2025年7月6日日曜日

脳科学・前線への道ー私の知的散策史―

 はじめに

 大学時代、理学部の物理学科に在籍していた私は、そこで主として量子力学と核物理学と統計物理学を学んでいたが、科学の方法論や認識論に関心があった。しかし、卒業後は、科学とは無縁の工学と建築の間の建築設備の業界に入り、技術者として社会に出た。そこでの戸惑いは、その分野が、大学での学びと全く無関係に思えたことだった。しかし、10年程して、理学が世界の法則をさぐる分野であるのに対して工学は、それを利用してものづくりをする分野であり、理学が現象から本質的な法則に至るのに対して工学は、理念から具体的な物を生みだすという理学とは全く逆のプロセスをたどる仕事であると理解してようやく社会人としての思想の安定をみた。しかし、そんな時期に、ソ連邦の崩壊と日本のバブル崩壊と云う国内外の二重の社会的変化とパソコンとインターネットの出現という技術的変化の波が訪れ、それまでの思想や世界観の変革を迫られることにかり、働きながら新しい時代に適合するための大学時代に次ぐ第二の疾風怒涛の時代を迎えた。

脳科学への手掛かり

 私が今回のテーマである脳とコンピュータの問題に関心をよせるようになったのは、とおくは、学生時代関心のあった認識論と方法論に繋がる2冊の本を手にしたことに始まる。その一冊が「天才の精神病理-科学的創造の秘密-:飯田真。中井久夫:中央公論社:昭和47(1972)330日初版、昭和51(1976)25日第9版」であり、もう一冊が多分技術者への転身を余儀なくされた頃手にしたものと思われる「創造性の開発―技術者のために:ヴアン・ファンジェ:加藤八千代、岡村和子訳:昭和38(1963)58日第一刷、昭和43(1968)430日第9刷」であった。これ等を何故手にしたかは、よく覚えていないが、認識論と方法論への問題意識の残像のせいであったように思う。その残像とは、科学研究の方法論と関係している。当時ささやかれていたのは、天才には、方法論は不要だが、鈍才にこそ、方法論が必要だと云う故坂田昌一先生の話であり、鈍才である自分にこそ認識論や方法論が必要であるとの思いであった。そして、研究者としての現実的な道が断たれたとき、もう一つの道、天才とは何かに関する漠たる興味が湧いてきたためであった。しかし、これに関連する本は、結局まともに読まれることなく本棚に収まったままであった。

コンピュータと脳科学

このときの微かな思いが、ココンピュータと脳に関する問題意識の形をとるのは、ソ連邦崩壊と日本のバブル崩壊の後、当時、日本共産党の研究や田中角栄研究等で脚光を浴びていた評論家立花隆(19405月~20214)の次の二冊の本に出合ったのがきっかけであった。

電脳進化論:立花隆:朝日新聞社:1993215日第一刷」

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

この二冊の本の題名と立派な装丁に出会ったとき、そこに知的興味をそそる未知なるものの香りを感じた。しかし、当時は、仕事で多忙を極めていたこともあり、立派な装丁のこれ等の本は、難しく結局数ページ目を通しただけで、本棚の飾りとして放置されることになった。

私の中で再び脳の問題が興味の対象として浮かび上がってきたのは、定年後、2012年頃からデープラニングの誕生により第三次AIブームが誕生したことであり、またその頃、学生時代から気にかかっていた天才の病理と脳の秘密にかかわる問題に取り組める時間的余裕が生まれたためでもある。また、大学時代から心惹かれるドイツロマン主義やアランスロマン主義関係の文学作品や近代合理主義のアンチテーゼとしての神秘主義関係の書物を読み、広大な無意識領域を持つ人間そのものに興味を持つようになり、40代になって知った禅の世界や関連書籍を読み、実際に座禅を始めるようになったこと、小林秀雄の「モーツァルト論」や「ドブトエフスキー論」を読み、人間の捉え方の奥深さを痛感したこと、シャガールのステンドグラスを見た時の感動体験を思い出し、これ等を通じて無意識下での心の動きと脳科学との関係にも興味が湧いてきたためでもあった。

この間、脳科学とコンピュータの問題については、既に2023年末に「一冊の本への共感と違和感―AIとシンギュラリティをめぐってー」のタイトルのブログでまとめているが、この時は、脳そのものより、脳を模造したニューラルネットワークに関心があり、脳科学そのものには、深入りしなかった。しかし、人間と同程度の知能を持つ汎用AIの出現4年以内、1人の人間の知能を遥かに凌駕する超人工知能AIの出現が10年以内と云うニュースを耳にすると、それを可能にする人間の脳についての科学すなわち脳科学の現状と見通しについて考えておく必要を感じ、あらためて今まで出会った本と資料を整理してみる気になった。そして改めてこれ等の本を読み直してみて感じたことをまとめてみることにした。

3.脳科学の意義と現状についてー4冊の本

 2010年以降のAIの誕生と脳科学については、おびただしい本が出版されているが、その発展が加速度的であることもあってその全体像に迫るような本は殆ど目にすることが出来ない。私の蔵書の中で、眺めてみて参考になりそうな本は、次の4冊であった。

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

現代思想―200610月号―特集脳科学の未来-:青土社:2006111日発行」

全部わかる脳の事典:坂井建雄、久光正:成美堂出版:2015520日発行」

脳と心の仕組みー[大人のための図鑑]:池上祐二監修:新星出版社:20151125

3.1立花隆の「脳を究める」について

1)「脳を究める」の問題意識と視点

立花隆の「脳を究める」は、B5判の250頁にも上るカラー写真付きの本であったが、10頁ばかりを読んだだけで、放置されていたが、今回あらためて、読み直してみた。

この本は。当時「脳について知ることは、自分自身について知ることである。脳の知覚作用について知ることは自分の知覚能力について知ることであり、脳の認識作用について知ることは自分の認識能力について知ることである。同じことが、行動、意識、記憶、学習、情動など、人間の持つすべての能力について云える。脳を知ることは、自分を知ることであると同時に、人間を知ることであある。いずれあらゆる人間科学は脳科学をぬきに語れなくなるだろう」と云う問題意識のもと脳研究に興味を抱いた著者が、「いま脳科学はどこまで到達しているのか、脳研究の現場では、どうゆう研究テーマをどうゆう方法論で追っているのか、どこがどれだけ分かって、どこが分からないのか、これからの展望はどうか、そういう問題意識を持って、これから最先端の現場を訪ねあるきながらリポートをつづけまとめたものである」この問題意識と視点は、私と同じものであった。

2)「脳を究める」の構成と概要

この本の構成は、次のようになっている。


脳研究に期待する

1脳研究の現在(1928年生まれ、伊藤正男、理化学研究所国際フロンティヤ研究システム長)

2小脳の謎を探る(前掲)

3形を認識する仕組み(前掲思考電流研究チーム)

 4臭覚系研究にかかる期待(森憲作、大阪バイオサイエンス研究所)

5触覚認識に不可欠なもの(岩村吉晃、東邦大学)

6ノックアウト・マウス(1945年生まれ、御子柴克彦 東京大学医科学研究所教授日本の脳神経科学者。医学博士)

7受容体解明までの苦難とドラマ(1942年生まれ、中西重忠、京大医学部免疫研究施設教授)

8脳波・脳磁場で思考はみえるか(1933年生まれ、武者利光、東工大教授)

9思考のからくりに迫るPET研究(菅野巌、秋田県立脳血管研究センター)

10PETMRI(畑澤順、秋田県立脳血管研究センター)

11磁気刺激実験で意識に迫れるか(1943年生まれ、杉下守弘、東京大学医学部音声言語研究  施設教授

12情動と記憶をつなぐ「場所ニューロン」(1936年生まれ小野武年、富山医科薬科大学教授)

13名画を見分けるハトの脳(渡辺茂、慶応大学文学部教授)

14言語能力と聴覚を探る(斎藤望、独教医科大学教授、谷口郁雄、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授)

15記憶のメカニズムを探る(1949年生まれ宮下保司、東京大学教授)

16シナップス可塑性を追う(11944年生まれ津本忠治、大阪大学医学部教授)

17IC基盤上に神経回路を作る(1984年生まれ外山啓介、京都府立医科大教授)

18脳の情報処理に理論で迫る(1936年生まれ 甘利俊一、東京大学教授)

 

3)評価と感想

この目次にみられるように彼の問題意識は、味覚を除くすべての感覚の仕組みにまで及んでいる。序文の役割を果たしている「脳研究に期待する」は、199310月に開催された第一回「脳の世紀」シンポジウムでの基調講演を加筆したものである。

 この中で、立花隆は「中世世界を支配していたアリストテレスの哲学が実証主義を掲げる自然科学によって浸食されていく近代にあって最後に残された哲学領域である認識論と存在論を突き崩すものとして脳科学を位置づけていた。」この意味で脳科学は、アリストテレス型の思弁哲学の終焉と近代の終わりをもたらすものとして意味を持つものと考えられている。

また、この本の目次から推察できるように彼はその中で、情動や言語や思考の仕組みのコンピュータ化つまりデープラニングと現在のAI誕生の前夜にまで迫っていたと云える。

 3.2「現代思想―200610月号―特集脳科学の未来」について

1) 概要

この雑誌を見つけたのは、熱田神宮近くの古本屋であった。確か2014年頃のことだ。新品同様の雑誌に思わず手が出たのは、そこに竹内薫と茂木健一郎の名を見つけその目次に面白そうなテーマが並んでいたためである。


この本もほとんど手つかずのまま、時折思いついて手にして数ページを読みはじめるが、全く理解できず書棚の特等席に放置されたままであった。この雑誌に本格的に目を通したのは、今回が初めてで、その冒頭の対談のテーマは「意識とクオリアの解法」で対談者は、茂木健一郎他3名であった。これを最後まで読み通したとき、そのマニアックで小難しい内容に、こんな特集に魅かれて読む人間なんているのだろうかと疑問に思った。しかし、辛抱強く読む内に面白くなった。そこの各所に思想の閃きのようなものを感じたためで、全体としての構成に「脳科学の未来」にふさわしい匂いを感じたためである。未消化ながらこの雑誌の全体構成を紹介すると次のようになっていた。

 2)特集=脳科学の未来  の構成と概要

脳をめぐる(個人的な)妄想 竹内薫(1960年生まれ、東大物理学科卒 科学作家)

討議「意識とクオリアの解法

茂木健一郎(1962年生まれ、東大理学部物理学科、東大法学部卒 理学博士、脳科学者)

郡司ベギオ-幸夫、(19591月生まれ、 東北大学理学部地質学古生物学教室卒業、理学博士、早稲田大学教授)

池上高志(1961年生まれ 愛知県立旭丘高等学校卒業、東京大学理学部物理学科卒業 理学博士物理学者、東京大学教授人工生命研究)

マインド・リーディング 神谷之康(1970年生まれ。東京大学理学部教養学科卒 理学博士、京都大学教授)、脳情報学研究)

脳は如何なる存在か片山容一(1949年生まれ、 日本大学医学部医学科卒業、医学博士、医学部長、教授、脳神経外科)(聞き手小松美:1955年生まれ、東京大学教養学部基礎科学科卒業、学術博士、日本の生命倫理学者、科学史家。東京大学教授。)

ラディカルな身体化 E・トンプソン(1924年生まれ、イングランドの歴史家、社会主義者、および平和運動家)F・ヴアレラ(1946年生まれ、チリ・タルカワノ生まれの生物学者・認知科学者。オートポイエーシス理論の提唱で知られる)。高畑圭輔 (慶応義塾大医学部卒、医学博士、国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 量子医科学研究所, 脳機能イメージング研究センター 精神神経疾患病態研究セクター, セクター長 )

自由意志は存在しないか 前野隆司(1962年生まれ、 東京工業大学工学部機械工学科卒業、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授)

脳科学における「統計的映像」を超えるために 茂木健一郎(前傾)

情動・感情のメカニズム 福田正治(1949年生まれ、金沢大学理学部物理学科卒、理学博士、日本の脳生理学者。富山大学名誉教授、福井医療短期大学教授)

言葉を生む心 山鳥重(1939年生まれ、神戸医科大学卒業、医学博士、東北大学他教授、日本の神経心理学者、脳科学者、医師。専門は、神経心理学、失語症・記憶障害などの高次脳機能障害)

鳥の歌と人の言葉 岡ノ谷一夫(1959年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業、日本の動物行動学者。帝京大学教授、東京大学名誉教授・客員教授)

浮かび上がる量子脳 松野孝一郎(1940年生まれ。東京大学工学部卒、長岡技術科学大学助教授、教授観測理論である内部観測の発見者である。内部観測 (英:internal measurement) とは、観測に関するとらえ方の一つで、(従来、観測について考察する時一般に暗黙裡に仮定されていた)外部からすべてを一瞬で見ることができるような観測者による観測ではなく、物質が相互作用を通して相手を検知する行為のこと。

ヒトの身体像の脳内再現と身体運動制御との関係 内藤栄一(情報通信研究機構 (NICT)未来ICT研究所、脳情報通信融合研究センター、脳情報通信融合研究室室長)

牢獄からの解放?―脳神経の科学、倫理、そして政治 粥川順二(1969年生まれ、ライター・編集者・翻訳者。「ジャーナリスト」とも「社会学者」とも呼ばれる)

ニューロエシックスの新しさ 香川知晶(1951年生まれ、埼玉大学卒業山梨大学医学部教授[1]、医学工学総合研究部教授 専門はフランス哲学、応用倫理学(生命倫理学、脳神経倫理学)。

脳表面の動的発生-トセゥルーズ「意味の論理学」に即して小泉義之(1954年生まれ、東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学 日本の哲学者、倫理学者近世哲学から現代哲学(大陸哲学・フランス現代哲学)までが研究対象。)

可塑性とその分身-メタ可塑性を導入する 美馬達哉(1965年生まれ、京都大学大学院医学研究科博士課程修了、日本の医学者、医師。立命館大学先端総合学術研究科教授。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、生命倫理、現代思想)

3)評価と感想

立花隆の本が、1人の人間が17名前後の研究者へのインタビュー記事をひとりでまとめたものであるのに対して、こちらの雑誌は、17名近い研究者か各々語ったり書いたりした論文であるため、必ずしも系統的に整理されてはいない。しかし、脳の科学に係わる課題や問題を広範にわたって取り上げている点については共通している。但し10年の歳月の重みはあり、研究者の年齢は、雑誌の方が20歳近く若返っているWikipedia等で検索してみるとこれらの研究者の多くがその後も日本の様々な研究機関で活躍されており、ここに書かかれている内容がかなり確かなものであると信頼できた。

3.3「全部わかる脳の事典(2015年出版)

して

脳研究の現状の常識を知りたくて購入した本がこの本である。医学部、看護学校で教科書として採用されている。80万部突破のうたい文句に魅かれて購入した。イラストや図表が多くわかりやすいと判断した。しかし、本棚に飾っている内にもう10年近く経ってしまった。しかし、文字だけではイメージが湧かないのでたまに目を通していた記憶がある。

図表の作成をしたのは、彩考と云うメディカルイラストレーションを業務とする会社で、代表者の佐藤良孝の経歴は次のようになっている。

日本メディカルイラストレーション学会 監
美術解剖学会会員
日本美術解剖学会会員
The Association of Medical Illustrators
会員(米国)
日本サイエンス・ビジュアライゼーション研究会 会員
データベースユーザースグループ 会員

なを、監修者の坂井建雄、久光正は、次のような人物であった。

坂井 建雄1953512日生まれ)は、日本の解剖学者。1978東京大学医学部 学科卒

医学博士順天堂大学医学部解剖学教授。日本医史学会第12代理事長(2017年〜)

久光正(1947年生まれ?  ) 昭和1972年昭和大学医学部卒 医学博士 免疫系と神経系昭和大学医学部第一生理学教授を経て昭和大学学長(2019年~)

2)本書の構成と概要

Part1.脳の構造し機能

 脳の全体像

 脳の系統発生と発達

 脳を構成する細胞の仕組み

 各部の仕組みと働き

 大脳/間脳/小脳/脳幹/脳室

 脳の血液循環のしくみ

Part2神経系の構造と機能

 神経系の分類

 脳神経・脊髄神経・自立神経のしくみと働き

 運動を司る神経の構造

 体性感覚を伝える神経の構造

特殊感覚を伝える神経の構造

Part3 脳の高次機能と活動

記憶のしくみ

学習のしくみ

感情・思考のしくみ

ストレス反応のしくみ

睡眠のしくみ

Part4.脳の病気メカニズムと治療法

脳神経疾患(アルツハイマー型/てんかんなど)

精神疾患・障害(気分障害/統合失調症など)

脳血管障害・腫瘍(脳梗塞/脳腫瘍など)

3)評価と感想

この本は、脳の構造や各部の働きについての現在の知見を要領よく、分かり安くまとめてあり、脳の関連本を読む上での基礎知識となる。しかし、画像認識、聴覚認識、言語認識の具体的プロセスについての記述は不十分のように思う。その理由は、この本が、人間の成人の脳に焦点を当てているが、それを深く理解するには、様々な他の動物との比較、人間の幼児から成人に至る各プロセスにおけるその発達プロセスによる違い等その周辺系との関連での知識で補完する必要があるし、成人においても、異常な才能や人格との関連等の具体的事例との関連が分析される必要があると考えられるためである。さらに、この本は、医学書として編集されているため、脳の活動を第三者の視点で記述している。そしてそれは、医学書であるため、やむを得ないことではあるが、今日問題となっている一人称での観点が問題となるクオリア・意識の問題やその心理学への通路が見られないことである。現代医学は、精神疾患を物質的な原因からのみ説明しようとしているように見えるが、それはソフトの異常をハード的要因にのみ起因させようとするもので、真とはいえないのではなかろうか。ソフトの異常には、ソフトのバグつまり、教育やブロパガンダ、思想の在り方や宗教の影響等があり、それは脳のネットワーク形成やそれとの外部システムとの接続問題としての視点が必要であろう。

3.4脳と心の仕組みー[大人のための図鑑]、ビジュアル版(2015年出版)

1)概要

脳科学の現状をうまくまとめた最新の本はないかと探していてふと目についたのがこの本であった。

「大人のための図鑑」脳と心の仕組み:池上祐二監修:新星出版社:20151125発行


この本は、監修者は書いてあるが、著者とは書いていない。出版社もあまり目にしたこともない。ただ出版の日付づけは、もっとも新しく写真は多そうなので、なにかの参考になるだろうと購入した本。しかし、実際に目を通してみると脳に関する実際の画像はカラフルで美しく、脳研究者の見ている世界が眼前に展開されているようで思わず引き込まれてしまった。しかもイラストも見やすく解説文章もよくまとまっている。しかも内容は、立花隆の脳科学や現代思想の脳科学の未来以後の脳科学の話題が凝縮されているようにおもわれ、脳の事典では、あまり見られなかった写真や話題が数多く取り上げられており興味深い。監修者は名前だけでなくかなり中味に関与しいると思われたので、概要と略歴を次に示す

2) 池上祐二の概要と略歴(wikipedia)

Yuuji IKEGAYA1970816 - )は、日本の薬剤師、薬学者、脳研究者。学位は薬学博士(東京大学大学院・1998年)。東京大学大学院薬学系研究科・教授。

神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究する。脳科学の知見を紹介する一般向けの著作も執筆している。著作に『海馬』(2005年)、『進化しすぎた脳』(2007)、『脳には妙なクセがある』(2012)、『単純な脳、複雑な「私」』『ココロの盲点』(2013)など。静岡県藤枝市出身。

  • 1989 - 静岡県立藤枝東高等学校を卒業。同年東京大学理科一類に入学の後、脳に対する薬の作用に惹かれ、同薬学部へ傍系進学。
  • 1993 - 薬剤師国家試験 合格(免許取得)同年、東京大学大学院薬学系研究科に進学。
  • 1995 - 日本学術振興会特別研究員。
  • 1998 - 博士(薬学)を取得。論文名は「てんかん様過剰神経活動による海馬神経回路の異常形成」。大学院修了までに筆頭著者として13報の学術論文を発表した。同年、東京大学大学院薬学系研究科・助手。
  • 2002 ~ 2005 - コロンビア大学生物科学講座・客員研究員。
  • 2006 - 東京大学大学院薬学系研究科・講師。
  • 2007 - 東京大学大学院薬学系研究科・准教授。
  • 2014 - 東京大学大学院薬学系研究科・教授に就任。脳情報通信融合研究センター (CiNET)・主任研究員、日本薬理学会・理事も務めている。

3)本書の構成と概要

はじめに

プロローグ1  ここまで見えて来た脳

プロローグ2 脳研究から見た自我や意識の正体とは

第1章                脳の機能を知る

第2章                心の一生

第3章                脳と心の不思議

第4章                脳と心の病気

第5章                未来の脳と心

エピローグ1 脳と心をさぐる歴史

エピローグ2 脳のポテンシャルを開拓し、次世代に繋げる池谷脳創発プロジェクト

4)評価と感想

本のはじめの中で池谷氏は、「この本の特徴を脳研究の分野を出来るだけ万遍にカバーしつつ
最先端知見を積極的に取り込、過去一二年間で得られた人工知能やコネクターム等も含む
れほど高い鮮度保ちながら多様な話題を扱った図鑑は前例がないはずです」と語ってい
が、その意図は完全に達成されている。この意味で本省は、立花隆の「脳を究める」の視
点の延長上にある一人の脳科学者の手になる作品のように思える。この本は、最近の人工知
能や未来の脳科学についてもエピローグの中で言及こしている点で脳研究の現状と将来展望
まで触れた本と云える。

4.1脳研究の歴史

脳についての関心は、心は脳にあるとする紀元前5世紀頃のビポクラテスに始まると云われるが、心が心臓にあるとするアリストテレスと人体解剖を禁止するキリスト教の影響で、14世紀のルネッサンスに至るまであまり進んでこなかった、脳の研究が進むのは、近世になり、自然科学を中心として様々な学問がアリストテレスの哲学から解き放たれた以降のことである。特に18世紀以降、自然科学の影響もあって、宗教から距離を置いた形での合理的思考の潮流が近代的哲学として勃興してくるとそれらの哲学(デカルトからカント、ヘーゲルに至るまで)では「意識的な理性」を人間の本質と見なす、フランス革命に象徴される合理的思想が、支配的となるが、それと共にそのアンチテーゼとしてのロマン主義やシュールリアリズムや神秘主義の思想も活発化してくる。そんな中神経外科医のフロイトは「人間の行動の多くは無意識に支配されている」と主張し、理性中心の人間観を根底から揺る主張を展開し、人間の意識の働きの複雑さとその内容についての研究を精神分析学として体系化してゆくことになった。この精神と意識の研究は、脳の構造という実体を欠いた形で精神医学、心理学として現在まで発展してゆくことになる。

一方、脳の研究は他の科学と同様、観測技術の進歩と軌を一にしており、その大きなものは、顕微鏡の発明と発展、電磁気学の成立とオシロスコープ等微小電流の測定技術の向上であるし、CTPETMRI等による非浸画像検査技術の発展である。当初、精神患者の治療のための脳の研究は、動物実験を中心として外科的手段を用いた実験で進められたが、その方法は、人間については、一部の精神疾患患者に部分的にしか適用されず、正常な人間の脳活動については、脳が心の中心と認められてからも動物実験からの推定を主体として進められた。それらの制約は、外部からの脳波測定技術、CTPETMRIの出現で緩和され、技術の向上によって大きく進展することになった。現在ではコンピュータと脳の神経回路との接続も様々な方法で模索されている。

現在の脳科学は、脳のしくみをすべて解明したとは言えないが、脳の一部機能をモデル化することに成功し、そのモデルを人工的に模擬した仕組みを構築し、それにより特定の領域で、人間の能力をはるかに上回る仕組みを構築するようになってきている。人間の脳は1000憶もの神経細胞が各々10000もの突起を軸索(ニューロン)で結ぶ極めて膨大な宇宙的規模のネットワークを持つ存在であるが、その能力は1/10も活用されていない。このため、この非効率な人間の脳を乗り越えるAIの誕生はさほど困難なことではない。この意味でシンギュラリティは部分的にもう始まっているとみた方がよい。

4.2脳と人間のしくみ

外界や内界の刺激に対する生物の認識や反応は、大脳の発達によって異なった形で行われる。大脳の発達は、巨大な神経細胞のネットワークを出現させ、記憶力の強化・増大をもたらす。記憶力の強化・増大は。過去の記憶と未来の推定を可能とし、時間の超越を可能にする。

認知や反応プロセスの結果は、従来の唯物論が想定したような線形な単純プロセスではなく、様々な外部刺激の多様な信号を多層に亘る推論調整プロセスの結果とそれに加えて蓄えられた知識や印象の記憶との比較検証のプロセスの結果でもある。つまり知覚映像は、その時点での刺激に喚起それるだけでなくすでに持っている記憶によっても支配される。

これは、その結果によって喚起される運動についても云えることである。映像、音楽、言語、味覚等についてのこれ等のしくみは、細部を覗いてほぼ解明されたと云える段階にある。記憶は、最終的に大脳の神経細胞ネットワークの中に保持される。生物の生の維持・管理システムは、大きく大脳、小脳、脳幹が担っている。脳幹は、視床や視床下部等で構成される間脳、中脳、橋、延髄で構成される。人間の生の維持システムは、大脳の巨大化により、記憶容量が巨大化したため、この大脳の記憶システムが、様々な形で関与してくる。この生物の生の維持・管理システムの総合的管理の一部が意識である。この意識の鮮明な部分はクオリアと云われ自意識とも云われるが、これは通常外部から見ることが出来ない。この一人称で知覚される世界の生まれる仕組みは、大脳の神経ネッワークに生じるものと考えられているがまだ良く分っていない。しかし、脳の神経ネッワークと人間を含む外部ネットワークとの接続が出来れば、第三の視点(三人称の視点)で観察されもっと詳しく理解できる可能性がある。

 意識がどのようして発生するかは、我々がいつ意識をもつようになったかを問えば分かりそうであるが、我々自身、その記憶を持つものは少ない。しかし我々の脳の発達が意識の誕生をもたらしたことは事実であるので、AIがいつ意識を持つようになるかも同様であろう。

意識そのものについての研究は、永らく哲学と文学の領域であり、意識の在り方やその合理性については、フランス革命に象徴される近代合理主義として支配的思想となった。しかし、この合理性に対する反動としての思想が、ドイツロマン主義やフランスロマン主義の潮流として生まれ、この中で無意識領域に着目して人間を理解しようとするフロイドやユング他による精神分析学が誕生する。二十世紀の前半まで、人間の心の問題は、主として、宗教や文学、心理学・精神分析学として扱われてきたが、脳科学の面から新たな視点と光が当てられるのかも知れない。

4.3脳科学の課題

現代医学は、精神疾患を物質的な原因からのみ説明しようとしているように見えるが、それはソフトの異常をハード的要因にのみ起因させようとするもので、必ずしも真とはいえないのではなかろうか。ソフトの異常には、ソフトのバグつまり、教育やブロパガンダ、思想の在り方や宗教の影響等があり、それは脳のネットワーク形成やそれとの外部システムとの接続問題としての視点が必要であろう。

AIの脅威が問題になっているが、それよりも問題は、人間である。戦乱を起こし、環境を破壊する現代の人間は、悪しきAIより始末が悪い。しかし、人間がその潜在的な能力を発揮すれば、既存のAIよりはるかに優秀である。そしてその可能性の扉を開けるのは、教育ではなかろうか。いずれにせよ、人間とAIが融合する新たな文明のステージが始まるだろう。

ただ。人間の知性には、計算不可能性の領域があり、それは、人工知能では及ばないとのベンローズの量子脳理論もあり、その計算不可能性の領域と意識の誕生をめぐる問題はまだ、未決着で今後の推移を見守りたい。

脳に関する本は、難しい。しかし、脳研究の概要が分かれば、興味をもって読めるのではなかろうか。そして新たな発見があるのかも知れない。そんな気持ちをもって再度本棚の下記の本を読み直してみることにする。

参考文献

天才の精神病理-科学的創造の秘密-:飯田真。中井久夫:中央公論社:昭和47(1972)330日初版、昭和51(1976)25日第9版」

創造性の開発―技術者のためにー:ヴアン・ファンジェ:加藤八千代、岡村和子訳:昭和38(1963)58日第一刷、昭和43(1968)430日第9刷」

電脳進化論:立花隆:朝日新聞社:1993215日第一刷」

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

言語の脳科学―脳はどのようにことばをうみだすかー:渡辺邦嘉:中公新書:中央公論新社

2002725日初版、200842512版」

「脳とコンピュータはどうちがうのかー究極のコンピュータは意識を

もつのかー:茂木健一郎、田谷文彦:ブルーバックス:講談社:2003520日第一刷、

200681日第三刷」

脳は本当に歳をとるのか:米山公啓:(株)青春出版社:2004815日第一刷」

現代思想―200610月号―特集脳科学の未来-:青土社:2006111日発行」

ベンローズの量子脳理論―心と意識の科学的基礎を求めて:ロジャー・ベンローズ:竹内薫、茂木健一郎訳、解説:ちくま学芸文庫:2006910日第一刷、20201030日第七冊」

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたときー:ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳:新潮文庫:

平成24(2012)41日発行、令和元年(2019)1220日13刷

2045年問題―コンピュータが人類を超える日-:松田卓也:廣済堂新書:201311日第一刷。201565日第5刷」

全部わかる脳の事典:坂井建雄、久光正:成美堂出版:2015520日発行」

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「最新科学が解き明かすー脳と心の仕組み」:池谷裕二監修:-大人のための図鑑―ビジュアル版:新星出版社:20151115日発行

神経とシナプスの科学―現代脳研究の源流:杉山晴夫:ブルーバックス:(株)講談社:20151120日第一刷」

あなたの知らない脳―意識は傍観者であるーティビッド・イーグルマン、太田直子訳:早川書房2016915日発行」

人工知能ガイドブック:I/O編集部編:(株)工学社:2016615日発行

エスの系譜―沈黙の西洋思想史―:互盛央:講談社学術文庫:(株)講談社:20161011日第一刷」

エスの本:ゲオルク・グロデック:岸田秀、山下公子訳:講談社学術文庫:(株)講談社:2018410日第一刷」

もう一つの脳―ニューロンを支配する陰の主役グリア細胞:R・ダグラス・フィールズ:小松佳代子訳、小西史朗監訳:2018420日第一刷」

創造の星:渡辺哲夫:(株)講談社2018710日第一刷」

虚妄のAI―シンギュラリティを葬り去るー:ジャン=ガブリエル・ガナシア、伊藤直子他訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:2019725日発行」

脳と文明の暗号―言語と音楽、驚異の起源:マーク・チャンギージー:中山郵訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:20201215日発行」

脳の意識、機械の意識:―脳神経科学の挑戦―:渡辺正峰:中央新書:中央公論新社:20171125日発行」

生成AIで世界はこう変わるー超知能は神か悪魔かー:今井翔太:SBクリエイティブ(株):2024115日初版第一刷、122日第二刷」

脳の本質―いかにしてヒトは知性を獲得するか―:乾敏郎、門脇加江子:中央新書:中央公論新社:20241125日」


 

2025年6月5日木曜日

カミュ(1913~1960)と私―カミュ伝に刺激されてー

 はじめに

私が大学生であった頃、大学生活は、人生の半分に相当すると自分に言い聞かせながら生きていた。そしてその後60年生きてきて、全くそのとおりだったと近頃感じている。その理由は、あの当時感じていた、課題や問題意識が60年たってもやはりあまり変わらないと思われるからだ。つまり、80歳を超えてからの日々が、あの当時の課題や問題意識の延長上にあるように思われるせいだ。カミュ(1913~1960)をめぐる問題もその一つだ。

私がカミュの名前をしったのは、大学1年生の時に、同級生のS君と知り合いになったことに関係している。一浪して入ってきた彼は、私より1歳年上であったが少し変わっていた。田舎出の私は、安保闘争後の余波に揺れる大学生活の中で、瞬く間に学生運動の波に巻き込まれていったが、そうした騒然たる流れの中の片隅で、彼は1人冷ややかな目でしかし少し去りがたい面持ちで、孤立して生きているようであった。

その彼と話しをするようになったのは、イギリスの作家ゴールズワージーの「林檎の樹」をテキストに英語の梅津先生の講義に触発されたことがきっかけであった。我々二人は、梅津先生の作品を通して語る人間観に、大きな影響を受けたのだった。その梅津先生は、イギリスの銅板画家で詩人のウイリアムブレイクの研究者だった。その先生の講義が終わったとき、彼が、梅津先生の家を訪問して、もっと話を聞こうと提案し、二人で希望ケ丘の先生の自宅を訪ねたことがあった。当時先生は、奥さんと小学生の女のお子さん二人との4人暮らしであったが、突然の学生の訪問にも嫌な顔をせず、自宅に招き入れてくれた。二階建ての住宅の中二階の三畳ばかりの小部屋が先生の書斎で、そこで先生は、現在自分が行っているウイリアムブレイク研究の現状や出版予定について話をしてくれた。この出来事があってからか、彼とは文学や異性について話をする間柄になった。

 その彼が、ベレー帽をかぶり、パイプ煙草をくゆらせて、大学構内を闊歩するようになったのは、それから間もなくのことであったが、その彼が抱えていたのがカミュの「シーシュポス(ジュンボス)の神話」であった。カミュがサルトルと並ぶフランスの実存主義的ニヒリズムの作家であることは、なんとなく知っていたが、当時の私には、実存主義やニヒリズムにはあまり関心がなかった。しかし、米ソの冷戦体制下で、核戦争の危機が切迫していた時代の雰囲気の中で、そのニヒルな感覚は手に取るように感じていた。そしてそのニヒルな感覚は、S君だけで十分であり、私の関心はカミュには向かわなかった。

 その私が、カミュの名前とS君を思い出したのは、コロナ下で、岐阜の女性の知人からカミュの「ペスト」を読んだと知らされ、その感想を求められたからであった。そしてその時、私は、カミュの作品をほとんど読んだことがないことに気づかされた。その記憶が潜在意識の中に残っていたためであろう。今年2025年の3月古書店の一角で、カミュ伝と云う本に出合った時、反射的に購入することになった。それが次の本であった。

「カミュ伝:中条省平:インターナショナル新書:集英社:2021811日第一刷発行」

カミュ伝について

「「異邦人」「ペスト」と云う世界文学史上燦然と輝く傑作を発表し、ノーベル文学賞を受賞。かずかずの栄光に包まれながら、自動車交通事故により突如この世を去った不世出の作家アルベール・カミュ。アルジェリアでの極貧の幼少期、不治の病・結核との闘い、ナチスに蹂躙されたパリでのレジスタンス活動、幾多の女性とのロマンスー不条理な運命に反抗し続け、46年の生涯を駆け抜けたカミュの波瀾の生涯と作品、そして思想に迫る。」

これが、この本の表紙裏に書かれたうたい文句であり。

本の帯の裏には、コロナに翻弄された我々だからこそ振り返るべき、カミュの人生と作品「人間は死ぬ。これがこの世界の不条理のさいたるものです。人間は最初から罪もないのに死を宣告された死刑囚だと云うことです。それゆえ、幸福ではありえない。だとするならば、このいわば神から押しつけられた不条理をこえるような不条理を生きて、神をこえ、人間の条件をこえることに挑まねばならない。-本文より」とカミュの思想が要約されている。

カミュ伝は、面白かった。その理由は、彼の生い立ちと境遇が、貧困、幼少期に父を失い、しかも当時としては結核と云う不死の病の中、フランスの植民他であったアルジェリアを舞台に展開されたことで、その彼がその環境下で何を考え、どう生きたかにひきつけられたからである。

読み終わって、とくに印象に残った点は、サルトルの思想との違いであった。それは、作者のあとがきの次の文章に要約されている。「カミュは、しばしば、サルトルとならんで、実存主義の代表者とされてきましたが、サルトルが「実存主義はヒューマニズムである」と宣言したのと正反対にカミュは一貫してヒューマニズム(人間中心主義)の根源的な批判者でした。その意味でサルトルと論争して構造主義的な思考を提唱したレヴィ=ストロースなどの先駆者ともいえます。」私はかつて、人間中心主義が、今日の環境破壊をもたらした根底にあると持論を展開したことがあったので、この著者の視点には、深く共感するところがあり、実存主義が、ソ連邦崩壊以後の世界の中ですたれていった理由が、今日のリベラリズムの衰退とともにこのことと関係していると深く感じた。

今回のコロナパンデミックは、世界には、人間以外の存在があり、それへの対応を人間世界の論理だけで行おうとすれば、外出禁止令や都市封鎖と云ったファシズム的社会を招かざるをえないことを如実に示した。

中条 省平(Wikipedia)

概要

中条 省平(ちゅうじょう しょうへい、19541123 - )は、日本のフランス文学者、映画評論家・研究者。学習院大学文学部フランス語圏文化学科教授・同大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻教授(兼任)。20253月退官、研究分野は19世紀のフランス小説(特に暗黒文学)だが、近現代の日本文学・ジャズ・映画・漫画などに造詣が深く、其々の研究・評論活動にも携わる。

麻布中学時代に「薔薇の葬列論」を執筆し、映画評論家・松本俊夫の目に止まり、中学生時代から評論家としての活動を始める。

東京大学大学院での指導教授は、フランス文学者・映画批評家でもある蓮實重彦。演劇評論家であり同僚でもあった佐伯隆幸(学習院大学名誉教授)とともに、学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻の設立を担い、初代専攻長に就任。その前身となった学習院大学表象研究プロジェクトを通じて、アニメーション映画監督として知られた高畑勲(元学習院大学表象研究プロジェクト特別研究員)、トリュフォー研究で知られる映画評論家・山田宏一などとの親交が深い。

略歴

神奈川県生まれ。父はマグロ船の元船長であった。麻布高等学校を経て東京外国語大学英米語学科に入学したが、講義に興味が持てず学業を放棄し3年間在籍の後に不登校が親に発覚して中退した。早稲田大学、上智大学、学習院大学、慶應義塾大学を受験して全て合格し、福永武彦、辻邦生、山崎庸一郎、白井健三郎、豊崎光一といった教授陣の豪華さに惹かれて学習院大学に入学、22歳にしてフランス語を始める。 1981年、学習院大学仏文科卒業。 1984年、フランス政府給費留学生としてパリに滞在。なぜか一人だけ日本寮生館ではなく、アメリカ寮生館に配された、などの逸話がある。 1987年、パリ第十大学第三期文学博士号を取得(専門は、暗黒文学)。 1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、学習院大学文学部フランス文学科専任講師となる。近年は漫画評論にも力を入れており、「週刊文春」連載の漫画論「読んでから死ね! 現代必読マンガ101」では浦沢直樹、しりあがり寿、大島弓子、赤塚不二夫、安達哲、新井英樹、荒木飛呂彦、一條裕子、松本大洋、井上雄彦、古谷実、ねこぢる、皆川亮二らを解説した。2009年より手塚治虫文化賞選考委員。20253月学習院大学退官。

読後感

自分の問題意識にフィットしたこともあったか、珍しく一気に読むことが出来、すぐにも感想を書こうかとも思った。カミュの全貌が見えたと思ったからである。しかし、そのとき、まだ、カミュの作品を読んでいないことに気がついた。感想を書くのは、彼の不条理の三部作、「異邦人」「シーシュポスの神話」「ペスト」を読んでからにしようと思った。そこで平和堂での買い物のとき、スーパーの中の書店であまり期待せず探してみた。ところが偶然にも三冊共、各一冊ずつ残っていたので買い求め、読んでみることにした。

「異邦人」すぐに読み終えた。「ペスト」は時間がかかった。「シーシュポスの神話」は拾い読みした。小説の舞台がアルジェリアであることに驚いた。

しかし、小説については特に驚く感動はなかった。それは、神無きヨーロッパの人間を扱っていて、目新しいものが無かったせいかも知れない。ノーベル文学賞は、こうした人間像を現代の普遍的人間像として捉え、そこを描くことを評価しているように思える。カミュは、20世紀を指導した人間中心主義に異を唱え続けた点で西欧思想史の中では、異端であるが、草木国土悉皆成仏の東洋的日本的世界から見れば極当然の思想のように思える。しかし、近代ヨーロッパ思想の限界を示すものとしてみれば、ひび割れつつある西洋思想の矛盾を告発した初期の書として目新しいのかも知れない。

「シーシュポスの神話」抱えベレー帽をかぶってパイプをくゆらせていたS君は、カミュがそうであったように演劇の世界に飛び込んだが、上京し、雑誌の編集や演劇周辺の仕事でもカミュ的生活を続けていたが、大学を出て10年程経った頃、堅実で、賢そうな女性に出会うと一転して、放浪的生活から足を洗いまじめな雑誌の編集者となっていた。僕等の中の青春が終ったのは、その頃である。


 

2025年4月9日水曜日

脳科学の脇道―ベンローズの<量子脳>理論―


 1.はじめに

 脳科学関係の書物の内容を確認し、整理している中で、どうしても気にかかり内容を読んでみたくなったのがこの本である。その理由は、この本の脳科学についての視点が全く他の書籍とは、異なっていること、しかも著者のベンローズは、ノーベル賞を受賞した物理学者であり、この本を取り上げたのがサイエンスライターの竹内薫と脳科学者の茂木健一郎であったことである。私が読んだのは「ベンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎を求めてー:ロジャー・ベンローズ:竹内薫、茂木健一郎:筑摩学芸文庫:株式会社筑摩書房2006920日第一刷発行:20201030日第7刷発行」である。ここで分かるように、この本は、2006年から14年間に第七刷まで発行されており、しかももともとこの本は「ベンローズの電子脳理論」として1997531日に徳間書店より刊行されたと書いてあった。つまりこの本は、約28年前の書籍である。そんな本が、未だに発行されている。そこに何があるのか、しかもこの本の関係者は、茂木、竹内共に物理学科出身である。そんな分けで、物理出の私としては、どうしても目を通しておく必要を感じた。

2.本の概要について

この本は、ベンローズが、心と意識について書いた下記二冊の本すなわち「皇帝の新しい心」と「心の影」で展開した量子脳理論の解説本である。

The Emperor's New Mind: Concerning Computers, Minds, and The Laws of Physics (1989)

『皇帝の新しい心 コンピュータ・心・物理法則』林一 訳、みすず書房, 1994

Shadows of the Mind: A Search for the Missing Science of Consciousness (1994)

『心の影 意識をめぐる未知の科学を探る 12』 林一 訳、みすず書房, 2001-02、新版2016

しかし、この二冊をそのまま取り上げた本ではない。ベンローズ自身の文章は、序文(5p)と意識はマイクロチューブにおける波動関数の収縮として起こる(33p)、影への疑いを超えて(115p)の合計189pで本全体のページ数461p41%に過ぎない。

そこで「序文」に続いて、まず「ベンローズの最初の文ツイスターとベンローズのプラトン的世界」というベンローズの世界を理解するための解説の章(104p)が設けられ、そこで彼の量子重力理論の基礎となり、新高性能相対性理論のようなものに繋がるツイスター理論についての竹内薫の解説やジエーン・クラークのよるベンローズの二冊の本に関連するインタビュー、茂木健一郎のベンローズとの会遇記、用語解説(竹内薫)が取り上げられている。そして「意識はマイクロチューブにおける波動関数の収縮として起こる」に続いて「ツイスター、心、脳―ベンローズ理論への招待」(88p)と題する茂木健一郎の解説とベンローズに対する批判とそれへの応酬が「ヘンローズ卿と10人の小人たち」(18p)の中で竹内薫によりまとめられている。ベンローズは、最初の本「皇帝の新しい心」の中で、自身の量子脳理論を展開したが、それには、数多くの批判が寄せられたため、これ等批判に応えるために書かれたのが「心の影」であった。「影への疑いを超えて」は、この「心の影」への様々な方面からの批判に対する補足、反論をまとめた文章であり、量子力学の生物学への適用から意識の問題まで、広範囲に亘っており、ベンローズの考えの当時としての到達点を示す文章と思われる。本の最後に竹内薫と茂木健一郎が文庫本へのあとがきを書いているが、この本が出版された2006年は、ベンローズは75歳であり、茂木健一郎44歳、竹内薫46歳である。あとがきの中で茂木健一郎が「このような本は、10年たっても20年たっても内容が古くなることはないであろう」と書いているのが印象的であった。

3.ベンローズの量子脳理論について

本の概要を紹介するためにロジャー・ベンローズについて(wikipedia)で調べてみた。この内容特にその中のその他の活動の電子脳についての記述が、本書の内容に当たる。Wikipediaで、ベンローズを調べたがよくまとまっているので、この内容を紹介し、最後に感想を書く事でこの作業をおえることにする。

3.1ロジャー・ペンローズとは

ロジャー・ペンローズ OM FRSSir Roger Penrose193188 - )は、イギリスの数理物理学者・数学者・科学哲学者。2020年ノーベル物理学賞受賞。

一般相対性理論と宇宙論の数理物理学に貢献した。特異点定理によりスティーブン・ホーキングとともに1988年のウルフ賞物理学部門を受賞し、「ブラックホールの形成が一般相対性理論の強力な裏付けであることの発見」により、ラインハルト・ゲンツェル、アンドレア・ゲズともに2020年のノーベル物理学賞を受賞した。

3.2経歴

193188日、イギリス、エセックス州コルチェスター生まれ。

ユニバーシティ・カレッジ・スクール卒業後、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)入学。父のライオネル・ペンローズがUCLの遺伝学教授で、学費が免除された。

1952年、UCL卒業、B.Sc.。ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ大学院で学び、1957年にPh.D.取得。

ロンドン大学、ケンブリッジ大学、プリンストン大学、シラキュース大学に勤務した。また、テキサス大学、コーネル大学、ライス大学などで客員として教鞭をとった。

1964年、スティーヴン・ホーキングと共にブラックホールの特異点定理を証明。1972年、王立学会フェロー。1973年、オクスフォード大学ラウズ・ボール教授職に就任。1994年、ナイト叙勲。

1988年、ウルフ賞物理学部門受賞。2020年、ノーベル物理学賞受賞。

3.3家族・親族

父ライオネル・ペンローズは精神科医、遺伝学者。母マーガレット・ペンローズ(旧姓リーズス)は医者。

物理学者オリバー・ペンローズは兄、チェスのグランドマスターのジョナサン・ペンローズ、遺伝学者シャーリー・ホジソンは弟。

父方の祖父はアイルランド生まれの芸術家J・ドイル・ペンローズ。

母方の祖父は生理学者のジョン・ベレスフォード・リーズス。母方の祖母のソニア・マリー・ナタンソンは、1880年代後半にサンクトペテルブルクを離れたユダヤ系ロシア人である。

ローランド・ペンローズは叔父。ローランドの妻は写真家のリー・ミラー、息子は写真家のアントニー・ペンローズである。

3.4業績

・スティーヴン・ホーキングと共にブラックホールの特異点定理(重力崩壊を起こしている物体は最後には全て特異点を形成する)を証明し、「事象の地平線」の存在を唱えた。

回転するブラックホールから理論的にはエネルギーを取り出せる方法としてペンローズ過程を考案。

・時空の因果構造を表すペンローズ図を考案。

・量子的なスピンを組み合わせ論的につなぎ合わせると、時空が構成できるというスピンネットワークを提唱。このアイデアは後に量子重力理論の1候補であるループ量子重力理論に取り込まれた。

・時空全体を複素数で記述し、量子論と相対論を統一的に扱う枠組みであるツイスター理論を創始した。長らく物理理論というよりは数学的な研究対象とされていたが、近年、超弦理論やループ量子重力理論との関連性が見いだされつつある。

2種類の図形で非周期的な平面充填の「ペンローズ・タイル」を提示した。当初、純粋に数学上の存在と考えられていたが、1984年にペンローズ・タイルと同じ対称性を有する結晶構造(準結晶と呼ばれるもの)が実際に発見された。

・角柱が3本、それぞれ直角に接続しているという不可能立体「ペンローズの三角形」や「ペンローズの階段」を考案し、エッシャーの作品『滝』などに影響を与えた(ペンローズ自身もエッシャーのファンであり、平面充填や不可能図形の研究もその作品に触発された物と言われている)。ペンローズはエッシャーのアドバイザーであった。



     

ペンローズの階段           ペンローズの三角形

3.5量子脳理論

著書『皇帝の新しい心』にて、脳内の情報処理には量子力学が深く関わっているというアイデア・仮説を提示している。その仮説は「ペンローズの量子脳理論」と呼ばれている。放射性原子が崩壊時期を選ぶように、物質は重ね合わせから条件を選ぶことができるといい、意識は原子の振る舞いや時空の中に既に存在していると解釈する。

素粒子にはそれぞれ意識の元となる基本的で単純な未知の属性が付随しており、脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識の元となる基本的で単純な未知の属性も同時に組み合わさり、生物の高レベルな意識が生起するというのである。

一方、麻酔科医のスチュワート・ハメロフは、生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて、20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないと主張している。

臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合には意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている。

3.6量子論上の観測問題

『皇帝の新しい心』以降の著書で、現在の量子力学の定式化では現実の世界を記述しきれていないという主張を展開している。(学術論文としても提出している)

量子論には波動関数のユニタリ発展(U)と、波束の収縮(R)の2つの過程が(暗に)含まれているが、現在の量子力学の方程式ではUのみを記述しており、それだけでは非線形なR過程は説明がつかない。すなわち、現在の量子力学の定式化はRが含まれていないため不完全であるとする。そして、Rに相当する未発見の物理現象が存在していると考え、量子重力理論の正しい定式化には、それが自ずと含まれているだろうと唱えた。

『皇帝の新しい心』の続編として出版された『心の影』では、上記の仮説をより進め、URを含む仮説理論として「OR理論(Objective-Reduction、客観的収縮)」を提唱した。量子レベルの世界から古典的なマクロ世界を作り出しているのは、重力であり、重力がRに相当する現象を引き起こすとする。量子的線形重ね合わせとは、時空の重ね合わせであり、重ね合わせ同士の重力的なエネルギー差が大きくなると宇宙は重ね合わせを保持できなくなって、ひとつの古典的状態に自発的に崩壊するというモデルである。

その後、著書『The Road to Reality』の中で、OR理論を検証するための実験(FELIX:Free-orbit Experiment with Laser-Interferometry X-rays)を提案している。

これらの主張は、量子論におけるいわゆる「観測問題」あるいは「解釈問題」と呼ばれる議論に関連している。

3.7受賞歴

1966 アダムズ賞

1971 ハイネマン賞数理物理学部門

1975 エディントン・メダル(スティーヴン・ホーキングと共同受賞)

1985 ロイヤル・メダル

1988 ウルフ賞物理学部門(スティーヴン・ホーキングと共同受賞)、 ヘルムホルツ・メダル

1989 ポール・ディラック賞

2000 メリット勲章、 マルセル・グロスマン賞

2004 ド・モルガン・メダル

2006 ディラック・メダル(ニューサウスウェールズ大学より)

2008 コプリ・メダル、トムソン・ロイター引用栄誉賞

2019 ポメランチュク賞

2020 ノーベル物理学賞

3.8著作一覧

物理学関係

The Nature of Space and Time (1996)

スティーヴン・ホーキング共著『ホーキングとペンローズが語る時空の本質 ブラックホールから量子宇宙論へ』林一 訳、早川書房, 1997

The Road to Reality : A Complete Guide to the Laws of the Universe (2004)

Cycles of Time: An Extraordinary New View of the Universe (2010)

Fashion, Faith, and Fantasy in the New Physics of the Universe (2016)

数学関係

ツイスターと一般相対論 (Twistors and General Relativity) - エルク・フラウエンディーナーと共著、『数学の最先端 21世紀への挑戦 第2巻』収録。丸善出版

20世紀および21世紀の数理物理学 (Mathematical Physics of the 20th and 21st Centuries) - 『数学の最先端 21世紀への挑戦 第4巻』収録。丸善出版

その他

The Emperor's New Mind: Concerning Computers, Minds, and The Laws of Physics (1989)

『皇帝の新しい心 コンピュータ・心・物理法則』林一 訳、みすず書房, 1994

Shadows of the Mind: A Search for the Missing Science of Consciousness (1994)

『心の影 意識をめぐる未知の科学を探る 12』 林一 訳、みすず書房, 2001-02、新版2016

The Large, the Small, and the Human Mind (1997)

『心は量子で語れるか』中村和幸 訳、講談社, 1998講談社ブルーバックス, 1999 - アブナー・シモニー、ナンシー・カートライト、スティーヴン・ホーキング寄稿。

Beyond the Doubting of a Shadow1997

『ペンローズの量子脳理論 21世紀を動かす心とコンピュータのサイエンス』竹内薫・茂木健一郎 訳・解説、徳間書店, 1997/ちくま学芸文庫, 2006 - 日本独自編集。

Cycles of Time2010

『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』竹内薫 訳、新潮社, 2014

『時間とは何か、空間とは何か 数学者・物理学者・哲学者が語る』 伊藤雄二 監訳、岩波書店, 2013

A.コンヌ, S.マジッド, R.ペンローズ, J.ポーキングホーン, A.テイラー

『あなたの心を描きだすはじめてのアルテアデザイン 幾何学模様のカラーリングブック』渡辺滋人 訳、創元社, 2017.2

エンソー・ホリデー, ロジャー・バローズ, ペンローズ, ジョン・マルティノー, ハイファ・ハワージャ

関連書籍

  • 谷岡一郎・荒木義明『ペンローズの幾何学』講談社ブルーバックス 2024
  • 高橋昌一郎『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』PHP研究所、20245月。ISBN 978-4-569-85681-0

4.読後の感想

ロジャー・ベンローズは、名門出のエリート物理学者である。しかし、私が学んだ1960年代は、まだ30代であり、ほとんど無名の物理学徒であった。しかし、彼は才能と環境に恵まれ、その才能を開花させた。今回その才能の一端に触れることが出来た。

  1960年代、物理学徒であった私は、量子力学と統計物理学と原子物理学を主として学んでいた。この中で統計物理学に関心があったのは、ミクロの世界の法則性とマクロの世界の法則性の関係を知りたかったからである。その頃量子力学での結果が確率論的であることが因果律に反するとの議論もあったが、シュレデンガー方程式の状態ψは、連続的に変化し因果律に従うとの意見に賛同しながらもミクロからマクロに移るときの縮退という現象についはどこかで、違和感を覚えていた。そして統計物理学においても可逆的な運動方程式から非可逆的なエントロピー概念が生まれてくるプロセスには、なかなか納得できなかった。ミクロの世界とマクロの世界の関係は、現代でも量子論と相対論の対立と統合問題として残されている。

ベンローズは、60年間この問題に取り組んでおり、その研究の一端に電子脳理論があることが分かった。彼の発想は面白いが、意識が量子力学的プロセスと関係しているとの彼の仮設には、なかなか納得しずらいものがある。

それにしてもこんな面倒な議論の本を買って読む人がいるもんだと驚かざるを得ない。日本の99%の人にはおそらく全く無縁で理解できない本に違いない。


2025年2月19日水曜日

脳の本質―いかにしてヒトは知性を獲得するかー

 

はじめに

脳と意識をめぐる問題は、この30年ばかりの間ずっと氣になっていた問題である。1月に栄のジュンク堂書店によった時、新刊書コーナーで、脳関係の新刊が出ていたので、思わず購入したのが、この本である。

「脳の本質―いかにしてヒトは知性を獲得するか―:乾敏郎、門脇加江子:中央新書:中央公論新社:20241125日」この本をすぐ買う気になったのは、それが新刊だったためである。科学の本を取り上げるのは、難しい。その理由は、今世紀に入ってからの科学・技術の発展と展開が急速で、一冊の本の内容がすぐに陳腐化しかねない時代であるからである。特に脳科学とAI関係は、研究の進展が急であるため、常に目を光らせていたのでつい手が出たのである。しかし、このときは、別の本に取り組んでいたこともあり、すぐに読む気にはならなかった。

本を読むきっかけ

しかし、2月に入り、勉強会の資料として新聞記事を整理していたとき、「超知能AI 10年で実現」との見出しを見つけた。記事は、訪日したオープンAICEOサム・アルトマンへの取材記事で、それによれば、彼は、人間の知能に迫る汎用AI(ATG)が、4年以内に、専門家をしのぐばかりか一つの企業や組織全体の仕事もこなせる超知能AI10年以内に実現すると語ったと云う。

 長年、「人間とは何か」をテーマとし、意識と無意識下の不思議な働きに興味を持ってきて、潜在する無意識下の衝動に導かれたり、一瞬の閃きにより、偉大な発見をしたり、名画や音楽に感動したり、無限の広がりを見せる人間を宇宙のような広がりを持つ存在としてきた私にとって、これと同等の知能を持つAIと云うものが4年以内に実現するとは、俄には信じられない話で、それが実現するとするならば、そこに、人間とは何で、その中心をなす脳の働きについての科学的知見が無ければならない。現代の脳科学は、本当にそれを可能にするまで、進んでいるのだろうか。そんな疑問に導かれてこの本を読んでみることにした。

本のうたい文句

本の概要は、表紙カバーの裏側に要約されておりそれを紹介すると「なぜ細胞の集合体である脳から自我が生まれ、感情が生まれるのか。どうして相手の心が分かるのか。脳は如何に言語をあやつるのか。そもそも何故生命を維持できるのか。鍵は脳がする「予測」と予測誤差の修正だ。本書では、知覚、感情、運動から言語、記憶、モチベーションと意思決定まで、脳が発達する原理をひもとく。子供の学習や障害、意識の構造も一望。人類に残された謎である、高度な知性を獲得する仕組みを解き明かす。」

著者達について(wikipedia)

乾敏郎(いぬい としお、1950124 - )は、心理学者・脳科学者。文学博士(京都大学・論文博士・1985年)。京都大学名誉教授、追手門学院大学教授。言語・非言語コミュニケーション機能の認知神経科学的研究に従事。発達原理の解明に向けた研究やコミュニケーション障害の脳内メカニズムに関する研究などを行っている。

略歴

大阪府生まれ。1974年大阪大学基礎工学部生物工学科卒業、1976年同大学院基礎工学研究科生物工学専攻修士課程修了。

大阪大学人間科学部行動系行動工学助手、1983年京都大学文学部哲学科心理学教室助手、1985年「視覚情報処理の基礎的メカニズムに関する心理学的研究」で文学博士(京都大学)の学位を取得。1987年視聴覚機構研究所認知機構研究室主幹研究員、1991年京都大学文学部哲学科心理学教室助教授、1995年教授、1998年京都大学大学院情報学研究科教授。2015年定年退任、名誉教授、追手門学院大学教授。

門脇加江子

概要:立命館大学文学部で実験心理学を学び、追手門学院大学大学院心理学研究科で臨床心理学を修める。 臨床心理士、公認心理師、保健師、看護師。 脳と身体の関係を焦点に、児童や成人のカウンセリングに従事。 専門は臨床発達心理学、メンタルヘルス。

脳の本質」の構成

まえがき

第一章 脳の本質に向けて

第二章 五感で世界を捉え、世界に働きかける

第三章 感情と認知

第四章 発達する脳

第五章 記憶と認知

第六章 高次脳機能

第七章 意識とはなにか

終章

あとがき


読後感

脳の働きについては、現代の脳科学の知見を取り入れ、よくまとまっている。しかし、これがすべてかと云うと取り扱い方が浅く、取り扱い範囲も限られているきらいがある。もっと知りたかったこととして、気が付いたことをとり上げるとまず、現在の脳科学の到達点の評価がないため、今後の科学の発展方向が見えないことである。さらに現代の脳科学発展の基礎となった技術的手法についての記述がすくないように感じた。また、人間の脳の発達と認知機能の記述はあるが、生物としての進化と脳機能の発達についての記述がない。さらに、これと関係するかも知れないが、生命体としての人間の無意識領域の問題の位置づけがあまり書かれていない。従来の哲学的テーマを現代の脳科学の視点から批判的に整理する必要があるようにおもった。

読後感をまとめてみて、自分の問題意識かがはっきりしてくるとこれに応えてくれるような本に、既に自分は出会っているように思われ、新たな本に期待するより、自分の持っている資料と知識を整理・確認し、自分なりに脳科学の現状をまとめるべきとの思いがしてきた。その意味で、この本は脳科学の現状をまとめるきっかけを与えてくれた本である。