書店では、思いがけない出会いがある。12月の古書展の3冊100円コーナーで見つけた上田閑照の哲学コレクションV 道程―思索の風景―(2008年6月:岩波現代文庫:岩波書店)がこれである。
それまでに上田閑照の数冊の本を手に取ったことはあったが、それほど魅かれたわけでパなかった。しかし、この本は、その目次から西田幾太郎、禅、エックハルト、神秘主義という現在の私の問題群にヒットしたいたため、とりあえず目を通しておこうという軽い気持ちで購入することにした。
手に取ってみて、思わず引き込まれ、気が付けば最後まで読み続けていた。なにより、興味深かったのは、哲学者なる人達の生い立ちや出会い、生活と共に思索のプロセスが語られていることであった。こうした書物に今まだであったことはなかった。多くの哲学書は、ユークリッド幾何学のように理路整然たる体系の中で語られるのが普通であり、その理論が生まれてきた背景について語られることは殆どない。
しかしこの本は、違っていた。それは、この本が彼の哲学コレクションの最期を飾る本であったことと関係している。
ヒトは、人生の終末期には、自分の航跡を振り返りたくなる。このことと関係しているのかもしれない。上田閑照は、1,926年生れであるので。この本が出版された2008年は、82歳であり、まだ亡くなったという報道はないので、今年で92歳になる。
戦後まもない1949年に京都大学文学部哲学科を卒業して以来一貫して大学に関係し、西田幾太郎、鈴木大拙、エックハルト、ハイディガーの周りで座禅体験をベースとしつつ思索し続けた人である。ドイツ留学しエックハルトを研究すると共に禅に親しんだことから西洋と東洋の思想を統一的に眺められた人である。西田幾太郎門下の京都学派の本流を歩んだひとである。東洋思想と西洋哲学と神秘主義と禅この関連性を包括的に取り扱える人は数すくない。その彼が、70歳を過ぎてから何を感じ、何を考えたのか、興味はつきない。
その彼も今や92歳。禅の実践者としてどんな終末を迎えられるのか。
真の哲学者の一人がまた、我々の前から去ろうとしている。