トランプ大統領の米国の動向に、世界中が注目し、様々な意見が
述べられているが、就任演説を読むかぎり、それ程の違和感を覚えなかった。
それは、彼の主張が、国益中心主義を貫くと云っているだけで、この観点は
全ての国が持っていることに他ならないからだ。
今まで米国は、かっこ良過ぎた。自由と民主主義の守護者としての立場と世界市場の創設を旗印とするグローバリス゛ムの推進者としての立場の維持のために、余分な神経を使ってきたきたのだが、その役割はもはや出来ない。普通の国家として国益中心主義を国是として生きるとの宣言だ。
自由と民主主義、自由貿易、国際平和という戦後世界を覆ってきた美しい理念のベールが剥がされ、生存のためのむき出しの利害が、表面化してきた。今までも国連は、戦勝国による利害調整機関でしかなかったが少なくとも、美しい理念のベールが、その実体を覆い隠してきたし、力の無い国や小国もその理念のベールを盾にした論理や大義で、話し合いや国際法による紛争の解決を主張できた。その美しいベールを支えていたのは、米国の経済力と軍事力であった。
このベールを最初に剥がしにかかたのは、クリミヤを併合したロシアであり、次いで南沙諸島の軍事化勧めた中国であるが、これに続いて米国までが、自ら提供してきたこの美しベールをかなぐり捨てた。国連の背骨を構成する常任安全保証理事国によるこうした行動は、第二次世界大戦後の枠組みの崩壊を意味する。
対立と抗争の時代が再びやってきた。
第一次世界大戦後、自由と民主主義、全体主義、社会主義が、対立抗争のため国民を総動員するイデオロギーとして誕生したが、まず戦争で全体主義が敗北し、次いで45年後に経済戦争で社会主義が崩壊し、今度は、韓国の混乱にみるように民主主義が問題解決能力を失い崩壊しつつある。歴史は繰り返されるものならば、再び独裁・強権イデオロギーの時代がやってくるかもしれない。
米国のかっこ良さに、付け込んで、米国市場や米国から投資に期待してきた各国は、もはや米国があてに出来ないと覚悟を固める必要がある。
対立と抗争の時代では、日本は、もはや国連や諸国民の平和への意思、民主主義と法の秩序という美しベールによりかかるだけでは、国民の生活や平和を守ることは出来ないと考えるべきであろう。
13年前、日本の国家像は、如何にあるべきかと考えたとき、日本の目指すべき方向とし次のようなことを考えた。
日本は、
高度な科学技術を持ち
自立(エネルギー、食糧、防衛面で) した
文化国家を目指すべきで、
このことが、戦争に巻き込まれない条件でもある。
トランプ大統領を出現させた世界は、まさに日本がこの基本線に立つべきことを示しているように思う。
残念ながら現代の日本は、このすべての面で、不十分で腰が据わっていない。
もんじゅ等巨大プロジェクトは、失敗が続きで、国民は、科学技術の衰退の現実から目を
そらし、エネルギー、食糧、安全保障の自立は、叶わず。低俗番組のため、国民の文化レベルも低下しているよう思える。
みなが、もっと世界の現状と我が国の在り方について真剣に考える時期に来ている。