2025年7月6日日曜日

脳科学・前線への道ー私の知的散策史―

 はじめに

 大学時代、理学部の物理学科に在籍していた私は、そこで主として量子力学と核物理学と統計物理学を学んでいたが、科学の方法論や認識論に関心があった。しかし、卒業後は、科学とは無縁の工学と建築の間の建築設備の業界に入り、技術者として社会に出た。そこでの戸惑いは、その分野が、大学での学びと全く無関係に思えたことだった。しかし、10年程して、理学が世界の法則をさぐる分野であるのに対して工学は、それを利用してものづくりをする分野であり、理学が現象から本質的な法則に至るのに対して工学は、理念から具体的な物を生みだすという理学とは全く逆のプロセスをたどる仕事であると理解してようやく社会人としての思想の安定をみた。しかし、そんな時期に、ソ連邦の崩壊と日本のバブル崩壊と云う国内外の二重の社会的変化とパソコンとインターネットの出現という技術的変化の波が訪れ、それまでの思想や世界観の変革を迫られることにかり、働きながら新しい時代に適合するための大学時代に次ぐ第二の疾風怒涛の時代を迎えた。

脳科学への手掛かり

 私が今回のテーマである脳とコンピュータの問題に関心をよせるようになったのは、とおくは、学生時代関心のあった認識論と方法論に繋がる2冊の本を手にしたことに始まる。その一冊が「天才の精神病理-科学的創造の秘密-:飯田真。中井久夫:中央公論社:昭和47(1972)330日初版、昭和51(1976)25日第9版」であり、もう一冊が多分技術者への転身を余儀なくされた頃手にしたものと思われる「創造性の開発―技術者のために:ヴアン・ファンジェ:加藤八千代、岡村和子訳:昭和38(1963)58日第一刷、昭和43(1968)430日第9刷」であった。これ等を何故手にしたかは、よく覚えていないが、認識論と方法論への問題意識の残像のせいであったように思う。その残像とは、科学研究の方法論と関係している。当時ささやかれていたのは、天才には、方法論は不要だが、鈍才にこそ、方法論が必要だと云う故坂田昌一先生の話であり、鈍才である自分にこそ認識論や方法論が必要であるとの思いであった。そして、研究者としての現実的な道が断たれたとき、もう一つの道、天才とは何かに関する漠たる興味が湧いてきたためであった。しかし、これに関連する本は、結局まともに読まれることなく本棚に収まったままであった。

コンピュータと脳科学

このときの微かな思いが、ココンピュータと脳に関する問題意識の形をとるのは、ソ連邦崩壊と日本のバブル崩壊の後、当時、日本共産党の研究や田中角栄研究等で脚光を浴びていた評論家立花隆(19405月~20214)の次の二冊の本に出合ったのがきっかけであった。

電脳進化論:立花隆:朝日新聞社:1993215日第一刷」

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

この二冊の本の題名と立派な装丁に出会ったとき、そこに知的興味をそそる未知なるものの香りを感じた。しかし、当時は、仕事で多忙を極めていたこともあり、立派な装丁のこれ等の本は、難しく結局数ページ目を通しただけで、本棚の飾りとして放置されることになった。

私の中で再び脳の問題が興味の対象として浮かび上がってきたのは、定年後、2012年頃からデープラニングの誕生により第三次AIブームが誕生したことであり、またその頃、学生時代から気にかかっていた天才の病理と脳の秘密にかかわる問題に取り組める時間的余裕が生まれたためでもある。また、大学時代から心惹かれるドイツロマン主義やアランスロマン主義関係の文学作品や近代合理主義のアンチテーゼとしての神秘主義関係の書物を読み、広大な無意識領域を持つ人間そのものに興味を持つようになり、40代になって知った禅の世界や関連書籍を読み、実際に座禅を始めるようになったこと、小林秀雄の「モーツァルト論」や「ドブトエフスキー論」を読み、人間の捉え方の奥深さを痛感したこと、シャガールのステンドグラスを見た時の感動体験を思い出し、これ等を通じて無意識下での心の動きと脳科学との関係にも興味が湧いてきたためでもあった。

この間、脳科学とコンピュータの問題については、既に2023年末に「一冊の本への共感と違和感―AIとシンギュラリティをめぐってー」のタイトルのブログでまとめているが、この時は、脳そのものより、脳を模造したニューラルネットワークに関心があり、脳科学そのものには、深入りしなかった。しかし、人間と同程度の知能を持つ汎用AIの出現4年以内、1人の人間の知能を遥かに凌駕する超人工知能AIの出現が10年以内と云うニュースを耳にすると、それを可能にする人間の脳についての科学すなわち脳科学の現状と見通しについて考えておく必要を感じ、あらためて今まで出会った本と資料を整理してみる気になった。そして改めてこれ等の本を読み直してみて感じたことをまとめてみることにした。

3.脳科学の意義と現状についてー4冊の本

 2010年以降のAIの誕生と脳科学については、おびただしい本が出版されているが、その発展が加速度的であることもあってその全体像に迫るような本は殆ど目にすることが出来ない。私の蔵書の中で、眺めてみて参考になりそうな本は、次の4冊であった。

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

現代思想―200610月号―特集脳科学の未来-:青土社:2006111日発行」

全部わかる脳の事典:坂井建雄、久光正:成美堂出版:2015520日発行」

脳と心の仕組みー[大人のための図鑑]:池上祐二監修:新星出版社:20151125

3.1立花隆の「脳を究める」について

1)「脳を究める」の問題意識と視点

立花隆の「脳を究める」は、B5判の250頁にも上るカラー写真付きの本であったが、10頁ばかりを読んだだけで、放置されていたが、今回あらためて、読み直してみた。

この本は。当時「脳について知ることは、自分自身について知ることである。脳の知覚作用について知ることは自分の知覚能力について知ることであり、脳の認識作用について知ることは自分の認識能力について知ることである。同じことが、行動、意識、記憶、学習、情動など、人間の持つすべての能力について云える。脳を知ることは、自分を知ることであると同時に、人間を知ることであある。いずれあらゆる人間科学は脳科学をぬきに語れなくなるだろう」と云う問題意識のもと脳研究に興味を抱いた著者が、「いま脳科学はどこまで到達しているのか、脳研究の現場では、どうゆう研究テーマをどうゆう方法論で追っているのか、どこがどれだけ分かって、どこが分からないのか、これからの展望はどうか、そういう問題意識を持って、これから最先端の現場を訪ねあるきながらリポートをつづけまとめたものである」この問題意識と視点は、私と同じものであった。

2)「脳を究める」の構成と概要

この本の構成は、次のようになっている。


脳研究に期待する

1脳研究の現在(1928年生まれ、伊藤正男、理化学研究所国際フロンティヤ研究システム長)

2小脳の謎を探る(前掲)

3形を認識する仕組み(前掲思考電流研究チーム)

 4臭覚系研究にかかる期待(森憲作、大阪バイオサイエンス研究所)

5触覚認識に不可欠なもの(岩村吉晃、東邦大学)

6ノックアウト・マウス(1945年生まれ、御子柴克彦 東京大学医科学研究所教授日本の脳神経科学者。医学博士)

7受容体解明までの苦難とドラマ(1942年生まれ、中西重忠、京大医学部免疫研究施設教授)

8脳波・脳磁場で思考はみえるか(1933年生まれ、武者利光、東工大教授)

9思考のからくりに迫るPET研究(菅野巌、秋田県立脳血管研究センター)

10PETMRI(畑澤順、秋田県立脳血管研究センター)

11磁気刺激実験で意識に迫れるか(1943年生まれ、杉下守弘、東京大学医学部音声言語研究  施設教授

12情動と記憶をつなぐ「場所ニューロン」(1936年生まれ小野武年、富山医科薬科大学教授)

13名画を見分けるハトの脳(渡辺茂、慶応大学文学部教授)

14言語能力と聴覚を探る(斎藤望、独教医科大学教授、谷口郁雄、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授)

15記憶のメカニズムを探る(1949年生まれ宮下保司、東京大学教授)

16シナップス可塑性を追う(11944年生まれ津本忠治、大阪大学医学部教授)

17IC基盤上に神経回路を作る(1984年生まれ外山啓介、京都府立医科大教授)

18脳の情報処理に理論で迫る(1936年生まれ 甘利俊一、東京大学教授)

 

3)評価と感想

この目次にみられるように彼の問題意識は、味覚を除くすべての感覚の仕組みにまで及んでいる。序文の役割を果たしている「脳研究に期待する」は、199310月に開催された第一回「脳の世紀」シンポジウムでの基調講演を加筆したものである。

 この中で、立花隆は「中世世界を支配していたアリストテレスの哲学が実証主義を掲げる自然科学によって浸食されていく近代にあって最後に残された哲学領域である認識論と存在論を突き崩すものとして脳科学を位置づけていた。」この意味で脳科学は、アリストテレス型の思弁哲学の終焉と近代の終わりをもたらすものとして意味を持つものと考えられている。

また、この本の目次から推察できるように彼はその中で、情動や言語や思考の仕組みのコンピュータ化つまりデープラニングと現在のAI誕生の前夜にまで迫っていたと云える。

 3.2「現代思想―200610月号―特集脳科学の未来」について

1) 概要

この雑誌を見つけたのは、熱田神宮近くの古本屋であった。確か2014年頃のことだ。新品同様の雑誌に思わず手が出たのは、そこに竹内薫と茂木健一郎の名を見つけその目次に面白そうなテーマが並んでいたためである。


この本もほとんど手つかずのまま、時折思いついて手にして数ページを読みはじめるが、全く理解できず書棚の特等席に放置されたままであった。この雑誌に本格的に目を通したのは、今回が初めてで、その冒頭の対談のテーマは「意識とクオリアの解法」で対談者は、茂木健一郎他3名であった。これを最後まで読み通したとき、そのマニアックで小難しい内容に、こんな特集に魅かれて読む人間なんているのだろうかと疑問に思った。しかし、辛抱強く読む内に面白くなった。そこの各所に思想の閃きのようなものを感じたためで、全体としての構成に「脳科学の未来」にふさわしい匂いを感じたためである。未消化ながらこの雑誌の全体構成を紹介すると次のようになっていた。

 2)特集=脳科学の未来  の構成と概要

脳をめぐる(個人的な)妄想 竹内薫(1960年生まれ、東大物理学科卒 科学作家)

討議「意識とクオリアの解法

茂木健一郎(1962年生まれ、東大理学部物理学科、東大法学部卒 理学博士、脳科学者)

郡司ベギオ-幸夫、(19591月生まれ、 東北大学理学部地質学古生物学教室卒業、理学博士、早稲田大学教授)

池上高志(1961年生まれ 愛知県立旭丘高等学校卒業、東京大学理学部物理学科卒業 理学博士物理学者、東京大学教授人工生命研究)

マインド・リーディング 神谷之康(1970年生まれ。東京大学理学部教養学科卒 理学博士、京都大学教授)、脳情報学研究)

脳は如何なる存在か片山容一(1949年生まれ、 日本大学医学部医学科卒業、医学博士、医学部長、教授、脳神経外科)(聞き手小松美:1955年生まれ、東京大学教養学部基礎科学科卒業、学術博士、日本の生命倫理学者、科学史家。東京大学教授。)

ラディカルな身体化 E・トンプソン(1924年生まれ、イングランドの歴史家、社会主義者、および平和運動家)F・ヴアレラ(1946年生まれ、チリ・タルカワノ生まれの生物学者・認知科学者。オートポイエーシス理論の提唱で知られる)。高畑圭輔 (慶応義塾大医学部卒、医学博士、国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 量子医科学研究所, 脳機能イメージング研究センター 精神神経疾患病態研究セクター, セクター長 )

自由意志は存在しないか 前野隆司(1962年生まれ、 東京工業大学工学部機械工学科卒業、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授)

脳科学における「統計的映像」を超えるために 茂木健一郎(前傾)

情動・感情のメカニズム 福田正治(1949年生まれ、金沢大学理学部物理学科卒、理学博士、日本の脳生理学者。富山大学名誉教授、福井医療短期大学教授)

言葉を生む心 山鳥重(1939年生まれ、神戸医科大学卒業、医学博士、東北大学他教授、日本の神経心理学者、脳科学者、医師。専門は、神経心理学、失語症・記憶障害などの高次脳機能障害)

鳥の歌と人の言葉 岡ノ谷一夫(1959年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業、日本の動物行動学者。帝京大学教授、東京大学名誉教授・客員教授)

浮かび上がる量子脳 松野孝一郎(1940年生まれ。東京大学工学部卒、長岡技術科学大学助教授、教授観測理論である内部観測の発見者である。内部観測 (英:internal measurement) とは、観測に関するとらえ方の一つで、(従来、観測について考察する時一般に暗黙裡に仮定されていた)外部からすべてを一瞬で見ることができるような観測者による観測ではなく、物質が相互作用を通して相手を検知する行為のこと。

ヒトの身体像の脳内再現と身体運動制御との関係 内藤栄一(情報通信研究機構 (NICT)未来ICT研究所、脳情報通信融合研究センター、脳情報通信融合研究室室長)

牢獄からの解放?―脳神経の科学、倫理、そして政治 粥川順二(1969年生まれ、ライター・編集者・翻訳者。「ジャーナリスト」とも「社会学者」とも呼ばれる)

ニューロエシックスの新しさ 香川知晶(1951年生まれ、埼玉大学卒業山梨大学医学部教授[1]、医学工学総合研究部教授 専門はフランス哲学、応用倫理学(生命倫理学、脳神経倫理学)。

脳表面の動的発生-トセゥルーズ「意味の論理学」に即して小泉義之(1954年生まれ、東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学 日本の哲学者、倫理学者近世哲学から現代哲学(大陸哲学・フランス現代哲学)までが研究対象。)

可塑性とその分身-メタ可塑性を導入する 美馬達哉(1965年生まれ、京都大学大学院医学研究科博士課程修了、日本の医学者、医師。立命館大学先端総合学術研究科教授。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、生命倫理、現代思想)

3)評価と感想

立花隆の本が、1人の人間が17名前後の研究者へのインタビュー記事をひとりでまとめたものであるのに対して、こちらの雑誌は、17名近い研究者か各々語ったり書いたりした論文であるため、必ずしも系統的に整理されてはいない。しかし、脳の科学に係わる課題や問題を広範にわたって取り上げている点については共通している。但し10年の歳月の重みはあり、研究者の年齢は、雑誌の方が20歳近く若返っているWikipedia等で検索してみるとこれらの研究者の多くがその後も日本の様々な研究機関で活躍されており、ここに書かかれている内容がかなり確かなものであると信頼できた。

3.3「全部わかる脳の事典(2015年出版)

して

脳研究の現状の常識を知りたくて購入した本がこの本である。医学部、看護学校で教科書として採用されている。80万部突破のうたい文句に魅かれて購入した。イラストや図表が多くわかりやすいと判断した。しかし、本棚に飾っている内にもう10年近く経ってしまった。しかし、文字だけではイメージが湧かないのでたまに目を通していた記憶がある。

図表の作成をしたのは、彩考と云うメディカルイラストレーションを業務とする会社で、代表者の佐藤良孝の経歴は次のようになっている。

日本メディカルイラストレーション学会 監
美術解剖学会会員
日本美術解剖学会会員
The Association of Medical Illustrators
会員(米国)
日本サイエンス・ビジュアライゼーション研究会 会員
データベースユーザースグループ 会員

なを、監修者の坂井建雄、久光正は、次のような人物であった。

坂井 建雄1953512日生まれ)は、日本の解剖学者。1978東京大学医学部 学科卒

医学博士順天堂大学医学部解剖学教授。日本医史学会第12代理事長(2017年〜)

久光正(1947年生まれ?  ) 昭和1972年昭和大学医学部卒 医学博士 免疫系と神経系昭和大学医学部第一生理学教授を経て昭和大学学長(2019年~)

2)本書の構成と概要

Part1.脳の構造し機能

 脳の全体像

 脳の系統発生と発達

 脳を構成する細胞の仕組み

 各部の仕組みと働き

 大脳/間脳/小脳/脳幹/脳室

 脳の血液循環のしくみ

Part2神経系の構造と機能

 神経系の分類

 脳神経・脊髄神経・自立神経のしくみと働き

 運動を司る神経の構造

 体性感覚を伝える神経の構造

特殊感覚を伝える神経の構造

Part3 脳の高次機能と活動

記憶のしくみ

学習のしくみ

感情・思考のしくみ

ストレス反応のしくみ

睡眠のしくみ

Part4.脳の病気メカニズムと治療法

脳神経疾患(アルツハイマー型/てんかんなど)

精神疾患・障害(気分障害/統合失調症など)

脳血管障害・腫瘍(脳梗塞/脳腫瘍など)

3)評価と感想

この本は、脳の構造や各部の働きについての現在の知見を要領よく、分かり安くまとめてあり、脳の関連本を読む上での基礎知識となる。しかし、画像認識、聴覚認識、言語認識の具体的プロセスについての記述は不十分のように思う。その理由は、この本が、人間の成人の脳に焦点を当てているが、それを深く理解するには、様々な他の動物との比較、人間の幼児から成人に至る各プロセスにおけるその発達プロセスによる違い等その周辺系との関連での知識で補完する必要があるし、成人においても、異常な才能や人格との関連等の具体的事例との関連が分析される必要があると考えられるためである。さらに、この本は、医学書として編集されているため、脳の活動を第三者の視点で記述している。そしてそれは、医学書であるため、やむを得ないことではあるが、今日問題となっている一人称での観点が問題となるクオリア・意識の問題やその心理学への通路が見られないことである。現代医学は、精神疾患を物質的な原因からのみ説明しようとしているように見えるが、それはソフトの異常をハード的要因にのみ起因させようとするもので、真とはいえないのではなかろうか。ソフトの異常には、ソフトのバグつまり、教育やブロパガンダ、思想の在り方や宗教の影響等があり、それは脳のネットワーク形成やそれとの外部システムとの接続問題としての視点が必要であろう。

3.4脳と心の仕組みー[大人のための図鑑]、ビジュアル版(2015年出版)

1)概要

脳科学の現状をうまくまとめた最新の本はないかと探していてふと目についたのがこの本であった。

「大人のための図鑑」脳と心の仕組み:池上祐二監修:新星出版社:20151125発行


この本は、監修者は書いてあるが、著者とは書いていない。出版社もあまり目にしたこともない。ただ出版の日付づけは、もっとも新しく写真は多そうなので、なにかの参考になるだろうと購入した本。しかし、実際に目を通してみると脳に関する実際の画像はカラフルで美しく、脳研究者の見ている世界が眼前に展開されているようで思わず引き込まれてしまった。しかもイラストも見やすく解説文章もよくまとまっている。しかも内容は、立花隆の脳科学や現代思想の脳科学の未来以後の脳科学の話題が凝縮されているようにおもわれ、脳の事典では、あまり見られなかった写真や話題が数多く取り上げられており興味深い。監修者は名前だけでなくかなり中味に関与しいると思われたので、概要と略歴を次に示す

2) 池上祐二の概要と略歴(wikipedia)

Yuuji IKEGAYA1970816 - )は、日本の薬剤師、薬学者、脳研究者。学位は薬学博士(東京大学大学院・1998年)。東京大学大学院薬学系研究科・教授。

神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究する。脳科学の知見を紹介する一般向けの著作も執筆している。著作に『海馬』(2005年)、『進化しすぎた脳』(2007)、『脳には妙なクセがある』(2012)、『単純な脳、複雑な「私」』『ココロの盲点』(2013)など。静岡県藤枝市出身。

  • 1989 - 静岡県立藤枝東高等学校を卒業。同年東京大学理科一類に入学の後、脳に対する薬の作用に惹かれ、同薬学部へ傍系進学。
  • 1993 - 薬剤師国家試験 合格(免許取得)同年、東京大学大学院薬学系研究科に進学。
  • 1995 - 日本学術振興会特別研究員。
  • 1998 - 博士(薬学)を取得。論文名は「てんかん様過剰神経活動による海馬神経回路の異常形成」。大学院修了までに筆頭著者として13報の学術論文を発表した。同年、東京大学大学院薬学系研究科・助手。
  • 2002 ~ 2005 - コロンビア大学生物科学講座・客員研究員。
  • 2006 - 東京大学大学院薬学系研究科・講師。
  • 2007 - 東京大学大学院薬学系研究科・准教授。
  • 2014 - 東京大学大学院薬学系研究科・教授に就任。脳情報通信融合研究センター (CiNET)・主任研究員、日本薬理学会・理事も務めている。

3)本書の構成と概要

はじめに

プロローグ1  ここまで見えて来た脳

プロローグ2 脳研究から見た自我や意識の正体とは

第1章                脳の機能を知る

第2章                心の一生

第3章                脳と心の不思議

第4章                脳と心の病気

第5章                未来の脳と心

エピローグ1 脳と心をさぐる歴史

エピローグ2 脳のポテンシャルを開拓し、次世代に繋げる池谷脳創発プロジェクト

4)評価と感想

本のはじめの中で池谷氏は、「この本の特徴を脳研究の分野を出来るだけ万遍にカバーしつつ
最先端知見を積極的に取り込、過去一二年間で得られた人工知能やコネクターム等も含む
れほど高い鮮度保ちながら多様な話題を扱った図鑑は前例がないはずです」と語ってい
が、その意図は完全に達成されている。この意味で本省は、立花隆の「脳を究める」の視
点の延長上にある一人の脳科学者の手になる作品のように思える。この本は、最近の人工知
能や未来の脳科学についてもエピローグの中で言及こしている点で脳研究の現状と将来展望
まで触れた本と云える。

4.1脳研究の歴史

脳についての関心は、心は脳にあるとする紀元前5世紀頃のビポクラテスに始まると云われるが、心が心臓にあるとするアリストテレスと人体解剖を禁止するキリスト教の影響で、14世紀のルネッサンスに至るまであまり進んでこなかった、脳の研究が進むのは、近世になり、自然科学を中心として様々な学問がアリストテレスの哲学から解き放たれた以降のことである。特に18世紀以降、自然科学の影響もあって、宗教から距離を置いた形での合理的思考の潮流が近代的哲学として勃興してくるとそれらの哲学(デカルトからカント、ヘーゲルに至るまで)では「意識的な理性」を人間の本質と見なす、フランス革命に象徴される合理的思想が、支配的となるが、それと共にそのアンチテーゼとしてのロマン主義やシュールリアリズムや神秘主義の思想も活発化してくる。そんな中神経外科医のフロイトは「人間の行動の多くは無意識に支配されている」と主張し、理性中心の人間観を根底から揺る主張を展開し、人間の意識の働きの複雑さとその内容についての研究を精神分析学として体系化してゆくことになった。この精神と意識の研究は、脳の構造という実体を欠いた形で精神医学、心理学として現在まで発展してゆくことになる。

一方、脳の研究は他の科学と同様、観測技術の進歩と軌を一にしており、その大きなものは、顕微鏡の発明と発展、電磁気学の成立とオシロスコープ等微小電流の測定技術の向上であるし、CTPETMRI等による非浸画像検査技術の発展である。当初、精神患者の治療のための脳の研究は、動物実験を中心として外科的手段を用いた実験で進められたが、その方法は、人間については、一部の精神疾患患者に部分的にしか適用されず、正常な人間の脳活動については、脳が心の中心と認められてからも動物実験からの推定を主体として進められた。それらの制約は、外部からの脳波測定技術、CTPETMRIの出現で緩和され、技術の向上によって大きく進展することになった。現在ではコンピュータと脳の神経回路との接続も様々な方法で模索されている。

現在の脳科学は、脳のしくみをすべて解明したとは言えないが、脳の一部機能をモデル化することに成功し、そのモデルを人工的に模擬した仕組みを構築し、それにより特定の領域で、人間の能力をはるかに上回る仕組みを構築するようになってきている。人間の脳は1000憶もの神経細胞が各々10000もの突起を軸索(ニューロン)で結ぶ極めて膨大な宇宙的規模のネットワークを持つ存在であるが、その能力は1/10も活用されていない。このため、この非効率な人間の脳を乗り越えるAIの誕生はさほど困難なことではない。この意味でシンギュラリティは部分的にもう始まっているとみた方がよい。

4.2脳と人間のしくみ

外界や内界の刺激に対する生物の認識や反応は、大脳の発達によって異なった形で行われる。大脳の発達は、巨大な神経細胞のネットワークを出現させ、記憶力の強化・増大をもたらす。記憶力の強化・増大は。過去の記憶と未来の推定を可能とし、時間の超越を可能にする。

認知や反応プロセスの結果は、従来の唯物論が想定したような線形な単純プロセスではなく、様々な外部刺激の多様な信号を多層に亘る推論調整プロセスの結果とそれに加えて蓄えられた知識や印象の記憶との比較検証のプロセスの結果でもある。つまり知覚映像は、その時点での刺激に喚起それるだけでなくすでに持っている記憶によっても支配される。

これは、その結果によって喚起される運動についても云えることである。映像、音楽、言語、味覚等についてのこれ等のしくみは、細部を覗いてほぼ解明されたと云える段階にある。記憶は、最終的に大脳の神経細胞ネットワークの中に保持される。生物の生の維持・管理システムは、大きく大脳、小脳、脳幹が担っている。脳幹は、視床や視床下部等で構成される間脳、中脳、橋、延髄で構成される。人間の生の維持システムは、大脳の巨大化により、記憶容量が巨大化したため、この大脳の記憶システムが、様々な形で関与してくる。この生物の生の維持・管理システムの総合的管理の一部が意識である。この意識の鮮明な部分はクオリアと云われ自意識とも云われるが、これは通常外部から見ることが出来ない。この一人称で知覚される世界の生まれる仕組みは、大脳の神経ネッワークに生じるものと考えられているがまだ良く分っていない。しかし、脳の神経ネッワークと人間を含む外部ネットワークとの接続が出来れば、第三の視点(三人称の視点)で観察されもっと詳しく理解できる可能性がある。

 意識がどのようして発生するかは、我々がいつ意識をもつようになったかを問えば分かりそうであるが、我々自身、その記憶を持つものは少ない。しかし我々の脳の発達が意識の誕生をもたらしたことは事実であるので、AIがいつ意識を持つようになるかも同様であろう。

意識そのものについての研究は、永らく哲学と文学の領域であり、意識の在り方やその合理性については、フランス革命に象徴される近代合理主義として支配的思想となった。しかし、この合理性に対する反動としての思想が、ドイツロマン主義やフランスロマン主義の潮流として生まれ、この中で無意識領域に着目して人間を理解しようとするフロイドやユング他による精神分析学が誕生する。二十世紀の前半まで、人間の心の問題は、主として、宗教や文学、心理学・精神分析学として扱われてきたが、脳科学の面から新たな視点と光が当てられるのかも知れない。

4.3脳科学の課題

現代医学は、精神疾患を物質的な原因からのみ説明しようとしているように見えるが、それはソフトの異常をハード的要因にのみ起因させようとするもので、必ずしも真とはいえないのではなかろうか。ソフトの異常には、ソフトのバグつまり、教育やブロパガンダ、思想の在り方や宗教の影響等があり、それは脳のネットワーク形成やそれとの外部システムとの接続問題としての視点が必要であろう。

AIの脅威が問題になっているが、それよりも問題は、人間である。戦乱を起こし、環境を破壊する現代の人間は、悪しきAIより始末が悪い。しかし、人間がその潜在的な能力を発揮すれば、既存のAIよりはるかに優秀である。そしてその可能性の扉を開けるのは、教育ではなかろうか。いずれにせよ、人間とAIが融合する新たな文明のステージが始まるだろう。

ただ。人間の知性には、計算不可能性の領域があり、それは、人工知能では及ばないとのベンローズの量子脳理論もあり、その計算不可能性の領域と意識の誕生をめぐる問題はまだ、未決着で今後の推移を見守りたい。

脳に関する本は、難しい。しかし、脳研究の概要が分かれば、興味をもって読めるのではなかろうか。そして新たな発見があるのかも知れない。そんな気持ちをもって再度本棚の下記の本を読み直してみることにする。

参考文献

天才の精神病理-科学的創造の秘密-:飯田真。中井久夫:中央公論社:昭和47(1972)330日初版、昭和51(1976)25日第9版」

創造性の開発―技術者のためにー:ヴアン・ファンジェ:加藤八千代、岡村和子訳:昭和38(1963)58日第一刷、昭和43(1968)430日第9刷」

電脳進化論:立花隆:朝日新聞社:1993215日第一刷」

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

言語の脳科学―脳はどのようにことばをうみだすかー:渡辺邦嘉:中公新書:中央公論新社

2002725日初版、200842512版」

「脳とコンピュータはどうちがうのかー究極のコンピュータは意識を

もつのかー:茂木健一郎、田谷文彦:ブルーバックス:講談社:2003520日第一刷、

200681日第三刷」

脳は本当に歳をとるのか:米山公啓:(株)青春出版社:2004815日第一刷」

現代思想―200610月号―特集脳科学の未来-:青土社:2006111日発行」

ベンローズの量子脳理論―心と意識の科学的基礎を求めて:ロジャー・ベンローズ:竹内薫、茂木健一郎訳、解説:ちくま学芸文庫:2006910日第一刷、20201030日第七冊」

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたときー:ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳:新潮文庫:

平成24(2012)41日発行、令和元年(2019)1220日13刷

2045年問題―コンピュータが人類を超える日-:松田卓也:廣済堂新書:201311日第一刷。201565日第5刷」

全部わかる脳の事典:坂井建雄、久光正:成美堂出版:2015520日発行」

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「最新科学が解き明かすー脳と心の仕組み」:池谷裕二監修:-大人のための図鑑―ビジュアル版:新星出版社:20151115日発行

神経とシナプスの科学―現代脳研究の源流:杉山晴夫:ブルーバックス:(株)講談社:20151120日第一刷」

あなたの知らない脳―意識は傍観者であるーティビッド・イーグルマン、太田直子訳:早川書房2016915日発行」

人工知能ガイドブック:I/O編集部編:(株)工学社:2016615日発行

エスの系譜―沈黙の西洋思想史―:互盛央:講談社学術文庫:(株)講談社:20161011日第一刷」

エスの本:ゲオルク・グロデック:岸田秀、山下公子訳:講談社学術文庫:(株)講談社:2018410日第一刷」

もう一つの脳―ニューロンを支配する陰の主役グリア細胞:R・ダグラス・フィールズ:小松佳代子訳、小西史朗監訳:2018420日第一刷」

創造の星:渡辺哲夫:(株)講談社2018710日第一刷」

虚妄のAI―シンギュラリティを葬り去るー:ジャン=ガブリエル・ガナシア、伊藤直子他訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:2019725日発行」

脳と文明の暗号―言語と音楽、驚異の起源:マーク・チャンギージー:中山郵訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:20201215日発行」

脳の意識、機械の意識:―脳神経科学の挑戦―:渡辺正峰:中央新書:中央公論新社:20171125日発行」

生成AIで世界はこう変わるー超知能は神か悪魔かー:今井翔太:SBクリエイティブ(株):2024115日初版第一刷、122日第二刷」

脳の本質―いかにしてヒトは知性を獲得するか―:乾敏郎、門脇加江子:中央新書:中央公論新社:20241125日」