2021年2月6日土曜日

空海が見えてきた―「空海の生涯」由良弥生 2019年2月20日王様文庫 三笠書房を手にして

 

空海について興味を抱くようになってもう何年経つだろう。20年近くにはなる。

 空海に魅かれたのは、密教なるものが、理解しがたかったためであった。それは、とりもなおさず、原始仏教から大乗仏教までの流れに比べ、大乗仏教から密教への流れが理解し難たかったということと関連している。

原始仏教に呪術的な影は感じられない、それが、その普及と共に呪術的要素を加えてゆく、大乗仏教の代表的な教えは、法華経であるが、この法華経には、その観音経の中に既に呪術的要素が含まれている。それは、仏教がその時代の社会的要請に応えるための思想的変貌でもあった。

個人的な哲学思想から社会的思想への変貌は、その基礎を釈迦という歴史的実在をより普遍的価値の中に位置づけ、世界観・宇宙観として発展させることを意味していた。その普遍的価値として誕生したのが宇宙的秩序の中心としての毘盧遮那仏つまり大日如来信仰である。下記は、真言密教誕生前後の日本の時代区分である。

 仏教伝来 538

 飛鳥時代 592年(崇峻天皇5年)-710年(和銅3年)

 奈良時代710年(和銅3年)-794年(延暦13年)

  平安時代 794(延暦13年)1185(文治元年)

空海は、774年(宝亀5年) -835 (承和2)

密教の源流には、大日経と金剛頂教の二つの教がある。この内大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)は、600年代、インドで成立し、東インド生まれの善無畏(637735)が中国にもたらし724漢語に翻訳され、金剛頂教『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』は、600年代の半ばから後半南インドのアマラバティで成立し、西インド生まれの金剛智(671741)とその弟子不空(705774)が漢語に翻訳し、中国に伝えた。

この二つの経は、唐の玄宗皇帝(685762)の治世下の中国で広まる。空海は玄宗皇帝の亡くなった12年後に生まれている。

 大日経は、大毘盧遮那如来(大日如来)が自由自在に活動し説法する様を描いた経典。教理は第1章で,他は実践行の象徴的説明である。この中で、護摩(ごま),曼荼羅(まんだら),印相(いんぞう)などの秘密の実践が詳述されている。

金剛頂教は、大日如来が釈迦に対して、自らの悟りの内容を明らかにし、その実践法を説いている。悟りの内容が金剛界曼荼羅であり、実践法としては五相成身観(ごそうじょうしんかん)という瞑想法が説かれている。『金剛頂経』は単数の経典ではなく、新古いくつかの同系統の経典の総称である。このうち初期の成立で、かつ内容的にも後の『金剛頂経』の方向を決定した、初会(しょえ)の『金剛頂経』が、アマラバティの成立と考えられている。理趣経は、この一部である。

真言密教では、この世界宇宙を救済論的に慈悲の働いている側面(胎藏界)と哲学的認識論的に智慧の働いている側面(金剛界)の二面からとらえる。その胎蔵界について大日経が、金剛界については金剛頂経がその生々とした実相を詳しく説いている。胎蔵界および金剛界の両界の曼荼羅はこれら両経の説くところを視覚的に絵画表現したものである。

空海は、当時部分的にしか伝わってきていなかった密教を日本に本格的にもたらしただけでなく、大日経的世界と金剛頂経的世界を統合して真言密教として完成させた。

ところで、密教とは何か、一つには、大日如来という宇宙生命体の創造による仏教的世界観の完成であり、今一つは、それとの一体化への具体的手法・修法の確立であり、その結果として得られる心の平安と現実世界での利益と云うことである。

心の平安と現実世界での利益は、呪術と限りなく繋がっている。仏教の社会的広がりは、それによる現世的利益への期待を膨らませ、そこに焦点と社会的関心が集まっていったのは、当時の科学的知識や民衆の知的水準を考えれば必然のことであった。

ところで、空海は、呪術的効果を本当に信じていたのだろうか。空海には、もっと冷静な視点があったに違いない。修法は、何よりも人々を安定させまとめ上げ団結させる手法であり、この点に関して国家維持や統一の思想としての役割もあった。人々を対象とすることは、救済論仏教としての性格も合わせ持つ。

空海は、死の2年半程前、高野山金剛峰寺の金堂と諸仏の完成した翌年832年そこで初めて「万燈万華の法会」営むが、その願文は次の言葉で始められている。「黒暗は、生死の源、遍明は、円寂の本なり」とまた秘蔵宝艦には、「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで生の終わりに昏し」とある。「暗い」は周りに何があるのか見えなくなるほどに物理的にくらい状態を指し、「昏い」は光が弱くなるものの、何も見えなくなるほどくらくはない。

我々は、全くの無から生じるが、生命と知恵の力で光明の下で生き、やがて生命の火が消えるように死を迎える。

「万燈万華の法会」では、暗闇に一万もの灯明と一万もの華()を供えて法会が行われたと云われる。空海は、原生林に囲まれた漆黒の闇の中に浮かび上がる一万もの灯明とそれに映える華花という具体的な映像を通して、仏法の役割を示したかったに違いない。

「空海の生涯」由良弥生 2019220日王様文庫 三笠書房を手にして、思わず引き込まれてしまった。ポイントは、空海が虚空蔵菩薩求聞持法を教えられた沙門に作者が善道尼という尼僧をあて、この尼僧との関係を一筋の糸として人間空海の生涯をまとめ上げた点である。女性の出現により、人間空海がよりリアリテイをもって描かれることになった。

 以前空海の世界に迫ろうと「空海の詩」安部竜樹2002630日(株)春秋社を手にしたが、あまりに難解で、その世界に触れる感覚がなかったが、今回、密教の世界を少しまとめることで、もっと触れることが出来そうな気がした。

 それにしても、密教の影響は大きい。臨済宗のお寺で頂いた経本の中に消災呪と大悲円満無礙神呪と云う大日経系統の陀羅尼(真言)が含まれているのに気ずいた。陀羅尼(真言)を祈りの言葉とすれば、呪術と祈りは、表裏一体のものであるのかも知れない。空海にとって願文は、祈りよりももっと力強い宣言文又は決意表明文と云うべきものであったような気がする。

 いずれにせよ、これからは空海を楽しみたい。      完