介し統合して、より普遍的なものへと高めていくような理性のことである。
オルテガは、みずからの思想を体系的に構築しようとはせず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや、ジャーナリズムに発表した啓蒙的な論説や、一般市民を対象とした公開講義などによって、自己の思想を表現した。
オルテガの関心は、形而上学にとどまらず、文明論や国家論、文学や美術など多岐にわたり、著述をおこなった。
こうしたオルテガの思考方法を西部は、意識的に見習っていたようである。
そのことを西部は、「保守の遺言」の中で、次のように要約している「自分の事はくどくど言いたくないので、簡単にすます。私は第一に、開慣れた意味論的な構造を下敷きにして現代社会の構造変化について概括的な展望をもちつつ、第二に目前の問題や状況に応じて、その解釈に出来るだけ総合的な知見を盛り込みつつ、第三に文体としては、エッセイを採用するように努めてきた。」かれは、ここで云うエッセイとは「既存の諸学説には大いなる限界があることを明らかにしながらおのれの思想をも吟味すると云う意味での試験文」を意味すると述べている。
つまり、総合性と雑文性は、西部の保守思想を語る上での宿命的な性格であると云うことである。
西部の個々の意見に多分に共感しながらも、その全体像のはっきりしないことにいら立ちを感じてきた私は、ようやくその正体に対峙することが出来る気がしてきた。
4.西部思想への共感と違和感
西部の保守思想の根幹には、フランス革命を起点とする近代の啓蒙主義・合理主義・理性主義に対する不信感がある。それは、文学的には、シュールリアリズムやタダに見られフランスロマン主義の潮流と同じく反合理主義の思想の流れである。その根底には、人間の内部に巣くう非合理的衝動に目をやる思想である。オルティガの思想は、こうした不条理を内蔵する人間観を社会や政治分野に適用したものと云えないだろうか。不条理を内蔵した人間の理性的側面に着国すれば、それが近代デモクラシーやそれを礼賛するリベラリズムになり、不条理な部分に着目すれば、いわゆる「大衆論」となる。
こうしてみてくると西部の保守思想は、社会・政治分野での反合理主義思想として整理できるのかも知れない。しかし、こうした反合理主義の思想は、その根底にもっと根源的な問いかけ即ち、「人間とは何で、我々は宇宙の中で如何なる存在なのか」により、再生される必要がある。
奇妙なことに、西部の思想の中に、20世紀以降の心理学や自然科学の成果がほとんど取り入れられていないことである。彼の中で、人間や宇宙は、19世紀の世界像のままである。彼の中では、20世紀の心理学や脳科学や生物学が人間観に及ぼした影響はほとんど見られないし、ビックバンやインフレーション理論、量子力学等の現代科学が明らかにした世界像の影響もほとんど見られない。
彼にとっては、科学や技術は、数量化や形式化と云う人間とは無縁な異物としか映らない。量子力学や相対性理論等直感的には理解できない原理に基づく現代文明に養われながら、その生産現場と無縁な世界に生きる庶民や文系人間は、ローマ帝国時代の市民同様もはや単なる文明の消費者と云う受動的な存在でしかない。
彼の文明論がペシミズムに傾くのは、現代科学が、人間と云う種の宇宙での存在意義や知的生命体としての特殊性を明らかにしつつあることへの視点を全く欠いていることの必然的な結果である。しかし、近代が提起した、理性と反理性の葛藤の只中にいる大衆とそうした大衆意識との格闘に自らの生の展開を選んだ西部にとってこうした現代科学の展開などは「あっしには関わり合いの無いことでござんす」と一言でかたづけられそうな気もする。しかし、これこそが、文系知識人に対する私の違和感でもある。
5.三冊を読み終えて
当初一冊の本「保守の真髄」を読み、その感想をまとめようと思っただけであるが、彼の自殺と云う事件の衝撃もあり、それが三冊の本の読書へ、さらに雑誌「表現者」に特集を通して、64名もの関係者の追悼文やWikipediaの記事まで、読むことになり、思想家西部
邁の人生全体に目を通すことになった。
彼の人生の特徴は、一人で沈思黙考し、新たな世界を切り開くのではなく、膨大な読書や沢山の人との対話の中で自分を展開することであった。とにかく多数の人とのかかわりに驚かされるが、それは、彼が、教師を生業にしたことの必然的な結果であった。
しかし、技術屋であった私からみれば、それは人間の営みからみれば随分偏った生の在り方のように思われる。それは、話の中に自然や工学を相手にする人間がほとんど出てこないことに現れている。
しかし、それでいて彼は幸せであったに違いない。「保守の真髄」第四章第9節はイギリスの作家・批評家であるギルバート・キース・チェスタトン(英: Gilbert
Keith Chesterton、1874年5月29日 - 1936年6月14日)の言葉を引いて、「人生の最大綱領は、一人の良い女、一人の良い友、一冊の良い本、そして一個の良き思い出」と述べており、そしてこの場合の良いとは、生きるか死ぬかのパラドックスを乗り越えて獲得したかどうかで決まると述べている。
このパラドックスの中には、絶えず死を覚悟した生が根本になければならない。西部の保守思想の凄みは、この思想の背後にある生死を掛けた覚悟にあるとみてよいだろう。