2021年9月14日火曜日

コロナ後の世界と文学の可能性 ー今年の芥川賞受賞作品等を読んで― 

 今回のパンデミックの発生から2年近くになろうとしている。時間差を置いて各国で繰り返す感染者数の増減が、津波のように繰り返されることは、当初からある程度予想していた。しかし、予想外であったのは、こうした事態に対する人間と社会の反応である。感染症と云う医学の一分野の問題に生死の問題と社会の反応が関係し、その解釈をめぐり、意見の噴出と対立が、メデアの報道の在り方や政府の対応や社会システムにまで及んで混沌状態を生み出した。

ドフトエフスキーの「罪と罰」の中で主人公は、パッデミックで世界が滅ぶ夢をみる。そこでは、様々な意見が出るが、解決策を見出せず、やがていたるところで人々が互いに殺し合いをはじめ、世界が崩壊してゆく。

そこまでは行かないにしても、この閉塞的環境で、若い人達は、何を考え、コロナ後の世界をどのようにイメージしているのだろ
うか。ふと、こんな疑問に取りつかれ、書店で思わず手にしたのが「ポストコロナのSF―日本SF作家クラブ編―:20214月25日1発行:早川文庫JAで、ここには31歳から61歳までの19人の現役作家の作品が、網羅されている。この本の横で見つけたのが早川文庫SFの「折りたたみ北京―現代中国SFアンソロジー:ケン・リユウ編:20191010日発行:早川文庫である。この本は、パンデミック前の作品群であるが、ここには、7人の作家13作品と中国SFに関するエッセイ3篇が掲載されている。この他編者のケン・リユウが序文を書いており、翻訳者の一立原透那氏が解説を書いている。編者のケン・リュウは、45歳の著名なSF作家で、中国生まれの米国在住者。取り上げられているのは、53歳の一人を除けば37歳から41歳の40前後の作家達である。

監視社会へと急速に進みつつある中国の現役作家達は、どんな感性で世界を見ているのか。このことに興味を持って読んでみることにした。

それまでSFトム云えば欧米作家のものと日本では、小松左京等我々同じ年代の作家群の作品しか知らなかった私にとってこの二冊の本は、全く新しい出逢いであった。科学技術が急速に発展し、空想が現実に追い抜かれる時代に、SF作家達は、どう立ち向かっているのだろうか。これも興味あるテーマであった。

結論から言えば、量子重力理論や量子もつれ、量子コンピユータと云った先端科学の描く壮大な宇宙観からみれば、現代SFは、これ等の成果を十分取り入れているとは言えない。1970年代のスタートレックが描いたタブレットは、ipadやスマホで既に実現してしまったし、ハイラインの「夏の扉」で描かれた掃除ロボットや設計CADも既に実現してしまった。あの頃のSFは、確実に4050年以上先を見通していた。AIにおけるディープのラニングや遺伝子工学におけるキャスパー9等知のブケイクスルーが達成された現代科学の先へ想像の翼を広げた作品群への期待はかなえられなかった。

 こんなことを考えて書店を散策しているとき、文藝春秋9月号に、芥川賞発表受賞二作全文発表のタイトルを見つけ、ふと文学をやる若い作家達は、現代社会や今回のパンデミックをどのように捉えているのだろうかと気になったので、買い求めることにした。その文藝春秋の横に、オール讀物の9月・10月合併号がおいてあり、そのタイトルに直木賞発表の文字が見えた。そう云えば随分永い間、現代作家の作品を読んだことがない。これも次いでに買い求めて読んでみることにした。

あまり、期待せずに芥川賞受賞作「貝に続く場所にて」を読む。作者は、石沢麻衣。41歳の女性。舞台は、コロナ下のドイツのゲッチンゲン、主人公は、2011年の震災を経験した東北出身でゲッチンゲン大学の美術史の博士課程に通う女学生。その日常と交友関係を描いた作品。大した事件や物語があるわけではないが、日常の出来事一つ一つの感じ方捉え方に奥行きがある。そうした感性とどこかで出会ったことがあった。森有正の「経験」ゃ「ノートルダムの畔」や加藤周一の「羊の歌」を読んだときの感覚に似ている。異文化の中で、言語が研ぎ澄まされ、現実が記憶と時間の集積と重なり見えてくる。意識を単に外界の反映としてとらえるのではなく、外部の刺激と内部の記憶や欲望等の感覚の総合しとして捉え、そこから言葉を紡いでゆく。こうした視点は、SF作品にはない。感心した。

 もう一つの受賞作品「彼岸花が咲く島」は、台湾出身の31歳の女性の作品であるが。これは、ある意味の異言語交流を交えた現代版ユ―トピア小説であるが、それほど面白くはなかった。

この勢いで、直木賞の二作品を読む。佐藤究の「テスカトリポカ」澤田瞳子の「星落ちてなお」佐藤究は、既に江戸川乱歩賞等数々の賞を持つ44歳のベテラン作家、テスカトリポカは、アステカ神話の神の名、メキシコの少女が裏社会を渡り歩き日本の裏社会で生活する物語。澤田瞳子も44歳で数々の受賞歴を持つベテラン作家。「星落ちてなお」は、天才画家河鍋暁斎の娘を描いた作品。共に長編であり、雑誌には、その一部しか掲載されていない。文字通り、小説であり、物語性に力点が置かれている。澤田瞳子は、澤田ふじ子の娘とは、読み終わってから知った。

中学時代、人間社会とはいかなるものかを知る意味で小説は面白かった。しかし。世の中を色々見て来た現在に至ると物語性だけでは、物足りない。しかし、自分が小説を書く身になれば、これ等の作品に興味が湧くかもしれない。だが、コロナ後の世界を垣間見たいという要求には、あまり答えてもらえなかった。パンデミックとこれに立ち向かう人類との格闘の現場が、小説の舞台に上ってくるには、まだ、まだ先のことかもしれない。

但し、石沢麻衣の「貝に続く場所にて」は、2011311日の東日本大震災と新型コロナと云うパンダミックという二つの出来事をどう受け止めるのかと云う日本人の感性と思想に初めて取り組んだ作品であり、そこにコロナ後の世界への一筋の光をみたように思った。科学技術万能の現在、文学も満更すてたものではないと思うことが出来た。    完