2025年8月29日金曜日

日本文化の自画像をめぐる三冊の本と3人の先人達 

 ―もう一度窓を開けよう、広い大気を流れこませよう、英雄達の息吹を吸おうではないか(ロマンロラン、ベートーベンの生涯より)

1.はじめに

世界が曲がり角に来ている。戦後80年、日本の文化に多大な影響を与えて来た米国は、トランプ政権誕生にみるように大きな政治分裂と文化の亀裂の中でもがき、80年前人類の理想を掲げて人類初の人工衛星を打ち上げた社会主義国ソ連邦は35年前に崩壊し、その後再生したかに見えたプーチンのロシア帝国は、泥沼のウクライナ戦争で、もがいている。

気候変動対策と人権を掲げる個人主義をとキリスト教を基盤とするリベラルなEUは、移民問題とエネルギー危機の中で、その理想を頓挫させ、戦後一貫して追求してきた欧州統合の理想も危機に瀕している。さらにソ連邦崩壊後、市場経済社会主義を掲げて急成長してきた大国中国は、資本主義と社会主義の根本的矛盾を解決出来ぬまま巨大な不動産バブルに直面し、一党独裁の共産党政権は崩壊の危機に直面している。

日本の敗戦後目覚めたインドや東南アジアやアフリカ諸国は、急速な経済成長を遂げたが、中露や米国等先進国の混乱を前に不透明な未来に困惑している。豊富な石油資源で経済成長を遂げて来た中東もポスト石油の未来が描けないまま、部族対立や宗教対立も植民地主義の後遺症に苦しんでいる。西欧の植民地主義で、伝統社会を完全に破壊された中南米は、まだそのアイデンティティを確立できず、政治対立と経済成長の壁を前にもがいている。

世界が目指すべき方向を見失っている現在、日本はもう一度自らの立ち位置を明確にし、借り物の思想や理想ではなく自らの思想と理想に基づいて未来を展望すべき時期に来ていると云える。

しかし、この時代状況は、それ程深刻なものであろうか、日本が世界史の中に登場してきた明治維新直後の世界は、もっと過酷な時代ではなかったのか。そして、あの時代に大きな志と理想を持って生きぬいた知の巨人とも云える国際的視野を持つ先人達もいたのである。

大学時代の師、坂田昌一教授は亡くなる3年前、我々の卒業アルバムに言葉を送ってくれたが、それが冒頭に記したロマンロランの言葉であった。その言葉に導かれて、明治維新後の時代に日本の文化と自画像を初めて世界に告知した英雄達を思い起こしたい。

2.日本の自画像を世界に告知した三人の先人とその生きた時代

その三人とは、岡倉天心(18631913)、鈴木大拙(18701966)、新渡戸稲造(18621933)で、三者の共通点は、共に明治維新前後に生まれ、日本が初めて世界史に登場し始めた近代日本の黎明期に日本独自の精神文化と思想を英文の著作で世界に紹介したことである。以下では、まず三人が生きた時代背景を考えるため明治維新以降の概略歴史を確認し、最近手にした三人の代表作とその概要、背景を紹介することにする。

3.明治維新以降の日本の概略歴史年表

1868(明治元年)

1894年~1895年 日清戦争

1904年~1905年 日露戦争1

1910年 日韓併合

1912年 明治天皇崩御、大正元年

1914年~1918年 第一次世界大戦

1920年 国際連盟 ヴェルサイユ条約の発効

1926年 大正天皇崩御、昭和元年

1931年~1932年 龍条湖事件と満州事変と満州国の建国

1937年 盧溝橋事件と日中戦争、日独伊三国防共協定

1941年 日ソ中立条約、真珠湾攻撃、太平洋戦争

1945年 広島、長崎原爆投下、ソ連戦線、終戦、国際連盟解散、国際連合設立

1951年 サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約

1956年 日ソ共同宣言

1989年 昭和天皇崩御、平成元年

2019年 平成天皇退位、令和元年

 4.岡倉天心と「日本の覚醒」

その表紙の美しさとタイトルを見て、迷うことなく古書展で購入したのが、次の本であった。 日本の覚醒(THE  AWAKENING OF JAPAN):岡倉天心:夏野広訳:講談社学術文 庫:株式会社講談社:2014910日第1刷発行

4.1岡倉天心

岡倉 天心は、文久21226日〈1863214日〉は、福井の越前藩士(藩主は松平春嶽)で藩命により貿易商をしていた父岡倉勘右衛門の子供として横浜に生まれた。武家の出であったので漢学を治めるとともに、女流画家奥原晴湖に南画の手ほどきも受けている。場所柄幼児から英語を学んで、自由に話せた上に異国の商人達の卑劣、醜悪さも見て育ったため、欧米人=文明人と云う幻想を一早く脱していた。

明治13年、東京大学を第1期生として卒業した天心は、文部省に入省し、学事視察や古社寺の調査を行う。明治18年に図画取調掛が設置されると、委員として美術学校創立の準備に携わり、明治19年から20年には、美術取調委員として浜尾新やフェノロサとともに欧米各国の美術事情を視察した。明治22年、帝国博物館が開設されると理事および美術部長の任に就き、美術雑誌『国華』を創刊し、明治23年、東京美術学校長となりました。この間、東洋美術の伝統に西洋画の写実性を取り入れた新しい日本絵画の創造を推進して、明治17年にフェノロサらと鑑画会を組織し、明治24年、日本青年絵画協会を発足させ、会頭となります。また、明治29年には古社寺保存会の委員に任命され、古社寺保存法の制定に努めた。

天心は、9歳の時母を亡くし、父は、その後、後妻をもらうが、そのこともあり、家族環境は複雑であった。このためか、16歳のとき、岡倉家に出入りしていた大岡越前の守忠相の末裔でもある13歳の基子と結婚する。武家の誇り高き基子は、気が強く、妊娠中天心が2か月かかって書きあげた国家論の論文を痴話喧嘩で燃やしてしまったので、天心は、やむを得ず短期間で「美術論」を書き上げ提出したが、国家論に比べると拙劣であったと云う(父岡倉天心:岡倉一雄より)

(明治21年)、明治を代表する文部官僚で男爵の九鬼隆一は岡倉のパトロンであったが渡米中の九鬼の代わりに、体調を崩した波津子の面倒を岡倉が引き受けたことから、その妊娠中の妻・波津子と恋に落ちる。波津子は隆一と別居し、のち離縁する。岡倉天心は、詩情溢れる魅力的男であったせいか晩年インドの女流詩人ブリヤンダバ・デーヴィー・バネルジー夫人との交流等もあり、これについては、小説家大原文枝の作品「ベンガルの憂愁」に詳しくかかれている。
 明治31年、天心を中傷する怪文書が配布され、いわゆる東京美術学校騒動が起こる。天心は、東京美術学校長の職を退き、橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らと日本美術院を創設して、近代日本美術の指導者としての新たな活動を展開した。明治34年から35年にかけてはインドを歴遊し、明治37年にはボストン美術館のエキスパートとなり ( 明治43年、中国日本部長に就任しました ) 、同館コレクションの調査、整理、蒐集を行うため、日本とアメリカを行き来する。大正24月、病気のためボストン美術館に休職願いを提出して帰国したが、病状が悪化して92日、新潟県の赤倉山荘で逝去する。岡倉天心は、東洋美術の理想を軸に、美術行政家、美術教育者、美術指導者として、すぐれた国際感覚で近代日本美術の基礎を構築した。

特に1890年(明治23年)から3年間、東京美術学校でおこなった講義「日本美術史」は、叙述の嚆矢(初の日本人自らの通史での美術史)とされる

4.2英文での主な著作

天心が英文での著作をしたのは、東京美術学校校長の職を辞して、インドを歴訪した

明治34(1901)から35(1902)頃のことで、次の4冊がある。

『東洋の理想』『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan 1903 ジョン・マレー書店(ロンドン)

『日本の目覚め』The Awakening of Japan 1904 センチュリー会社(ニューヨーク)及びジョン・マレー社(ロンドン)

『茶の本』The Book of Tea 1906 フォックス・ダフィールド社(ニューヨーク)

対訳本は、講談社インターナショナルと、「対訳ニッポン双書 茶の本」IBCパブリッシングほか。

『東洋の目覚め』The Awakening of the East 1902年稿  当時未公開

この内、東洋の理想と茶の本は、既に入手済みであった。そして、今回入手したのが、この内の「日本の目覚め(覚醒)であった。

4.3『日本の目覚め(覚醒)』の内容と構成


1.      アジアの夜

2.     

3.      仏教と儒教

4.      内からの声

5.      白禍

6.      幕閣と大奥

7.      過度期

8.      復古と維新

9.      再生

10.  日本と平和

解説 色川大吉

英文本文

なを、解説を執筆した色川氏によると翻訳者の夏野宏は、ペンネームで本名帯金豊、静岡出身、東大文学部卒の一年後輩の翻訳家で、結核のため奥さん共々若くして亡くなったとのことである。

4.4評価と感想

「日本の覚醒」が書かれた1904年、天心は、門下の横山大観、菱田春草等をつれてアメリカに向かうがその28日日露戦争が始まっている。そして欧米では、大国ロシアを相手に優勢に戦う日本への警戒感から「黄禍論」が生まれる。「日本の覚醒」はそうした情況の中で書かれた。「日本の覚醒」には大国ロシアと戦わざるを得なくなった小国日本の立場と文化を世界に分からせようとする意図がある。この本は10章からなっている。2章から9章までは、古代から明治までの思潮史、政治史などを文明史的に捉えたものであり、1章のアジアの夜は、世界史の中にアジアを位置づけそのアジアの中の日本の特異性を捉えようとしている。彼は全力を挙げて「新生日本」を西洋に世界に分からせようとしていた。その詩情溢れる情熱に当時の彼の息遣いを感じざるを得ない。人間、岡倉天心の奥は深い。天心を取り上げた作家や詩人も多いが、その基礎となるのが、4.3でしめした本だが、その人となりを知るにはその子岡倉和夫が書いた「父岡倉天心:岡倉一雄:岩波現代文庫:岩波書店:2013918日第1刷発行」、女性関係については。大原文枝の「ベンガルの憂愁―岡倉天心とインド女流詩人:ウェッジ文庫:株式会社ウェッジ:20081224日第1刷発行」が詳しい。

5.鈴木大拙と「禅堂生活」

 禅を初めてまもなく鈴木大拙の名前を知ったし、彼の著作「日本的霊性の誕生」を読んで日本の仏教思想が鎌倉・室町時代に土着性を獲得したとの主張にひどく感心した記憶があった。その鈴木大拙が禅堂生活と云うタイトルで本を書いている。これは是非一読の価値があると思った購入したが、なかなか落ち着いた時間が取れず、放置していたのがこの本である。

 「禅堂生活:鈴木大拙:横川顕正訳:岩波文庫:岩波書店:2016517日第1刷発行」

5.1鈴木大拙(wikipedia猪谷 聡の鈴木大拙:ZENを世界に広めた仏教哲学者他による)

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎〈ていたろう〉、英語: D. T. Suzuki Daisetz Teitaro Suzuki〉、18701111日〈明治31018日〉 - 1966年〈昭和41年〉712日)は、日本の仏教学者、文学博士である。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に紹介した。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。1949年に文化勲章、日本学士院会員。

名の「大拙」は居士号である。故に出家者ではない。生涯、有髪であった。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は「加賀の三太郎」と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した。

川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。6歳の時金沢市本多小学校に入学するが、この年父良準逝去11歳で石川県専門学校中学科に入学後、18歳で同校の後身第四高等中学校(現・金沢大学)に進学するも生活困窮で退学し、英語教師をしていた。1890年、20歳の時、母増も逝去21歳の翌年、再び学問と参禅を志して東京に出た。東京専門学校(現・早稲田大学)を経て(中退)、東京帝国大学選科に学び(中退) 在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レイン(Beatrice Lane)と出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。1894年、24歳の時、見性(悟り)、釈宗演より「大拙」の居士号を受ける。

1897年(明治30年)、27歳のときに釈宗演の選を受け、米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラス(1852-1919)が編集長を務め、その義父、エドワード・C・ヘゲラーが経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。

 1909年(明治42年)、39歳の時に帰国し、円覚寺の正伝庵に住み、学習院に赴任。英語を教えたが、終生交流した教え子に柳宗悦や松方三郎等がいる。1911年(明治44年)41歳のときに米国人の仏教学者ベアトリスと結婚。1921年(大正10年)51歳のときに大谷大学教授に就任して、京都に転居した。同年、同大学内に東方仏教徒協会を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト』(astern Buddhist )を創刊した。 193969歳のとき、妻のベアトリス・レイン死去]

晩年は鎌倉に在住、北鎌倉の東慶寺住職井上禅定と共に、1946年(昭和21年)に自ら創設した「松ヶ岡文庫」(東慶寺に隣接)で研究生活を行った。 1948年(昭和23年)1222日、昭和天皇に思想問題に関する進講を行う。1949年(昭和24年)には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中華民国の胡適と禅研究法に関して討論を行う。同年に日本学士院会員となり、文化勲章を受章した。1952年(昭和27年)82歳から1957年(昭和32年)87歳まで、コロンビア大学に客員教授として滞在し、仏教とくに禅の思想の授業を行い、ニューヨークを拠点に米国上流社会に禅思想を広める立役者となった。秘書として晩年の大拙を支えた日系2世の岡村美穂子(ブルックリン植物園の日本庭園担当者・岡村方雄の娘)も同大の聴講生だった。

1957年(昭和32年)には『ヴォーグ』『タイム』『ニューヨーカー』で大拙が紹介され、禅ブームとなった。ハワイ大学、エール大学、ハーバード大学、プリンストン大学などでも講義を行なった。鈴木はカール・グスタフ・ユングとも親交があり、ユングらが主催したスイスでの「エラノス会議」に出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボルグなどヨーロッパの神秘思想の日本への紹介も行った。ハイデッガーとも個人的に交流があった。1959年(昭和34年)に至るまで欧米各国の大学で、仏教思想や日本文化についても講義を行った。

 1960年(昭和35年)90歳のときに大谷大学を退任し名誉教授となる。90代に入っても研究生活を続けた。

 1966年(昭和41年)712日、例年のように避暑も兼ねて軽井沢に3ヶ月程度の執筆に出かけようとしていた大拙は、自宅で激しい腹痛を訴え嘔吐を繰り返し、痛みに叫びながら救急車で運ばれた。同日未明、絞扼性イレウス(腸閉塞)のため東京築地の聖路加病院で死去、没年95。最期の言葉は、秘書の岡村美穂子が「Would you like something Sensei ?」と言ったのに対し、「No nothing. Thank you.」であったという

5.2.主な英文著作他

  • 禅の論文集(Essays in Zen Buddhismシリーズ:第一輯(1933年)、第二輯(1933年)、第三輯(1934年)がある。これらは禅の思想や実践について深く掘り下げている。
  • 禅仏教入門(An Introduction to Zen Buddhis:禅仏教の基本的な概念や歴史を簡潔に解説した入門書。
  • 禅堂生活:昭和9(1934)(The Training of the Zen Buddhist Monk ):禅修行の実践的方法を著述した本
  • 禅と日本文化:昭和13(1938,)Zen Buddhism and Its Influence on Japanese Culture):鈴木大拙が英文で著し、後に日本語にも翻訳された代表作です。日本の文化や芸術における禅の役割を論じています。
  • 華厳の研究(Studies in the Huayan Sutra):華厳経(Avatamsaka Sutra)の研究書。
  • 日本的霊性:昭和19(1944)Spiritual Personality of Japan:1944年に刊行された本書も英文で執筆され、日本人の霊性や精神性について考察してい.る。

5.3.手元の書籍

私の手元には、上記「禅堂生活」と「日本的霊性」の他次の書籍があった

・禅(鈴木大拙:工藤澄子訳:ちくま文庫:(株)筑摩書房:1989年第11993年第5)

 ・東洋的な見方(鈴木大拙:上田閑照編:岩波文庫1997年第1:1999年第7)

 ・一禅者の思索(鈴木大拙:講談社学術文庫:(株)講談社:1987年第1:1994年第11)

・スエデンボルグ(鈴木大拙:講談社文芸文庫:(株)講談社:2016107日第1)

・天界と地獄(スエデンボルグ:鈴木大拙訳: 講談社文芸文庫:(株)講談社:2016810日第1)

 

5.4.禅堂生活の概要(目次)

 

第二版に序す



  緒言

1章 入衆

2章 没我

3章 作務
4章 陰徳
5章 祈願と報謝

6章 参禅弁道

挿絵目次(44)

付録(十仏名、施粥偈、粥畢偈、施斎偈、生飯偈、五観、三匙偈、折水偈、食畢偈)、亀鏡、日用規則、延寿堂規定、常住規則、日過寮規則、僧堂の鳴物

禅語解説
小篇

僧堂教育論―禅僧の友人に与う
鹿山庵居
洪川禅師のことども
楞伽窟老大師の一年忌に当りて

釈宗演師を語る

解説 横田南嶺

解題 小川 隆

 

5.5.評価と感想

思想界における鈴木大拙の最大の功績は、無意識の世界の哲学を現代に知らしめた点ではなかろうか。西洋は、神学とアリストテレスの哲学が支配する長い中世とルネッサンスを経験した近代においても、無意識の世界を悪魔的な領域として無視し続けてきた。西洋世界が無意識の世界を理性的に認めるのは、ジークムント・フロイト1856 - 1939年)の精神分析学を認めるようになった1900年代になってからであり、それまで西欧の思想界は、フランス革命以後主流となった意識が支配する合理的思想が支配しており、無意識の世界は、それへの反動としてロマン主義や スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家スウェデンボルグ(1688 - 1772年)等の神秘主義達の手に委ねられてきた。これ等のそれまで無視されてきた思想は、フランスを中心とするシュールリアリズム運動やダダイズム運動として20世紀初頭に表面化してくるが、それらが思想運動として形を見せるのがブラヴァツキー夫人ことヘレナ・P・ブラヴァツキーやヘンリー・スティール・オルコットが創設した神智学協会Theosophical Society1875年創設)運動やその流れから生まれるオーストリアの思想家ルドルトシュタイナー(1961~1925年)の1902年に生まれる人智学協会(The Anthroposophical Society)運動である一方東洋の仏教思想の一流である禅は、鎌倉・室町時代に日本に定着するが、不立文字を掲げる禅は、言語による説明を避けてきたため、その世界が理論として一般に知られることはなく、少数の体験者の言説で語られるのが、一般的であった。その思想を哲学としてまとめたのが西田哲学である。しかし西田哲学は、死地赴く若き学徒達の精神的な支えともなったため、戦後は、反動的な観念論思想として左翼から批判され柳田謙十郎のように唯物論に転向する哲学者も現れた。そんな中で、鈴木大拙は、一貫して禅の思想を世界に向けて発信し続けた。

 彼の強みは、禅を頭で理解しただけでなく、鎌倉円覚寺で実際に禅の修行をし、見性体験(悟り)をした点にある。さらに10年以上に亘る海外生活は、彼に自らの禅体験思想を世界の中で位置づけ整理する機会を与えた点にあると思われる。彼の関心が。スエデンボルグから神智協会、さらには、ハイディガーやユングに至る西欧思想の全体にまで及んでいることには、驚かざるを得ない。「禅堂生活」はこうした鈴木大拙の思想の根幹となった禅の修行の全貌を一冊にまとめたもので、禅を実践的に理解する上での必読の書であると感じた。

6.新渡戸稲造と「武士道」

真田広之が主演のハリウッド映画「SHOGUN 将軍」が世界的に話題になる中で、日本の武士道が、世界的に注目されている。そんな時、古書展で見つけたので迷うことなく購入したのが次の二冊である。

現代語で読む最高の名著 武士道:新渡戸稲造:奈良本辰也訳:三笠書房:1989年第11992年第10)

武士道; 新渡戸稲造;矢内原忠雄訳:岩波文庫:岩波書店:1938年第1刷、1974年第15刷、1995年第53刷発行

6.1新渡戸 稲造

1862年(文久2年)、新渡戸稲造は盛岡藩(現在の岩手県盛岡市)藩士の三男として誕生。この頃の日本は幕末の動乱期で、新渡戸稲造は、盛岡の伝統的な風土のなかで武士として育つ。

1868年(明治元年)、明治時代の幕開けとともに武士の時代は終了。それまで新渡戸稲造は、武士であることに誇りを持つよう教えられてきたが、そうした教育面にも変化が起こる。

新渡戸稲造が5歳のときに父が急死。以後、女手ひとつで子供達を育てた母は、新渡戸稲造に読み書きの他、初歩の英語を習わせた。

して9歳になると、東京に住む叔父から新渡戸稲造を養子に迎え、新しい時代にふさわしい教育を受けさせたいという申し出があり、1871年(明治4年)に新渡戸稲造は故郷・盛岡を離れ、東京で外国人教師から英語、西洋学問を学ぶことになる。

1875年(明治8年)に「東京英語学校」(現在の東京大学教養学部の前身)に入学し、語学力に磨きをかけるさらに農学を学ぶため、15歳で「札幌農学校」(現在の北海道大学の前身)へ進学。ちなみに東京英語学校・札幌農学校での授業は、すべて外国人教師によって英語で行われた。この時期における学習が、やがて広い分野で活かされることとなる。「札幌の農学校」では、教授クラークが、倫理の授業で「聖書」を取り上げた関係で、一期生は、ことごとくキリスト教徒になったと云われている。新渡戸稲造は、2期生であり、この時クラークは、学校を去っていたが、この雰囲気の中、キリスト教徒になっていた。

日本と世界の架け橋に

札幌農学校を卒業した新渡戸稲造は、英文学・経済学を学ぶため「東京帝国大学」(現在の東京大学の前身)へ進学。入学時の面接で「日本と外国の文化を仲立ちする、太平洋の架け橋になりたい」と、自らの将来を予見するような言葉を述べている。

しかし新渡戸稲造は、国際人としての第一歩を踏み出すため、早く広い世界に出たいと考え、せっかく入学した東京帝国大学をわずか1年で退学。1884年(明治17年)に、私費でアメリカの「ジョンズ・ホプキンス大学」へ留学。ジョンズ・ホプキンス大学では経済学・農政学を学ぶかたわら、キリスト教に帰依。

またこの頃、生涯の伴侶となる「メアリー・エルキントン」と出会う。その後の3年間、明治政府派遣留学生として、ドイツの「ハレ大学」(現在のマルティン・ルター大学)で農業経済学・統計学を修得。成果を論文「日本土地制度論」として発表し、日本初の農学博士号をハレ大学より贈られた。

帰国後は、札幌農学校、東京帝国大学、「京都帝国大学」(現在の京都大学の前身)などの教授を経て、「東京女子大学」(東京都杉並区)の初代学長に就任。

さらに、日本の女子教育の先駆者と言われた「津田梅子」(つだうめこ)に協力して、「女子英学塾」(現在の津田塾大学の前身)の創立にも貢献。日本の教育界をリードする多くの人材を育成した。

志半ばの客死

1920年(大正9年)に世界初の国際平和機構である国際連盟が設立されると、著作「武士道」によって世界的にも教育者として知られていた新渡戸稲造は、事務次長に選任。スイス・ジュネーブに7年間滞在する。

この間に、日本への理解を深めてもらうため、新渡戸稲造はヨーロッパ各地で講演を行うなど、国際親善に努めた。しかし、1924年(大正13年)、新渡戸稲造にとって第2の故郷とも言えるアメリカで「排日移民法」(日本人・日本製品を排斥することを定めた法律)が成立。日本が「第1次世界大戦後」の混乱にまぎれ、清(1720世紀初頭の中国王朝)に対し、日本の利権を認めさせる「二十一ヵ条の要求」を突き付けたことへのアメリカ側からの報復措置だった。

新渡戸稲造は、1926年(大正15年)に事務総長を退任し、翌1927年(昭和2年)に帰国。日本と諸外国との関係は次第に悪化し、1933年(昭和8年)、ついに日本は国際連盟か脱退する。

それでも新渡戸稲造は国際社会との関係改善のため尽力し、カナダで行われた「太平洋議」にも出席。しかしカナダで体調を崩し、71歳で客死した。その後、孤立した日本は「太平洋戦争」への道を突き進むこととなる。

6.2新渡戸稲造の著作と功績

英文著作と「武士道」

著作「武士道」は、1900年(明治33年)に英文で出版された。新渡戸稲造は日本人の根底にあるのは武士道だと考え、不正・卑劣な行動を嫌い、人として正しく美しく生きるのが日本人であると主張。

当時の欧米先進国からすれば、極東の島国である日本は発展途上の野蛮で戦争好きの国と考えられていた。新渡戸稲造は、そんな先入観を覆したかった。武士道は30ヵ国語以上に翻訳され、世界的ベストセラーになった。その他の著作として次のようなものがある。

·                  修養:日本人の生き方や精神性を説いた作品。

·                  東西相触れて:国際連盟事務次長時代の西洋見聞録。

·                  読書と人生:人生の意義や読書の重要性を説いた作品。

 国際連盟での功績

国際連盟の事務次長という重要な仕事を行うには、「語学が堪能で見識を備え、人格も素晴らしく欧米人と対等に仕事ができる」ことが条件。日本人として新渡戸稲造以上の適任者はいなかった。

国際連盟で新渡戸稲造が成し遂げた功績のひとつが、北欧のバルト海に浮かぶオーランド諸島の領土問題を平和的に解決したこと。オーランド諸島は、永くフィンランドとスウェーデンが領土権を争っていた。新渡戸稲造は「オーランド諸島の領土はフィンランドのもの、公用語はスウェーデン語とし、非武装・中立地帯としてオーランド諸島に自治権を与える」と裁定。オーランド諸島に平和な日々が訪れ、「新渡戸裁定」(にとべさいてい)は国際紛争解決の成功例として今も語り継がれている。

新渡戸稲造は日本で「軍国主義」(外交手段として戦争を重視し、あらゆる政治経済・文化活動は軍事力強化のために行わなければならないとする国家体制)が台頭する中においても、亡くなるまで日本と諸外国との関係修復に奔走した。その生き方こそ、まさに武士道そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.3武士道(Bushido: The Soul of Japan)の構成(目次:岩波文庫のもの)

  日本の魂―日本思想の解明―


訳者序

第一版序

増訂第10版序

緒言(グリッフィス)

1章 道徳体系としての武士道

2章 武士道の淵源

3章 義

4章 勇・敢為堅忍の精神

5章 仁・測隠の心

6章 礼

7章 誠

8章 名誉

9章 忠義

10章 武士の教育・訓練

11章 克己

12章 自殺及び復仇の制度

13章 刀・武士の魂

14章 夫人の教育および地位

15章 武士道の感化

16章 武士道はなお生きるか

17章 武士道の未来

 註および人名索引

 

6.4評価と感想 

 キリスト教徒であった新渡戸稲造が、何故「武士道」を書くことになったのか?この経緯と動機については、第1版の序に書かれている少し長いが引用することにする。

「約10年前(1889年頃)、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受け、その許で数日を過ごしたが、ある日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には、宗教教育はない、とおっしゃるのですか」とこの尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼はうち驚いて突然歩を停め。「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れうない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは、武士道であることをようやく見出したのである。この小著の直接の端緒は、私の妻が、かくかくの思想もしくは風習が日本にあまねく行われているのはいかなる理由であるかと、しばしば質問したことよるのである。私はド・ラヴレー氏並びに私の妻に満足なる答えを与えようと試みた。・・・・」

 新渡戸稲造は、自分の倫理規範を形成したものの正体を幼い頃自然に教えられて来た「武士道」にあると気づき、その「武士道」がなんであるかを西欧人にも分かるように書き表そうとする。彼によれば「武士道」とは、「成文法ではない、武士が守るべきものとして要求され、あるいは教えられる道徳的原理の掟、又は道徳的徳目の作法である」と捉えられ、聖書に代表される明文された立法ではなく、武士の世界を中心に歴史的に形成された目に見えぬ精神のあり方である。この本は、この「武士道」の1.起源と源泉、2.その特徴と教義、3.その大衆に及ぼした影響、そして4.その影響・感化の持続性と永遠性についての考えを初めて哲学的・思想的観点から体系的にまとめたものである。第1章の道徳体系としての「武士道」についての総論であり、第2章がその起源と源泉についての考察、そして、第3章から第13章までがその特徴と教義についての考察であり、第14章、第15章がその大衆に及ぼした影響、第16章、第17章がその永続性と永遠性についての考察である。「武士道」の源泉は、仏教とりわけ禅仏教と神道、儒教とりわき孔子の教えをベースにしており、禅宗が不立文字を掲げ言語表現を最小限にしてきたし、神道も儀式や形の中にその教義を体現してきた関係で、「武士道」の世界が言葉で体系的に語られることは無かった。

「武士道」についての書物には、「武士道とは死ぬこととみつけたり」の言葉が記されていることで有名な「葉隠」があるが、この本は全ての武士の武士道に対するものではなく、備前の国、鍋島家に仕える武士のためのもので、佐賀藩の歴史や慣例などを纏めたものである。新渡戸稲造の書物と全くことなる書物と云える。

 今回、古書展で最初に手に取ったのは、奈良本辰也訳の現代語で読む「武士道」であったが、たまたま近くに矢内原忠雄訳の文庫本も次いでに購入した。訳本としては、矢内原忠雄のものが古く、奈良本辰也の訳は、当然矢内原訳を参考としている。矢内原忠雄(1893 - 1961)は、戦前日本の中国侵略を暗に批判する論文「国家の理想」を発表し。いわゆる矢内原事件で、東大経済学部教授の職を失い、戦後東大総長になった人物で、奈良本辰也(1913 - 2001)は立命館大学教授をつとめた歴史学者である。

おわりに

世界史の中で、日本文化とは、どのような立ち位置と特徴を持ったものであろうか、我々は、あまり日常生活の中で、この問題を深く考えることは無かった。しかし、昨今の訪日外国人の増加により、外国人による日本の印象情報の増大や在住外国人や訪問外国人との文化トラブル事件の増大などにより、我々日本人の常識と外国人の常識のギャップを感ずることが多くなり、あらためて、世界の中での日本文化の特殊性を意識せざるを得なくなった。しかしこうした問題意識を100年近く前に持ち、そのことを世界に向けて発信したのが。この三人の先人達であった。彼等の視点には、もう古くなったものもあるかも知れないが、その思想の中核は、依然として今の日本人にとって重要な指針を与え続けているように思う。三人の経歴も境遇は異なっているが。共通しているのは、日本文化の持つ言語以前の領域に根ずく深い精神性であり、国土草木悉界成仏の自然との調和と人の秩序ある社会への愛着である。この根本思想こそ21世紀の世界に必要なものではなかろうか。

明治維新前後に生まれ、世界に日本文化の自画像を発信した三人の先人達に共通なのは、幼くして母又は父を亡くして、早くから精神の自立を余儀なくされたことである。特に鈴木大拙と新渡戸稲造の二人は、幼くして父親をなくしたため、経済的苦境の中で青春を送らざるを得なかった。この二人は、偶然、共に、外国女性と結婚しているが、このことは、幼くして父を亡くしたことにどこか関係しているのかも知れない、

また、岡倉天心は、父は健全であったが幼くして実の母親を亡くしており、これが、彼の中の女性に対する特別な思いを抱かせたのかも知れない。

この文書を書き上げたのは、たまたま、尊敬していた人生の先輩K89歳で亡くなられ、お宅を訪問して死因を尋ねたところ腸閉塞と云われ、思わず鈴木大拙と同じですねと叫んでしまった。鈴木大拙は、享年95歳、新渡戸稲造は、享年72歳、岡倉天心は、享年50歳。(了)

 

 

2025年7月6日日曜日

脳科学・前線への道ー私の知的散策史―

 はじめに

 大学時代、理学部の物理学科に在籍していた私は、そこで主として量子力学と核物理学と統計物理学を学んでいたが、科学の方法論や認識論に関心があった。しかし、卒業後は、科学とは無縁の工学と建築の間の建築設備の業界に入り、技術者として社会に出た。そこでの戸惑いは、その分野が、大学での学びと全く無関係に思えたことだった。しかし、10年程して、理学が世界の法則をさぐる分野であるのに対して工学は、それを利用してものづくりをする分野であり、理学が現象から本質的な法則に至るのに対して工学は、理念から具体的な物を生みだすという理学とは全く逆のプロセスをたどる仕事であると理解してようやく社会人としての思想の安定をみた。しかし、そんな時期に、ソ連邦の崩壊と日本のバブル崩壊と云う国内外の二重の社会的変化とパソコンとインターネットの出現という技術的変化の波が訪れ、それまでの思想や世界観の変革を迫られることにかり、働きながら新しい時代に適合するための大学時代に次ぐ第二の疾風怒涛の時代を迎えた。

脳科学への手掛かり

 私が今回のテーマである脳とコンピュータの問題に関心をよせるようになったのは、とおくは、学生時代関心のあった認識論と方法論に繋がる2冊の本を手にしたことに始まる。その一冊が「天才の精神病理-科学的創造の秘密-:飯田真。中井久夫:中央公論社:昭和47(1972)330日初版、昭和51(1976)25日第9版」であり、もう一冊が多分技術者への転身を余儀なくされた頃手にしたものと思われる「創造性の開発―技術者のために:ヴアン・ファンジェ:加藤八千代、岡村和子訳:昭和38(1963)58日第一刷、昭和43(1968)430日第9刷」であった。これ等を何故手にしたかは、よく覚えていないが、認識論と方法論への問題意識の残像のせいであったように思う。その残像とは、科学研究の方法論と関係している。当時ささやかれていたのは、天才には、方法論は不要だが、鈍才にこそ、方法論が必要だと云う故坂田昌一先生の話であり、鈍才である自分にこそ認識論や方法論が必要であるとの思いであった。そして、研究者としての現実的な道が断たれたとき、もう一つの道、天才とは何かに関する漠たる興味が湧いてきたためであった。しかし、これに関連する本は、結局まともに読まれることなく本棚に収まったままであった。

コンピュータと脳科学

このときの微かな思いが、ココンピュータと脳に関する問題意識の形をとるのは、ソ連邦崩壊と日本のバブル崩壊の後、当時、日本共産党の研究や田中角栄研究等で脚光を浴びていた評論家立花隆(19405月~20214)の次の二冊の本に出合ったのがきっかけであった。

電脳進化論:立花隆:朝日新聞社:1993215日第一刷」

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

この二冊の本の題名と立派な装丁に出会ったとき、そこに知的興味をそそる未知なるものの香りを感じた。しかし、当時は、仕事で多忙を極めていたこともあり、立派な装丁のこれ等の本は、難しく結局数ページ目を通しただけで、本棚の飾りとして放置されることになった。

私の中で再び脳の問題が興味の対象として浮かび上がってきたのは、定年後、2012年頃からデープラニングの誕生により第三次AIブームが誕生したことであり、またその頃、学生時代から気にかかっていた天才の病理と脳の秘密にかかわる問題に取り組める時間的余裕が生まれたためでもある。また、大学時代から心惹かれるドイツロマン主義やアランスロマン主義関係の文学作品や近代合理主義のアンチテーゼとしての神秘主義関係の書物を読み、広大な無意識領域を持つ人間そのものに興味を持つようになり、40代になって知った禅の世界や関連書籍を読み、実際に座禅を始めるようになったこと、小林秀雄の「モーツァルト論」や「ドブトエフスキー論」を読み、人間の捉え方の奥深さを痛感したこと、シャガールのステンドグラスを見た時の感動体験を思い出し、これ等を通じて無意識下での心の動きと脳科学との関係にも興味が湧いてきたためでもあった。

この間、脳科学とコンピュータの問題については、既に2023年末に「一冊の本への共感と違和感―AIとシンギュラリティをめぐってー」のタイトルのブログでまとめているが、この時は、脳そのものより、脳を模造したニューラルネットワークに関心があり、脳科学そのものには、深入りしなかった。しかし、人間と同程度の知能を持つ汎用AIの出現4年以内、1人の人間の知能を遥かに凌駕する超人工知能AIの出現が10年以内と云うニュースを耳にすると、それを可能にする人間の脳についての科学すなわち脳科学の現状と見通しについて考えておく必要を感じ、あらためて今まで出会った本と資料を整理してみる気になった。そして改めてこれ等の本を読み直してみて感じたことをまとめてみることにした。

3.脳科学の意義と現状についてー4冊の本

 2010年以降のAIの誕生と脳科学については、おびただしい本が出版されているが、その発展が加速度的であることもあってその全体像に迫るような本は殆ど目にすることが出来ない。私の蔵書の中で、眺めてみて参考になりそうな本は、次の4冊であった。

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

現代思想―200610月号―特集脳科学の未来-:青土社:2006111日発行」

全部わかる脳の事典:坂井建雄、久光正:成美堂出版:2015520日発行」

脳と心の仕組みー[大人のための図鑑]:池上祐二監修:新星出版社:20151125

3.1立花隆の「脳を究める」について

1)「脳を究める」の問題意識と視点

立花隆の「脳を究める」は、B5判の250頁にも上るカラー写真付きの本であったが、10頁ばかりを読んだだけで、放置されていたが、今回あらためて、読み直してみた。

この本は。当時「脳について知ることは、自分自身について知ることである。脳の知覚作用について知ることは自分の知覚能力について知ることであり、脳の認識作用について知ることは自分の認識能力について知ることである。同じことが、行動、意識、記憶、学習、情動など、人間の持つすべての能力について云える。脳を知ることは、自分を知ることであると同時に、人間を知ることであある。いずれあらゆる人間科学は脳科学をぬきに語れなくなるだろう」と云う問題意識のもと脳研究に興味を抱いた著者が、「いま脳科学はどこまで到達しているのか、脳研究の現場では、どうゆう研究テーマをどうゆう方法論で追っているのか、どこがどれだけ分かって、どこが分からないのか、これからの展望はどうか、そういう問題意識を持って、これから最先端の現場を訪ねあるきながらリポートをつづけまとめたものである」この問題意識と視点は、私と同じものであった。

2)「脳を究める」の構成と概要

この本の構成は、次のようになっている。


脳研究に期待する

1脳研究の現在(1928年生まれ、伊藤正男、理化学研究所国際フロンティヤ研究システム長)

2小脳の謎を探る(前掲)

3形を認識する仕組み(前掲思考電流研究チーム)

 4臭覚系研究にかかる期待(森憲作、大阪バイオサイエンス研究所)

5触覚認識に不可欠なもの(岩村吉晃、東邦大学)

6ノックアウト・マウス(1945年生まれ、御子柴克彦 東京大学医科学研究所教授日本の脳神経科学者。医学博士)

7受容体解明までの苦難とドラマ(1942年生まれ、中西重忠、京大医学部免疫研究施設教授)

8脳波・脳磁場で思考はみえるか(1933年生まれ、武者利光、東工大教授)

9思考のからくりに迫るPET研究(菅野巌、秋田県立脳血管研究センター)

10PETMRI(畑澤順、秋田県立脳血管研究センター)

11磁気刺激実験で意識に迫れるか(1943年生まれ、杉下守弘、東京大学医学部音声言語研究  施設教授

12情動と記憶をつなぐ「場所ニューロン」(1936年生まれ小野武年、富山医科薬科大学教授)

13名画を見分けるハトの脳(渡辺茂、慶応大学文学部教授)

14言語能力と聴覚を探る(斎藤望、独教医科大学教授、谷口郁雄、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授)

15記憶のメカニズムを探る(1949年生まれ宮下保司、東京大学教授)

16シナップス可塑性を追う(11944年生まれ津本忠治、大阪大学医学部教授)

17IC基盤上に神経回路を作る(1984年生まれ外山啓介、京都府立医科大教授)

18脳の情報処理に理論で迫る(1936年生まれ 甘利俊一、東京大学教授)

 

3)評価と感想

この目次にみられるように彼の問題意識は、味覚を除くすべての感覚の仕組みにまで及んでいる。序文の役割を果たしている「脳研究に期待する」は、199310月に開催された第一回「脳の世紀」シンポジウムでの基調講演を加筆したものである。

 この中で、立花隆は「中世世界を支配していたアリストテレスの哲学が実証主義を掲げる自然科学によって浸食されていく近代にあって最後に残された哲学領域である認識論と存在論を突き崩すものとして脳科学を位置づけていた。」この意味で脳科学は、アリストテレス型の思弁哲学の終焉と近代の終わりをもたらすものとして意味を持つものと考えられている。

また、この本の目次から推察できるように彼はその中で、情動や言語や思考の仕組みのコンピュータ化つまりデープラニングと現在のAI誕生の前夜にまで迫っていたと云える。

 3.2「現代思想―200610月号―特集脳科学の未来」について

1) 概要

この雑誌を見つけたのは、熱田神宮近くの古本屋であった。確か2014年頃のことだ。新品同様の雑誌に思わず手が出たのは、そこに竹内薫と茂木健一郎の名を見つけその目次に面白そうなテーマが並んでいたためである。


この本もほとんど手つかずのまま、時折思いついて手にして数ページを読みはじめるが、全く理解できず書棚の特等席に放置されたままであった。この雑誌に本格的に目を通したのは、今回が初めてで、その冒頭の対談のテーマは「意識とクオリアの解法」で対談者は、茂木健一郎他3名であった。これを最後まで読み通したとき、そのマニアックで小難しい内容に、こんな特集に魅かれて読む人間なんているのだろうかと疑問に思った。しかし、辛抱強く読む内に面白くなった。そこの各所に思想の閃きのようなものを感じたためで、全体としての構成に「脳科学の未来」にふさわしい匂いを感じたためである。未消化ながらこの雑誌の全体構成を紹介すると次のようになっていた。

 2)特集=脳科学の未来  の構成と概要

脳をめぐる(個人的な)妄想 竹内薫(1960年生まれ、東大物理学科卒 科学作家)

討議「意識とクオリアの解法

茂木健一郎(1962年生まれ、東大理学部物理学科、東大法学部卒 理学博士、脳科学者)

郡司ベギオ-幸夫、(19591月生まれ、 東北大学理学部地質学古生物学教室卒業、理学博士、早稲田大学教授)

池上高志(1961年生まれ 愛知県立旭丘高等学校卒業、東京大学理学部物理学科卒業 理学博士物理学者、東京大学教授人工生命研究)

マインド・リーディング 神谷之康(1970年生まれ。東京大学理学部教養学科卒 理学博士、京都大学教授)、脳情報学研究)

脳は如何なる存在か片山容一(1949年生まれ、 日本大学医学部医学科卒業、医学博士、医学部長、教授、脳神経外科)(聞き手小松美:1955年生まれ、東京大学教養学部基礎科学科卒業、学術博士、日本の生命倫理学者、科学史家。東京大学教授。)

ラディカルな身体化 E・トンプソン(1924年生まれ、イングランドの歴史家、社会主義者、および平和運動家)F・ヴアレラ(1946年生まれ、チリ・タルカワノ生まれの生物学者・認知科学者。オートポイエーシス理論の提唱で知られる)。高畑圭輔 (慶応義塾大医学部卒、医学博士、国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 量子医科学研究所, 脳機能イメージング研究センター 精神神経疾患病態研究セクター, セクター長 )

自由意志は存在しないか 前野隆司(1962年生まれ、 東京工業大学工学部機械工学科卒業、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授)

脳科学における「統計的映像」を超えるために 茂木健一郎(前傾)

情動・感情のメカニズム 福田正治(1949年生まれ、金沢大学理学部物理学科卒、理学博士、日本の脳生理学者。富山大学名誉教授、福井医療短期大学教授)

言葉を生む心 山鳥重(1939年生まれ、神戸医科大学卒業、医学博士、東北大学他教授、日本の神経心理学者、脳科学者、医師。専門は、神経心理学、失語症・記憶障害などの高次脳機能障害)

鳥の歌と人の言葉 岡ノ谷一夫(1959年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業、日本の動物行動学者。帝京大学教授、東京大学名誉教授・客員教授)

浮かび上がる量子脳 松野孝一郎(1940年生まれ。東京大学工学部卒、長岡技術科学大学助教授、教授観測理論である内部観測の発見者である。内部観測 (英:internal measurement) とは、観測に関するとらえ方の一つで、(従来、観測について考察する時一般に暗黙裡に仮定されていた)外部からすべてを一瞬で見ることができるような観測者による観測ではなく、物質が相互作用を通して相手を検知する行為のこと。

ヒトの身体像の脳内再現と身体運動制御との関係 内藤栄一(情報通信研究機構 (NICT)未来ICT研究所、脳情報通信融合研究センター、脳情報通信融合研究室室長)

牢獄からの解放?―脳神経の科学、倫理、そして政治 粥川順二(1969年生まれ、ライター・編集者・翻訳者。「ジャーナリスト」とも「社会学者」とも呼ばれる)

ニューロエシックスの新しさ 香川知晶(1951年生まれ、埼玉大学卒業山梨大学医学部教授[1]、医学工学総合研究部教授 専門はフランス哲学、応用倫理学(生命倫理学、脳神経倫理学)。

脳表面の動的発生-トセゥルーズ「意味の論理学」に即して小泉義之(1954年生まれ、東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学 日本の哲学者、倫理学者近世哲学から現代哲学(大陸哲学・フランス現代哲学)までが研究対象。)

可塑性とその分身-メタ可塑性を導入する 美馬達哉(1965年生まれ、京都大学大学院医学研究科博士課程修了、日本の医学者、医師。立命館大学先端総合学術研究科教授。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、生命倫理、現代思想)

3)評価と感想

立花隆の本が、1人の人間が17名前後の研究者へのインタビュー記事をひとりでまとめたものであるのに対して、こちらの雑誌は、17名近い研究者か各々語ったり書いたりした論文であるため、必ずしも系統的に整理されてはいない。しかし、脳の科学に係わる課題や問題を広範にわたって取り上げている点については共通している。但し10年の歳月の重みはあり、研究者の年齢は、雑誌の方が20歳近く若返っているWikipedia等で検索してみるとこれらの研究者の多くがその後も日本の様々な研究機関で活躍されており、ここに書かかれている内容がかなり確かなものであると信頼できた。

3.3「全部わかる脳の事典(2015年出版)

して

脳研究の現状の常識を知りたくて購入した本がこの本である。医学部、看護学校で教科書として採用されている。80万部突破のうたい文句に魅かれて購入した。イラストや図表が多くわかりやすいと判断した。しかし、本棚に飾っている内にもう10年近く経ってしまった。しかし、文字だけではイメージが湧かないのでたまに目を通していた記憶がある。

図表の作成をしたのは、彩考と云うメディカルイラストレーションを業務とする会社で、代表者の佐藤良孝の経歴は次のようになっている。

日本メディカルイラストレーション学会 監
美術解剖学会会員
日本美術解剖学会会員
The Association of Medical Illustrators
会員(米国)
日本サイエンス・ビジュアライゼーション研究会 会員
データベースユーザースグループ 会員

なを、監修者の坂井建雄、久光正は、次のような人物であった。

坂井 建雄1953512日生まれ)は、日本の解剖学者。1978東京大学医学部 学科卒

医学博士順天堂大学医学部解剖学教授。日本医史学会第12代理事長(2017年〜)

久光正(1947年生まれ?  ) 昭和1972年昭和大学医学部卒 医学博士 免疫系と神経系昭和大学医学部第一生理学教授を経て昭和大学学長(2019年~)

2)本書の構成と概要

Part1.脳の構造し機能

 脳の全体像

 脳の系統発生と発達

 脳を構成する細胞の仕組み

 各部の仕組みと働き

 大脳/間脳/小脳/脳幹/脳室

 脳の血液循環のしくみ

Part2神経系の構造と機能

 神経系の分類

 脳神経・脊髄神経・自立神経のしくみと働き

 運動を司る神経の構造

 体性感覚を伝える神経の構造

特殊感覚を伝える神経の構造

Part3 脳の高次機能と活動

記憶のしくみ

学習のしくみ

感情・思考のしくみ

ストレス反応のしくみ

睡眠のしくみ

Part4.脳の病気メカニズムと治療法

脳神経疾患(アルツハイマー型/てんかんなど)

精神疾患・障害(気分障害/統合失調症など)

脳血管障害・腫瘍(脳梗塞/脳腫瘍など)

3)評価と感想

この本は、脳の構造や各部の働きについての現在の知見を要領よく、分かり安くまとめてあり、脳の関連本を読む上での基礎知識となる。しかし、画像認識、聴覚認識、言語認識の具体的プロセスについての記述は不十分のように思う。その理由は、この本が、人間の成人の脳に焦点を当てているが、それを深く理解するには、様々な他の動物との比較、人間の幼児から成人に至る各プロセスにおけるその発達プロセスによる違い等その周辺系との関連での知識で補完する必要があるし、成人においても、異常な才能や人格との関連等の具体的事例との関連が分析される必要があると考えられるためである。さらに、この本は、医学書として編集されているため、脳の活動を第三者の視点で記述している。そしてそれは、医学書であるため、やむを得ないことではあるが、今日問題となっている一人称での観点が問題となるクオリア・意識の問題やその心理学への通路が見られないことである。現代医学は、精神疾患を物質的な原因からのみ説明しようとしているように見えるが、それはソフトの異常をハード的要因にのみ起因させようとするもので、真とはいえないのではなかろうか。ソフトの異常には、ソフトのバグつまり、教育やブロパガンダ、思想の在り方や宗教の影響等があり、それは脳のネットワーク形成やそれとの外部システムとの接続問題としての視点が必要であろう。

3.4脳と心の仕組みー[大人のための図鑑]、ビジュアル版(2015年出版)

1)概要

脳科学の現状をうまくまとめた最新の本はないかと探していてふと目についたのがこの本であった。

「大人のための図鑑」脳と心の仕組み:池上祐二監修:新星出版社:20151125発行


この本は、監修者は書いてあるが、著者とは書いていない。出版社もあまり目にしたこともない。ただ出版の日付づけは、もっとも新しく写真は多そうなので、なにかの参考になるだろうと購入した本。しかし、実際に目を通してみると脳に関する実際の画像はカラフルで美しく、脳研究者の見ている世界が眼前に展開されているようで思わず引き込まれてしまった。しかもイラストも見やすく解説文章もよくまとまっている。しかも内容は、立花隆の脳科学や現代思想の脳科学の未来以後の脳科学の話題が凝縮されているようにおもわれ、脳の事典では、あまり見られなかった写真や話題が数多く取り上げられており興味深い。監修者は名前だけでなくかなり中味に関与しいると思われたので、概要と略歴を次に示す

2) 池上祐二の概要と略歴(wikipedia)

Yuuji IKEGAYA1970816 - )は、日本の薬剤師、薬学者、脳研究者。学位は薬学博士(東京大学大学院・1998年)。東京大学大学院薬学系研究科・教授。

神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究する。脳科学の知見を紹介する一般向けの著作も執筆している。著作に『海馬』(2005年)、『進化しすぎた脳』(2007)、『脳には妙なクセがある』(2012)、『単純な脳、複雑な「私」』『ココロの盲点』(2013)など。静岡県藤枝市出身。

  • 1989 - 静岡県立藤枝東高等学校を卒業。同年東京大学理科一類に入学の後、脳に対する薬の作用に惹かれ、同薬学部へ傍系進学。
  • 1993 - 薬剤師国家試験 合格(免許取得)同年、東京大学大学院薬学系研究科に進学。
  • 1995 - 日本学術振興会特別研究員。
  • 1998 - 博士(薬学)を取得。論文名は「てんかん様過剰神経活動による海馬神経回路の異常形成」。大学院修了までに筆頭著者として13報の学術論文を発表した。同年、東京大学大学院薬学系研究科・助手。
  • 2002 ~ 2005 - コロンビア大学生物科学講座・客員研究員。
  • 2006 - 東京大学大学院薬学系研究科・講師。
  • 2007 - 東京大学大学院薬学系研究科・准教授。
  • 2014 - 東京大学大学院薬学系研究科・教授に就任。脳情報通信融合研究センター (CiNET)・主任研究員、日本薬理学会・理事も務めている。

3)本書の構成と概要

はじめに

プロローグ1  ここまで見えて来た脳

プロローグ2 脳研究から見た自我や意識の正体とは

第1章                脳の機能を知る

第2章                心の一生

第3章                脳と心の不思議

第4章                脳と心の病気

第5章                未来の脳と心

エピローグ1 脳と心をさぐる歴史

エピローグ2 脳のポテンシャルを開拓し、次世代に繋げる池谷脳創発プロジェクト

4)評価と感想

本のはじめの中で池谷氏は、「この本の特徴を脳研究の分野を出来るだけ万遍にカバーしつつ
最先端知見を積極的に取り込、過去一二年間で得られた人工知能やコネクターム等も含む
れほど高い鮮度保ちながら多様な話題を扱った図鑑は前例がないはずです」と語ってい
が、その意図は完全に達成されている。この意味で本省は、立花隆の「脳を究める」の視
点の延長上にある一人の脳科学者の手になる作品のように思える。この本は、最近の人工知
能や未来の脳科学についてもエピローグの中で言及こしている点で脳研究の現状と将来展望
まで触れた本と云える。

4.1脳研究の歴史

脳についての関心は、心は脳にあるとする紀元前5世紀頃のビポクラテスに始まると云われるが、心が心臓にあるとするアリストテレスと人体解剖を禁止するキリスト教の影響で、14世紀のルネッサンスに至るまであまり進んでこなかった、脳の研究が進むのは、近世になり、自然科学を中心として様々な学問がアリストテレスの哲学から解き放たれた以降のことである。特に18世紀以降、自然科学の影響もあって、宗教から距離を置いた形での合理的思考の潮流が近代的哲学として勃興してくるとそれらの哲学(デカルトからカント、ヘーゲルに至るまで)では「意識的な理性」を人間の本質と見なす、フランス革命に象徴される合理的思想が、支配的となるが、それと共にそのアンチテーゼとしてのロマン主義やシュールリアリズムや神秘主義の思想も活発化してくる。そんな中神経外科医のフロイトは「人間の行動の多くは無意識に支配されている」と主張し、理性中心の人間観を根底から揺る主張を展開し、人間の意識の働きの複雑さとその内容についての研究を精神分析学として体系化してゆくことになった。この精神と意識の研究は、脳の構造という実体を欠いた形で精神医学、心理学として現在まで発展してゆくことになる。

一方、脳の研究は他の科学と同様、観測技術の進歩と軌を一にしており、その大きなものは、顕微鏡の発明と発展、電磁気学の成立とオシロスコープ等微小電流の測定技術の向上であるし、CTPETMRI等による非浸画像検査技術の発展である。当初、精神患者の治療のための脳の研究は、動物実験を中心として外科的手段を用いた実験で進められたが、その方法は、人間については、一部の精神疾患患者に部分的にしか適用されず、正常な人間の脳活動については、脳が心の中心と認められてからも動物実験からの推定を主体として進められた。それらの制約は、外部からの脳波測定技術、CTPETMRIの出現で緩和され、技術の向上によって大きく進展することになった。現在ではコンピュータと脳の神経回路との接続も様々な方法で模索されている。

現在の脳科学は、脳のしくみをすべて解明したとは言えないが、脳の一部機能をモデル化することに成功し、そのモデルを人工的に模擬した仕組みを構築し、それにより特定の領域で、人間の能力をはるかに上回る仕組みを構築するようになってきている。人間の脳は1000憶もの神経細胞が各々10000もの突起を軸索(ニューロン)で結ぶ極めて膨大な宇宙的規模のネットワークを持つ存在であるが、その能力は1/10も活用されていない。このため、この非効率な人間の脳を乗り越えるAIの誕生はさほど困難なことではない。この意味でシンギュラリティは部分的にもう始まっているとみた方がよい。

4.2脳と人間のしくみ

外界や内界の刺激に対する生物の認識や反応は、大脳の発達によって異なった形で行われる。大脳の発達は、巨大な神経細胞のネットワークを出現させ、記憶力の強化・増大をもたらす。記憶力の強化・増大は。過去の記憶と未来の推定を可能とし、時間の超越を可能にする。

認知や反応プロセスの結果は、従来の唯物論が想定したような線形な単純プロセスではなく、様々な外部刺激の多様な信号を多層に亘る推論調整プロセスの結果とそれに加えて蓄えられた知識や印象の記憶との比較検証のプロセスの結果でもある。つまり知覚映像は、その時点での刺激に喚起それるだけでなくすでに持っている記憶によっても支配される。

これは、その結果によって喚起される運動についても云えることである。映像、音楽、言語、味覚等についてのこれ等のしくみは、細部を覗いてほぼ解明されたと云える段階にある。記憶は、最終的に大脳の神経細胞ネットワークの中に保持される。生物の生の維持・管理システムは、大きく大脳、小脳、脳幹が担っている。脳幹は、視床や視床下部等で構成される間脳、中脳、橋、延髄で構成される。人間の生の維持システムは、大脳の巨大化により、記憶容量が巨大化したため、この大脳の記憶システムが、様々な形で関与してくる。この生物の生の維持・管理システムの総合的管理の一部が意識である。この意識の鮮明な部分はクオリアと云われ自意識とも云われるが、これは通常外部から見ることが出来ない。この一人称で知覚される世界の生まれる仕組みは、大脳の神経ネッワークに生じるものと考えられているがまだ良く分っていない。しかし、脳の神経ネッワークと人間を含む外部ネットワークとの接続が出来れば、第三の視点(三人称の視点)で観察されもっと詳しく理解できる可能性がある。

 意識がどのようして発生するかは、我々がいつ意識をもつようになったかを問えば分かりそうであるが、我々自身、その記憶を持つものは少ない。しかし我々の脳の発達が意識の誕生をもたらしたことは事実であるので、AIがいつ意識を持つようになるかも同様であろう。

意識そのものについての研究は、永らく哲学と文学の領域であり、意識の在り方やその合理性については、フランス革命に象徴される近代合理主義として支配的思想となった。しかし、この合理性に対する反動としての思想が、ドイツロマン主義やフランスロマン主義の潮流として生まれ、この中で無意識領域に着目して人間を理解しようとするフロイドやユング他による精神分析学が誕生する。二十世紀の前半まで、人間の心の問題は、主として、宗教や文学、心理学・精神分析学として扱われてきたが、脳科学の面から新たな視点と光が当てられるのかも知れない。

4.3脳科学の課題

現代医学は、精神疾患を物質的な原因からのみ説明しようとしているように見えるが、それはソフトの異常をハード的要因にのみ起因させようとするもので、必ずしも真とはいえないのではなかろうか。ソフトの異常には、ソフトのバグつまり、教育やブロパガンダ、思想の在り方や宗教の影響等があり、それは脳のネットワーク形成やそれとの外部システムとの接続問題としての視点が必要であろう。

AIの脅威が問題になっているが、それよりも問題は、人間である。戦乱を起こし、環境を破壊する現代の人間は、悪しきAIより始末が悪い。しかし、人間がその潜在的な能力を発揮すれば、既存のAIよりはるかに優秀である。そしてその可能性の扉を開けるのは、教育ではなかろうか。いずれにせよ、人間とAIが融合する新たな文明のステージが始まるだろう。

ただ。人間の知性には、計算不可能性の領域があり、それは、人工知能では及ばないとのベンローズの量子脳理論もあり、その計算不可能性の領域と意識の誕生をめぐる問題はまだ、未決着で今後の推移を見守りたい。

脳に関する本は、難しい。しかし、脳研究の概要が分かれば、興味をもって読めるのではなかろうか。そして新たな発見があるのかも知れない。そんな気持ちをもって再度本棚の下記の本を読み直してみることにする。

参考文献

天才の精神病理-科学的創造の秘密-:飯田真。中井久夫:中央公論社:昭和47(1972)330日初版、昭和51(1976)25日第9版」

創造性の開発―技術者のためにー:ヴアン・ファンジェ:加藤八千代、岡村和子訳:昭和38(1963)58日第一刷、昭和43(1968)430日第9刷」

電脳進化論:立花隆:朝日新聞社:1993215日第一刷」

脳を究めるー脳研究最前線:立花隆:1996510日第一刷」

言語の脳科学―脳はどのようにことばをうみだすかー:渡辺邦嘉:中公新書:中央公論新社

2002725日初版、200842512版」

「脳とコンピュータはどうちがうのかー究極のコンピュータは意識を

もつのかー:茂木健一郎、田谷文彦:ブルーバックス:講談社:2003520日第一刷、

200681日第三刷」

脳は本当に歳をとるのか:米山公啓:(株)青春出版社:2004815日第一刷」

現代思想―200610月号―特集脳科学の未来-:青土社:2006111日発行」

ベンローズの量子脳理論―心と意識の科学的基礎を求めて:ロジャー・ベンローズ:竹内薫、茂木健一郎訳、解説:ちくま学芸文庫:2006910日第一刷、20201030日第七冊」

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたときー:ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳:新潮文庫:

平成24(2012)41日発行、令和元年(2019)1220日13刷

2045年問題―コンピュータが人類を超える日-:松田卓也:廣済堂新書:201311日第一刷。201565日第5刷」

全部わかる脳の事典:坂井建雄、久光正:成美堂出版:2015520日発行」

:

「最新科学が解き明かすー脳と心の仕組み」:池谷裕二監修:-大人のための図鑑―ビジュアル版:新星出版社:20151115日発行

神経とシナプスの科学―現代脳研究の源流:杉山晴夫:ブルーバックス:(株)講談社:20151120日第一刷」

あなたの知らない脳―意識は傍観者であるーティビッド・イーグルマン、太田直子訳:早川書房2016915日発行」

人工知能ガイドブック:I/O編集部編:(株)工学社:2016615日発行

エスの系譜―沈黙の西洋思想史―:互盛央:講談社学術文庫:(株)講談社:20161011日第一刷」

エスの本:ゲオルク・グロデック:岸田秀、山下公子訳:講談社学術文庫:(株)講談社:2018410日第一刷」

もう一つの脳―ニューロンを支配する陰の主役グリア細胞:R・ダグラス・フィールズ:小松佳代子訳、小西史朗監訳:2018420日第一刷」

創造の星:渡辺哲夫:(株)講談社2018710日第一刷」

虚妄のAI―シンギュラリティを葬り去るー:ジャン=ガブリエル・ガナシア、伊藤直子他訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:2019725日発行」

脳と文明の暗号―言語と音楽、驚異の起源:マーク・チャンギージー:中山郵訳:ハヤカワノンフィクション文庫:早川書房:20201215日発行」

脳の意識、機械の意識:―脳神経科学の挑戦―:渡辺正峰:中央新書:中央公論新社:20171125日発行」

生成AIで世界はこう変わるー超知能は神か悪魔かー:今井翔太:SBクリエイティブ(株):2024115日初版第一刷、122日第二刷」

脳の本質―いかにしてヒトは知性を獲得するか―:乾敏郎、門脇加江子:中央新書:中央公論新社:20241125日」